また雪が降ってきた。
もうすぐ3月だけど、春はまだかな…。
昨秋は、なにかと忙しく、庭仕事が思うようにできなかった。
秋っていうのは、次の春に備えて、いろいろする季節。
薔薇の剪定をしたり、球根を植えたり…。
そういうことをサボると、春の喜びが半減する。
…残念ながら、今年の我が庭、
施肥を十分していないから、薔薇の花付きはあまり期待できないし、
植えてないので、チューリップの絨毯も望めない。
大丈夫なのは、植えっ放しOKのスイセンくらいかな。
スイセンというのは、手厚く世話をされなくても、
季節になると毎年咲く、健気な植物だ。
花の後に、お礼肥を施すくらいで、本当に手間いらず。
おまけに勝手に増えてくれたりもする。
忘れ去られたような空き地や切り立った崖で、
白や黄色に咲き誇るさまには、思わず見入ってしまう。
いったい誰が植えたのかしら…。
最初の1球は、人間の手によるものだとしても、
その後は、ほとんど自力で増殖したのだと思う。
スイセンだけでなく、モノだって増殖する。
最初の1個は、自分自身が家に持ち込んだもの。
手に入れた時は、嬉しかったかもしれない。
日々の生活で役に立ち、
毎日愛でて、あ~~、よかったなぁ…と思っていたかもしれない。
だけどやがて蜜月時代は終わり、
いつの間にか出番が減って、
そのうち忘れられ、埃をかぶっていく。
そこにあるけど、ないものとして存在するようになる。
そしてきっちり始末をつけないまま、私たちは新たなモノに手を出す。
…モノが、ひとつ、またひとつと増えていく。
それこそ自動的に。
出口は閉まっているのに、入り口は開けっ放しだから、
不要なモノがどんどん堆積し、住まいはゴミ置き場と化す。
う~~ん、スイセンならきれいだが、
縁が切れたモノたちの増殖はいただけない。
限りある住まいのスペースを侵略し、
圧迫感と停滞感を伴って、
あるじの時間と空間とエネルギーを奪っていく。
せっかく春が来ることだし、
時間と空間とエネルギーをしっかり取り戻しておきたい。
…で、「断捨離のスイッチが入りません」というご相談を受ける。
すっきりした住まいを実現したい気持ちはあるのに、
どうにも重い腰が上がらない…と。
はい、はい、はい、よ~~~く分かりますよ
経験者ですからね。
断捨離がオートランに達する前、
つまりまだ経験値が低く、断捨離体力がついてない場合に、
いくつかお薦めできる方法はある。
どこからどう見てもゴミなモノを間引くとか、
引出し1個など、小さなスペースに限ってやるとか、
時間を決めてやるとか。
だけど、その前に大切なことがひとつ。
それは、決心をすること。
「私は断捨離をする」…とほかの誰でもない、自分自身に宣言すること。
不要・不適・不快なモノたちとは縁を切り、
すっきり住まいで自分をもてなし、
ごきげんな毎日を送る。
その手段として、断捨離すると心に決めること。
「断捨離したいな~~」でも、
「断捨離したらいいんだけど…」でも、
「いつか断捨離してみよう」でもなく、
「私は断捨離します」と決心すること。
最初の一歩は、その決心から。
散らかった家に戻り、一気にモチベーションが下がっても、
どこから手を付けていいかわからず、途方に暮れても、
日々の生活に追われて、思うように着手できなくても、
その決心があれば、必ず踏み出せる。
たとえ小さな一歩でも、
目に見えないほどの些細な成果でも、
少しずつ、一個ずつ、ごきげんに近づいていける。
『チリも積もれば山となる』とか『千里の道も一歩から』が、
ただの諺からリアルな実践へと変わっていく。
方法論もフォローアップもシェアも、全部そのあと。
たとえば今日、
「断捨離します!」と決めると決めない…、
それは全く個々人の自由。
さて、どうしますか?
でもセミナーに出たり、仲間と話したり、
本やブログを読んだりすると、
わざわざ決心するまでもなく、
やりたくなっちゃうのが断捨離の不思議なところ。
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