虹の橋へ(ドラえもんの手)
2020年10月6日 21時55分
大きく3度 息を吸い込み
行年 8歳11ヶ月。
闘病の中で、とても頑張った年月でした。
ご存知なのは承知ですが
希喜の過去について少しお話しします。
希喜は2013年7月に発生した
焼津のブリーダー崩壊から救出された子。
50頭近い子達が飼育放棄され
40度を超える締め切った室内には
白骨化した遺体や、まだ身体を残した遺体。
そして生き残って救出されたのが43頭。
保護した子達の中でも一番の人間嫌い
それが希喜でした。
虐待を受けていたので怨まれるのは当然。
近づけば威嚇し、通院させようと捕まえれば
革手袋を貫通するほど咬み、引っ掻く。
その上、卵巣嚢腫があり摘出しました。
そんなこの子を我が子に迎えましたが
当初よりFIP疑惑が浮上。
コロナ抗体値が 6,400。
仲良くなりたくても、希喜の心を第一に
無理強いはしない事に。
それでも
ボスのみるくを信頼し
大好きになると、心もどんどん穏やかに。
上機嫌になり、コロナ抗体値が 400にまで下がり
FIP疑惑から遠のいたのでした。
その後の急性腎不全をきっかけに
自宅輸液等を経験し、病に勝つためには
やはり信頼が必要と努め
その気持ちに応えるように
心を開いてくれた優しい子でした。
急性腎不全は完治。
しかし今度は難病の『 免疫介在性溶血性貧血 』を発症。
2度の寛解をみましたが
本年5月に3度目の再発。
同年3月に悪性腫瘍の疑いがあった頃より
きっと身体は異変を知らせていたのだと思います。
ここからは掲載していなかった最期の頑張りの記録です。
10月5日、亡くなる前夜には
これまで入らなかったベッドを散策したり
色んな場所で休んでいました。
ベッド右横の隙間の床にも長い時間滞在。
基本、平坦な場所が好みの希喜。
最後に試してみたかったのかもしれません。
その後、晩ご飯を急に食べ出す。
身体を支える体力も乏しいので
頭を下げるのがキツイ。
かといって、台を用意すればお気に召さず
食べることをやめてしまう。
しかしそれを補うのが、ドラえもんの手。
器用に、なるべく手で口まで運びます。
これはカリカリも。
その為、周囲にはごはんが散乱しますが
カリカリ1粒をしっかり手の中に握り
食べてくれていました。
最後の最後まで
『 食べることは生きること 』 を実践した子です。
10月6日、その日の足取りは朝からフラフラ。
どうにか歩けているような状態でしたので
マットを敷き、お水用にスポイトも用意。
もう、ひとりでは無理だと思いつつ
一応、お水も近くに置いたのです。
すると
満身創痍のはずなのに、ムクッと起きて自分で飲み始めました。
これが生前 最後の写真。
最期のその時まで
自分の足で立ち、歩いていました。
酸素室も用意していましたが
使ったのは鼻血を出した9月1日に
酸素チューブからお部屋に流した1回のみ。
信じられないほどの頑張りを見せてくれました。
気高く立派な最期でした。
希喜の最期をお知らせすると
翌日には
『 乎福笑い 』 の
はなさくさんより、素敵なメッセージと共に
可愛らしいハート型のアレンジメントと
動物専用の優しい香りのお線香が届きました。
8日には
『 レオ王子、ビビアン姫 』 の
花音さんから。
お悔やみのメッセージと共に
デンファレが美しい、女の子らしい素敵な籠盛りを。
そして
『 猫に目薬 』 の
うてなさんからは、お悔やみのメッセージと共に
ガーベラとポンポンマムが優しく愛らしい
お花のアレンジメントが届きました。
9日には
遠方
チャンプママさんから
『 ガーベラは希望、桔梗は喜び 』
希喜の名を花言葉になぞらえて
温かい色合いの素敵なお花をいただきました。
そして
千代丸ママさんからは
グリーンのアナベルが美しい
柔らかい印象の花束を頂きました。
棺には沢山のお花を敷き詰めてあげたくて
いつもお世話になっている(猫飼いでもある)
焼津の 『 フラワーショップ楓(メイプル) 』 さんにお願いしたのですが
今回のお花は我が子へのものだとお伝えすると
ご夫婦揃ってお届けくださり
お値段とは似つかわしくない
ひまわりを入れた沢山のお花達と
焼き菓子まで頂きました。
お心遣いに感謝申し上げます。
10月10日
友引を避けた希喜の葬儀の日は
台風14号が近づき悪天候。
希喜を可愛がってくれ
希喜も喉を鳴らして喜んでいた、娘ちゃんも参列してくれ
葬儀会場の祭壇の前で希喜を撫でていると
係の方から
『 ニャンタさんのお母さん という方が
お花を持ってお越し下さっています 』 ・・・と。
沢山お話しはしていましたが
ニャンタさんとはこれが初対面。
足元の悪いなか、わざわざ斎場まで届けに来て下さり
希喜を撫でてくださいました。
生花は沢山頂いただろうからと、プリザーブドフラワーを。
その後、希喜を送り出してあげることができました。
大家族の我が家にお花をくださるのは
少なからず、お付き合いの範囲も頭をよぎることと思います。
それでも沢山のお花をいただき、お持ち下さり
皆さまのお気持ちとお心遣いに心より感謝申し上げます。
お花は少しずつ棺にも入れさせて戴きました。
棺の中の希喜は、愛らしく
眠っているような穏やかな表情でした。
ずっと見守って下さり、希喜も私も幸せ者です。
本当にありがとうございました。
私にはずっと聴けなかった曲がある。
それは荒井由美の 『 ひこうき雲 』
曲は昔から知っているものの、歌詞は知らず。
しかしこの曲がかかると希喜が再発したり
調子が悪くなったため、ジンクスが生まれてしまった。
曲が流れれば即座に消す。
ずっとそうやって来たけれど
亡くなった後に歌詞を調べてみた。
やっぱり・・・と。
やっと呪縛から解かれ、今は希喜の曲になりました。
いつも希喜が居た場所には
そっくりな愛が佇みハッとする。
最期の日に希喜が好んで居た
ベッド右横の隙間には
ゆずが居る。
2人とも、いつもは絶対に居ない場所。
みんにゃ解っている。
この子達が笑顔で居られるよう
希喜の分まで健康で長生きして貰えるよう
この先も24にゃんの母として頑張って参ります。
これまでの多くの応援、元気玉に
心より ありがとう。
【 ドラえもんの手 】
希喜を支え、守ってくれた手です。
肉球が黄色になるまで病と闘った
誇らしい手。
頑張った希喜を褒めてあげてください。
いつの日か、必ず逢おうね。
その時にはまた
大きな声で かぁさんを呼んでください。
あらためて皆様へ
ありがとう
これからも頑張りますので
お付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。