古今東西のアートのお話をしよう

日本美術・西洋美術・映画・文学などについて書いています。

「女の四人の会」について

2024-07-25 14:42:34 | 絵画(レビュー感想)

「女絵師女うたびとなど多く浪華は春も早く来るらし」

(吉井勇 大正9年) 


『ゴンドラの歌』命短し恋せよ乙女🎵の作詞で有名な歌人吉井勇の

言葉です



20世紀初頭モダニズムの大阪は女性が文化人として活躍する街でした。
大正元年(1911)北野恒富、野田九浦らに師事した20歳の島成園が文展にデビュー。京都の上村松園、東京の池田蕉園に並び大阪の島成園で「三都三園」と称された。


大正5年(1916)島成園を軸に、「女四人の会」が結成され、西鶴の「好色五人女」をテーマにグループ展が開かれた。



女四人の会

メンバーは、写真左から岡本更園吉岡(木谷)千種島成園松本華羊、いずれも20代の若き女流画家です。



彼女たちの女性像(自画像)を
見ながら、特徴を見ていきたい



岡本更園(1895〜不明)「秋のうた」大正3年(1914)

文展デビューの自画像。アール・ヌーヴォー、ミュシャの影響が強く、明瞭な輪郭線が特徴



吉岡(木谷)千種(1895〜1947)の「舞姫図」大正5年(1916) 

千種は、12歳で渡米しシアトルで洋画も学んだお嬢様。色彩豊かな可愛らしい少女漫画のような「舞姫図」




島成園(1892〜1970)「無題」大正7年(1819)



島成園

架空の痣(あざ)を描き、女性の悲痛な内面表現に迫る自画像と言われるが、見るものへの挑発ではないだろうか




松本華羊(1893〜不明)「殉教(伴天連お春)」大正7年(1918)

最新の研究によると、描かれているのは、伴天連お春ではなく、新歌舞伎「切支丹屋敷」の主人公遊女・朝妻ではないかといわれている。確かに、着物の柄に「朝」「妻」が確認できる
朝妻は、恋人である刑吏により処刑される場面。華羊は幼い頃、階段から落ち脚が不自由だったらしい。手鎖に繋がれ地面に崩れる朝妻に自身が投影されているかもしれない


彼女たちの活躍で、秋田成香、伊藤成錦、菊池成輝、高橋成薇、吉岡美枝ら大阪の女流画家が生まれた。


大阪の女性たちは、今も昔も
素敵ですね😉🙆


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東京国立博物館 常設展

2024-07-25 00:12:05 | 絵画(レビュー感想)

神護寺展のあとは常設展へ

東博は膨大なコレクションを定期的に入れ替える常設展が楽しみですね


まずは神護寺展関連の本館1階の

仏像ルーム


大日如来坐像 平安時代11〜12世紀


『真言密教の教主たる仏で、密教の本尊である。日本密教においては一切の諸仏菩薩の本地とされる』ウェキペディアより


不動明王立像 平安時代11世紀

『密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。』ウェキペディアより

文殊菩薩騎獅像および侍者立像
康円作 文永3年(1273) 興福寺勧学院の本尊

本館2階へ
京狩野、狩野山雪の「流水花卉図屏風」奇想の画家のひとりですが…


今回初めて見た、狩野山雪の
流水花卉図屏風」狩野山雪筆|江戸時代、17世紀|紙本着色
山雪は山楽の婿養子で京狩野の惣領

狩野山雪というと大蛇がのたうつような松や梅の大樹のイメージがありますが、この屏風のなんと可愛らしく乙女チックなことでしょう。

『流水の震える渦巻きに山雪らしさ が顕著ですが、驚かされるのは花卉 図です。288区画に金箔と青金箔を 交互に貼って市松模様風とし、青金 箔の方に可憐な四季の草花や花木、楓 、果実などを丹念に描きこんでい ます。相当な趣味人による発注で しょう。』
発注者は高貴なこ婦人か、あるいは大店のおかみか、またはその方への殿方のプレゼントか…

