今・ここ・自分~断捨離日記

断捨離とは不要・不適・不快を、要・適・快に入れ替えるプロセス
正規トレーナーのmomoが、断捨離でごきげんを実現します

断捨離力アップ?(2010.1.20)

2010-07-15 15:16:07 | 断捨離とは?
断捨離セミナーは、意識編に入った。


それにしても贅沢な話だ。

全国を飛び回ってセミナーをしたり、インタビューを受けたり、執筆をしたりで大変お忙しいやました先生から、ちゃんと私、たった2人の少人数講義で断捨離を学べるなんて。

先生の側からしたら効率が悪いと思うけれど、受講生にとっては恵まれたシチュエーションだ。


先生、ありがとうざいます。

しっかり学んで実践し、周囲にも断捨離を波及させていきます(宣誓)



断捨離は新陳代謝だから、不要、不適、不快なモノを、要、適、快に入れ替えていく。

だが、そうするとモノの総量は減らない。

…という疑問に、先生は「それでよい」と仰る。

断捨離は流れを取り戻すプロセス。

モノの入れ替え⇒流れを起こす⇒詰まりの解消⇒捨の促進

断捨離を進めていくと、だんだん精度が上がり、判断の基準も厳しくなり、結局、入ってくるモノより、捨てたり手放したりするモノの方が多くなるらしい。


そうなのか

…じゃ、自分の生活が快適になるように、どんどん入れ替えていこうっと!



今回のセミナーで、三つの力について学んだ。

①言葉の力

私は自分と周囲にどんな言葉を提供しているか。

口癖は何?


ゲッ…と思った。

私の口癖は「でも」と「だって」だから

常に相手を言い負かそう、自分の方が正しいことを証明してやろう…という潜在意識の表れかも。

とりあえずは相手の言わんとすることを聴いてみよう。

反論は控えめにして。


②環境の力

私は自分と周囲にどんな環境を提供しているか。

これはつまり住まいのこと。

散乱、混乱、混沌を極める住まいではないだろうか?

いや、…まさに、そうだから、断捨離を学んでいるんだけれど。


ここで私が考えたのは、子供たちのこと。

中学生と高校生になった子供に、私がしてあげられることは、年々減っている。

食事、洗濯、そして整った住まい。

家をキレイにして、気持ちのいい空間を提供してあげるのも、愛なんじゃないかな…と思った。


③行動の力

私は自分と周囲にどんな行動を提供しているか。

いつもどんなしぐさ、表情、姿勢を見せているだろうか?

眉間の縦ジワ、ため息、鋭い目つき、プリプリした態度?

まさかねぇ(^^ゞ…いや、けっこう危ないかも…(メモしておこう)




川畑のぶこさんの「断捨離のすすめ」もやましたひでこ先生の「断捨離」も重版を重ねている。

アマゾンでは売り切れ状態が続いているそうで、全国的に断捨離旋風が巻き起こっているようだ。

モノの多さが豊かさではないと、やっと私たち日本人が気付き始めたというところかしら…。



私もゴタクを並べていないで、手を動かさなくては…。



月1回の燃やさないゴミの日(容器包装プラスチック以外の再利用できないゴミ)が2日後に迫り、スイッチが入った私。

昨日、キッチンをダンシャった。

肉じゃがを煮込みながらや皿洗いのついでといった、短い隙間時間をつなぎ合わせて、トータルで1時間ほどの作業。

いつも判断が遅くてトロトロしている私ですらも、いったんエンジンがかかったら、ご覧のとおり。

画像


断捨離マジックの成果


実はキッチンは秋に一度断捨離している。

それなのに、この不要物の山!

あの時は不要に思えなかったが、今は断捨離精神がより浸透し、判断基準がぐっと上がったということか。

我が家のキッチンには天井近くに吊り戸棚がたくさんあって、収納スペースがいっぱい。

足台を使わなければ届かないこともあり、扉をあけることは年に数回。

その開かずの空間でずっと腐臭を発していた可愛そうなモノたち。

見えないからといって、腐臭の漂うキッチンにいたら、それはエネルギー漏れも起こすというもの。

どんどん間引いていくと、どんどん勢いがついて、なんか気持ちも高揚してくるから不思議だ。


1時間の成果にしては上出来。

スペースも気持ちもすっきりして、実に気持ちがいい。


断シャリは新陳代謝(2010.1.14)

