古今東西のアートのお話をしよう

日本美術・西洋美術・映画・文学などについて書いています。

水戸偕楽園

2024-02-22 17:37:38 | 日記風&ささやかな思索・批評カテゴリー

徳川斉昭(1800〜1860)
1834年 萩谷遷喬画(パンフレットより)

水戸偕楽園は、30歳で水戸藩第九代藩主となった、徳川斉昭によって1842年に開園しました。

日本三名園」の金沢兼六園(1679年〜)、岡山後楽園(1689年〜)が作庭された元禄年間(1668〜1704年)に比べると1世紀半ほど後の幕末に開園しています。
兼六園と後楽園は、特別名勝に指定された池泉回遊式大名庭園ですが、偕楽園は偕楽園、桜山、丸山の「常磐公園」として名勝に指定されており、庶民にも開放された“近代の公園”に近い庭園です。

徳川斉昭は、江戸の小石川藩邸(現在の小石川後楽園の隣地)で生まれ、30歳に藩主になるまで部屋住みの身でした。斉昭は、2代藩主徳川光圀を敬愛しており、『水戸学』と『小石川後楽園』は自らのアイデンティティであり羅針盤だったのでしょう。

藩主となった斉昭は、天保の改革を始め、藩校弘道館の建設と偕楽園を造成する。
『一張一弛(いっちょういっし)』
文武修行の場(一張)の弘道館と、修行の心身を休める場(一弛)の偕楽園を相互に補完するものとして構想されている。

偕楽園と弘道館に梅を植えたのは、梅を愛した光圀へのリスペクトがあり、非常時の食料ともなる実用性を重んじたようだ。

偕楽園(常磐公園)は、偕楽園本園だけでなく、桜山、丸山、田鶴鳴梅林、千波湖を含めた広大な敷地の景観が愉しめる。

杉林と竹林の「陰」の空間
孟宗竹林
斉昭が設計した好文亭 木造二層三階建て
戦災で全焼し、昭和33年復元

茶室待合

オリジナルの襖絵は、萩谷遷喬ら水戸藩の絵師による水墨画だったらしい。
復元にあたって、襖絵は当時の東京芸大の須田珙中助教授と田中青坪教授によって描かれた。



襖絵の竹が欄間に続く意匠が面白い

お気に入りです

階段で三階に上る
窓から「陽」の見晴広場が見える

三階、楽寿楼広間に入る


視線の先に…
田鶴鳴梅林と千波湖

見晴広場と千波湖

広間の隣の間には、「カフェ楽」があります
(ネット画像借用)

梅林へ

見晴広場
東門(バス停口)付近
(ネット画像借用) 空から見られたいいね😊

水戸偕楽園は、いつもメインの
偕楽園本園の梅林、好文亭だけで 満足していましたが…

次回は、その何倍もある「常磐公園」全体を歩いてみたい
桜、ツツジ、藤、蓮など花も!

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羽根木梅林 

2024-02-20 15:19:28 | 美術ブログ

小田急線の梅ヶ丘
梅林があるからついた名前ではない

小田急線が通るとき当地の有力者相良家の家紋梅鉢に由来して梅丘と名付けたらしい(近くに古墳があり“埋めが丘”という説もある)

相良梅鉢

現在の「羽根木の梅林」は、昭和42年の選挙で当選した区議会議員が、地名にあやかり梅を植林したのが始まり

後づけの“梅林”ですが、今では「梅ヶ丘」のシンボルですね🙂


小高い丘に白梅、紅梅が咲き乱れる

梅の香りが丘にただよう



紅梅の先の晴天の空に浮かぶ月

公園の外の垣根から見える梅林

これは上から見るといいかも…
と見渡すと


梅ヶ丘分庁舎からの眺めもいいね


中規模な梅林ですが、丘の起伏に梅の木が重なるように咲く姿は美しい
お勧めします◎


ランチは、梅ヶ丘といえば「美登利寿司梅ヶ丘総本店」でしょう!!


当日は予約でいっぱい🥲
数日前に予約しないと無理みたいです

ラーメン屋を探すと…

8人ほど並んでいた「勝や」

軽く小腹を満たそうと入った「勝や」、オーソドックスな「中華麺」980円也を注文

周りのオーダーを聞くと、『ワンタン麺半分、チャシュー増しで』など謎の符丁?が…


ドカーン!!
何と、普通のサイズで麺二玉でした、半分にするとチャシューかメンマが増量される😯

流石にスープは飲み干せませんでしたが、さっぱりしていて麺二玉食べられました

チャシューもメンマも美味しかったので、次回は、『ワンタン麺半分チャシュー増しで!』🙋



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梅香る庭園 小石川後楽園

2024-02-14 18:05:25 | 日記風&ささやかな思索・批評カテゴリー
陽気に誘われて、小石川後楽園へ



旧水戸藩江戸中屋敷(上屋敷)の内庭に立つ唐門、後楽園の入口になる

後楽園の端を歩いて、梅林にショートカット







水を張る前の八ツ橋

梅林は、規模では水戸偕楽園に比すべきもないが、小石川後楽園の一角であることを考えると◎🙆


小石川後楽園を代表する景観『円月橋』


『水戸徳川家2代藩主光圀により、賓師(客分として待遇される師)として招聘された明の儒学者朱舜水るが設計したといわれる石橋。
水面に映る姿が満月のように見えるので、この名がつけられた。
沖縄・九州地方を除く地域の中では最古級とされる。』小石川後楽園HPより




