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7歳の子供の置き去り事件から学ぶ子供のしつけのあり方

2016年06月04日 | 人間について

日本中ばかりか、世界でも騒がれた、北海道の山林で親から置き去りにされた7歳の男の子が無事、発見されたが、親のしつけのあり方について、テレビやインターネットなどで賛否両論が沢山出ていた。

テレビの報道や、ネットの情報を見ていると、親のしつけの行き過ぎが問題視されているようだが、よく見ると、そもそもこの子供が置き去りになってしまったのは、人や車に対して石を投げていたとのことで、これは行為自体、とんでもない行為である。下手すると相手の目などに当たって大怪我をする可能性だってある。7歳の子供だったら、父親から厳しく言われれば大抵の子供はすぐに止めると思うのだが、この子供は相当に言うことを聞かん子だったように思われる。

また、車からは2度も降ろされており、最初に降ろされた後は、その子は泣きながら車を追っかけたというではないか。本来なら、子供はここで懲りるはずなのだが、また降ろされてしまった、ということは、それでも懲りず、親の言うことを全く聞かなかったのが原因だったとしか思えない。この子は相当に言うこと聞かん子、頑固者、という印象を受けた。

子供は、残念ながら中には、非常に頑固で、小さいのになかなか言うことを聞かないツワモノがいることは事実なのである。これは小学校に上がる前に、やっておくべきしつけを厳しくやらなかったり、親が甘やかしてしまったりするケースに非常に多いのだが、こうなってしまった子供は、小学校に上がった後では、非常にしつけが難しくなる。なので、自業自得とはいえ、その親がキレてしまい、とんでもない行動につい出てしまったのは、何となく分かるような気がする。本当に言うことを聞かない子供は、大人でもイライラしてしまうものなのだから。

子育てに関しては様々な議論があり、また、情報や養育書が溢れるほどにあるが、聖書では非常に単純明快に書かれている。新約聖書のエペソ6章1~4節の、たった4節の言葉に凝縮されている。

”子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。

「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。

すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。

父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。 ”

「父と母を敬え」、これが最も基本的なしつけであると聖書では述べている。つまり、親は最初から子供達が親を敬うように育てないといけないのです。戦後から、だんだん「友達親子」のような親子が増え、結果、基本的なしつけもちゃんとできない親が多くなったが、親と子供の関係は、あくまで親子の関係であって、友達ではない。物わかりの良い親、というと聞こえが良いが、これはあくまで子供を尊重して一人の人間として扱う範囲のことであり、何でもかんでも子供の要求を聞くことではない。尊敬、というのは、親という立場を尊敬することであり、それは子供が小さい時から親が子供を尊敬するように教えないといけないのである。ある程度大きくなってから、では遅いのである。

小さい時から親を敬うように育てられた子供は、親の言うことをよく聞くし、結果、外にでても学校の先生や習い事の先生などの言うこともよく聞くようになる。そのような子供は、「しあわせになり、地上で長生きする」と、神様は約束している。

敬うということは、親と子のある一定の距離、ラインを保つ必要があることを意味しており、親がむやみに子供の領域に土足で入って踏みにじってはいけないのである。これは、子供への虐待も含むが、親に対して、「子どもをおこらせてはいけません。」と警告しているのは、そういうことなのである。

今回のこの事件で、アメリカのAP通信では、「日本の文化として、子どもの個人の権利を尊重するより、子どもは家族の所有物だという認識が強い」と指摘されているが、私が思うに、この男の子が親の言うことをなかなか聞かなくなった原因として、無意識のうちにご両親が子供を自分の思うようにコントロールしようとしていたかもしれないことは十分考えられる。

子供は、親がコントロールしようとすればするほど、ますます反発するだけなのである。聖書の考え方では、子供は神様から一時的に親に授けられたものであり、あくまで一人の独立した人間であって、親の所有物ではないのである。従って、自分が望む通りではなく、神様が望む通りに育てることが大事なのである。

日本では、そのようなキリスト教的な考えが浸透していないが為に、子ども個人の権利を尊重する、という考え方がなかなか理解できないと思うのだが、子育ては不可解な部分があまりに多く、また親自身も不完全な人間である為、全知全能である神様から知恵をもらい、神様に従って育てることが鍵となってくるのである。

聖書には、旧約聖書も含め、人としての在り方や、子育てに関するヒントが沢山書かれているので、興味のある方は是非読んで頂きたい。



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