日本人が支那人や朝鮮人と決定的に違うところ
歴史というのは、国と国民に極めて大きな影響を及ぼす。古くは中国文化圏の影響を強く受けながらも、日本は中国や韓国とはかなり違った文化を形成してきた。面白いことに、その違いの典型例が数学にあるという。
海を1つ隔てただけで、実利的な算術の世界にとどまった社会と、純粋数学の世界へと発展していった社会に大きく分かれた。世界の中で日本人ほど数学が好きな国民はほとんどない。これは私たちが誇っていい事実であり、その背景には歴史がある。
今年のノーベル賞では京都大学の山中伸弥教授が医学生理学賞を受賞して、日本中が盛り上がった。理科学系でこれまで日本人は15人(米国籍の南部陽一郎氏を除く)が受賞しているが、中国や韓国の受賞者はゼロだ。
ノーベル賞とは別に、数学の分野にはフィールズ賞がある。フィールズ賞は4年に1度、しかも40歳以下という条件で一度に4人しか受賞できない。そして人生で1回だけである。天才中の天才しか取れない。
その賞を日本人は3人が受賞している。ちなみに中国、韓国はゼロ。つまり、ほとんどの日本人は知らないが、日本は世界に冠たる数学大国だということである。
しかも、日本の数学は戦後の教育で良くなったわけではない。江戸時代からすでに高いレベルに達していた。
なぜ数学に強いかというと、その秘密は日本語にあるのではないかと考えられる。まず漢字が持っている力。漢字はアルファベットに比べて情報量が多い。漢字は絵であるから。
また、俳句はなぜ五七五なのか。茶道や華道、建築などもそうだが日本文化の根底には白銀比があると考えられる。黄金比ではなく、白銀比である。
白銀比とは、1対√2(約1.4)だ。直角二等辺三角形の3辺の長さの比である1対√2対1の1を5に置き換えると、5・7・5になる。指折り数えることができる日本語と数の関係が非常に深いと気づく。
松尾芭蕉の「しずかさや いわにしみいる せみのこえ」は1字1字数えることができる。「This is a pen」は指折り数えられない。母国語が数えられる言語だということが、日本の整数論が世界一である根本にあるのかもしれないということ。
同じ漢字文化でも中国とは違うわけだ。現代の中国語の漢字は発音を表す白話文字と化し、ほとんど一つの漢字が一つの発音しか持たない。
中国語と違って日本語には「音」読み以外に「訓」読みがある。日本は数学も宗教も中国から持ってきて、全部カスタマイズされた。数学書も遣唐使の持ち帰った本の中に少し混ざっていて、それを一生懸命読み解いて改良していった。
例えば方程式。中国の方程式は変数が1つしかない。xだけの方程式を解いて中国人はそれでいいやと思っていた。ところが、ところが、日本人はx、y、zと変数が複数あっても解けるようにした。
なぜかというと、中国は役に立つか立たないかの1点だけ、極めてプラグマティックである。実利主義を徹底したからこそ中国文明というものができたと思われる。ところが、日本はそういう実利を超えて、興味、関心から解いていたのである。何かのためではなく。
それは数学の世界では自然な流れなのだ。社会に要請されてということならばxだけでいい。一方、純数学的な思考を日本人は奈良時代くらいからしている。
明治時代にさらにドラスティックなことをした。日本の数学である和算は江戸時代に完成し、その時点での熱狂ぶりは世界の頂点にあったと言っていい。明治政府も最初、日本の数学者たちに和算を教科書に使うと約束していた。
ところが、軍事力を高めるためにはドイツのマニュアルを読まなくてはならず、そのために洋算、ヨーロッパの横書きの数学が必要になった。そういう軍事上の必要性から和算の廃止を決定した。
江戸の数学者は初めみんな反対したのだが、結局は国の説得に応じてヨーロッパの数学を翻訳した。しかも非常に短期間で。他言語の数学をそんなに迅速に自国語に翻訳するというのは数学の世界では奇跡なのだが、それができたのも和算が非常に高度だったことを裏付けている。
数学の問題に関連して言うと、『塵劫記』という江戸時代最大のベストセラーがある。数学書だが、一家に1冊あったと言われているほどだ。
江戸時代は平和な時代で商売が発達し、計算は普通の庶民にも必要なことだった。その日常生活の中にある計算について、塵劫記にはたくさんの問題が載っている。米や俵や枡などを使った生活に密着した問題で、それが非常に高度なのである。
その本が出たことで数学熱がさらに高まった。みんなが問題を解きたいと夢中になった。将軍まで解いているのだから。庶民から将軍まで数学に熱狂した時代なんてどこにもない。日本の江戸時代後期だけである。
現代数学で、電柱の高さを葉っぱで測るというものがある。
直角二等辺三角形の直角を作る2辺の長さは同じという定理を利用したもので、葉っぱを折り曲げて45度の角度を作り、それを利用して電柱から45度の地点を見つければ、電柱からの距離が電柱の高さに等しくなるというわけ。
それと同じようなことが塵劫記に書かれていてビックリさせられる。塵劫記では葉っぱではなく手ぬぐいか何かを使うのだが・・・。葉っぱの話がウケるのも、日本人はやはり数学大国の末裔だからだ。日本人は元来そういうのが好きなのである。
◆マレーシアにペトロナスタワーというツインのタワーがある。
元々日本のハザマ建設が受注したものだったのを韓国業者の強引なやり方で二塔に連なるこのタワー建設を別々の国の別々の業者が一塔づつ受け持つという前代未聞の発注となったのである。
建築過程でも日本側のタワー設計図を韓国側が共同工事なのだからと言う理由で勝手に持ち出し勝手にコピーしそれを下図に韓国側の塔を建てた。
日本はセンチメーターだが、彼らはインチを使う。設計図をそのままセンチを用いて建設すれば良いものを、インチに換算して建てた。当然四捨五入で微妙な差が出る。案の定彼らの建てたタワーはその分だけ傾いた。
韓国には「職人」を蔑視する風潮がある。建築物などはその「職人」達による作品なのだが、他国と比べてもやはり「職人」の質が劣るのであろうか?
