ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

長崎の色々は、隠された「日本」を示しているようだ(20230103)

2023年01月13日 | 旅の記録

2023年1月3日(火)晴れ 長崎3日目

今朝は長崎電停脇の歩道橋の上から市電を撮影。

①9:30

②信号が青になった。逆光を狙う。ここで市電が来ると絵になるのだが、そのタイミングまで連れを待たせるわけにいかない。9:35

③光と影を正確に頭に入れておかないと、大ドジをやらかす。9:36

特に近くから撮る鉄道は車体の上部が思わぬ影を作ることがよくある。光源(の方向)を確認しておけば、ドジは踏まない。

 今日は大浦天主堂へ。市電で「新地中華街」まで。ここで乗り換えるのだが、乗車券が140円×2=280円になるとのことで、私たちは歩く。ところが私のせいで、道を間違えた。

④間違えた結果、唐人屋敷の一角に出た。1600年代の明の船が国際貿易の端緒を長崎に拓き、唐の建物や文化をもたらした。10:06

沖縄もこの時代の唐との接触が強く、唐の文化が様々にもたらされており、長崎と比較文化論的に調べたら興味深いだろう。

⑤同じく天后堂。10:12

今も残されている建物はごくわずかなようだ。

長崎は国際貿易港となり、幕府の鎖国政策の中でも「特例」として認められ、多様な文化を今にもたらしている。学べば興味深いことばかりだ。

道を間違えたので、振り出しの近くに戻る。焦ることはない。無事、大浦天主堂に近づく。

⑥ANAクラウンプラザホテル。大浦天主堂の手前。ここが国際電信発祥の地だと事前学習(「大学的長崎ガイド」参照)で知っていた。10:43

 この電信技術は国際貿易、植民地支配などに欠かせないものとなった。世界史レベルで言えば、1857年に英仏間に電信網が完成したことが幕開けとなり、1871年に長崎ー上海間も開通している。わずか14年後のことだ。施工者は大北電信というデンマークの会社。19世紀後半にアジアの各都市間にも帝国主義諸国が電信網を形作っていく。近代化ー戦争への道に活用されたのが電子技術であり、これは今でも変わらない。それどころか、「電子戦・サイバー戦」などと戦争の勝敗を決する段階にまで至っている。

⑦大浦天主堂。10:48 人混みと逆光でよろしくない位置からの画像になってしまった。

 この大浦天主堂は1864年建立。国内最古(現存しているもので)の教会堂。1865年3月17日浦上のキリシタンがこの大浦天主堂を訪ね、私たちもキリシタンですとプティジャン神父に打ち明けた。禁教下にあって250年目の再会となり、神父側から「信徒発見」とも言われている。しかしまだ禁教下で隠れキリシタンが露呈したことで、最後の激しい弾圧が彼らを襲っていく(「浦上4番崩れ」)。

 私も含む観光客は、こうしたことも知らずに「きれいね」とかやっている。私は無信仰だが、礼節を保つと共に、異文化を排除しようとしたこの国の歴史と原因を忘れずに、考察していきたいものだ。

⑧オールシルエットの大浦天主堂。バックの青空と白い雲がシルエットを浮き上がらせる。また大木がいいとはいえ、改めて時間を見定めてくるほかない。太陽の力に私は勝てない。10:50

そしてグラバー邸へ。

⑨グラバー邸の建物から長崎港、長崎造船所(左奥)を見る。11:22

 ここのグラバーさんは、トーマス・B・グラバー氏。イギリス人。グラバー商会を開設。彼とグラバー商会はヨーロッパの近代文明をもたらしたが、三菱重工長崎造船所の前史となる長崎製鉄所が1861年にでき、一方で、このグラバーの協力によって薩摩藩等が小菅修船場を完成させた。その後明治政府が買収し、1887年三菱の所有となる。日本の近代化にとって、欠くべからず人物だったのだろう。

 因みにこの長崎製鉄所が日本最初の重化学工場となる。明治政府の国策企業であり、国内の軍事産業の大本となる。これも長崎という地理的な意味あいと鎖国の特例地とされていたことが、日本の近代化=侵略の国を作り出す基礎となったようだ。また佐世保が海軍基地(海軍鎮守府)になったのは1889年のことだ。まさに武器がなければ軍隊はできないということだ。また、軍隊は武器なしに成立しないのだ。