2010-07-15 15:08:18 | 断捨離とは?
断捨離はただ闇雲にモノを捨てるのではなく、住まいの新陳代謝だと、やました先生は何度も仰った。

つまり不要・不適・不快を、要・適・快に入れ替えること。


処分を迷うモノを前に、「もったいないな…」と思っている時、比較的スパッと思いきれる方法があった

「これ、私に相応しい?」と問いかけてみるのだ。

モノそのものに焦点をあわせると、まだ使えるし、高かったし、いつかまた使うかもしれないしと、心が揺れる。

だが、「私、これ好き?あるから仕方なく使ってない?まだ使えるけど、もうボロボロ…、私ってこんなモノが相応しい女?」と自問すると、あっさり捨てられることもある。


また捨てることに伴う罪悪感は、自分に相応しいモノに入れ替えるための処分…と思えば、けっこう感じない。



例えば、ベッドパット。

マットレスにかぶせ、その上にシーツを装着するから、直接肌に触れることはないし、常にシーツの下にあって見えないので、それほど意識するモノではない。

でも我が家のベッドパットは結婚当初に買ったモノで、すでに17年経っている。

試しにチェックしてみたら、ヘタって変色している。

多分、ダニの大家族も住んでいることだろう

気づいてしまったからには、買い替えるしかない…ということで、断捨離。

ホームセンターで新調したベッドパットは3000円也。



例えばヤカン。

何度か空焚きして焦がしたので、見るも無残な姿をさらしている。

でも使えるから…という理由で、焦げ焦げのヤカンで今日もお湯を沸かす私。

イメージ悪ぅ!

麦茶を沸かすから、細身でお洒落なヤカンはダメだけど、実用的でピカピカのヤカンに換えよう。



例えば私のウールのコート。

8年ほど前に、デパートのバーゲンで求めた品。

軽くて、好きな色で、ダウンじゃないけど温かく、スカートにもジーンズにもマッチして、とにかく重宝していた。

ヘビーローテで袖が擦り切れたため、2年前に折り返し部分をカットして、使い続けた。

今冬は襟の部分が擦り切れたので、黒いコサージュをつけて隠した。

気に入っているからこそ、本当によく活用した。

でも、もうそろそろいいかも…。

こんなに着てもらえれば、コートも本望だろう。

「ありがとう、さようなら」と、次のコートにバトンタッチさせよう。



全てのモノをこのコートのように使いきることが理想だけれど、なかなかそうはいかない。


断捨離は清貧のすすめではないので、モノの新陳代謝を促進していくのもアリだと思う。

ただそうすると、モノの量は減らないなぁ…。

それでもいいのかなぁ…


次のセミナーで質問してみよう。



それともう1点。

リサイクルは断捨離上級者のテクニック、オークションやフリマに出品する手間を考えると、初心者は億劫になって処分を後回しにしてしまう。

ゆえに、慣れないうちは思い切って捨てましょう…と先生は仰った。


だけど…、必要ないから処分したいと自分で思っていても、捨ててしまうにはあまりに惜しい品もある。

執着ではないと思うけれど、地球の資源として考える時、全然エコじゃないし。



例えば、身長160センチ用のフェニックスのスキーウェア。

子供の成長は早く、2シーズン、6日くらいしか着ていない。

雪山に行くための服装だから、作りはしっかりしていて温かく、痛みも汚れもほとんどない。

古着として人に譲るのは全然構わないが、すでにちょうどいいサイズの子供がいる知人には、散々、譲ってきたし、断捨離を始めてからはその頻度も上がっているので、いらないモノを押しつけているようで、気持ち的に言いだし難い。

リサイクル・ショップに持っていくと、引き取り価格は200円くらいなのに、売る時の値札は5000円。

こんなところで欲を出しても仕方ないが、なんか悔しい。


…で、今、どうかなぁ…と思っているのが、ネット・オークションだ。

ネットでの売買はやったことがない。

登録して、写真を用意して、オークションにかけ、落札者と支払方法や送付方法を打ち合わせして、荷造りして送る。

確かに面倒くさい

…けど、それなら本当に欲しいと思っている人の手に渡り、ウェアもまた日の目を見る。

私の罪悪感もうずかないし、お小遣いにもなる。


トラブルや詐欺の話も聞くけれど、トライしてみようかな。

先生に怒られちゃうかしら…。


断捨離の本(2009.12.24)

