【フランジパニ日記】@目黒世田谷圏内・自由が丘。手相鑑定、セラピー、カウンセリング、コーチングで変化を促すサロンのブログ

手相占い、ストレスの解放、ヒプノセラピー(催眠療法)、コーチング、癒し、気づき、潜在意識などについて綴っています。

目標に対して梯子をかける

2011-05-24 07:00:00 | 自己実現
“目標設定をする”という行為は

目標に対して梯子(はしご)をかけるようなものです。



その梯子は、あくまでも固定の梯子であり

上から下に梯子を垂らせば登れるという

縄梯子ではありません。



仮に、縄梯子で上まで登ることができたとしても

それには

想像以上の気力、体力、運が必要になると思います。



目標設定さえすれば、そこにたどり着けると思うのは

幻想でしょう。



登ることができる梯子をかけるためには

梯子の一方を

しっかりした地面に固定する必要があります。



足元が

ぐらついている場合や

ぬかるんでいる場合もあるので


梯子の一方をどこにするのか

きちんと見極める必要があります。



梯子は一方がしっかりと地面に固定されていないと

足元が不安定で、登ることに困難と危険を伴います。



目標があったとしても

自分にそれを実現化させるだけの

地に足の着いた

しっかりとしたリソース(資源)がないと

目標に到達するのは大変困難です。



自分のリソースを見極めましょう。



今の実力から見て、目標がとてつもなく高い場合には

いきなりそれに向かって梯子をかけない方が賢明です。



高すぎる梯子は

よほど素材が強固なものでない限り

不安定極まりないものです。



また、登る側に技量が要求されます。



梯子が高すぎると

登りきる前に疲れてしまい


登ることを断念してしまったり

途中で梯子から落ちてしまう

可能性が高くなります。



そして、挫折感だけが残り

登ろうとしたことに対する後悔と

以降、何かやることに対して

やるだけ無駄という

自信喪失と無気力にも結びついたりします。



今の実力では目標が高すぎると思う場合

躊躇(ちゅうちょ)しないで梯子を分解しましょう。



そして、可能な高さの梯子をかけましょう。



この梯子を登り切ったら

また次の可能な高さの梯子をかけましょう。



手に届くかどうかという距離感の目標設定を繰り返しましょう。
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体験という名のリソース

2011-05-23 07:00:00 | 自己実現
体験はどんなことであれ

人生でのリソース(資源)になります。



そのこと気づくことができるか否かで

人生が違う方向に振れていきます。



体験の重さ、重要度は

自分の感じ方、価値観、判断により

自分で決めるものです。



たとえ、他の人がバカにするような小さな体験であっても

本人にしてみれば大変な自信になったりすることもあります。



また、嫌な体験であっても

良い面に気づくことができるようになると

そんな体験であってもバネにできるようになります。



その体験は、あなたらしいエピソードだったでしょうか?


その体験では、何を感じましたか?


その体験では、あなたの隠れた一面が出ましたか?


その体験によって、ものの見方が変わりましたか?


その体験を通じて、他の人の気持ちが分かるようになりましたか?


その体験を通じて、優しくなれましたか?


その体験を通じて、得たものは何でしょうか?


その体験を通じて、成長しましたか?


その体験によって、何か他の人の役に立つことができますか?



自分で体験した事実は変えられませんが


その見方、解釈は、自分の意志で変えられます。



そして、体験はリソースになります。



そのことに気づくことができると、人生は大きく変わっていきます。
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できごとすべてを受け入れる心境

2011-05-22 22:36:49 | 気づき
“条件づけない幸せ”

をもたらす

“人生における、できごとすべてを受け入れることができる心境”

では

できごとすべてを無条件に受け入れたり

自分の成長を放棄したり

することにはならないと思います。



人生で何か問題が生じ、不都合を感じた場合…

逃げずに、その壁を乗り越えようと努力することは

自分の成長にとって、とても大切なことです。



人生において、目の前に壁が立ちはだかったときに

自分とちゃんと向き合わず

やるべきことをきちんとしていない…


にもかかわらず


「人生とはそんなものだ」

と達観したポーズをとり

自分は

“人生でのできごと、すべてを受け入れている”

と思うのは大きな勘違いです。



これは逃避であり、なぐさめであり、あきらめです。



このようなことや


「○○だったから、しょうがないじゃない」

と自分を正当化する言い訳をしたり…


「自分はその程度だ」

と自分を卑下したり…


などをしていると

確実に自尊心が低くなります。



その態度を改めないでいると


後になって

「あのとき○○すれば、良かったな」

「あのとき○○すれば、今どうなっていたかな?」

「あのとき××したのは、△△のせいだ」

などと

今更どうにもならないことを考えるようになります。



そして、更に自尊心が低くなります。



不都合があり

改善していくと決めたことには

本気で取り組む気持ちが必要です。



本当にその気持ちがあれば

いてもたってもいられなくなり

何らかの行動につながります。



そして、自分なりに一生懸命行動すれば

それなりの結果が出ます。



“人生における、できごとすべてを受け入れることができる心境”

には

考えられることすべてをやって

「もうやり尽くした」

「結果は神のみぞ知る」

「思い残すことは何もない」

という

力強くもあり、すがすがしくもある

生きる姿勢が、根底にあるものと思います。
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条件づけない幸せ

2011-05-20 07:00:00 | 気づき
幸せになるためには“条件づけ”は不要です。



条件づけない幸せとは…?



“人生における、できごとすべてを受け入れることができる心境”

だと思います。



これができる人は

自分がどんな状況に置かれたとしても

自分やその状況を客観的に見ることができ…


しかも

どんなできごとであろうとも

そのことの良い面を見ることができ…


人生で起きるあらゆることを

学びに変えることができる人です。



このような人は

多くの人が見過ごしてしまいがちなことを

感じ取ることができる繊細さと


簡単にはへこたれない

大変に強い心を持っている人です。



条件がなくても幸せな人とは…?



本当に幸福感に満ちている人だと思います。



そのような人は

“今、この瞬間、自分が生かされている”

と感じ取ることができ

“なにごとにも感謝と謙虚の気持ちを持って生きている人”

とも思えます。



私は少しでも

そのような人に近づけるよう

精進したいと思います。
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幸せの条件

2011-05-19 07:00:00 | 自己実現
多くの人は

「○○すれば、幸せになれる」

「○○になれば、幸せになれる」

「○○であったら、幸せになれたはず(=今は幸せではない)」

ということを考えます。



もし、この

“○○”を

本当に手に入れたとしたら…



どう感じますか?



幸せですか?



“○○を手に入れた”という

余韻に浸っている間は

最大級の幸せを感じるかも知れません。



でも残念ながら

それほどの幸福感であっても

その状態は長くは続きません。



最初は幸せ一杯であったものも

手に入れた状態が当たり前になると

徐々に幸せが色あせていき

「ああ、この程度か」などと思ってしまったり…



悪い所に目がいったりして

ケチをつけたりすることすらあります。



そして、また幸せを渇望して

次の“○○”を求めていきます。



これでは、目標達成できたとしても

いつまで経っても

幸せになることができません。

気持ちが豊かになることはありません。



むしろ、目標達成すればするほど

空しさが増していくような気がするのは

私だけでしょうか?



どうしたら幸せになれるのでしょうか…?



幸せになるためには“条件づけ”は不要です。
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