古今東西のアートのお話をしよう

日本美術・西洋美術・映画・文学などについて書いています。

中尊寺金色堂展 東京国立博物館

2024-01-27 14:19:00 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等カテゴリー

『中尊寺金色堂は藤原清衡 (1056~1128)によって建立された東北地方 現存最古の建造物で、2024年に天治元年(1124)の上棟から900年を 迎えます。これを記念して開催する本展では、堂内中央の須弥壇に安置されている国宝の仏像11体を一堂に展示するほか、きらびやかな堂内 荘厳具の数々をご紹介します。会場内の大型ディスプレイでは8KCG で原寸大に再現された金色堂とその内部をご覧いただけます。世界 遺産・平泉の迫力のある文化と歴史の粋をどうぞお楽しみください。』展覧会チラシより



金色堂の構造は、



参照元「仏像愛好倶楽部」さんより

中央壇 初代清衡、西南壇 2代基衡、西北壇 3代秀衡で構成され、それぞれ中央に阿弥陀如来坐像を置き11体の仏像が祀られている。
各壇の台座には、清衡、基衡、秀衡のミイラが安置されている。
現存の仏像は32体で、今回の展覧会には中央須弥壇の11体画が展示されている。


会場は撮影禁止のため、写真はネット画像を借用。写真は全て国宝。


中央 阿弥陀如来坐像 左 勢至菩薩立像 右 観世音菩薩立像


地蔵菩薩立像

持国天立像

増長天立像

紺紙金銀字一切経(中尊寺経)

金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅 第七幀

よく見ると、宝塔の“線”は経文で出来ている


金色堂模型 縮尺5分の1(撮影可)





以下、中尊寺HPより




仏像と金色堂は、一体化しており、金銀、螺鈿細工、象牙、宝石で造られた堂内は、まさに極楽浄土を具現化した世界だろう。

光背を付け、あるべきところにある仏たちを見るのが本来だと強く思った展示でした。

雪道のなだらかな坂を上がって、暗闇に現れる金色堂こそ見てほしい。




本阿弥光悦の大宇宙 東京国立博物館

2024-01-19 17:44:08 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等カテゴリー

本阿弥光悦(ほんあみこうえつ・1558~1637) は戦乱の時代に生き、さまざまな造形にかかわり、革新的で傑出した品々を生み出しました。それらは後代の日本文化に大きな影響を与えています。 しかし光悦の世界は大宇宙 (マクロコスモス)のごとく深淵で、その全体像をたどる ことは容易ではありません。
そこでこの展覧会では、光悦自身の手による書や作陶にあらわれた内面世界と、同じ信仰のもとに参集した工匠たちがかかわった蒔絵など同時代の社会状況に応答した造形とを結び付ける糸として、光悦とその一族が篤く信仰した当代の法華町衆の社会についても注目します。造形の世界の最新研究と信仰のあり様とを照らしあ わせることで、総合的に光悦を見通そうとするものです。
一生涯へつらい候事至てきらひの人」で「異風者」(『本阿弥行状記」)といわれた光悦が、篤い信仰のもと確固とした精神に裏打ちされた美意識によって作り上げた諸芸の優品の数々は、現代において私たちの目にどのように映るのか。本展を通じて紹介いたします。』展覧会チラシより

展覧会は一切撮影禁止のため写真はネット画像を借用しました
短剣 銘兼氏 金象嵌 花形見
刻鞘変り塗り忍ぶ草 蒔絵合口腰刀 光悦唯一の指料「花形見」
実物の拵えの見事さは必見!