2010-07-15 09:48:58 | 断捨離とは?
モノを捨てると、自己肯定感がアップする。


断捨離って奥が深い。

単なるお片付けのメソッドじゃない。

今の自分にとって不要・不適・不快なモノを取り除くことによって、心の世界が変わっていく。

自分の心と向かいあう作業は、目に見えない分だけ分かり難いし、迷いが生じ易い。

だが断捨離は決断と行動なので、動けば前に進む分だけ、プロセスも結果も明快だ。


やました先生の断捨離セミナー・ガイド編、通常は1日で終わるのだが、一緒に受講しているちゃんの時間的都合と、心理学とのリンクで内容が盛りだくさんになったため、2回に分けることになった。


で、ガイド編パート2、再び断捨離オープンハウスにお邪魔した。



断捨離していいモノには3種類ある。

使っていないモノと使っているモノと想念の強いモノ。


①使っていないモノ → 保存・放置・忘却

いつか使うかもしれないと保存してあるけれど、そのいつかが来ることもなく、ただ漫然と置きっ放しになっているモノ。

捨てなきゃ…と思っているのに、その手間や時間を惜しんでそのまま放置されているモノ。

あることすら忘れ去られ、存在自体が忘却の彼方になってしまったモノ。


無視されて否定されたモノたちは、マイナスエネルギーを発してしまう。

自分の手元にあっても使わないモノは、他の人によって生かされることもある。

モノは使われる場所へ移してやるか、「ありがとう、さようなら」と捨てて成仏させてやる。


②使っているもの → 乱雑・滞積・埃・汚染

使ってはいるものの、丁寧な扱いを受けていないモノたち。

欠けた茶碗やシミのある服、状態の悪いモノは、自らを貶めるマイナスオーラを発する。

つまり「お前なんか、汚いモノでちょうどいい」というメッセージだ。

自分の価値を自ら下げて、否定している。


この代表選手はトースターだ。

中が見えないだけに、何年分もの焦げたパンくずが滞積している。

貴方は、そんなトースターで焼くパンが相応しい人ですか?…という話。


③想念の強いモノ → 象徴

たとえば人形、アルバム、書画骨董、思い出グッズ。

こういう類は、モノ自体に特別の思い入れが入りやすい。

思い出グッズは、当時を思い出して励まされるようなものならOKだが、「あの時はよかった、それに引きかえ今は…」…と過去に囚われ今を卑下する要因になるようならNGだ。


なるほど…と思ったのは、千羽鶴。

千羽鶴は病気や怪我をした時、快復を祈って一羽一羽折られるものだ。

病床にある人には大きな励ましになるだろう。

だが全快した時、千羽鶴は役目を終える。

いついつまでも身近に置いておくのは重苦しいし、また病気になるという暗示にもなりかねない。

折ってくださった方たちの思いは受け取ったのだから、「ありがとう、さようなら」と手放してもいいだろう。



①に当てはまるモノは、我が家のクローゼットや押し入れにたくさん眠っている。


②に関しては、普段着のことが頭に浮かんだ。

私は外出する時、TPOにあわせ、それなりに小奇麗な格好をする。

が、家にいる時は、シミがついたり、ほころびたり、色あせたり、袖口が伸びたりした服を着ている。

だってどうせ揚げ物の油が飛んだり、洗い物の汚水が跳ねたり、犬の毛がついたりするんだから。

でもこれって、自分はこんな服が相応しい人間だと自己暗示をかけているようなもの。

外用の服を、普段着にしてみよう…とふと思った


③はちょっとドキッとした。

独身時代にOLをしていた時、私はスウェーデン人の開発部長秘書で、けっこう高給取りだった。

その時代の給与明細が引き出しの奥に、まだある

20年前の給与明細、なんで捨てていないのか?

過去の栄光に囚われているからなんだろうなぁ。

昔は稼げる女だったのに、今はほとんど仕事のない翻訳家。

こんな想念は自分にマイナスだ。

帰宅して、即シュレッダーにかけた。




川畑のぶこさんの「断捨離のすすめ」に続き、やましたひでこさんの「断捨離」が出版された。

断捨離がブームになりそうな予感

著書にサインしてもらおうと思っていたら、ブックオフで売れなくなるからサインはしないとのこと。

断捨離の本は永久保存するつもりだったのに、さすが先生は徹底しておられる。

(↑この時点ですでにNG)


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自己啓発本の売り場に平積みされていました。

やるぜ、断捨離ヽ(^o^)丿(2009.12.17)

