JA7GOG - 宇宙は生成と衝突破壊の繰り返し

仮説、通説、迷信、誤解、目指せ間違い脱皮。勿論ここにも。
縄文時代、ペルシャ人が岩手で金を製錬。痕跡を探る。

捜査線上のボタン

2015-09-20 20:17:39 | 縄文のペルシャ人

ボタン発祥の地は
http://www.iris.co.jp/muse/detail.html
エジプト、ギリシャ、ペルシャなそうで、紀元前4000年のものが発掘されたいう。

ペルシャ絨毯
http://item.rakuten.co.jp/design-life/mahigara-128bk/

捜査線上のボタンを大きくすると、

ペルシャ絨毯の模様に似ています。
月かと思ったが葡萄かな。直径は約8ミリ。
それなりの身分の人が着ていた服のボタンと思うが、どんな服だったのだろう。

付いている土は黒土ではありません。石灰質。
固く付いていることから、明治以降、とか、そんなに新しくはない。

岩洞湖の氷河の痕跡としている所は、局所的で氷河にしては小さい。
過去記事
http://blog.goo.ne.jp/xbolt/e/13d637057d691b9599b2931f62f5a57c
http://blog.goo.ne.jp/xbolt/e/397c2316af86e57357c9c4baa0282253
当初はネコ流し法で金を採取した場所と推理していました。
とは言うものの、金の欠片は見当たりません。
焚き火の跡があり、粘土様になった炭が出ますが、鉱石を割るための火としては小さい。
ここではネコ流し場としたいところですが。

ラピスラズリはアフガニスタン。
http://blog.goo.ne.jp/xbolt/e/839c6ea2f69ed1d03b72c167dc9ca79f

http://www.asahi.com/shopping/yakimono/ono/TKY200705130045.html
≪現在の北イラク・ミタンニ王国の遺跡で、紀元前1500年ごろに作られた、炭酸ナトリウムを媒溶剤とするアルカリソーダ釉のやきものが出土しているそうです。≫

すべてペルシャでつながりました。

表の面をファーブルで、

粉を型に詰めて焼いたのか、
縁を削っています、

通しておいた針を固まってから抜いた、

材質は、

こんな雰囲気の石がありました。

http://www.nihongo.com/aaa/chigaku/yuuyaku.htm
≪800度前後から熔ける アルカリ釉(ソーダ釉)と鉛釉です。
メソポタミア、エジプト起源のアルカリ釉と
小アジア起源でペルシャ、ローマ、ヨーロッパに広がった鉛釉です。≫

ボタンも作ったのか、さて。

http://keirinkan.com/kori/kori_chemistry/kori_chemistry_2/contents/ch-2/3-bu/3-3-4.htm
≪ケイ砂を水酸化ナトリウムまたは炭酸ナトリウムと高温で融解すると,
ケイ酸ナトリウムとなる。この濃溶液は,無色透明であるが粘稠(ねんちょう)で,
乾燥するとガラス状になるため水ガラスという。
人造石,ガラス,陶磁器の接着剤,耐火塗料などに用いられている。≫

炭酸ナトリウム(ソーダ灰)

http://syoki-kaimei.blog.so-net.ne.jp/archive/c2303075854-1
≪ソーダ灰の袋をカマドにして鍋を置き、料理していると、ソーダ灰と砂が混ざって融け、透明な液体となって流れ出し、美しい半透明の石のような物が出来た。≫

半透明の石のような物、なるほど。
珪砂とソーダ灰を熱し、水ガラスを作った。
≪メソポタミア(現イラク)に近い地中海の東岸で、フェニキア(現レバノン:3000年前)≫

ペルシャから来たボタン、間違いない。

割れた瓶、もしかすればペルシャ製ということも、ありうる。要チェック。

遺跡地帯に入ると、待っていたかのようにガラス片が目に飛び込んできた。
エジプシャンブルーだろうか、表面の平滑さは現代のものに比べ悪い。

グラスだったのか、縁に出っ張りがある。

縁をカッとした刃物がここで抜けた、そんな感じがする。
等倍で見ると、

球体が見える。(これは宇宙を飛んだ前地球型惑星文明のガラスかもしれない。)

Wikiより
≪古代エジプトでは、干上がった塩湖の湖底から塩の混合物を採掘してナトロンを得ており、≫
≪ナトロンはエジプシャンブルーという色の顔料を作る際の原料の1つである。これを砂や石灰と混ぜ、少なくとも紀元640年ごろまでローマ人などが陶器やガラスの製造に使っていた。≫

http://members3.jcom.home.ne.jp/mag-hu/Tsunogai/10Shitugi/14Enbun2.htm
≪海面上に陸地が現在のように増えたのは,最近6億年以降であることがわかってきました.≫
≪陸地面積が急増した6億年前の前後で海水の組成が急変したことがSr同位体と堆積岩の形成量の急変から知られている.これは大陸地殻成分が急激に海水に混合したことを意味している,≫