完成したが電気の配線がメチャクチャで点灯出来なかった。結局日本に依頼が来て配線を全部やり直した。
日本は電気配線やガス、水道なども専門業者が建物の設計図から、独自の配管設計を行う。韓国の建設業者は、さすがにそれを盗み出すことが出来なかったようである。
現在日本側のタワーのテナントが埋まっているのに対し、韓国側のタワーではテナントが殆ど埋まらない状況がいまだに続いている。
マレーシアの建築の専門家などにより韓国側のタワーに倒壊の危険性が指摘されたからだ。
実際、傾斜角度が徐々に危険状態になっていると言う報告(要するに、建てたはいいが土台工事の手抜きなどにより韓国側の塔が傾き始めているということ)もあり、とてもではないが韓国側のタワーには入れる有様ではない。
韓国人が忌み嫌う「日帝時代」の橋は今も問題なく使用されていることを考えても、現在の韓国の建築水準はあまりにも稚拙なレベルと言わざるを得ないだろう。
◆10年前、さんざ気をもたせたすえに京釜高速鉄道の 国際入札で日本をソデにし、フランスのTGV型システムを買う ことにした。
コリアン特有の強烈な僻み根性から、日本に対する劣等感と 優越感の入り雑じった国民感情が大いに満足したものだった。
もう少し勉強してから決めりゃよかった。フランスの鉄道は平野を 走るだけだが、韓国には日本と同じようにトンネルや鉄橋がある。 台風も吹く。
TGVはトンネルに入るとき、空気圧によるショックで 車輛に大きな亀裂が入ると分った。京釜高速は、いまだに1メートルも 走っていない。
韓国は非公式の日韓政府間協議を打診している。JR東海や車輛メーカーにも接触があったという。話に乗るのはやめときなさい。必ずロクなことにならない。
新幹線とTGVでは、基本的な発想からして違う。レールも駆動システムも異なる鉄道に新幹線の技術を加えるのは、木に竹を接ぐのに等しい。
いまさら「日本憎し」で決めた鉄道を助けることはない。
◆「道路鉄道併用橋である新空港連絡橋を製作するのは韓国内では 初めての事であり、大量生産されないものに対する品質の保証方法について製作会社と多くの議論を費やした。
そうでなくても五階建ての百貨店が、ある日突然地下売り場まで崩壊した 不思議な国である。
疲労破壊についても理解した上で製作する事が必要と考え、疲労 試験の実施についても長い時間、施工会社と協議した。得てして、 施工会社の方々は時間をかけて話し合っているうちに消滅することを期待していたような感があったが、韓国道路公社の方でも 必要を認めて、韓国機械研究院に委託することで決着が付いた次第である。日本で行なうように準備万端とはいかないのである。」
土木学会誌2001年2月号、p.37より
◆2001年、中国がWTO(世界貿易機関)に加盟すると、堰を切ったかのように外資系の製造業が中国各地に進出し、工場を建設した。日本企業の「上海詣で」はブームとなり、日本企業は「遅れてなるものか」と中国拠点を増やしていった。
工業開発区も増え、2000年代に入ると各開発区は誘致合戦を展開するようになる。企業誘致熱は日本にまで飛び火し、首都圏のあちこちでは、中国の開発区が行う「企業誘致セミナー」が開催された。しかし今では、多くの開発区が、埋めるに埋められない「ガラ空き」状態となっている。
住宅バブルが始まったのは2000年以降である。政府が住宅の現物支給を打ち切り、「住宅問題は自助努力で解決せよ」と政策を転換すると、不動産市場が急速に拡大し始めた。上海では90年代後半に平方メートル単価4000元だった住宅価格が、10年後にはその10倍近く値上がりすることになった。
上海の発展をシンボライズする高層マンション群では、建物の老朽化が問題になっている。上海では「12年説」と言われ、2002年前後に竣工したマンションが2014年を前後して不具合が表面化するという俗説がある。2002年前後と言えば、ちょうどバブルが膨らみ始めた頃で、購入者が大挙してマンションの販売現場に押し寄せた時期だ。この頃に引き渡されたマンションは、コストをぎりぎりまで抑えた資材調達や手抜き工事がかなりの割合で存在し、至る所でほころびが出つつあるという。
