古今東西のアートのお話をしよう

日本美術・西洋美術・映画・文学などについて書いています。

小説 すべて真夜中の恋人たち

2023-02-14 15:40:34 | 本(レビュー感想)
2022年 
イギリスの「ブッカー国際賞」の
最終候補6作に残った「ヘブン」

2023年 
全米批評家協会賞の小説部門の
最終候補5作品にノミネートされた「すべては真夜中の恋人たち」



川上未映子の快進撃は続く…

「ヘブン」は中学生のイジメを舞台に対立する宗教、哲学的な思考というと形而上学的小説だったが、「すべて真夜中の恋人たち」は、校閲(こうえつ)を仕事にする三十代半ばの独身女性の仕事と恋愛という身近な物語だ。
山田詠美は当代一名文の小説家だと思うが、川上未映子は「詩人」であり、小説家である。
「ヘブン」ではシャガール、「すべて真夜中の恋人たち」はショパン、目に見える絵画より音楽の方がより詩的表現が輝くようだ。


『…のぼりながら、あるきながら、わたしはそのひとつひとつの音の輝きを指のはらでそっとなで、それを連ねて首飾りにして胸にかけ、それからその光の輪を両手でにぎって足を入れて何度も何度もくぐりぬけ、おおきく息を吸いこめば透きとおってしまった胸がまるで何万光年もむこうの星雲を飲みこんだようにうっすらときらめいているのがみえた。…』とショパンの音のつぶを表現する。

五反田の名店「ヌキテパ」が「ヌレセパ」と店名を変えて出てくるのも身近だ。

全米批評家協会賞の受賞を期待
しましょう!!

★★★★★
お勧めします


 

木米 サントリー美術館

2023-02-10 16:28:07 | 絵画(レビュー感想)



木米展の前に、木米が生きた
江戸中期の京都、大阪の文化を
“茶”から眺める


日本の“茶の湯”は抹茶を喫するが、中国のお茶は明代(1368〜1644)には煎茶が主流となっていた。
日本には隠元禅師(1592〜1673)が黄檗宗とともに江戸時代前期に煎茶文化をもたらし、売茶翁(1675〜1763)が中興の祖としして煎茶を広めた。

売茶翁は本名、柴山元昭といい、禅僧であるが、当世の禅寺、禅僧の在り方に反発し、京の大通りに座り一杯の煎茶を売り、客と清談を交わした。そのため“売茶翁(ばいさおう)”と呼ばれる。

売茶翁は応挙、若冲、池大雅、木村蒹葭堂などの文人墨客と交流し、京都、大阪の芸術家に影響を与えた。

【参考】
伊藤若冲 売茶翁像 1757年

売茶翁は、『「・・・袈裟の仏徳を誇って、世人の喜捨を煩わせるのは、私の持する志とは異なっているのだ」と述べ、売茶の生活に入ったという。』

当時の禅寺、禅僧の在り方(お布施出安定した収入)、形式化した茶道に反発し、街に出て衆生と茶(煎茶)を喫し、語らう事で本来の禅を実践したとも云われる。

煎茶道は、江戸時代後期から幕末に大流行した。売茶翁は、当世の安逸に流れる禅寺、禅僧を批判し、その象徴でもある形式化された“茶の湯”に対抗するため煎茶道を奨めたが、彼の死後、皮肉にも茶道具に対する崇拝、儀礼、作法などの形式に支配されカルト化したと云われる…

売茶翁に影響された、池大雅、木村蒹葭堂の薫陶をうけたのが青木木米(1767〜1833)である。


田能村竹田 木米喫茶図より
文政6年(1823)

京都の裕福な商家に生まれた木米は、永樂保全、仁阿弥道八と共に京焼幕末の三名人とも呼ばれる陶工で文人画(南画)もよくする。
加賀前田家の招聘を受け九谷焼の再生に尽力したことでも有名。


展示構成は、
第一章 文人・木米、やきものに遊ぶ
第二章 文人・木米、煎茶を愛す
第三章 文人・木米と愉快な仲間たち
第四章 文人・木米、絵にも遊ぶ


(会場は撮影禁止のため写真はネット画像借用) 

木米 染付龍濤文堤重 江戸時代中期


木米 染付浙江名勝図輪花皿 文化6年(1809)


木米 紫霞風炉 文政7年(1824)


木米 兎道朝暾図 江戸時代


木米 聴濤図 文政9年(1826)




煎茶道の道具は“茶の湯”に比べると質素で小振りだ、茶碗も酒盃ほどの大きさの磁器で、手触り口当り、釉の景色を愛でるという感じではない。
“茶の湯”が唐物から和物に変遷して、市中の山居“侘び寂び”の文化に収斂するのに対して、煎茶はあくまで古代中国の仙境の“風流”に還ることを理想とする。

“茶の湯”には、「茶禅一味」の真髄はあるが、「見渡せば花も紅葉もなかりけり」の華やかな記憶もある。

そこに道具のバリエーションの違いを感じました。

★★★☆☆



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映画 イニシェリン島の精霊

2023-02-05 16:57:24 | 映画(レビュー感想)

不思議な映画だ…


見終わったあと確かに

感動したが、


なぜ、どこに刺さったか

分からない



あらすじはこうだ、

『舞台は、1923年、アイルランドの架空の離島イニシェリン島。本土では1年前からイギリスからの独立を巡って内戦が起きている。

島民全員が顔見知りのこの平和な小さな島で、気のいい男パードリックは長年友情を育んできたフィドル弾きの年長の友人コルムから突然、一方的に絶縁を告げられる。動揺するパードリックにコルムは、「お前が嫌いになった。お前は退屈だ、俺は音楽に集中する。お前とおしゃべりする時間はない」「話しかけるな、これ以上自分に関わると自分の指を切り落とす」と恐ろしい宣言をされる。納得がいかないパードリックは、妹のシボーンも巻きこんで、なんとかコルムと仲直りしようとするが、ある日パードリックの家のドアに何かが投げつけられる。ドアを開けるとコルムが去っていき、ドアの下には切り取られた指が落ちていた… 』



