古今東西のアートのお話をしよう

日本美術・西洋美術・映画・文学などについて書いています。

十和田市現代美術館

2024-09-03 06:33:50 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等カテゴリー

超低速台風10号に翻弄された

1週間でした

過日、青森県の十和田市現代美術館を訪ねました

数ある日本の現代美術館の中でも、最も好きな現代美術館です(直島はまだ行ってない…) 


特徴的なのは、屋外常設展示で誰でも無料で楽しむことができます

金沢21世紀美術館は、背景に金沢城石川門があり、金沢という街の魅力の一つになっていますが、十和田市の街はシャッター街で活気はなく、屋外常設展示に力を入れたのでしょう


屋外常設展示を観ていきます

「」は作品名、作者(生年、出身地)


「愛はとこしえ十和田でうたう」

草間彌生(1929〜 長野)


「ゴースト アンノウン・マス」
インゲス・イデー(1992結成 ドイツ)

「ファット・ハウス ファット・カー」 エルヴィン・ヴルム(1954〜 オーストリア)


「フラワー・ホース」 チェ・ジョンファ(1961〜 韓国)


「アッタ」椿昇(1953〜 京都)


「はじまりの果実」 鈴木康弘(1979〜 静岡)

美術館エントランス

館内常設展示

「ゾボッフ」ジム・ランビー(1964〜 スコットランド)



「スタンディング・ウーマン」ロン・ミュエク(1958〜 オーストラリア) 


美術館を代表する作品

身長4メートルの老女



「コーズ・アンド・エフェクト」ソ・ドホ(1962〜 韓国) 


タイトルは「因果関係」を意味するらしい。同じポーズの小さな人形の連鎖で造形されている。全体のフォルムは卵子に受精する精子にも見える。小さな人形はDNAかもしれない。因果とは仏教の輪廻転生であり、アーラヤ識、集合的無意識に繋がるだろう。




「水の記憶」塩田千春(1972〜 大阪) 

なんとも強烈な赤の光だ!十和田湖にあったという古びた木船。水の記憶は、血潮の流れだろうか…

いいですね🥰



「光の橋」アナ・ラウラ・アラエズ(1964〜 スペイン) 


アラエズは女性作家。クリスタルで柔らかい。


「ウォール・ペインティングミラー」 フェデリコ・エレーロ(1978〜 コスタリカ)


屋上から八甲田山を望む


「夜露死苦ガール2012」 奈良美智(1959〜 青森)
「オクリア」ポール・モリソン(1966〜 イギリス)


「ザンプランド」栗林隆(1968〜 長崎) 


白い部屋に、白いイスとテーブル、天井から白い生き物の足、テーブルに上り、天井の穴から首を出すと、地獄の黙示録のウィラード大尉のようにジャングルの水面から顔を出す。これ楽しいです✨


「ロケーション(5)」 ハンス・オプ・デ・ベーク(1969〜 ベルギー)

真っ暗闇のダイナーの窓下に果てしなく続く高速道路
ここは2人がけで座れるので休憩?できますが、不謹慎な人はいなかった…

「松 其ノ三十二」 山本修路(1979〜 東京)

(ネット画像借用)
「無題/デッド・スノー・ワールド・システム」ボッレ・せートレ(1967〜 ノルウェー)

映画「2001年宇宙の旅」から着想を得たらしい
(ネット画像借用)
「闇というもの」マリール・ノイデッカー(1965〜 ドイツ)

静寂が支配する深い闇の森
ここも好きですね🤔


別棟の常設展示

「建物―ブエノスアイレス」レアンドロ・エルリッヒ(1973〜 ブラジル)


屋外常設展示 夜のお楽しみ
(ネット画像借用)
「エヴェン・シェティア」ジャウメ・プレンサ(1955〜 スペイン)

エヴェン・シェティア(EVEN SHETIA)とは、ヘブライ語で「創造の石」を意味する。ユダヤ教で世界創造が始まった地点。日没になると岩から一筋の光が放たれる。
大人も子供も、

何度来ても楽しい美術館です!!


