古今東西のアートのお話をしよう

日本美術・西洋美術・映画・文学などについて書いています。

やまと絵展 第四期 最終!

2023-11-30 21:48:35 | 絵画(レビュー感想)

11月21日(火)〜12月3日(日)が第四期です。四期は三期と同じ展示が多く、四期だけの目立った展示は「那智瀧図鑑」「源氏物語絵巻 夕霧」「鳥獣戯画 丁巻」です。

やまと絵展の復習的意味合いもあるかな。


 

(会場は一切撮影禁止のため写真はネット画像を借用)


三期四期の主要作品とお気に入りの作品


山水屏風 6曲1隻 鎌倉時代14世紀 重要文化財 京都・醍醐寺

主題は唐絵であるが、たおやかな表現はやまと絵的手法に親近感を持つ絵師の作品といわれる。

屏風では何と言っても「日月山水図屏風」国宝、でやまと絵展で最高の出会いだった。
三期で解説

4大絵巻では、
源氏物語絵巻 夕霧」は第四期のみの展示

源氏物語絵巻 夕霧3面 平安時代12世紀 国宝 東京・五島美術館

一条御息所からの手紙を読む夕霧(光源氏の長子)の背後から、嫉妬にかられた雲居の雁が忍び寄り、手紙を奪い取る場面。

保存状態が良く、彩色が美しい。


信貴山縁起絵巻 尼公巻 国宝 平安時代12世紀 奈良・朝護孫子寺

命蓮(みょうれん:朝護孫子寺開祖)の姉、尼公が命蓮を探すため東大寺に向う場面。


鳥獣戯画 丁巻 平安〜鎌倉時代 国宝 京都・高山寺

山口晃氏は、丁巻を「どこかふにゃふにゃした絵で、観衆の前で描いたのではないか。わざとふにゃっと描く、ちょろまかす、仕上げすぎないのは日本の絵の特徴。」と語っています。


住吉物語絵巻 鎌倉時代13世紀 
重要文化財 東京国立博物館

継母に疎んじられた姫君と彼女を慕う中将。姫君は住吉に身を隠す。住吉に着いた中将が姫君と再会する場面。


華厳宗祖師絵伝 義湘絵 巻第二
鎌倉時代13世紀 国宝 京都・高山寺

百済の僧、義湘は仏教修行のため唐に渡る。長者の娘、善妙が、「あなたへの抑えられないの。どうか受けとめて。」「いやまぁ、そう言われても…」という場面。中国風彩色が美しい、桃の花だろうか…

異国の物語だが、妙恵上人の事績やイメージと重ねる妙恵上人を慕う人々によって製作されたらしい。

那智瀧図 鎌倉時代13世紀 国宝
東京・根津美術館

第四期のみの展示。


展覧会の終章を飾るのは、
浜松図屏風 6曲一双 室町時代15〜16世紀 重要文化財 東京国立博物館

最初は、きらびやかだけで、ごちゃごちゃした屏風だなと思っていましたが、全体から細部をよく眺めていくと、どんどん絵の中に入り込んでいくではありませんか…

浜辺の景色を中心に描いたやまと絵屏風。
画面中央の光景(上部)に、人々の行き交う浜辺の景色、これを取り囲むように前景に多くの花木花鳥が描かれている。鳥たちは四季の花木に戯れ、鳥たちを追っていくと、自分も絵の中に入っていく。

右隻


鳥たちは、柳の幹で囀り、啓蟄の虫を啄み、海に飛び込む。向こうの浜辺では人々が漁をしている。


左隻

秋草に集う鳥たち、浜辺では漁をする人々と武士の一団が通り過ぎる、山に雪が降り、留まる鳥、飛び立つ鳥たち。

浜辺を中心に、四季の花木と鳥と人々が暮らす楽園。

浜松図屏風のコンセプトは、調度品としての屏風とみるなら俵屋工房の「草図屏風」ようであり、鳥花木の楽園なら伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」を連想する。

【参考】
草図屏風 宗達工房 江戸時代初期
京都・細見美術館

鳥獣花木図屏風(左隻) 伊藤若冲 江戸時代後期 東京・出光美術館

空前絶後のやまと絵展。第四期となり12/3(日)が最終日となりました。現在の展示だけでも数々の名品に会えます。お勧めします🤗

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春の画SYUNGA

2023-11-29 17:13:42 | 映画(レビュー感想)

「春画先生」で肩透かしを食らったようなフラストレーションから、「春の画SYUNGA」で溜飲を下げました。
この映画は、監督平田潤子、企画・プロデュース小室直子、プロデューサー橋本佳子と女性スタッフで固め、素晴らしい作品に仕上げています。

