命あるものの断捨離には、二の足を踏む。
ペットの話ではなく、庭の植物。
物言わぬ植物とはいえ、生きている。
つまり生命を断捨離するわけだから、その罪悪感たるや…、鍋や衣類の比ではない
…だけど、逆に生き物だから…という理由で、邪魔だったり好みじゃなかったりしても、処分することができず、見て見ぬふりをしてしまう。
植物は日々生長するので、膝丈くらいだったものが、いつのまにか人の背よりも大きくなり、放っておけば鬱蒼と茂って、藪のような状態になる。
我が家の庭も、予想以上に育ってしまった植物だらけで、まったくもってすっきり感がない。
可哀そうだけれど、罪悪感に飲み込まれそうだけれど、…なんとかしたいと思った。
現状は、今・ここ・自分の軸からずれているし、自分が嬉しくない。
では…と心を鬼にして、気に入らない植物を断捨離することにした。
10年以上前に植えたブルーベリー、幹は太いが、環境が合わないのか、私の世話が気に入らないのか、毎年、収穫できる実は5個くらいしかない。
嗚呼…今年も5個か…と、ため息をつくのは、これで終わりにしよう。
ごめんね…と謝ってから、窓下のブルーベリーを2本、抜いた。
決意がゆるがないうちに、邪魔な場所にはびこる小菊とやせ衰えてボロボロの黄バラを処分。
大きくなりすぎたアジサイとユキヤナギは半分以下に刈り込んだ。
増えすぎたアガパンサスは、掘り起こして、数か所に分けて移植。
花が終わったクレマチスも思いっきり短く剪定した。
気温35度の中、雑草も45㍑ゴミ袋に3袋分、抜いた。
荒れた感じが一掃されて、すっきりして気持ちのいい空間が現れた
夏の日差しに美しく映える緑、季節の花が咲き、梢で小鳥が羽を休める究極の癒し空間。
…だがそれも、きちんと手入れされてこその光景だ。
適切な剪定を施さないと、花だって咲かない。
植えっ放し、伸びっ放しのままでは、うっとうしいだけ。
森や山ではないのだから、個人宅の庭はスペースに限りがある。
計画的に植え、その後も手を入れていかないと、心地よい空間ではなくなってしまうのだ。
今・ここ・自分の軸がずれると、不要・不適・不快があふれかえるのは、家の中も庭も同じなんだ…と改めて実感した次第。