 長崎造船所を視ると新しい型の戦闘艦もいるようだ。

⑩右側に「6」とあるこれは、どう見てもステルスタイプだな。レーダー波を反射しにくい構造だ。艤装もまだであり、完成前だろう。11:24

⑪左側のこれは「5」とあり、同型のタイプだ。11:24

帰宅後調べたらFFM5は「やはぎ」、FFM6は「あがの」ということだ。

FFM5は、2022年6月進水、23年12月竣工予定、FFM6は22年12月進水、24年3月竣工予定とのこと。

FFはフリゲート艦のことであり、小型戦闘艦にあたる。しかし基準排水量3900トン、満載排水量5500トンであり、全長130m、DD151あさぎり型と変わらず、総じて海自の戦闘艦が大型化してきた中での「小型」艦にすぎないようだ。Mはマルチであり、対空・対水上・対潜・対機雷・電子戦の各々の強化、情報収集能力の強化を図りながら乗員数の削減を図り、戦闘艦の総数を拡大する計画に位置づけられてきた。このFFM「もがみ型」だけで22隻建造する計画となっており、2022年度までに契約した8隻の内6隻をここ長崎造船所で造っている。

⑫こちらは修理中か改装中か。右がDD180「はぐろ」、左がDD119「あさひ」11:25

このDD180は「まや」型と言われる新鋭艦の2番艦。基準排水量8200トン、全長170mと大型艦だ。最新のイージスシステム「ベースライン9」を備えた対空ミサイル艦だ。また他艦等との共同交戦能力(CEC)も備えている。ミサイルとコンピュータ技術の開発はめざましいのだろう。しかし攻めが強化されれば、護りが強化され、護りが強化されれば、攻めが強化され、段々と大型化していく。負担も大きくなるのだ。

DD119「あさひ」は対潜能力に重点を置いた新型戦闘艦。基準排水量5100トン、全長151m。ここ長崎造船で造ったのだ。

DD119は第2護衛隊群第2護衛隊(佐世保)、DD180は第4護衛隊群第8護衛隊(佐世保)の船だ。

⑬FFM6(右)とFFM5(左) こうならんでいる。11:26

⑭11:26 長崎港内側。奥の赤い橋は旭大橋。中央(長崎水辺の森公園)に居る白い2隻の船は水産庁の船だった。

⑮FFM5「やはぎ」。艦橋部。建設途上だ。11:28

⑯艦橋部アップ。119(左)と180。レーダー等が所狭しと並んでいる。11:28

⑰11:32 右から高速船が出てきた。どこの島に向かうのか? 右上は稲佐山。

⑱長崎造船所の左奥にこれがいる。白いがなんだろう。拡大してみると、「○ずな」とあり(○がロープで遮られており見えない)、調べてみた。NTTのマークと「○ずな」で「きずな」だとわかった。8598総屯のケーブル施設船。全長109m。NTTだから当然海底ケーブルを維持管理しており、こういう船をもっていることは理解しているが、私は初めて見たのではないか。これも無人海底ロボットを積んでいる。11:37

 

⑲近くのこちら側の岸壁に海上保安庁のPL(大型巡視船)05「でじま」だ。長崎・九州は第7管区。PL05も第7管区の船だ(海保をネットで調べた)。11:40

「おまたせしました」(つれに)。待っていただいたり、待つことも、お互いのコミュニケーション(了解)がないとできない。

⑳グラバー邸に咲いているブーゲンビリア。敢えて後方の落葉樹を入れた。11:42

㉑「西洋料理発祥の碑」 なるほどね。グラバーさんとこで日本人料理人(お名前を忘れた)が西洋料理を修業したようだ。11:52

私は西洋料理も、中華料理も、和の料理も、沖縄料理もみんな好きですよ。味覚は思想と違い、旨いかまずいか。慣れはあるけれど、受け入れ可能。味覚の戦争は考えられない。

グラバー園を出て帰路に就く。

㉒長崎水辺の森公園にでた(昼食を途中でとった)。13:19

水産庁の船と、連凧、稲佐山のトリプル撮り。こういう景色がいいですね。

㉓海成丸のアンカーにチュウサギ。13:21

㉔13:26 私の心は早くも出水(いずみ)に飛び始めた。

㉕13:26 こうしたシーンで思い出すのは横浜港の氷川丸に停まるユリカモメの群れ。

㉖タグボートの奥に見つけた三菱造船長崎造船所のジャイアント・カンチレバークレーン。日本最古(1909年)の電動式クレーン(現役)。丁度対岸。13:34

 

 

 



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