そしてもう一つの円月橋


後楽園遊園地のサンダードルフィン
(ネット画像借用)



見立て嵐山


唐門 扁額は、朱舜水の書

『先憂後楽』天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ



水道橋駅前の『松屋』で季節限定メニュー『カットステーキのハッシュドビーフ』を食す


カットステーキは少々硬いが、ソースは洋食の雰囲気を出しており、この値段(税込890円)なら及第でしょう




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フランク・ロイド・ライト展 半蔵門ミュージアム

2024-02-10 01:28:00 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等カテゴリー

新橋といえば、♫汽笛いっせい新橋を〜♫ 
日本初の鉄道、新橋↔横浜
再建された新橋停車場に行ってみた

再建された新橋停車場
中に若干の展示、入場無料
新橋停車場 裏
新橋停車場 表(工事中)

新橋停車場外観写真 明治5年(1872)

『この建物は、1872(明治5)年10月14日 (太陽暦)に開業した日本最初の鉄道ターミナル新橋停車場の駅舎の外観を、当時と同じ位置に、できるだけ忠実に再現したものです。

新橋停車場駅舎は、アメリカ人R・P・プリジェンスの設計により、1871 (明治4)年 5月に着工、同年12月に完成。文明開化の象徴として親しまれた旧駅舎は、1923(大正12)年9月1日の関東 大震災に際して火災のため焼失し、1934(昭和9)年から始まった汐留駅改良 工事のため、残存していたプラットホームや構内の諸施設も解体されました。

1986(昭和61)年、汐留駅はその使命を終えて廃止され、跡地の再開発 工事に先立つ埋蔵文化財の発掘調査が1991(平成3)年から行われた結果、 旧新橋停車場駅舎とプラットホームなど構内の諸施設の礎石が発掘されま した。1996(平成8)年12月10日、駅舎とプラットホームの一部の遺構が史跡 「旧新橋停車場跡」 として国の指定を受け、この史跡を保護しつつわが国 鉄道発祥の往時を偲ぶために、駅舎を再建することになったものです。』ミュージアム説明より抜粋


パナソニック汐留美術館は、パナソニックビルの4階
展示は一箇所を除いて撮影禁止
写真はネット画像を借用しました
旧帝国ホテルのデッサンと模型
撮影可能エリア
ユーソニアン住宅 
ユーソニアン住宅の原寸モデル展示
予想に反して混んでます!
会場も狭いので混雑感が強い

建築史、学術的資料の展示がほとんどで、名建築!素敵建築が好き!と言っているレベルの私にはまったくついて行けず早々に退散💨😫

大学で建築関係を学んだ、建築、インテリア関係の仕事に就いている人が集まっている感じ
(期限間近のグルっとパスで来てみましたという人もいたかな…)

「倉俣史朗のデザイン」展とは似て非なるものでした

見る人を選ぶ展覧会!!




這々の体で、半蔵門ミュージアムに向かう

始めて訪ねる美術館です


場所は半蔵門線の半蔵門駅直結の宗教法人「真如苑」のビルにあります。

「真如苑」は仏教系新宗教で、真言宗の京都醍醐寺と関係があるようです。

その縁か新収蔵の『如意輪観音菩薩坐像』は、醍醐寺持仏堂に安置してあった平安仏との由。


運慶作といわれる『大日如来坐像』重要文化財 鎌倉時代12世紀
『不動明王坐像』平安時代10世紀
『二童子立像』平安時代11〜12世紀

展覧会チラシより

宗教法人が運営する美術館らしく、採算を度外視した、豪華な展示スペース、充実した人員など、優品を無料で楽しめます。
休憩ができるラウンジも便利です。


一見の価値有り!!

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雪舟伝説 京都国立博物館

2024-02-08 14:30:17 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等カテゴリー

2024年の美術展は、

近年稀なPoorさです。


コロナ禍で燃え上がった芸術への

志向は鎮火したのか!?



私が、最も期待するのは、ひっそりと開催される『雪舟伝説』だ。


京都国立博物館で4/13〜5/26迄と開催期間が短いのは、それだけ内容が濃いためだろう。





雪舟の全国宝6点、重文3点、伝雪舟・雪舟筆12点!!という、これでもか!という空前絶後の展覧会で、さらに影響を受けた、等伯、蕭白、探幽、若冲、春章、江漢などの作品をトッピングする、ウップと唸る?フルコース🤣

 


【参考】絹本著色雪舟自画像(模本)



雪舟の国宝6点が揃う展覧会は、ちょっと記憶にない。

複数の博物館、寺院、個人と所有者が異なっているためだろう。


『天橋立図』京都国立博物館、『秋冬山水図』東京国立博物館、『四季山水図巻』毛利博物館、『破墨山水図』東京国立博物館、『慧可断臂図』愛知・斉年寺、『山水図』個人蔵、の国宝6点である。





秋冬山水図(冬景)



四季山水図巻(部分)



慧可断臂図


雪舟は、1467年明へ渡航し「天童山景徳寺」(禅宗五山第二位)で「四明天童山第一座」の称号を受ける。現代ならオックスフォード大学かハーバード大学の首席といったところか。

「天童山景徳寺」は、1225年、道元も修行し、如浄から「只管打坐」の禅を受け継ぎ、帰国後、日本曹洞禅を開く。


雪舟は、

中国の仏教の真髄とその芸術の精華を受け継ぎ、日本で開花させた、

空海、道元に並ぶ巨人


これを観ずに2024年は過ごせない






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