今日の内田先生のブログで、たいへん思うところがあったので、リンクさせていただきました。
共依存って、なに? | |
自分自身に焦点があたっていない状態のことです。たとえば次のように。 自分の価値や行動や感じ方を、周囲の基準だけを頼りに判断する。 自分がどう感じて何をしたいかではなく、周囲の期待に応えることだけに必死。 自分以外の人の問題を解決することに、いつも一生けんめい |
チャック・スペザーノ博士のスピリチュアルな愛への道より
~傷つくのは、あなたが何かを奪おうとしたからです。~
というようなことが書いてあって、目からうろこでした。
~役割意識と義務感は正しいことを間違った理由で行なっている状態をさします。~
チャック スペザーノ博士の「30日間で理想のパートナーを見つける法」p129より。
毎日を悩まず健やかに過ごすために、人との距離感を適切にとることは
ほぼ不可欠だと思います。
大人の社会人として暮らすのに、一番だいじといってもいいかもしれないと、今の
わたしは思うくらいです。
大事な人以外とはほどほどに、といわれますが、それができないから困るのです。
あの、こころを占めてしまう他人というのはなんなのでしょう。
そんな人は、わたしだけではないと思います。
その対処法をことしは考えていきたいと思います。
どこでみたのかは、失念してしまいましたが、「あなたの持ってるもので、一番大事なのは
時間です。」そうです。
その時間を、何に使うか、が、大事です。
仕事はたいへん大事です。収入がかかっています。一度なくすと、同じような待遇の仕事は
なかなかみつからない、といわれます。
それでも、今の自分にふと疑問を持ったとき、一番大事なのは、時間です。
あなたの一番大事な時間を、あなたがいちばんしたいことに遣いませんか。
皆様、あけましておめでとうございます。
新年がやってまいりました。静かに新しい年が迎えられたことに感謝いたします。
いろいろな状況でつらい中にある人も、きっといつか事態が好転します。
あきらめず、一歩一歩進んでいきましょう。一人ではない、です。
どこかに同じような気持ちで、今日を過ごしている人fがいます。
今日をのりきりましょう。
できれば、太陽の光を浴びましょう。明るいほうへ、行きましょう。
人にたよりましょう。笑いかけてみましょう。
そして家族が健康でいられますように、、、年の始めに思ったことでした。
先週のことになりますが、(PV)ページヴューがかなり増えている日がありました。
私のブログを見てもらった人の人数はそうでもないので、きっとその中のどなたかお1人の
つぼにはまったのかな、と思います。
おそらく、お1人で、全ページに近くみていただいたのかと、推測しました。
いかがでしたでしょうか、何か心に残る記事ありましたか?
最近の私のヒットです。http://www.takke.jp/(⇒英単語学習ソフト P-Study System 公
式サイト「たっけのほーむぺーじ)
お試し下さい。
<!-- リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ -->
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ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ: (訳:打村明)
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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売っては行けない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。
わたしのお気に入りリストから、私がいつもフォローしている方々のブログを見ていると、元気が出てきます。
やってみたいことすら、思い浮かばなかった日常にさようなら。
ヴィジョンを語ろう、語ろうよ。
● ときどき開店、パン屋さん、ケーキ屋さんがやりたいです。
● 学校に行けないこどもたちにスカイプ授業がやりたいです。
● 一日中食事も気にせず、本が読みたいです。
● 年に数回新幹線にのりたいです。
● おしゃれしてお出かけ、ランチをたまーにしたいです。
● 安心して食べられる野菜、果物、乳製品などが手に入るコミュニティーを築きたいです。
以上、希望します。