ソーダ灰は海の塩に含まれる天然鉱物から作られ、
塩は火山でできた陸地から海に流れ込んだ、ということは、
球体が入っていても不思議ではない、か。
球体はペルシャ産の証拠となる。

それにしても、球体はいったいなんだろう。800度では溶けない。
加熱したときにできるのか、地上で球体はできないことになっているが。

もう一つ、ペルシャ由来と思われる物がある。
銀メッキされた青銅製の楕円の皿だ。写真は、
「正体不明、これって何」2012-01-12

正体不明、これって何 - JA7GOG - 宇宙は生成と衝突破壊の繰り返し (goo.ne.jp)

https://kotobank.jp/word/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%BE%8E%E8%A1%93-1412378
≪その最盛期は前4500~前3500年ごろで、金属器の普及とともに終わりを告げた。≫
ペルシャでは前3500年には金属の皿が使われていた。

http://blog.goo.ne.jp/kita-z-min14/e/08e1be2090e2db9431a79887f4041a24
≪こぶ牛の銀皿=
(国立東京博物館)
イランで出土した銀製でメッキされているこの皿には、≫
銀製で何かでメッキされているのか、銀メッキ製なのか、意味不鮮明。
正体不明の皿は楕円だが形状は似ている。
メッキの技術もあった。

奥州の金
http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/61457916.html
≪むろん平安時代は金の鉱山を掘って金鉱から金を精錬する
 技術などまったくなく 川から採る砂金であった。≫
≪藤原氏三代が異常な栄華をきずいたというのも、北上川の砂金≫

ネコを流したのは藤原氏ではない。

日本の起源
http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-46.html
≪アマテラスやスサノオの人達の文化が実在したようです。
今から3000年くらい前(私の推測)の話のようです。≫
先住日本人がやじりで猪を射とめていた頃、ペルシャ人がやって来た。
これはありそうですが、
≪この当時の地球は、海面が現在よりも2000メートル低くかったようで、≫
これは絶対にありえない。

世界最古の日本
http://www.fujitv.co.jp/takeshi/takeshi/column/koshitsu/koshitsu01.html
≪紀元前六六〇年、神日本磐余彦命(かむやまといわれびこのみこと)という人物が大和の地に国を造ったのが、日本国の始まり≫

ペルシア古代王朝の隆盛
http://www.kobemantoman.jp/sub/85.htm
≪B.C.7C前半にオリエントを統一した世界帝国・アッシリア・・・、B.C.612年に4国分立。≫
アッシリア分立で帰れなくなった人たちが日本の始まり、ありそう。
しかし、この人たちが残って国を起こしたのなら、歴史として文字に残りそうだが。
少数だったので勢力を持てず神話になった、かも。

ダムがなかった頃、岩洞の水は中津川に流れていたことは地形から間違いない。
中津川で砂金が採れる、など、ペルシャ人が金を採っていた、はありえる。

≪古代国家の形成時期をめぐって見解が分かれており、3世紀説、5世紀説、7世紀説があり、≫

これだけ証拠物件が揃うと、どうしよう。
粘土に埋もれた木を調べれば正確な時代が分かるのかな。
インドのクルマもあるぞ。

石になった海亀 - JA7GOG - 宇宙は生成と衝突破壊の繰り返し (goo.ne.jp)

比較のために丸に正の入った欠片を拾ってきました。

ガラスの向こうの正の字ですが、クリアに写っています。

一見同じに見えるガラスですが天然鉱物から作られたガラスに間違いないでしょう。
たくさん転がっているガラス片ですが、最初に目にした欠片だったのですから、
不思議な引力を感じざるを得ない、と言うか、拾ってくれる人を待っていたのでしょうか。

無数に転がっているガラス片、ちょっと見同じですが見分け方、

光にかざしてみると違いが分かります。

http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-71.html
≪南部(岩手県)の民謡「ナギヤドヤラ」は、・・・モーセとイスラエル人が、神を讃えるために歌ったものであるというのである。≫
≪彼の先祖は今から2600年前、すなわちバビロン捕囚のころ、バビロン、今日のイラクに連れていかれた者たちであった。≫

http://www.y-history.net/appendix/wh0101-082.html
≪前586年、ユダ王国が新バビロニアに征服され、ユダヤ人がバビロンに連行され、捕囚となった。前538年にアケメネス朝キュロス2世によって解放された。≫

アケメネス朝ペルシア帝国
http://www.y-history.net/appendix/wh0101-103.html

開放されたユダヤ人が岩洞で金の採掘をしていた、間違いない。


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