左パードリック 右コルム
長年、一仕事終わるとパブで黒ビールを飲み語り合ってきたが、「お前が嫌いになった、話しかけるな」と告げられる


友人を失ったパードリックはペットのミニロバ ジェニーとパブに向う
助演動物賞!! 重要なジェニー

両親を無くし、パードリックと暮らす読書好きな未婚の妹シボーン
何もないイニシェリン島からの脱出を心に秘めている

なぜコルムは、突然、パードリックを拒否したのか?
自分の「指を切り落とす」ほどの拒絶とは?

「イニシェリン島の精霊」には映画ならではの象徴的モチーフと場面(場所)が設定されている

一つは、対岸の本島から聞こえる砲弾の音と立ち上る煙、昨日まで親しかった仲間同士が戦う「アイルランド内戦」

もう一つには、アイルランドに色濃く残る「ケルト文化」の象徴である「ケルティック・ハイクロス」(ケルト的キリスト教)と「パブ」、対照的に「マリア像」と「教会」が映し出される

【参考】
ケルティック・ハイクロス

【参考】
アイルランドのマリア像

「ケルト文化」は、古代にアルプス以北に暮らしていたケルト人の文化で、自然崇拝と多神教を特徴とし、
文字を持たないため口伝、音楽で物語を伝えてきた
彼らの宗教はドルイド教と呼ばれ、現世と死後の世界は繋がっていて、幽霊や精霊が存在し、「死の預言者」バンシーが敬われた
ケルト人は、古代ローマ人からはガリア人と呼ばれ、北に追いやられた

アイルランドは古代ローマ帝国の影響が少なかったためケルト文化が色濃く残っている

パブでフィドル(ヴァイオリン)を弾くコルム

映画の重要な場所の一つにに「パブ」がある
地元の人々が酒を飲み交わす社交場であるが、コルムにとってはなにより音楽を楽しむ場所だ
ケルトには文字がなかったため、「音楽」は最も重要な伝達手段であり、パブは情報交換の場所でもある

「イニシェリン島の精霊」はコルムが作曲した曲だ

カトリックは、12世紀にアイルランドがイングランドの支配下に置かれると勢力を強めてきた
キリスト教は「聖書」に基づく「言葉」の宗教であり、カトリック教会は神の言葉を聞き、罪を告白する「告解」の場所だ

コルムが教会に行き「告解」するシーンがある
村人、パードリックから情報を得ていた牧師が「なにか悩みがあるのか… 男が好きか?と聞く」コルムは牧師に「お前こそ男色家だろう!」と悪態をつき、牧師は「地獄に堕ちろ!」と激昂する

ここに、物語の深層があるのではないか?!

パードリックとコルムは男色関係にあるのではないが、友情には何かしらの恋愛感情がある
相手に好かれようと思うし、独占したいとも思う
コルムに絶交を告げられ、音楽仲間と楽しげに演奏する様子を見たパードリックは嫉妬にかられ、音楽仲間を島から追い出そうと嘘(お前の父が交通事故て危篤だ)を吹き込む、それを知ったコルムは心底パードリックを軽蔑する…

無くなる事がない「ストーカー殺人」事件
加害者の男からすると、昨日まであんなに愛し合っていた恋人から突然別れを告げられる
男はパニックになり、別れの理由を聞いて、立て直そうとするが、女は昨日までの事がなかったように連れない
男は諦めきれずつきまとい、ついには嫌われることで関係を維持しようと倒錯し、嫌がらせや暴力にエスカレートする、そして…
最悪の結末になることもある

昔からの仲間同士が戦う「内戦」もある種の関係を維持するために、戦をするのだろうか…

コルムの家には、世界中の呪術的人形や仮面がある、芸術家の彼は世界中を旅したのかもしれない
その中でも日本の「能」の小面と般若が目立つ
「能」も幽霊や精霊、死者との対話が軸になっている

一方、パードリックの家には何もない、ロバと馬、乳牛がいるだけだ
素朴な羊飼いの生活だ
彼にとって、精霊は存在しないし、対岸の内戦も自分には関係のない事
一生、何もないイニシェリン島で生涯を終えるだろう

ある日「俺に近づくな、話しかけたら、自分の指を切り落とす!」とはコルムの並々ならぬ決意を表明するもので、パードリックが属する世界との決別であり、自分の芸術、ケルト音楽に心身を捧げる宣言だ

禅に「慧可断臂」の逸話がある
『禅宗の初祖・達磨が少林寺において面壁座禅中、慧可という僧が彼に参禅を請うたが許されず、自ら左腕を切り落として決意のほどを示したところ、ようやく入門を許されたという有名な禅機の一場面である』

国宝 雪舟 慧可断臂図 
室町時代 1496年

作家性の強い映画が好き、
象徴、暗喩を探りたいという
好事家にお勧めします

映像はそれを超えて美しい

★★★★★




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恋の季節… 鼻水注意!

2023-02-02 11:59:37 | 日記風&ささやかな思索・批評カテゴリー
2月14日は恋の季節

ありがたくないのは鼻の季節、花粉症

関東の始まりは2月11日らしい…

しかも、今年の花粉量は昨年の2〜3倍!!




早めにアレルギーを抑える薬の摂取が大切

今週中に病院に行きましょう(⁠。⁠•̀⁠ᴗ⁠-⁠)⁠✧


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