小室直子氏はこのように語っています。
春画は秘め事を描いたものですから、公衆の面前に大っぴらに掲示する必要はないでしょう。でも、まるで“なかったこと”のような扱いをされていいものでは決してない。ここにどれだけの技術、歴史が集約されているか――。劇映画の製作を進めていく中で、それがいまだに、いかに知られていないかを、再び思い知りました。それに、春画にスポットライトを当てることで、間違いなく、日本の美術・文化史にあいた大きなミッシングリンクも埋まる。本作にご協力くださった専門家の皆さんもそうおっしゃっています。』
引用元 文春オンライン連載クローズアップより

春画を語る出演者も豪華です
3人のアーティスト

横尾忠則(1936〜)


会田誠(1965〜)


木村了子(1971〜)

評論家、研究者のみなさん

石上阿希 京都芸術大学准教授


橋本麻里 編集者、永青文庫副館長


春画一ル 春画研究者

海外からは、2014年の大英帝国博物館春画展にも関わった

アンドリュー・ガーストル
ロンドン大学東洋アフリカ研究学院教授

彼は、春画と西洋のエロティックアートの違いについて、
日本の春画は当代一流の画家によって描かれている。西洋では一流の画家はエロティックアートは描かない。』と語ってる。


葛飾北斎 富嶽三十六景より「神奈川沖浪裏」 1831〜34年


葛飾北斎 喜能会之故真通より「蛸と海女」 1814年

ヨーロッパでは、「北斎はレオナルド・ダ・ヴィンチと並ぶ巨匠だ」とは誇張だと思うが、確かに西洋ではファインアートの画家はエロティックアートを残していない。(死後に発見されたターナーの大量のエロティックアートは親類により消去されたらしい)

狩野派では、吉兆画としての春画は当初から重要なジャンルであり、狩野山楽の肉筆春画などが残されている。

映画では、柳川藩主立花家の嫁入り道具の一つとして「春画巻物」が紹介されている。
春画の伝統は、鏑木清方、上村松園の春画まで続いている。

映画は、女性スタッフならではの目線で、春画が表す性の幸福な部分だけでなく、暗部、マイナスの側面にも触れている。

日本美術史・文化史における春画の存在を正面から捉えた意欲作
★★★★★
お勧めします



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鹿苑寺金閣から大徳寺 烏丸御池

2023-11-26 23:15:24 | 日記風&ささやかな思索・批評カテゴリー

ラーメンを食べて、大徳寺を越してしまった😮‍💨

ここまで来たら、鹿苑寺金閣へ
そう言えば庭園をじっくり観た事はなかった
鹿苑寺庭園は醍醐寺三宝院庭園と同じく国の特別名勝(庭園の国宝)

1950年の金閣寺放火事件て煤塵に
帰した金閣

金閣寺 三島由紀夫 初版本

旧国宝に指定されていた金閣ですが、現在の鹿苑寺金閣で国宝級は鹿苑寺庭園だけです

鎌倉時代、現在の金閣寺の場所には有力公家・西園寺家の別荘“北山第”があった。鎌倉時代〜南北朝時代、西園寺家が衰退し、足利幕府3代足利義満により、“舎利殿金閣”を中心に北山殿の造営が始まる。その2年前、38歳で出家していた義満は51歳で亡くなるまでここを本拠に暮らした。日明貿易を手がけた義満は明の使節の接待に利用したらしい。ここに北山文化が華開いた。


義満の死後、夢窓疎石を開山とする禅寺になった。現在は『相国寺』の塔頭寺院になっている。

夢窓疎石が庭園の作庭にどれだけ関わったかは勉強中…

本来、鹿苑寺庭園は鏡湖池を巡る池泉回遊式庭園であるが、現在は、池の外から三分の一周、金閣を遠巻きに眺めるのみ

金閣正面右横には夜泊石

金閣正面には葦原島(蓬莱であり日本を表す)

葦原島には斜めに立てた細川石(細川家から贈られた石)

巡回道は一旦方丈に入る
陸舟の松

足利義満の盆栽(五葉松)を地面に植替え舟形に成形したもの

金閣の後ろに回る

葦原島の護岸には三尊石組(庭園の中心)

舟屋の右が出亀島、入亀島。更に奥に淡路島がある
池に舟を浮かべ島を巡った

(ネット画像)
更に奥には大きな畠山石(畠山家から贈られた石)がある
 
鹿苑寺庭園の上段は北山第の遺構を活かしている
上下二段の構成は夢窓疎石の西方寺と同じ
安民澤は、鎌倉時代の西園寺家別荘『北山第』に造営された浄土庭園の遺構

上段の安民澤付近から見る金閣

金閣寺を出て大徳寺に戻る
大徳寺より400年以上前からここにあった今宮神社、楼門が見える
門前には有名なあぶり餅
(ネット画像借用)
 
高桐院拝観できるかな~
今回も拝観休止の高桐院🥲


仏殿前のビャクシン

北大路から金閣まで歩き大徳寺を巡ると流石に脚が… 
北大路烏丸線で烏丸御池へ

三条通りの酒陶・柳野さんへ
軽い食事も出来るワインバー

(ネット画像借用)