花唐草文螺鈿経箱 本阿弥光悦作
木製漆塗 江戸時代17世紀 京都・本法寺 重要文化財
光悦漆芸の基準作

蔦蒔絵唐櫃 木製漆塗 安土桃山時代16〜7世紀 広島・厳島神社
国宝
厳島神社に奉納した経典を入れた唐櫃

舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 木製漆塗 江戸時代17世紀 東京国立博物館 国宝

「光悦蒔絵」の代表作、晩年、鷹峯で制作された

舟橋とは、船を並べて橋にしたもの。『舟橋蒔絵硯箱』は、川に浮かぶ船に、橋板が架けられた様子を表している。

万葉集にも歌われた「佐野の舟橋」に由来する。伝承によると、上野国佐野の烏川を挟んで、東に朝日の長者、西に夕日の長者が暮らし反目していた。朝日の長者には那美(なみ)という娘、夕日の長者には小次郎という息子がいて、川岸で出会った二人は恋に落ち、毎夜舟橋で逢瀬を繰り返していた。夕日の長者は二人の仲に気づき小次郎を家から出さない、舟橋に来た那美は小次郎を探して、闇の中、舟橋の中程まで進むと、あるはずの橋板を何者かが外し、那美はそのまま川に落ちて亡くなった。家を抜け出した小次郎は、那美の片方の履物を見つけ、成行を察し川に身を投げる。それから、舟橋に男女の幽霊が夜ごと現れる…

かみつけの、佐野の舟橋とりはなち 親はさくれど、吾(あ)はさかるがへ」(佐野の舟橋を取り外すように、親が恋人との間を裂こうとしても、私は決して離れない)と二人の悲恋が歌われた

シェークスピアが『ロメオとジュリエット』を書く、500年以上前のお話し

この伝説をもとに、数々の歌が歌われたが、光悦は『後撰和歌集』(958年)の源等(みなもとのひとし:880〜951)の和歌をもとに『舟橋蒔絵硯箱』を制作した




東路乃 さ乃々(舟橋)かけて濃ミ 思わたるを知る人そなき」(舟橋)は、舟橋を表す鉛板で表しているため文字は省略されている
(東国の佐野にある舟橋という危ない橋をかけるように、ずっと恋しているのに、あの人は知ってくれない)

子日蒔絵棚 木製漆塗 江戸時代17世紀 東京国立博物館

天板の“根引きの松”は「初音」、上段の“扇面”は「夕顔」、中段の“御所車と白丁”は「関屋」、源氏物語の各帖を表している
徳島藩主蜂須加家に伝来した


今回の展示の目玉の一つは、『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』全一巻全長13メートル超の展示

本阿弥光悦筆 俵屋宗達下絵
江戸時代17世紀 京都国立博物館

俵屋宗達の下絵のあまりの出来栄えに圧倒され、光悦が冒頭の柿本人麻呂の名前を“柿本◯麻呂”と書き、後で“人”を付け足した(意図的?)というエピソードが残る傑作

展覧会のトリを飾るのは、第4章光悦茶碗

光悦ほどの人物ならば、珠光、紹鴎、利休と続く『茶の湯』の伝統に並ぶ宗匠となってもおかしくは無いと思うのだが、一流一派に偏することなく、古田織部や織田有楽斎に教えをうけ、千宗旦、小堀遠州とも深く交り『茶の湯』を極めた

秀吉と利休、家康と織部、時の権力者によって腹を切らされた茶人の姿を見ていたのだろうか…

家康から京都郊外の鷹峯を拝領した(追い出された)光悦はここに法華町衆の芸術村をつくり、楽右衛門常慶と親交を結び自らも名碗を創った


赤楽茶碗 銘 乙御前 本阿弥光悦作 重要文化財
乙御前とは“オカメ”のこと
光悦の赤楽茶碗はとてもセクシーです、私は“熟柿”という茶碗が好きです

黒樂茶碗 銘 時雨 本阿弥光悦作
愛知・名古屋市博物館蔵 重要文化財

光悦の黒楽茶碗の名品、薄さを追求した、シャープな造形

赤楽兎文香合 本阿弥光悦作 
東京・出光美術館 重要文化財


琳派の文脈で語られる事が多い
本阿弥光悦を、
書、漆芸、陶芸、茶道、出版など様々な造形に
作家、プロデューサーとして関わった総合芸術家の姿を展開する
★★★★★
レオナルド・ダ・ヴィンチ的天才

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常設展示に続く…



映画 ポトフ

2024-01-09 15:08:13 | 映画(レビュー感想)


