八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

三笠宮がお亡くなりになったことについて。

2016-10-27 20:53:47 | いまどきの問題について!

 明日、いよいよ『日本人の知らない「天皇と生前退位」』が書店に
並びます。

 それは、いいのですが、そんなとき三笠宮が亡くなったという報
に接し、
物事をきわめて冷静かつ熱く捉える史観をお持ちであった
三笠宮のありように、
深く想いをいたしたところです。
 『古代オリエント史と私』や『日本のあけぼの』などで三笠宮の
お考えや物事への
洞察力については、すでに知っている方も多いか
と思います。

 宮自身の戦争体験。それはほかの皇族とは一種異なったものだった
ように思われます。
中国戦線での日本軍(=皇軍)の実態を目の当たり
にして、戦後はそうした状況を
作り出してはいけないという強い意志を
滲ませた多くの発言を宮は繰り返していました。

 皇室とは如何なるものか。それはこれまで長く「ケガレ」を祓うもの
として存在していた。
それがおそらく三笠宮の考えた皇室像だったと
思われます。

 もちろん、進んで戦争を行った後鳥羽や後醍醐といった「天皇(ミカド)」
もいました。
そして「近代天皇制」の時代も、それに近かったと思います。
その意味で、三笠宮のお考えは、皇室の伝統を踏まえた至極まっとうな
皇室本来の
方向性を示したものだったように思われます。
 
 今上天皇と皇后が慰霊の旅や被災地を訪問する姿、これこそが皇室の
本来の「務め」
に近いものではなかったか。
 そう考えると、「公務」軽減という名目で、皇室がこれまで伝統的に行って
きた「務め」から
皇室を疎外することは、筋論からいって違っているのでは
ないか。

 いまこそ、祈ることの意味を、過去の震災での犠牲者を前にして、
再確認する必要がある
のではないか。
わたし自身、そんな風に思っています。

三笠宮の逝去に際し、謹んでお悔やみを申し上げます。 


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