美麗なるほとけ 根津美術館

2024-08-01 00:57:53 | 絵画(レビュー感想)
『根津美術館コレクションの中には、仏画作例が数多く含まれており、しかもそのジャンルは、密教系、釈迦・浄土信仰系、仏伝、絵伝、 縁起絵、垂迹画、禅宗系、宋元や朝鮮半島からの請来仏画など多岐 にわたっています。それらは、日本の私立美術館の中では最高レベル とといってよい質と量を誇っています。
本展覧会では、当館が所蔵する仏画の中でも、特に美麗な名品や 希少性が高い作例などにしぼった、いわばコレクションの粋を展示し ます。この貴重な機会に、仏画の華やかさや多彩な表現をぜひとも ご堪能ください。』パンフレットより

根津美術館が最高レベルと自負する仏画コレクション。美麗なるほとけの世界を堪能できました。


企画展は、撮影禁止のため写真はネット画像を借用しています

重要文化財 大日如来像 平安時代12世紀

まさに美麗なるほとけは、平泉・中尊寺地蔵院伝来の大日如来像、華麗な彩色は仏像の胎内に納められていたことによるそうです

大日如来は、真言密教の絶対的存在で、全ての如来・菩薩・天などは大日如来が姿を変えたものです


国宝 那智滝図 鎌倉時代13〜14世紀

熊野那智大社の御神体である那智瀧。垂迹画の傑作で、やまと絵と宋元画が融合した山水図でもある


重要文化財 愛染明王像 鎌倉時代13世紀

明王は密教の尊像で、如来の化身。
愛染明王は、「煩悩即菩薩」愛欲を悟りへと浄化させる明王

身体は愛欲の強さを表す赤色、一面三眼六臂で、愛欲を断ち切る弓矢などを持つが、愛と美の女神ヴィーナスの子、キューピッドの弓矢が原型
で機能が逆になっている、「煩悩即菩薩」ですね


重要文化財 釈迦如来・阿難像 鎌倉時代13世紀

京都・清凉寺の本尊が弟子の阿難尊者と飛来する


重要文化財 金剛界八十一尊曼荼羅 鎌倉時代13世紀

曼荼羅は、真言密教の世界観を絵画化したもので、金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅で構成される
金剛界曼荼羅は、中央に大日如来を配し、悟りへの道筋を示す
「成身会」において即身成仏を表す曼荼羅として飾られた



(部分拡大)

曼荼羅に描かれた弁才天


重要文化財 愛染曼荼羅 鎌倉時代13世紀

中心の大日如来が愛染明王に替わっている

『愛染明王を主尊とする別尊曼荼羅。肌色の肉身には朱の隈が濃く、エキゾチックな雰囲気を漂わせる。繧繝彩色(同系色を段状に塗り分ける技法)や金泥線を添えた宝相華文が美しい。数少ない愛染曼荼羅の1本であり、鮮やかな彩色をとどめる作品としても貴重である。人々の和合を願う敬愛法の本尊。修復後初めての展示。』



(部分拡大)


青い肉身はヒンドゥー教の女神像を思わせる



展覧会で一番の印象に残った作品
兜率天曼荼羅(とそつてんまんだら) 南北朝時代14世紀


(部分拡大)

『未来に如来になることが約束された弥勒菩薩が、兜率天に住まう様子を表す。堂のなかに坐す弥勒菩薩を、菩薩たちがとり囲み、その体や上階に置かれた宝珠が金色の光を放つ。緑や青の彩色に精緻な截金(きりかね)文様が映える優品。』

弥勒菩薩が住む兜率天は、インドの北、ヒマラヤ山脈の遥か彼方、六道の天道であり天部の神々が住む苦しみのない世界「北方兜率天浄土」である

単眼鏡で部分を見ると、
弥勒菩薩と天部の神々が、
音楽を奏でたり、舞ったり、空を飛んだり、蓮池を眺めたり、
実に楽しげで、キラキラ✨して、
見飽きることがない極楽浄土の世界