19世紀末、フランス。ヨーロッパ中に知られた、※ガストロノミーの帝王”ドダン“とその天才料理人ウージェニー“。二人は田舎のシャトーに暮らし、ドダンがメニュー、レシピを書き、ウージェニーが完璧な料理をつくる。二人は長年、男女の関係にあるが、ウージェニーはドダンの求婚を拒んでいる。ある日、あるイスラム国皇太子の晩餐会に招かれるが、豪華盛大なだけの料理に辟易する。ドダンは、あえて、皇太子にフランスの家庭料理「ポトフ」でもてなそうと計画する…


美味礼讃」を著したブリア・サヴァランをモデルにした、フランスの小説「美食家ドダン・ブーファンの生涯と情熱」マルセル・ルーフ著(1920年)を原案に、トラン・アン・ユン監督が脚本を書いた。

料理やワインなどの食事全般を、文化や芸術のレベルで考えること、その理論展開。

左 トラン・アン・ユン監督
右 ピエール・ガニュール料理監修

トラン・アン・ユン監督(1962〜)は、ベトナム出身でベトナム戦争時に家族でフランスに亡命。
1993年に『青いパパイヤの香り』で長編映画監督デビュー。カンヌ国際映画祭でカメラ・ドール(新人監督賞、1995年に2作目の『シクロ』でヴェネチア国際映画祭にて最年少で金獅子賞を受賞。そのほか、『夏至』(00)、『ノルウェイの森』(10)など。『ポトフ美食家と料理人』(23)はカンヌ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞した。

ピエール・ガニュール(1950〜)
三つ星レストランシェフ、フランス出身。世界中にレストランをプロデュースし、赤坂のホテルにも名前を冠したレストランがある。



映画は、ガニュールが監修した本格的フランス料理の調理風景から、食事風景が見どころ

役者たちは、監督が『カット!!』と叫んでも、食べ続けていたらしい🤤


左 ブノワ・マジメル(1974〜)、美食家ドダン
右 ジュリエット・ビノッシュ(1964〜)、料理人ウージェニー

マジメルとビノッシュは、20年前に実際のパートナーであったことがあり、共演は20年ぶりとなる

映画は、肉、魚、野菜…が、キッチンで次に料理に変わっていくドキュメンタリー風画面で始まる

聞こえてくるのは、野菜を切る音、肉が焼ける音…料理人の足音

一台のカメラで、ワンカットを長回しする手法は、溝口健二から学んだらしい

59歳のジュリエット・ビノッシュは、下半身がふっくりして、監督の視線は『晩春』原節子を撮る小津安二郎のようだ

ジュリエット・ビノッシュは、「汚れた血」(1986)から最も観てきた海外の女優さんで、レオス・カラックス監督と一緒に、高峰秀子を訪ねたエピソードもありますね


天賦の舌をもつポーリーヌ(ポニー・シャニョー・ラボワール)
『青いパパイヤの香り』から、監督は少女の魅力を撮るのが上手い


「ノルウェー風オムレツ」これは既に有名なんでしょうか?

【参考】
映画にも登場する、美食家垂涎のオルトラン料理。今では捕獲を禁止されているオルトラン(スズメ科ズアオホオジロ)の儀式的食事スタイルはナプキンで頭を隠す!!


ドダンが洋梨の砂糖漬けを瓶から取り出し、指で愛でながら、ウージェニーのためにデザートをつくる…
部屋を開けると、ウージェニーの裸の背中から尻が見え、ドダンがゆっくりと尻を撫でる…


サヴァランの「美味礼讃」に、食事・料理は、「生殖感覚、すなわち肉体による性的な感覚を上げなければならない」「食卓の快楽は、他のすべての快楽と共にあることが可能であり、他の全ての快楽が無くなっても、最後まで存在し続け、慰めてくれる。」とある。

ポトフ」は、
料理がエロティシズムに直結するという西洋の伝統を通して、
美食家と女性料理人の愛と料理人の誇りを見事に描ききった傑作
★★★★★
食べることが好きな人、食べさせることが好きな人にお勧め
無性に旨いものが食べたくなる映画


映画音楽は、エンドロールに流れる
ジュール・マスネのオペラ『タイス』から「タイスの瞑想曲」のピアノアレンジ

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サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展 千葉市美術館

2024-01-07 13:21:32 | 絵画(レビュー感想)

ボストン美術館、大英博物館から
貴重な作品が里帰り、錦絵から肉筆画まで約160点の美人画が集結!!

