桜と紅葉・・・・・人間の本質は久遠不滅である
日本人は桜と紅葉が大変のお気に入りであります。
この背景には四季の中でも春と秋と云う季節の変化が大いに影響を与えていると思われます。
桜は厳寒の冬をのり越えて花が咲き、花が散った後に葉桜と言われるように清清しい青葉が吹き出てきます。
楓は反対に春先の爽やかな青葉が、秋が深まるにつれてまるで紅い花のように紅葉して、名残惜しく最後に散ります。
人の生き様を顕わしているかのようであります。
掛け軸にも春秋として良く描かれます。
また人を、花とか自然に託して詩が歌われます。
花は黙って咲き、黙って散ってゆく。
そうして再び枝に帰らない。
けれども、その一時一処に、この世のすべてを托している。
一輪の花の声であり、一枝の花の真である。
永遠にほろびぬ生命のよろこびが、悔いなくそこに咲いている。
南禅寺 柴山全慶老師
『裏を見せ 表を見せて 散る紅葉』
良寛 辞世の句
人の生命は永遠であり、幼児の如く裏も表も無い、
そのまま素直な仏(ほとけ)心である。
人間の本質は久遠不滅である。
『肉体的な形』はくだけても『人間そのもの』(神姓)は永遠にくだけるものではないのである。
日本人は桜と紅葉が大変のお気に入りであります。
この背景には四季の中でも春と秋と云う季節の変化が大いに影響を与えていると思われます。
桜は厳寒の冬をのり越えて花が咲き、花が散った後に葉桜と言われるように清清しい青葉が吹き出てきます。
楓は反対に春先の爽やかな青葉が、秋が深まるにつれてまるで紅い花のように紅葉して、名残惜しく最後に散ります。
人の生き様を顕わしているかのようであります。
掛け軸にも春秋として良く描かれます。
また人を、花とか自然に託して詩が歌われます。
花は黙って咲き、黙って散ってゆく。
そうして再び枝に帰らない。
けれども、その一時一処に、この世のすべてを托している。
一輪の花の声であり、一枝の花の真である。
永遠にほろびぬ生命のよろこびが、悔いなくそこに咲いている。
南禅寺 柴山全慶老師
『裏を見せ 表を見せて 散る紅葉』
良寛 辞世の句
人の生命は永遠であり、幼児の如く裏も表も無い、
そのまま素直な仏(ほとけ)心である。
人間の本質は久遠不滅である。
『肉体的な形』はくだけても『人間そのもの』(神姓)は永遠にくだけるものではないのである。