これはぜひ見てほしい😊


一階撮影可能エリアでは、新しい石像も展示しています

重要文化財 十一面観音立像
宝慶寺 中国・唐時代 8世紀



如来三尊像 中国・北斉時代 6世紀



弥勒菩薩立像 クシャーン時代 3世紀

驟雨のため、庭の見学は諦めました

地味な印象のある仏画のイメージを覆す、美麗なるほとけの数々

★★★★★

兜率天曼荼羅の

黄金の光に満ちた神々の遊戯に入り込む没入感がたまらない



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「女の四人の会」について

2024-07-25 14:42:34 | 絵画(レビュー感想)

「女絵師女うたびとなど多く浪華は春も早く来るらし」

(吉井勇 大正9年) 


『ゴンドラの歌』命短し恋せよ乙女🎵の作詞で有名な歌人吉井勇の

言葉です



20世紀初頭モダニズムの大阪は女性が文化人として活躍する街でした。
大正元年(1911)北野恒富、野田九浦らに師事した20歳の島成園が文展にデビュー。京都の上村松園、東京の池田蕉園に並び大阪の島成園で「三都三園」と称された。


大正5年(1916)島成園を軸に、「女四人の会」が結成され、西鶴の「好色五人女」をテーマにグループ展が開かれた。



女四人の会

メンバーは、写真左から岡本更園吉岡(木谷)千種島成園松本華羊、いずれも20代の若き女流画家です。



彼女たちの女性像(自画像)を
見ながら、特徴を見ていきたい



岡本更園(1895〜不明)「秋のうた」大正3年(1914)

文展デビューの自画像。アール・ヌーヴォー、ミュシャの影響が強く、明瞭な輪郭線が特徴



吉岡(木谷)千種(1895〜1947)の「舞姫図」大正5年(1916) 

千種は、12歳で渡米しシアトルで洋画も学んだお嬢様。色彩豊かな可愛らしい少女漫画のような「舞姫図」




島成園(1892〜1970)「無題」大正7年(1819)



島成園

架空の痣(あざ)を描き、女性の悲痛な内面表現に迫る自画像と言われるが、見るものへの挑発ではないだろうか




松本華羊(1893〜不明)「殉教(伴天連お春)」大正7年(1918)

最新の研究によると、描かれているのは、伴天連お春ではなく、新歌舞伎「切支丹屋敷」の主人公遊女・朝妻ではないかといわれている。確かに、着物の柄に「朝」「妻」が確認できる
朝妻は、恋人である刑吏により処刑される場面。華羊は幼い頃、階段から落ち脚が不自由だったらしい。手鎖に繋がれ地面に崩れる朝妻に自身が投影されているかもしれない


彼女たちの活躍で、秋田成香、伊藤成錦、菊池成輝、高橋成薇、吉岡美枝ら大阪の女流画家が生まれた。


大阪の女性たちは、今も昔も
素敵ですね😉🙆


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東京国立博物館 常設展

2024-07-25 00:12:05 | 絵画(レビュー感想)

神護寺展のあとは常設展へ

東博は膨大なコレクションを定期的に入れ替える常設展が楽しみですね


まずは神護寺展関連の本館1階の

仏像ルーム


大日如来坐像 平安時代11〜12世紀


『真言密教の教主たる仏で、密教の本尊である。日本密教においては一切の諸仏菩薩の本地とされる』ウェキペディアより


不動明王立像 平安時代11世紀

『密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。』ウェキペディアより

文殊菩薩騎獅像および侍者立像
康円作 文永3年(1273) 興福寺勧学院の本尊

本館2階へ
京狩野、狩野山雪の「流水花卉図屏風」奇想の画家のひとりですが…


今回初めて見た、狩野山雪の
流水花卉図屏風」狩野山雪筆|江戸時代、17世紀|紙本着色
山雪は山楽の婿養子で京狩野の惣領

狩野山雪というと大蛇がのたうつような松や梅の大樹のイメージがありますが、この屏風のなんと可愛らしく乙女チックなことでしょう。

『流水の震える渦巻きに山雪らしさ が顕著ですが、驚かされるのは花卉 図です。288区画に金箔と青金箔を 交互に貼って市松模様風とし、青金 箔の方に可憐な四季の草花や花木、楓 、果実などを丹念に描きこんでい ます。相当な趣味人による発注で しょう。』
発注者は高貴なこ婦人か、あるいは大店のおかみか、またはその方への殿方のプレゼントか…