鳥文斎栄之(ちょうぶんさい・えいし 1756-1829)は、旗本出身という異色の 出自をもち、美人画のみならず幅広い画題で人気を得た浮世絵師です。浮世絵の 黄金期とも称される天明~寛政期 (1781-1801)に、同時代の喜多川歌麿 (2-1806)と拮抗して活躍しました。
当初栄之は、将軍徳川家治(1737-86)の御小納戸役として「絵具方」という役目を 務め、御用絵師狩野栄川院典信(1730-90)に絵を学びましたが、天明6年(1786)に 家治が逝去、田沼意次(1719-88)が老中を辞した時代の変わり目の頃、本格的に浮 世絵師として活躍するようになり、やがて武士の身分を離れます
さらに寛政10年(1798) 頃からは、 肉筆画を専らとし、その確かな画技により精力的に活躍しました。寛政12年 (1800)頃には、桜町上皇御文庫に隅田川の図を描いた作品が納められたというエピソードも伝わっており、栄之自身の家柄ゆえか、特に上流階級や知識人などから愛され、名声を得ていたことが知られています。

重要な浮世絵師のひとりでありながら、明治時代には多くの作品が海外に流出 したため、今日国内で栄之の全貌を知ることは難しくなっています。世界で初めての栄之展となる本展では、ボストン美術館、大英博物館からの里帰り品を含め、 錦絵および肉筆画の名品を国内外から集め、初期の様相から晩年に至るまで、 栄之の画業を総覧しその魅力をご紹介します。』展覧会チラシより

写真撮影可は3点のみ
鳥文斎栄之「川一丸舟遊び」大判錦絵5枚続き寛政8〜9年(1796〜97)頃 ボストン美術館蔵 

『大型の屋形船が、5枚続という豪華な版であらわされています。華やかな女性ばかりが描かれるのは、現実的な描写 ではなく、美人画として演出されたものです。寛政後期の伸びやかな姿態の栄之美人たちが群像であらわされ、屋形船の豪華さにも目を奪われます。中でもこのボストン美術館の版は保存状態が良く、紫や赤の色彩がよく残され ていて圧倒的です。』展覧会解説文

鳥高斎栄昌「郭中美人鼓 大文字屋内本津枝」大判錦絵 寛政9年(1797)頃 ボストン美術館蔵


鳥文斎栄之「新大橋下の涼み船」大判錦絵5枚続き 寛政2年(1790)頃 ボストン美術館蔵 ウィリアム・ステージス・ピゲロー旧蔵

『燕が空を飛び船に杜若が描かれることから、季節は初夏である ことがわかります。「兵庫」と書かれた大きな屋形船には、人形遣いや三味線を楽しむ客、左手前には、鯛が捌かれる様もみられ、 吸い物を差し出すすがたもあります。栄之らしい品の良い美人た ちが集い、船上での穏やかな時の流れが感じられるようです。明治時代末期に大森貝塚の発見で有名なエドワード・モースに 伴って来日した医師ウィリアム・スタージス・ピゲローが収集して、 2011年に正式にボストン美術館に寄贈した3万点近い浮世絵の コレクションの1つです。』展覧会解説文


以下、ネットより画像借用
作品は全て鳥文斎栄之
「風流やつし源氏 絵合」大判錦絵2枚続き 寛政3〜4年頃(1791〜2)千葉市美術館蔵
『源氏物語「絵合」の帖の見立絵』
一般に、錦絵を買う客を惹きつけるのは『紅の赤』だが、栄之は意識的に紅色の使用を抑えた「紅嫌い」の作品「紫絵」を出版する。紫を多く使い閑雅な趣をだし、古典物語を題材にしたシリーズは知識層に受け入れられた。
紅嫌いの浮世絵』は鳥文斎栄之を特徴付ける一つだと思う。
栄之は、42歳の寛政10年(1798)以降享年74歳まで肉筆画に専念する
「朝顔美人図」絹本着色1幅 寛政7年(1795)  千葉市美術館蔵 平戸藩主松浦家旧蔵
短冊には『我ならて した紐とくな 朝顔の 夕かけまたぬ 花にㇵ有りとも』と伊勢物語の歌を、のちに風流人が貼り付けたもの
歌の意は、後朝に読む「他の男に下衣の紐をとかないで、朝顔が夕日を待たずに、色を変えてしまうような人だとしても…」

