山形Qの練習が終わっても、まだ日没まで時間があるようになってきました。気温はまだまだ落ち着きませんが、日が長くなっただけでかなり嬉しい。太陽の力は偉大です。
今日の山形Qの練習は、ハイドンの1、4楽章とメンデルスゾーンを中心に。
ハイドンは、膨大な作品を残しているので、なんとなく継続的にコツコツと作曲し続けていたイメージがあり、実際そうだったと思うのですが、その能力が開花したのは、今回のOp.20の曲集からと言えるでしょう。齢40ですから、遅咲きの天才です。色々と実験的な試みをしているところからも、その充実ぶりが窺えます。フィナーレのフーガもその一つ。Op.20では、6曲中3曲がフーガになっています。フーガと言えば、バッハやベートーヴェンを連想して、壮大で厳粛な、どことなくいかめしいイメージを持つかと思いますが(実際演奏する側からしても、フーガは独特の難しさがあります)、ハイドンのそれは、表情が違います。音量一つをとってもなかなか盛り上がらず、ご丁寧にsempre sotto voce とまで記載されています。連綿と続くフーガのやりとりを、力こぶを作らずに織りなしていくのは、いつもとは違う神経を使います。
メンデルスゾーンも、若い意欲がそこかしこに滲み出ており、アクセントやsf一つとっても、抜き加減一つで色が変わります。作曲家に負けず、こちらも意欲的に試行錯誤したいと思います。
チラシを貼らせていただいたり、置かせてもらう活動をしています。
ただいま11箇所
今日の山形Qの練習は、ハイドンの1、4楽章とメンデルスゾーンを中心に。
ハイドンは、膨大な作品を残しているので、なんとなく継続的にコツコツと作曲し続けていたイメージがあり、実際そうだったと思うのですが、その能力が開花したのは、今回のOp.20の曲集からと言えるでしょう。齢40ですから、遅咲きの天才です。色々と実験的な試みをしているところからも、その充実ぶりが窺えます。フィナーレのフーガもその一つ。Op.20では、6曲中3曲がフーガになっています。フーガと言えば、バッハやベートーヴェンを連想して、壮大で厳粛な、どことなくいかめしいイメージを持つかと思いますが(実際演奏する側からしても、フーガは独特の難しさがあります)、ハイドンのそれは、表情が違います。音量一つをとってもなかなか盛り上がらず、ご丁寧にsempre sotto voce とまで記載されています。連綿と続くフーガのやりとりを、力こぶを作らずに織りなしていくのは、いつもとは違う神経を使います。
メンデルスゾーンも、若い意欲がそこかしこに滲み出ており、アクセントやsf一つとっても、抜き加減一つで色が変わります。作曲家に負けず、こちらも意欲的に試行錯誤したいと思います。
チラシを貼らせていただいたり、置かせてもらう活動をしています。
ただいま11箇所
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