山雪の養父、狩野山楽の山水図屏風


狩野山楽 山水図屏風 安土桃山時代〜江戸時代17世紀
京都正伝寺と関連があるようです

そして、伝雪舟



伝雪舟の屏風が展示されていました。松平何某氏の寄贈ということで殿様の家に伝来した作品と思われます。右隻の岩に、秋冬山水図の秋景と同じ表現で描かれていたり、雪舟感満載ですが、全体に上品で雪舟の荒々しさが感じられない。

四季山水図屏風
伝雪舟等楊筆|室町時代、16世紀|紙本墨西淡彩

『右隻には、春を表す梅の木と、青く澄んだ 夏の水景が広がっています。左隻には、秋を示す雁の群れと、冬の雪山が連なり、全体で四季を表していることが見て取れます。』

山水図 周文(伝) 室町時代15世紀

山水図 岳翁蔵丘筆 天穏龍沢賛
室町時代15世紀

2階茶の湯の部屋

大休宗套(だいりんそうとう) 室町時代16世紀

大休宗套は、大徳寺九十世、臨済宗の僧、茶人


白楽天が道林和尚に「仏法の大精神は何か」ときくと、「諸悪莫作(わるいことはするな)、衆善奉行(よいことをおこなえ)」と答えた。

「そんなことは三歳の童子でもしっている」と白楽天、和尚は言った「実行することは八十の老翁でもむずかしいぞ」。



耳付花入 伊賀 江戸時代17世紀
織部好みの伊賀焼き


青磁花卉文水指 中国・龍泉窯 明時代15世紀

いつも、何か発見がある東博の
常設展
今回は、狩野山雪の可憐な

流水花卉図屏風」がお気に入り



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藤島武二の誘惑

2024-07-25 00:04:57 | 絵画(レビュー感想)

東京近代美術館でのTORIO展も8/25までになりました

大阪中之島美術館に9/14〜12/8で

巡回します


TORIO展で衝撃を受けた作品がある藤島武二の「匂い」だ

藤島武二について書いてみます




藤島武二 「匂い」大正4年(1915)

中国服の謎の女。テーブルの小瓶は嗅ぎタバコらしい。テーブルの花、テーブルのクロス、中国服の柄、背景、女の眼差し、不自然な左肩から腕、薬指の指輪…

マティスより濃密なエロティシズムを感じます



藤島武二は慶應3年(1867)に生まれ昭和18年(1943)に没した、薩摩出身の洋画家です。藤島は青年期まで日本画や禅の思想を修養して東洋美術を血肉化し、その後洋画家に転向しました。1歳年上で同郷の黒田清輝の推薦で、明治29年(1896)東京美術学校(現東京芸大)の教諭〜教授となり、明治38年(1905)にヨーロッパに留学したことで、ポスト印象派やフォーヴィスムの洗礼を受けて帰国。多くの弟子たちに慕われ、有島生馬、佐伯祐三、小磯良平、猪熊弦一郎など、次世代の画家たちに多大な影響を与えた。

驚くのは、明治、大正時代に活躍した画家ながら、アンニュイなエロティシズムを
醸し出していることです




藤島武二 「婦人と朝顔」

明治37年(1904)


ヨーロッパ留学前年の「婦人と朝顔」明治37年ですよ!😮


2021年の「妖しい絵展」で実見し衝撃を受けました。まるでラファエル前派ですね





藤島武二 「芳惠(ほうけい」昭和元年(1926)



藤島武二 「婦人半裸像」昭和元年(1926)

一転ルネサンス絵画を思わせる、昭和元年(1926)の「芳惠(ほうけい」と

「婦人半裸像」


モデルは、『伝説のモデル』佐々木カネヨ(お葉)、責め絵の伊藤晴雨のモデルで愛人、竹久夢二と内縁関係で「黒船屋」のモデル



夢二とお葉(佐々木カネヨ)


佐々木カネヨ


世紀末デカダンスからルネサンス絵画風まで、ローマン主義から明快な古典的作風まで、薩摩藩士の家に生まれ、青年期に禅や日本画を血肉化し、洋画家に転向した藤島武二はまさに近代日本の洋画家。彼の評価はこれからますます高まりそうな気がします


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江戸の動物画

2024-07-25 00:00:19 | 絵画(レビュー感想)

