河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

畑108 / 秋祭り

2023年10月20日 | 菜園日誌

秋祭りだ。
祭りには空豆を植えるのが、わが村の掟のようになっている。
紋日(もんび=儀式がある日)に畑で働いていると、村の皆から白い目で見られた昔は、家でこっそりと出来る空豆の種蒔きが、ちょうどよい仕事だったのだ。

昔はトロ箱(木製の魚を入れる箱)に川でとってきた砂を入れて植えた。
お歯黒と呼ばれる黒い部分を下にして、頭が砂から少し出るように種を差す。
水をかけて四、五日すると、種のお尻がむずむずして、お歯黒から根が伸び、種が二つに割れて本葉が顔を出す。
マメ科によくある発芽の仕方で種自体が双葉になる。
だから、種をすっぽりと地中に埋めると双葉は無く、いきなり本葉が出たように見える[地下子葉性]。

今はプラスチックの育苗箱やビニールポットに種を植える。
春に自家採種したのを植えるので種代はいらない。
安上りなので以前は大量に作って道の駅に出していた。
しかし、エンドウ豆ほどには売れない。
少しほろ苦い味が子どもや若者に好まれないのだろう。
私にとっては良い酒のアテなのだが。

昨日の木曜の夜が町内の前夜祭で、今日の金曜の夕方が試験曳き、土日が本番の秋祭りだ。
この歳になると、若いころに自分が地車を曳いていたほどには、ワクワクもソワソワもしない。
朝のうちに、のんびりと空豆の種を蒔く。
昼前に、畑から帰ってくると、太鼓と鉦の囃子が聞こえてくる。
「おい、どんべい(祭り衣装)出しといて!」
昼過ぎに、近くの施設の人たちに地車を見せるために、家の前を地車が通る。
「おい、法被にアイロンあてといて!」
地車に一緒について行って、家に帰ってくる。
「おい、花(祭りの寄付)の袋はどこや!」
夕方、日が暮れる。
「おい、ちょと行てくるわ!」
かくして、祭り三日の飲んだくれが始まる。

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畑107 / なんやねん

2023年10月19日 | 菜園日誌

「おい! その菜っ葉は何んという菜っ葉や?」
「きくな」
「訊くないうても、訊かんとわからんやないかい!」
「そやから、きくなと言うてるやろ!」
「忙しいんかも知らんけど、教えてくれてもエエやないかい!」
「そやから、きくなという名前の菜っ葉や言うてるやないかい!」

関東では春菊(シュンギク)だが、関西では菊菜と呼ばれている。
だから、春菊=菊菜なのだが、関東の春菊は背の高い株立ち型で、関西の菊菜は株張り型で横に広がらす。
炊くと少し苦味が出る大人の味だが、鍋のアクセントには欠かせない。
生産量日本一が大阪府なのもうなづける。

種の袋に「株張り」と明記されていなければ、関東の株立ち型の春菊だ。
放っておくとどんどん上に伸びるので、高さが20㎝ほどになったら、下の葉を五、六枚残して先を摘んでやる。
則枝が伸びたらそれを摘む。
一株で四、五回収穫できる便利な野菜だ。

「どや、わかったか!」
「わかったけど、そこにある豆は何んやねん?」
「そら豆や!」
「豆は分かってるけど、何んという豆やと訊いてるねん」
「せやさかいに、そら豆やと言うてるねん」
「忙しいんかも知らんけど、教えてくれてもエエやないかい!」
「そやから、そら豆という名前の豆や言うてるやないかい!」
秋祭りが近づいてきた。そろそろ空豆を植えるとするか。

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畑106 / 仕置き

2023年10月18日 | 菜園日誌

去年もやった「気まぐれ栽培」。
10mほどの畝に穴あきのマルチを張り、一ヶ月で成長する十種類ほどの菜っ葉を植える。
これといって規則があるわけではない。
無造作に大雑把に気まぐれに植える。
我が家で食べる分だけだから、一品種はそんなにたくさん必要ない。小松菜なら一度に五株もあればよい。
毎日、小松菜を食べるのも飽きてしまうから、次の日は水菜を二株サラダとかにする。
本当は、野菜が雑草のように生い茂っている情景が見たいがために始めたが、成長の早いもの順に食べていくから、そんな景色はとんと見たことはない。

一畝で様々な野菜を食べることが出来るという利点がある。
しかも、一畝だから、100均のスプレーで農薬を一回散布するだけで済む。
しかし、その農薬が効かない奴がいる。
バッタ、特にオンブバッタ。
オンブバッタにとって、様々な野菜があるということは、もはやバイキングの食べ放題コース同様。
オンブバッタの人気は、①ホウレンソウ②しろ菜③小松菜④野沢菜⑤水菜⑥春菊・・・。

オンブバッタという名は愛称なのかと思っていたら、バッタ目オンブバッタ科に分類される正式名。
メスがおんぶしている小さいのは子どもではなくオスで、交尾しているのではなく習性だという。
ちょうど今ぐらいから土の中に卵を50個ほど生み、次の年の五月頃にふ化する。
だから、今は食欲旺盛極まりない。
そんな農薬の効かないオンブバッタをやっつけるためには・・・チャララーンしかない。

