聖書のような本、でした。
聖書といえば、私はキリスト教のことを、さしているのですが、聖書を少し読んだことはありますが、よく知っていると
はいえません。が、一言で言うなら、聖書のような本です。
預言者=神から言葉を預かった人アムルスタファが、宿屋を営む老人、女性、農夫、裕福な人などなどからそれぞ
れ、「食べることと飲むことについて話してください」、「喜びと悲しみについてお話ください」、「働くということについて
お話ください」、「施しについてお話ください」などなどと聞かれ、それに答えていく形式です。
答えは詩のような形式で書かれています。例えばこんな具合です。
宿屋を営む老人には、
あなた方が、動物を殺すときに、こころのなかでいいなさい。
「おまえを殺すのとおなじ力で私も殺されるのだ。
そして私もまた食べられるであろう。
おまえを私の手のなかにとらえている掟は、
私をもっと強い力にとらえさせるだろう。
おまえの血と私の血は天の木を養う樹液に過ぎないのだ」・・・と答えます。
女性には、
「あなたのなかに刻み込まれる悲しみが深ければ深いほど
あなたはたくさんの喜びをもっているのだ」・・・と答えます。
農夫には、
「すべての知識は
労働がともなわないときには無益なものである。
すべての労働は
愛がないときには虚しいものである。
あなた方が愛をもって働くときには、
あなた方は自分自身を結びつけ、
自分と他の人を結びつけ、
そして神と結びつくのである。」・・・と答えます。
裕福な人には、
「真実をいえば、いのちがいのちにあたえるのであってー
自分自身があたえていると思っているあなた方は
立会人に過ぎないのだ。」・・・と答えます。
とりわけ、愛について書かれてある言葉を読んで、わたしには、ああ、あれかな、と思いあたる
気持ちというか、概念というか、あの感覚というのか、そういうものが、頭に、胸に浮かんできた、私に
戻ってきた気持ちがしたのは、予想以上のことでした。
その言葉とは、アルミトラという登場人物(作者の実際のパートナーがモデル)に「愛について教えてください」
ときかれて答えた言葉の中にありました。
「愛は自分自身を満たすことだけを望んでいる」
というものです。
一見すると、聖書のようにいえば(あくまで私の聖書の知識です)「愛は与えること、隣人を愛しなさい」といったイ
メージだというのが正しいとらえ方のようですが、まず、じぶんを満たす感覚というのがあって、はじめて、与えること、
隣人に施すことができるもの。
そこのとこが、満たされていない人、厳しい人生のなかで、愛をなかば失った人には、そこを満たす感覚という
のは、忘れていたこと、思い出すとなつかしい、涙があふれてくるような、気持ちではないかと思ったのです。「自分のな
かのこども」ともいわれているものかもしれません。もともと大勢の人が、生まれてすぐは持っていたものかもしれませ
ん。こどもが、尊いのは、それらを思い出させてくれるものだからかもしれません。
続けて、「愛はあなたに宝をあたえもするし、あなたを、苦しめもする。」とも書いてあります。
愛があっても、楽しいばかりではないようですが。
元の言語では何と書かれているのか、調べてみたいです。
この本が日本ではまだそれほど、知られているとはいえないが、世界20カ国以上で翻訳され、2000万人
以上の人に読まれているということを、知っていて読んだのでこんなに胸に迫ったのか。この本自体が持つ、言葉の
力なのか、Michael Jackson(マイケル=ジャクソンは家に図書館以上の書庫があった、読書家だったと、少年虐待の
無実を勝ち取ったときの弁護士スーザン=ユーも動画で言ってました)も読んでいた、ときいたからなのか、不思議な
体験をしました。