千葉市美術館で「秋暉の孔雀」と呼ばれる岡本秋暉展を堪能しました


江戸時代の動物画では、
「若冲の鶏」伊藤若冲、「光起の鶉」土佐光起、 「狙仙の猿」森狙仙 通り名でよばれる名手として
名を馳せています



岡本秋暉「白梅孔雀図」安政3年(1856)




伊藤若冲「群鶏図」(江戸時代1757〜1766)

ご存知、動植綵絵の一枚




土佐光起(光成)「秋郊鳴鶉図」江戸時代17世紀


とてもかわいい鶉です😊



土佐光起(みつおき)は、江戸時代の土佐派を代表する絵師で、「土佐派中興の祖」といわれる。光起は、朝廷の絵所預職に85年振りに復帰した。「光起が描いた鶉の絵に猫が飛びかかった」という伝承がある。


ちなみに、

鶉(うずら)は、現代の日本では中華料理のうずらの卵ぐらいしか連想しないが、平安時代から肉も鶏と同じように食用とされてきた。中国絵画では鶉図は古くから一般的だった。また、江戸時代、武士の間で鶉の鳴き声を競う遊びが流行したそうです。ちなみに、先日見たメイ・ディセンバーでは、ジュリアン・ムーアが野生の鶉(ヨーロッパ鶉)を鉄砲で狩り、ローストにしていました。日本の鶉は昔の方がより身近な存在だったようです。




森狙仙「秋山遊猿図」江戸時代19世紀


森狙仙は、江戸時代後期の絵師で、狩野派、円山応挙の影響を受けながら独自の画風を追求し、森派の祖となった。



こうみると、伊藤若冲はやっぱりアヴァンギャルドですね😮



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神護寺展 東京国立博物館

2024-07-21 04:54:43 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等カテゴリー

梅雨明けの東京。上野駅から東博

までの短い距離がつらい☀️

大阪中之島美術館では「醍醐寺展」、東京国立博物館は「神護寺展」、今年のキーワードは“密教”


2024年は神護寺創建1200年、空海生誕1250年にあたるそうです。神護寺は真言密教の聖地として数々名宝がつたえられています。「国宝展」「やまと絵展」で実見した作品に再会する喜びもありました。
(会場は一部を除き撮影禁止のため、写真はネット画像を借用しました)

観楓図屏風 狩野秀頼 室町〜安土桃山時代16世紀 東京国立博物館

弘法大師像 板彫 鎌倉時代14世紀


灌頂歴名 空海筆 弘仁3年(812)


金銅密教法具 中国・唐時代8〜9世紀 空海が唐から持ち帰った法具
両界曼荼羅(高雄曼荼羅) 胎蔵界(前期展示)


文覚上人像 鎌倉時代13世紀

伝源頼朝像 鎌倉時代13世紀


十二天屛風 鎌倉時代・13世紀

展覧会の圧巻は仏像群です
二天王立像 平安時代12世紀
この仏像のみ撮影可能

十二神将立像のうち辰神 吉野右京作 江戸時代・17世紀 


十二神将立像 室町〜江戸時代

五大虚空蔵菩薩坐像 平安時代9世紀
そして、神護寺展の白眉は…
薬師三尊
薬師如来立像 平安時代8〜9世紀
日光菩薩・月光菩薩 平安時代9世紀
パンフレットには「日本彫刻史上の最高傑作、寺外初公開のご本尊」とあるが…



初めて「薬師如来立像」にお会いしましたが、薬師寺の「薬師三尊」に初めてお会いしたときの感動が蘇りました。

本当に素晴らしい仏像は、お会いすると、ありがたい、生きていてよかったと心の底から思います。

堂々たる体躯と厳しくも慈愛のあるお顔は威厳に満ちています。とくにじっと見つめると、仏の目線が包み込むような一体感を感じさせます。


空海の命によって刻まれた
薬師如来立像

空海の気迫を感じる一木造の堂々
たる体躯と厳しい威厳ある表情

しかし、半眼の瞳と差し出された
両手、両腕から流れる衣の襞は
慈愛をしめし
仏とわたしを繋ぐ不思議な
交信がある

★★★★★

神護寺薬師如来立像は
生涯に見るべき至宝

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