2010-07-15 09:00:34 | 断捨離とは?
断捨離オープンハウスを訪ねた。

この家は展示場でもセミナーハウスでもなく、正真正銘、やましたひでこ先生のお住まい。

断捨離創始者の家だけあって、いわゆるゴミ置き場でも物置でもなく、すっきりしていて清々しい。

厳しい基準をクリアしたモノだけが置いてあるのだろう。


…かといって、生活臭ゼロのモデルルームのような空間ではなく、ちゃんと温もりも感じられる。


一緒に心理学を学ぶちゃんと2人で、断捨離セミナーを受講する。

1回目はガイド編。

私たちのバックグラウンドを考慮して、各所で断捨離と心理学をリンクさせてくださるやました先生の心遣いが嬉しい。

目に見える環境を整える断捨離と、目に見えない心を整える心理学のコラボ。

私とちゃんの組み合わせだからこそ、その面白さを存分に味わうことができる。


実はちゃんは聴き方マスター講座の主催者でもある。

心理学と聴き方と断捨離、今年は本当に盛りだくさんだった。

そしてそのいずれもちゃんと一緒、これもご縁なのだろうと思う。


そしてやました先生との出会い、これも不思議なご縁だ。

誰かの紹介があったわけではない。

何かのきっかけで「ダンシャリ」という言葉を検索し、ヒットしたやました先生のブログ「断捨離通信」を一気に読破した。

以前から「そうじ力であなたが輝く!」を愛読していたこともあり、すぐにこれは自分に必要なことだと悟り、ミニ講座に参加、その後、もっと極めたいと思いセミナー受講をお願いした次第だ。



断捨離の目的は片づけることではない。

片づけることは、目的に至るための手段だ。

目指すゴールは、健康・安全、安心・元気、そして解放感・爽快感がある暮らし。


今の自分に相応しくないモノを取り除く、引き算の手法で住環境を整え、日々ごきげんな生活をゲットする。


断捨離に取り組む方には、人生の重荷を背負った方が多いとのこと。

にっちもさっちも行かない状態、でも何とかしたい…その一念で断捨離を始める。

そして目に見えない、自分では変えられない、遠い環境、(たとえば前世療法など)ではなく、目に見えていて、自分の力で変えることのできる、近い環境、つまり住まいの改善に取り組む。




やました先生は、断捨離を進めることで、心の問題にも取り組むことができると仰る。    

見える世界を整えることで、現在のセルフイメージの枠を知り、そのリミットをさらに拡大させて、自己肯定に至る。

住まいを自分に相応しいモノだけで固めれば、セルフイメージも自ずとアップするというわけだ。


なるほど、これは新しい発想だ

断捨離でセルフイメージの改善か…。




よっしゃ、まずは、マドモアゼル・ノンノンのスーツだな。

息子の小学校の卒業式と中学校の入学式のために、4年前に求めた上品な茶系のスーツ。

茶系の服は似合わないと言われずっと敬遠していたが、着てみようと思い立ち冒険してみた。


…だが、やはりしっくりこなかった

その後、着る機会もなく、クローゼットにぶら下がったままだったが、いつの間にか袖口に小さな虫食いができた。

それでも高かったのと、あまりにも仕立てと生地が上等なのとで、手放せなかった一品だ。


虫食いは直径1ミリほどなので、多分修復は可能だと思うが、お金をかけて直したところで、きっとまた着ない。

穴があるのでリサイクルもNGだ。

思い切って捨てよう、執着とともに。



断捨離のすすめ(2009.12.5)

2010-07-15 08:45:13 | 実践
ついに出ましたーーーー


断捨離の本です。

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著者の川畑のぶこさんは、サイコセラピスト。

先に断捨離を始めたお友達が、会うたびにイキイキして輝きを増すのに触発され、では自分も…と断捨離に着手、そのままドップリはまってしまったらしい。

講演会で断捨離を紹介し、この度、本まで執筆されたが、元々はブログで体験を披露されていた。



川畑さんの抱腹絶倒な断捨離レポートはこちら

(勢いのある文章とお茶目な写真満載のとっても楽しいブログ)

(→断捨離1~)


(→断捨離25~祝!敬老の日)
(メチャメチャ面白いので断捨離29まで続けてお読みください)






さて、私の断捨離は…?


最近少し停滞気味。

だけど先日、思い立って家中のごみ箱を集めて洗ってみた。


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4LDKの家にこれだけのごみ箱。

これ以外にも分別用の45㍑と70㍑のポリバケツが1個ずつと3段になったごみ箱もある


多すぎるだろーーーーー


ごみ箱の数と家の片付き加減は比例しない。

よって半数くらいに減らすことにした。




断捨離のすすめを読みながら、今年のゴミは今年のうちに片を付けるぞ