山雪の養父、狩野山楽の山水図屏風


狩野山楽 山水図屏風 安土桃山時代〜江戸時代17世紀
京都正伝寺と関連があるようです

そして、伝雪舟



伝雪舟の屏風が展示されていました。松平何某氏の寄贈ということで殿様の家に伝来した作品と思われます。右隻の岩に、秋冬山水図の秋景と同じ表現で描かれていたり、雪舟感満載ですが、全体に上品で雪舟の荒々しさが感じられない。

四季山水図屏風
伝雪舟等楊筆|室町時代、16世紀|紙本墨西淡彩

『右隻には、春を表す梅の木と、青く澄んだ 夏の水景が広がっています。左隻には、秋を示す雁の群れと、冬の雪山が連なり、全体で四季を表していることが見て取れます。』

山水図 周文(伝) 室町時代15世紀

山水図 岳翁蔵丘筆 天穏龍沢賛
室町時代15世紀

2階茶の湯の部屋

大休宗套(だいりんそうとう) 室町時代16世紀

大休宗套は、大徳寺九十世、臨済宗の僧、茶人


白楽天が道林和尚に「仏法の大精神は何か」ときくと、「諸悪莫作(わるいことはするな)、衆善奉行(よいことをおこなえ)」と答えた。

「そんなことは三歳の童子でもしっている」と白楽天、和尚は言った「実行することは八十の老翁でもむずかしいぞ」。



耳付花入 伊賀 江戸時代17世紀
織部好みの伊賀焼き


青磁花卉文水指 中国・龍泉窯 明時代15世紀

いつも、何か発見がある東博の
常設展
今回は、狩野山雪の可憐な

流水花卉図屏風」がお気に入り



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藤島武二の誘惑

2024-07-25 00:04:57 | 絵画(レビュー感想)

東京近代美術館でのTORIO展も8/25までになりました

大阪中之島美術館に9/14〜12/8で

巡回します


TORIO展で衝撃を受けた作品がある藤島武二の「匂い」だ

藤島武二について書いてみます




藤島武二 「匂い」大正4年(1915)

中国服の謎の女。テーブルの小瓶は嗅ぎタバコらしい。テーブルの花、テーブルのクロス、中国服の柄、背景、女の眼差し、不自然な左肩から腕、薬指の指輪…

マティスより濃密なエロティシズムを感じます



藤島武二は慶應3年(1867)に生まれ昭和18年(1943)に没した、薩摩出身の洋画家です。藤島は青年期まで日本画や禅の思想を修養して東洋美術を血肉化し、その後洋画家に転向しました。1歳年上で同郷の黒田清輝の推薦で、明治29年(1896)東京美術学校(現東京芸大)の教諭〜教授となり、明治38年(1905)にヨーロッパに留学したことで、ポスト印象派やフォーヴィスムの洗礼を受けて帰国。多くの弟子たちに慕われ、有島生馬、佐伯祐三、小磯良平、猪熊弦一郎など、次世代の画家たちに多大な影響を与えた。

驚くのは、明治、大正時代に活躍した画家ながら、アンニュイなエロティシズムを
醸し出していることです




藤島武二 「婦人と朝顔」

明治37年(1904)


ヨーロッパ留学前年の「婦人と朝顔」明治37年ですよ!😮


2021年の「妖しい絵展」で実見し衝撃を受けました。まるでラファエル前派ですね





藤島武二 「芳惠(ほうけい」昭和元年(1926)



藤島武二 「婦人半裸像」昭和元年(1926)

一転ルネサンス絵画を思わせる、昭和元年(1926)の「芳惠(ほうけい」と

「婦人半裸像」


モデルは、『伝説のモデル』佐々木カネヨ(お葉)、責め絵の伊藤晴雨のモデルで愛人、竹久夢二と内縁関係で「黒船屋」のモデル



夢二とお葉(佐々木カネヨ)


佐々木カネヨ


世紀末デカダンスからルネサンス絵画風まで、ローマン主義から明快な古典的作風まで、薩摩藩士の家に生まれ、青年期に禅や日本画を血肉化し、洋画家に転向した藤島武二はまさに近代日本の洋画家。彼の評価はこれからますます高まりそうな気がします


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