今・ここ・自分~断捨離日記

断捨離とは不要・不適・不快を、要・適・快に入れ替えるプロセス
正規トレーナーのmomoが、断捨離でごきげんを実現します

植物の場合

2010-08-16 15:08:39 | 実践

命あるものの断捨離には、二の足を踏む。

ペットの話ではなく、庭の植物。

物言わぬ植物とはいえ、生きている。

つまり生命を断捨離するわけだから、その罪悪感たるや…、鍋や衣類の比ではない


…だけど、逆に生き物だから…という理由で、邪魔だったり好みじゃなかったりしても、処分することができず、見て見ぬふりをしてしまう。

植物は日々生長するので、膝丈くらいだったものが、いつのまにか人の背よりも大きくなり、放っておけば鬱蒼と茂って、藪のような状態になる。

 

我が家の庭も、予想以上に育ってしまった植物だらけで、まったくもってすっきり感がない。


可哀そうだけれど、罪悪感に飲み込まれそうだけれど、…なんとかしたいと思った。

 

現状は、今・ここ・自分の軸からずれているし、自分が嬉しくない。

 

では…と心を鬼にして、気に入らない植物を断捨離することにした。

 

10年以上前に植えたブルーベリー、幹は太いが、環境が合わないのか、私の世話が気に入らないのか、毎年、収穫できる実は5個くらいしかない。

嗚呼…今年も5個か…と、ため息をつくのは、これで終わりにしよう。


ごめんね…と謝ってから、窓下のブルーベリーを2本、抜いた。


決意がゆるがないうちに、邪魔な場所にはびこる小菊とやせ衰えてボロボロの黄バラを処分。

大きくなりすぎたアジサイとユキヤナギは半分以下に刈り込んだ。

増えすぎたアガパンサスは、掘り起こして、数か所に分けて移植。

花が終わったクレマチスも思いっきり短く剪定した。

気温35度の中、雑草も45㍑ゴミ袋に3袋分、抜いた。

 

荒れた感じが一掃されて、すっきりして気持ちのいい空間が現れた

 

夏の日差しに美しく映える緑、季節の花が咲き、梢で小鳥が羽を休める究極の癒し空間。

…だがそれも、きちんと手入れされてこその光景だ。

適切な剪定を施さないと、花だって咲かない。

植えっ放し、伸びっ放しのままでは、うっとうしいだけ。

森や山ではないのだから、個人宅の庭はスペースに限りがある。

計画的に植え、その後も手を入れていかないと、心地よい空間ではなくなってしまうのだ。

 

今・ここ・自分の軸がずれると、不要・不適・不快があふれかえるのは、家の中も庭も同じなんだ…と改めて実感した次第。