見出し画像

古今東西のアートのお話をしよう

醍醐寺から


京都駅で琵琶湖線に乗り換えて
山科へ、地下鉄東西線で醍醐、
10分程歩くと醍醐寺三宝院
醍醐寺と言えば、「醍醐の花見」
紅葉は果たして?庭園は?

現在の三宝院は、その建造物の大半が重要文化財に指定。庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり、国宝に指定されている。

三宝院庭園(特別名勝)
三宝院庭園は、醍醐寺第80代座主・義演准后が、慶長3年(1598)に豊臣秀吉の「醍醐の花見」に際して醍醐寺の復興を願い出、秀吉・秀頼の援助で復興した。

三宝院庭園は、秀吉自らが縄張り(基本設計)をした。作庭は、慶長3年に始まり、翌慶長4年の秀吉の死後は義演の考えで変更が加えられ、実質義演と庭師・賢庭の競作。
賢庭は、「石組の賢庭」といわれ、三宝院庭園の他、金地院庭園、圓徳院庭園などを手掛けた。後陽成天皇から「賢庭ト云天下一ノ上手也」と勅を賜った名人。


五葉松に囲まれた亀島と石橋を鶴の首に見立てた鶴島


賀茂の三石
右手奥に見える藤戸石
藤戸石
天下を治める者が所有する石」として室町時代から、足利義満が鹿苑寺金閣に設置し、その後、銀閣寺、二条御所、秀吉により聚楽第から三宝院に移設された

玄関から表書院に向う
葵の間・秋草の間・勅使の間
長谷川等伯一派の襖絵

表書院
下段(27畳)・中段(18畳)・上段(15畳)
下段の間は畳を上げると能舞台になる
下段の間の襖絵は、石田幽汀の「孔雀と蘇鉄」
石田幽汀(1721〜1786)江戸中期鶴澤派の絵師、円山応挙、原在中らの師
上・中段の襖絵は長谷川等伯一派

期待以上だった、醍醐寺三宝院庭園。下手な写真ではその素晴らしさがなかなか伝わらないが、強くお勧めします。

南禅寺金地院庭園、東福寺圓徳院庭園と同じく庭師・賢庭が深く関わっていた事に驚き、納得。

西大門(仁王門)から伽藍へ
祖師堂付近
弁天池に右に弁天堂左に観音堂

醍醐寺を出て、東西線から烏丸線に乗り換え北大路で下車

ランチを求め、大徳寺まで歩く
ラーメン屋さんを発見
それなりに美味しかった🤗
ここまで歩くと鹿苑寺金閣は近い…
ランキングに挑戦中
下のボタンを2つ、ポチッ、ポチッと押して頂けると嬉しいです!
 にほんブログ村 美術ブログへ

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事