そ朝、畑へ行って最初にすること。
♪チャララーン、チャララ ララララ、チャラ♪ラーン♪
右手にハサミ、左手に鎌。
♪ズンズクズクズク、ズンズクズクズク♪
必殺仕置き人の中村主水よろしく、颯爽と畑に入り、さらりと身を翻してオンブバッタの仕置きへと参上する!
♪チャーラ♪ラーン!
葉っぱの上のオンブバッタを見つけて「その悪事、世間が見逃しても、お天道様は見逃にはしねえぜ!」
♪ズンドンドコドコドコ、ズンドンドコドコドコ♪
「これも稼業だ。悪く思わねえでくれよ」
ハサミと鎌で、ぷつーん! どん! ぶす! 
チャラ♪ラーン♪
のさばる悪をなんとする。天の裁きは待ってはおれぬ。
この世の正義もあてにはならぬ。
天に代わって仕置する朝が、しばらく続くのである。

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畑105 / fruitful life

2023年10月17日 | 菜園日誌

落花生を道の駅に出荷している。
半分ほど出したが、残りの株の出来が悪い。
これはおかしいぞと、日誌を調べてみると、そうだ! 五月の十日に蒔いたうちの半分は何か(たぶんイタチ?)にほじくられていたのだった。
生き残った半分は五月の二十日頃に定植し、ほじくられた半分は蒔き直し、加えて新しい三品種を追加して蒔いて、五月の末に定植したのだった。
ということは、十日ほど遅らせて収穫すべきだったのだ!
というわけで、十日ほど、畑でするべきことがなくなった。

朝、「子ども見守り隊」の当番だったので横断歩道に立つ。
そして、登校する子どもたちに「おはよう!」を何十回と言う。
すると、「おはようございます!」と子どもたちが人数分返してくれる。
さらに、中学生になったオービーたちも「おはようございます!」と返してくれる。
少しシャイになった高校生は頭を下げるだけが多いが、時たま「おっちゃん、まだやってんのかいな、がんばってや!」
「あんだら、おまえこそ勉強がんばりや!」
「ありがとう! ほな、行ってくるわ!」
「ああ、行っといで!」

死ぬほどの元気をもらって、そのまま畑へ。
だからといって、今は、たいしてすることはないので一まわりして、家に帰って、のんびり。
それでもって、夕方、畑へ。
しかし、することはない。

ドッカリと椅子に座り、ぼんやりと、目の前の秋をながめる。
写真のようにたわわに実った稲穂・・・なのだが・・・。
早どりの水稲を九月に稲刈りして、二度目の穂が出てきたもので食べられない。
草丈30センチほどで、小米(こごめ)と呼ぶ小さな実が入っているだけで鳥のエサくらいにしかならない。
・・・なのだが、第二の人生を細々と送っている自分のように思えて愛おしくなる。
これも、fruitful life=実りある人生。
物事を良いように考えられるのも、子どもたちに元気をもらったお陰にちがいない。

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92 / 重言

2023年10月16日 | よもやま話

いにしえの昔の武士の侍が、山の中なる山中で、馬から落ちて落馬して、女の婦人に笑われて、赤い顔して赤面し、家に帰って帰宅して、自分の妻の細君に、遺書を書いて書き置きし、仏の前の仏前で、小さな刀の短刀で、腹を切って切腹した。
意味が重なる言葉を重ねてつかう表現で「重言(じゅうげん、じゅうごん)」という。
漢字交じりの文章にすると、すぐにまちがいだと分かるが、会話の中では、ついついつかってしまう。
「あとで後悔しないように、今現在、いまだ未解決の問題を解決する、最もベストで最良の方法は、借りているお金の借金を減らして、貯金をためることです」


この重言を、詩や短歌の韻文(いんぶん=リズムを味わう文)ではわざとつかって、心地よい調べを出す[重言法]というのがある。
松尾芭蕉の作ではないが、芭蕉が詠んだと誤解されている「松嶋やああ(さて)松嶋や松嶋や」のようなものだ。
 われを思ふ人を思わぬ報いにや わが思う人のわれを思わぬ /『古今集』
 (私を思い慕ってくれる人を私が思わなかった報いなのだろうか。私が思い慕う人は私のことを思ってくれない)
 よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よ よき人よく見つ /『万葉集』天武天皇
 (良き人が良いところだとよく見て言った吉野をよく見なさい。良き人がよく見たのだから)
 こころこそ心をはかる心なれ 心の仇(あだ)はこころなりけり /『古今六帖』
 (相手ののこころ遣いこそが、相手の本心を推し量るための肝心な点だ。だから、自分の心を踏みにじっられてしまうのは、相手にこころ遣いが無いからだよ)

同じ形の言葉を重ねていく[重形法]というのもある。
 秋も秋 今宵も今宵 月も月 所も所 見る君も君 /『後拾遺和歌集』
 (秋も仲秋、今宵は十五夜の宵、月も名月で、所も月の名所、見ておられる殿君は関白藤原頼通の君)
「~も」という助詞がついた語句を重ねていって、しだいに核心に近づけていく[漸層法]という技法もある。
 一昨年も去年も今年も一昨日も 昨日も今日も我が恋ふる君 /『清唱千首』

古い都々逸から
 義理も情けも勤めも堅く そして私と末永く
 道連れは 夢とうつつと他国の山と 水の流れと独り旅
 あきらめられぬになぜあきらめられた あきらめられぬとあきらめた 
※絵は竹久夢二(国立国会図書館デジタルコレクション より)

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