「女絵師女うたびとなど多く浪華は春も早く来るらし」
(吉井勇 大正9年)
『ゴンドラの歌』命短し恋せよ乙女🎵の作詞で有名な歌人吉井勇の
言葉です
「女絵師女うたびとなど多く浪華は春も早く来るらし」
(吉井勇 大正9年)
『ゴンドラの歌』命短し恋せよ乙女🎵の作詞で有名な歌人吉井勇の
言葉です
神護寺展のあとは常設展へ
東博は膨大なコレクションを定期的に入れ替える常設展が楽しみですね
まずは神護寺展関連の本館1階の
仏像ルーム
大日如来坐像 平安時代11〜12世紀
『真言密教の教主たる仏で、密教の本尊である。日本密教においては一切の諸仏菩薩の本地とされる』ウェキペディアより
大休宗套(だいりんそうとう) 室町時代16世紀
大休宗套は、大徳寺九十世、臨済宗の僧、茶人
白楽天が道林和尚に「仏法の大精神は何か」ときくと、「諸悪莫作(わるいことはするな)、衆善奉行(よいことをおこなえ)」と答えた。
「そんなことは三歳の童子でもしっている」と白楽天、和尚は言った「実行することは八十の老翁でもむずかしいぞ」。
東京近代美術館でのTORIO展も8/25までになりました
大阪中之島美術館に9/14〜12/8で
巡回します
TORIO展で衝撃を受けた作品がある藤島武二の「匂い」だ
藤島武二について書いてみます
マティスより濃密なエロティシズムを感じます
藤島武二は慶應3年(1867)に生まれ昭和18年(1943)に没した、薩摩出身の洋画家です。藤島は青年期まで日本画や禅の思想を修養して東洋美術を血肉化し、その後洋画家に転向しました。1歳年上で同郷の黒田清輝の推薦で、明治29年(1896)東京美術学校(現東京芸大)の教諭〜教授となり、明治38年(1905)にヨーロッパに留学したことで、ポスト印象派やフォーヴィスムの洗礼を受けて帰国。多くの弟子たちに慕われ、有島生馬、佐伯祐三、小磯良平、猪熊弦一郎など、次世代の画家たちに多大な影響を与えた。
驚くのは、明治、大正時代に活躍した画家ながら、アンニュイなエロティシズムを醸し出していることです
明治37年(1904)
ヨーロッパ留学前年の「婦人と朝顔」明治37年ですよ!😮
2021年の「妖しい絵展」で実見し衝撃を受けました。まるでラファエル前派ですね
一転ルネサンス絵画を思わせる、昭和元年(1926)の「芳惠(ほうけい」と
「婦人半裸像」
モデルは、『伝説のモデル』佐々木カネヨ(お葉)、責め絵の伊藤晴雨のモデルで愛人、竹久夢二と内縁関係で「黒船屋」のモデル
千葉市美術館で「秋暉の孔雀」と呼ばれる岡本秋暉展を堪能しました
岡本秋暉「白梅孔雀図」安政3年(1856)
ご存知、動植綵絵の一枚
土佐光起(光成)「秋郊鳴鶉図」江戸時代17世紀
とてもかわいい鶉です😊
土佐光起(みつおき)は、江戸時代の土佐派を代表する絵師で、「土佐派中興の祖」といわれる。光起は、朝廷の絵所預職に85年振りに復帰した。「光起が描いた鶉の絵に猫が飛びかかった」という伝承がある。
ちなみに、
鶉(うずら)は、現代の日本では中華料理のうずらの卵ぐらいしか連想しないが、平安時代から肉も鶏と同じように食用とされてきた。中国絵画では鶉図は古くから一般的だった。また、江戸時代、武士の間で鶉の鳴き声を競う遊びが流行したそうです。ちなみに、先日見たメイ・ディセンバーでは、ジュリアン・ムーアが野生の鶉(ヨーロッパ鶉)を鉄砲で狩り、ローストにしていました。日本の鶉は昔の方がより身近な存在だったようです。
森狙仙は、江戸時代後期の絵師で、狩野派、円山応挙の影響を受けながら独自の画風を追求し、森派の祖となった。
こうみると、伊藤若冲はやっぱりアヴァンギャルドですね😮
梅雨明けの東京。上野駅から東博
までの短い距離がつらい☀️
大阪中之島美術館では「醍醐寺展」、東京国立博物館は「神護寺展」、今年のキーワードは“密教”