明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

考えるヒント(13)朝まで生テレビの不毛

2022-12-01 19:13:14 | 今日の話題

1、血液型の不思議
私の好きな女優さんナンバーワンの有村架純は、日本ではややマイナーでちょっと馬鹿にされてる血液型の「B型」である。一方、ちょっと前に時計屋で謎解きが得意なキュートなギャルを演じて大ブレイクした浜辺美波もこれまた同じ「B型」だそうだ。同じ「B型」とは思えないくらい印象が違っている二人だが、これまたB型の私から見ると何とも親近感があって、表情に「可愛らしさが際立つ」天然キャラでもある。まあ、他の血液型の人から見ると別の魅力があるとは思うが、私は性格に「裏表のない素直なところ」が大好きだ(ホントのところは分からないけど、多分)。

ところが、若手女優で人気を二分している橋本環奈 の血液型はというと、これが意外な繊細・都会型の「 AB型」であった。まあ、O型の「遠慮ということを知らない」行動パターンや、A型の「理由なんかないけど皆んな私と同じ考えよ」という、傲慢ともとれる自信とは違い、またB型の「天然ボケ」とも対極にいる血液型だと思えば、橋本環奈の屈託ない笑顔にも「誠実さ」が感じられるではないか。それにAGCのCMなどで新境地を拓いている広瀬すず もまた「愛くるしい AB型」と聞けば、むしろ血液型は「少数派の方が良い!」とも言えるかも。・・・これは、現実に「男女とも」その傾向が有りそうだ。

つまり、少数派が珍重されるのはファッションと同じってわけである。何故か目立つのよね~(ちょっと自慢?)。

2、台湾で蔡英文が辞任したらしい
こないだ全台湾で各市長などの選挙があり、その結果、中国に対抗していた蔡英文総統の与党が決定的な敗北をしたらしいのだ。その責任を取って党首を辞任、次の総統選が「相当」ヤバいという状況である(ダジャレ?)。

すわ、台湾も中国に飲み込まれたか?と慌てるのはまだ早い。これは、台湾市民が中国寄りに心変わりしたのではなく、世界的な景気後退を受けて、台湾の世論も「政府の景気対策」を重視した結果というわけだ。それなら蔡英文もバラ撒き作戦で大衆の人気取りやればいいのに、何故か中国敵視の政策ばっかしを強めるだけで、中々有効打が打ててないから選挙で負けちゃった、という事らしい。まあこれは岸田首相も状況は一緒だから何とも言えないが、大衆の不満というのは中途半端な民主主義国家の場合、ちょっとコントロールを誤ると「一気に政権が倒れる」要因にもなる。岸田さん、あなたの支持率「相当ヤバく」ない?

振り返ってみれば、香港の雨傘革命は中国共産党の強権発動で鎮静化してしまったようだし、台湾経済も中国無しでは立ち行かないところを見透かされて、いずれ本土に取り込まれるのは?という恐怖を覚えるのは、歴史の必然の流れだと私は見た。そもそも台湾が中国と対立しているのは、中国共産党に対する国民党の拠点として台湾が頑張ってた世代が、まだ年配者として残っているからである。あと15年もすれば中国と敵対するよりも、経済的に上手く立ち回ったほうが発展出来るという事を「骨身にしみて」分かっている若い世代が台頭してきて、台湾一人が無駄な抵抗をするのでなく、むしろ大中国の一部になって「裕福な生活」を送る方が全然良いと考える時代が来ても、一向におかしくない。

問題は、その時に日本が「どういう立ち位置」にいるか?である。多分、平安時代以来の伝統に従って、大中国と上手く外交して「ささやかな幸せ」を謳歌してるんじゃないか?。幸せの秘訣は自他を比較して優劣を争うのではなく、日本「独自の幸せ」を定義し、世界に不思議がられてもそれを追求・完成することにある。日本は幸いにもその種の才能に優れていると見た。

