「作ることは考えることである」と副題が付いた、アメリカの哲学者が書いた本。
人は物を作る、ということを掘り下げ、そこから広い意味での物作りがいかに人間
にとって重要な意味を持つかを語っている。
作る、に関連した数々の話の一つに、手についての話がある。そもそも人間が物を
作るようになったのは親指を内側に深く曲げることが出来るという人間特有の手の
構造に出発点があるという。これによって片方の手で物を掴みながらもう一方の手
でそれを加工することが可能になる。身体の物理的構造が先にあって、そこから物
づくりを通して知性が発達したのかも知れないと考えると、とても面白い。
言葉にすることの出来ない知識、暗黙知についても触れている。自転車に乗るという
ことがその代表的な例とされている。自転車の乗り方は科学的に分析はできても、
それを人に教えることはできない。あらゆる物作りの中で、技法は人に教えること
が出来るが技能は教わるものではなくて個々が会得しなければならないものなのだ。
工芸の世界で、ずいぶん昔に作られた工芸品が現代では再現することができないと
いう例があるが、その理由はここにあると思う。
原爆の生みの親ロバート・オッペンハイマーについても取り上げられている。この
物理の天才は原爆の開発に科学者として情熱を燃やしたが、そこにはもの作りに潜む
落とし穴があった。それは、人は仕事の目的よりも仕事を達成することの方に執着し
やすいということ。そして、もの作りへの好奇心という衝動によって道を踏み外す
と人類の滅亡に繫がる可能性すらあるということ。
この本で取り上げたクラフトという言葉、最近ちょくちょく耳にするようになった
気がする。例えばいまデンソーはブランドスローガンとしてCRAFTING THE COREと
謳っている。社会のコアとなる技術を作るというような意味なのだが、ここで
CREATINGとかMAKINGを使わなかったのは、クラフトには個人が手作りをするという
イメージがあるからだと思う。物作りの原点は個人が考え、手作りするところに
あって、チームで考えロボットが作る時代だからこそ、なお更クラフトという切り口
が重要となる。この本の著者が言いたいこともそこにあのかと思う。
陶芸をしている関係で、この本、大いに関心を持って読み始めたものの、哲学者の
文章は僕の頭には大変に解りづらく、さらに翻訳の仕方にも問題があるんじゃないか
との疑念を最初から最後まで抱いたまま読み終えた。とにかく、読み辛い本だ。最後
の数ページに訳者による解説と題した要約があるのは、訳者自身その必要性を感じたの
じゃないだろうか。まあ、その数ページのおかげで多少は頭のもやもやが晴れた。
読み辛いけど、興味深い本。