残念ながら当日はキッチンがお休みで、食事はほとんど売り切れ…🥲


日本酒も置いていると言うことで、お酒をいただきました



森喜酒造場の杜氏豊本理恵さんの名前を冠したブランド・リエスタイル
山廃・特別純米 

初めていただきます、ひやとお燗を一杯づつ、刺身はよこわ(クロマグロ)で
山廃独特の複雑な旨みがいい
お燗にするとふくよかさがよりでました。いいお酒です🤗

今度はキッチンさんを確認して行こう🤗

★★★★☆

夜もふけ、もう少し🍶を求めて三条通りを放浪…

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醍醐寺から

2023-11-25 23:37:21 | 日記

京都駅で琵琶湖線に乗り換えて
山科へ、地下鉄東西線で醍醐、
10分程歩くと醍醐寺三宝院
醍醐寺と言えば、「醍醐の花見」
紅葉は果たして?庭園は?

現在の三宝院は、その建造物の大半が重要文化財に指定。庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり、国宝に指定されている。

三宝院庭園(特別名勝)
三宝院庭園は、醍醐寺第80代座主・義演准后が、慶長3年(1598)に豊臣秀吉の「醍醐の花見」に際して醍醐寺の復興を願い出、秀吉・秀頼の援助で復興した。

三宝院庭園は、秀吉自らが縄張り(基本設計)をした。作庭は、慶長3年に始まり、翌慶長4年の秀吉の死後は義演の考えで変更が加えられ、実質義演と庭師・賢庭の競作。
賢庭は、「石組の賢庭」といわれ、三宝院庭園の他、金地院庭園、圓徳院庭園などを手掛けた。後陽成天皇から「賢庭ト云天下一ノ上手也」と勅を賜った名人。


五葉松に囲まれた亀島と石橋を鶴の首に見立てた鶴島


賀茂の三石
右手奥に見える藤戸石
藤戸石
天下を治める者が所有する石」として室町時代から、足利義満が鹿苑寺金閣に設置し、その後、銀閣寺、二条御所、秀吉により聚楽第から三宝院に移設された

玄関から表書院に向う
葵の間・秋草の間・勅使の間
長谷川等伯一派の襖絵

表書院
下段(27畳)・中段(18畳)・上段(15畳)
下段の間は畳を上げると能舞台になる
下段の間の襖絵は、石田幽汀の「孔雀と蘇鉄」
石田幽汀(1721〜1786)江戸中期鶴澤派の絵師、円山応挙、原在中らの師
上・中段の襖絵は長谷川等伯一派

期待以上だった、醍醐寺三宝院庭園。下手な写真ではその素晴らしさがなかなか伝わらないが、強くお勧めします。

南禅寺金地院庭園、東福寺圓徳院庭園と同じく庭師・賢庭が深く関わっていた事に驚き、納得。

西大門(仁王門)から伽藍へ
祖師堂付近
弁天池に右に弁天堂左に観音堂

醍醐寺を出て、東西線から烏丸線に乗り換え北大路で下車

ランチを求め、大徳寺まで歩く
ラーメン屋さんを発見
それなりに美味しかった🤗
ここまで歩くと鹿苑寺金閣は近い…
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何必館 高台寺

2023-11-22 23:10:34 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等カテゴリー

白川をたどると祇園に入り、鴨川に流れる
八坂神社の門前、祇園町に「何必館・現代美術館」がある
「何必(かひつ)」とは、「何ぞ、必ずしも」で、自由な批判精神を持ち続けたいと名付けたという

四条通の喧騒から、美術館に入ると静謐な空間がある

現在の展示は、北大路魯山人展(9/8〜12/24)

北大路魯山人(きたおうじろさんじん)は日本の芸術家、京都市生まれ
明治16年(1883)〜昭和34年(1959)
篆刻家、画家、陶芸家、書道家、漆芸家、料理家・美食家

漫画『美味しんぼ』主人公、山岡士郎の父親であり最大のライバル、海原雄山のモデルとしても有名
染付小盃 仕覆・小裂 志村ふくみ(草木染人間国宝)
織部蟹絵平鉢 北大路魯山人 1959年(絶筆)

何必館の見所 5階にある「光の庭」と茶室

【参考】無鄰菴 坪庭
備前旅枕 北大路魯山人 1958年

つばき鉢 北大路魯山人 1938年



八坂神社を抜けて高台寺へ
伝小堀遠州作庭の蓬莱式庭園


臥龍池に映る紅葉

竹林の道
勅使門 波心庭
5時を告げる鐘が響き、プロジェクトマッピングが始まる
臥龍池もライトアップ


高台寺塔頭 圓徳院
長谷川等伯の襖絵

国指定名勝 旧圓徳院庭園(北庭)小堀遠州が手を入れている

ライトアップしています

石壁小路(ネット画像)を経て八坂神社に戻り、木屋町へ

夜もふけ、食事は木屋町の老舗「志る幸」を目指したが…
(ネット画像借用)

何と!臨時休業😮
あぁ… 路頭に迷う、高瀬川…

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