勿論これは、単なる私の勝手な予想である。

3、サンドウィッチマンが朝生を批判
サンドウィッチマンが討論番組「朝まで生テレビ」を、ラジオで「つまらない」と皮肉っていた。出席者がそれぞれ言いたいことを言うだけで全然議論にならないし、毎回収拾がつかないで答えが出ないまま終わるから「何なの?」とモヤモヤする、と言うのである。私も同感で、最初は白熱した議論が人気を博したと記憶しているが、それも10年位前の話で、まやオワコンと揶揄される番組でもある。

こないだ、たまたま別番組のチャンネルを探していたら目に入って、「あれ?まだやっていたんだ!」と思ってちょっと見てみたが、案の定同じような詰まらない言い合いで、唯一変わったのが「田原総一朗がボケて来た」だけの、相変わらずの番組だった。サンドウィッチマンの指摘は「ド正論」である。

そもそも議論とは「両者納得の結論」を出すためにするものなのだ。もとより答えの出ない議論なんか時間の無駄だし、相手の意見をじっくり聞く気の無い連中が集まって勝ち負けに終始するのでは、犬の喧嘩と変わりないではないか。こんな番組を見て「真剣勝負の討論」などと思う人がいること自体、日本人の論理性の無さが露呈したものと言える。

第一に、議論を取り仕切る「田原総一朗」が、議論というものを全然分かっていないから、番組全体が「主張をするだけ」の場になって見てて面白くないのだ。参加者が言いたい放題になりそうなのを正しい位置に引き戻し、意見の「論点のズレ」を指摘しながら最終的な結論に導く役目、それが田原総一朗の役割である。なのに彼自身が自分の意見を言ってさらに迷走させるから始末に負えない。

私は、議論というのは「ビルを建てる」ような地道な作業の積み重ねだと思っている。例えば土台を作るのに最適な材料選びから、耐震構造の仕様に至るまで、一つ一つの作業について「正しい答え」を探しながら全員で納得共有し、細かく一歩一歩進めていって途中で行き詰まったらまた元に戻って検証する、の繰り返しだ。そういう何十何百という議論をお互いの間で繰り返しながら「確定した事実」を積み上げて行って、ようやく一棟のビルが建つのである(それが実績と信頼の証である)。

ビルを建てるという作業は、間違いなくプロフェッショナルな人間の仕事である。友人のSN氏は元その道のプロだが、彼の話を聞くと「知らないことだらけ」の自分が恥ずかしくなるような知識の宝庫に驚かされる。それこそコンクリートを作る材料の調達から足場の組み立てに至るまで、何から何まで専門業者のノウハウが無くては出来ない事ばかりだ。だが、経験豊富な彼も「他の分野」では一般の人と同じレベルの知識しかない。これは実は、他の「全ての職業」についても同じことが言えることなのだ。つまり現代社会は、過去から莫大な量の「経験を継承」して成り立っているのである。

私の言う「議論」というのは、このような過去からずっと続けてきた試行錯誤を「理論化・抽象化・一般化」して、それで得られた「ものの考え方の正しい方法」を使って問題を解決する「対話の方法」である。つまり議論とは、人々がコンセンサスを得るための「社会生活の根本」だとも言える。これが日本人は子供のころから身に付いていないから、大方の話し合いは「意見の言い合い」になって、不毛の結果に終わらざるを得ないのだ。議論はディベートではない。勝ち負けを争うのではなく、問題に直面して何とか答えを見つけ出そうという「共同作業」である。

だから皆んなが納得する答えを上手く発見出来た時には、参加者にも視聴者にも「カタルシス」が生まれる。こういう形の「新しい討論番組」が出てくれば、サンドウィッチマンも「あれは面白い」と絶賛するのではないだろうか。例えば最初は、テーマとして「ブラック校則について議論する」を選ぶのも面白い。

曰く、何故髪の毛を金髪に染めてはいけないのか?

この、どうでも良い些細な事一つを取ってみても、全員が納得する「または納得せざるを得ない」答えを出すのは、とてつもなく困難至極である。勿論、求める「答え」は染めてもいいか悪いかではなく、「何故そうするのか」の「確固たる理由」である。これを、正しい答えが出るまで「何週にも」わたって議論するのだ。もしこれが実現出来たら、世論を巻き込む「大人気コンテンツ」になることは間違いないと思うのだが、・・・まだ早いかなぁ。


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