「三福神吉原通い図巻」絹本着色1巻 文政前期頃(1818〜30)  千葉市美術館蔵
『恵比寿、大黒、福禄寿の三福神が吉原通いする図巻』
「貴人春画巻(仮題)」絹本着色1巻第一図 文化6年(1809) 個人蔵 (図録より)
『牛若丸と浄瑠璃姫の悲恋物語を絵画化している』
春画では唯一、貴人春画巻(仮題)の第一図、第二図が展示されていました。肉筆画の中では最も豪華で、古典を題材にした物語性と良質な絵の具による濃彩、細密な描写に目を見張る。
今回の『鳥文斎栄之展』で、ボストン美術館、大英博物館が所蔵する作品がいかに上製で技巧を凝らし、芸術性が高い浮世絵であるかを目の当たりにしました。
忘れられた浮世絵師、
鳥文斎栄之を識る、
キャッチフレーズに違わない
世界初の展覧会 ★★★★★
お勧めします「春画」があれば完璧だが…

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上野散策 黒田記念館

2024-01-04 19:31:46 | 絵画(レビュー感想)

黒田清輝(1866〜1924)は、薩摩藩士の子として産まれ、伯父の子爵黒田清綱の養子となる。法律の勉強のために留学していたパリで画家に転向、ラファエロ・コランに師事する。帰国後、東京美術学校西洋画科の教授になり、以降日本洋画の父となり、日本洋画をリードした。

黒田記念館 昭和3年(1928)竣工
黒田の遺産と作品の国への寄贈により建築される
設計 岡田信一郎(1883〜1932)

岡田信一郎は、歌舞伎座(大正13年)、明治生命館(昭和9年)を設計

アール・ヌーヴォー風の階段手すりは、岡田信一郎の弟子、金沢庸治(1900〜1982)のデザイン

黒田清輝の代表作を飾る『特別室』は年3回無料開放される(撮影可)
新春は2024年1/2〜1/14
(作者名なしは黒田清輝)

「智・感・情」明治23年(1899)

左から「情」「感」「智」を表している
1900年 パリ万国博覧会 銀賞

「湖畔」明治30年(1897)

「舞子」明治26年(1893)

「読書」明治23年(1890)

「故子爵黒田清輝胸像」
高村光太郎 昭和7年(1932)と奥に「花野」 明治40~大正4年(1907~15)

ラファエロ・コラン 裸婦 1870年

黒田清輝の師、ラファエロ・コラン(1850〜1916)の裸婦像 

『アカデミーの古典的な骨格を備えながら、印象主義の影響を受けた折衷的な作風は外光派(Pleinairisme)と呼ばれる』

かなり煽情的な印象を受ける


「野辺 画稿」昭和7年(1932)

コランの影響を受けた「野辺」だが、画稿は“可愛らしい” 

「梅林」(絶筆) 大正13年(1924)
狭心症を発し、病室にしていた麻布の別邸の庭を描いた 享年57歳

日本洋画の記念碑的作品群
作品として観ておくべきだと思う

谷中霊園方面へランチを探す
『八代目傳左衛門めし屋とは
~店主の想い~
大正時代煮豆屋さんだった長屋を改装し 2018年7月に定食屋として開業』とのアナウンス

西京焼き定食を頂きました
家で食べているものとあまり変わらなかった、むしろ…

東博方面に戻る
旧東京音楽学校奏楽堂


チェンバロの練習をしていました
チェンバロを下げた、日本最古の洋式音楽ホールと日本最古の演奏用パイプオルガン

上野公園 東京芸術大学卒業記念作品 野外展示
こういう作品らしい…
「紡ぐ」 永井里奈 

「私は見た」福岡 里菜三
「地獄の門」オーギュスト・ロダン 1917年(原型)1930〜33年(鋳造)

西洋美術館 入口横
ル・コルビュジエ 昭和34年(1959)

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