2009年には上海でマンションの倒壊事故が発生し、世間を騒がした。また全国各地で、竣工しても欠陥だらけで“使えない建築物”が出現し、問題となった。
最近では、中国黒竜江省ハルビン市で陽明灘大橋が崩壊し、大型トラック4台が落下した事故が記憶に新しい。崩壊した高架橋のコンクリート内部からは、あるはずのない木片や合成樹脂などが出てきたという。
老朽化していた笹子トンネルの事故は、9人の尊い命を奪った。現在、同様の問題を引き起こす可能性のある危険度の高いトンネルは全国で49カ所あるとも言われ、その点検が急がれている。
中国ではどうか。インフラの老朽化のスピードが日本以上に速い中国では、早晩、こうした事故の頻発が予想され、日本と同様に総点検が必要な時代にさしかかることになる。
しかし問題は、中国社会が「メンテナンス」を重視しないということにある。異常音を響かせながら走り続ける地下鉄車両や、故障したまま野ざらしになった野外エスカレーターなど、問題があっても放置する「無関心・無責任」な社会の体質は変えることが難しい。ましてや、「未然に食い止める」という安全意識からはほど遠い。
確かに日本と相似形とはいえ、早晩到来するであろう危機の深刻さから言えば、中国は日本のそれを軽く上回ってしまうのではないかとさえ思われる。
国家主導の発展計画は、毛沢東の「大躍進政策」時代となんら変わりはない「粗製濫造」の繰り返しでもあった。そこに「世界一」の冠を強引にかぶせようとし、多少の無理や矛盾があっても強硬に推し進め、かつ役人が目標達成の栄達を自分の出世に結びつけるのが改革開放路線の本質でもあった。日本も政治家が金権政治に明け暮れたが、それでも民主主義に基づく国民運動が存在していたという意味では、まだ将来に希望が持てるものであった。
危険と背中合わせに生きる上海社会、あるいは中国社会において、日本の笹子トンネル事故を超える大惨事がいつどこで起きても不思議はない。
◆山中伸弥京都大教授が英ケンブリッジ大のジョン・ガードン名誉教授(79)とともにノーベル医学生理学賞を獲得したことを、中国メディアも大きく報じた。
中国(大陸)国籍保有者でノーベル賞を受賞したのは、2010年の劉暁波氏のみだ(平和賞)。劉氏は民主運動家で、08年に共産党が独裁を放棄するよう求める「零八憲章」を発表したことで有罪判決を受けた。現在も服役中だ。なお、1989年にノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世も、中国政府が主張する「チベットは古来中国の一部」との論法にもとづけば「中国人」ということになり、「中国では反政府の立場の者が2人、ノーベル平和賞を獲得した」ということになる。
2012年のノーベル文学賞を受賞した中国人作家莫言氏が、初めての他部門での受賞となる。
しかしそれ以外の部門で中華人民共和国の国籍での受賞者は皆無である。
これは偏に教育の結果だと断言できる。
現在の韓国も中国も、国語としている文字は発音文字である。本来の漢字の効用を廃棄し、言葉の音に重きを置いた。しかも教育内容は、歴史の事実を無視した、政府の正当性を主張し特定国を誹謗中傷することに重きが置かれている。
その教育体制で、国際的な思考や協調や独創的な科学が生まれる筈がない。その証拠に、実は中国人として英語や他国語で教育を受け他国語で思考する人たちには多くのノーベル賞受賞者が存在するからである。
米国在住の中国人としては、楊振寧氏と李政道氏が1957年にノーベル物理学賞を受賞している。2人とも受賞当時は中華民国国籍で、その後、米国籍を取得した。また、1989年の天安門事件で政治亡命し、97年にフランス国籍を取得した高行健氏は、2000年にノーベル文学賞を受賞した。中華系人物でノーベル賞を受賞したのは過去8人にのぼる。しかし中華人民共和国の国籍保持者は莫言氏以外にいない。
◆結局のところ、日本と中国、韓国はまったく異なる文化、文明、風土、歴史である。もちろん漢字や仏教、儒教、律令制など、長い歴史の中で、日本と中韓が共有した(したことがある)文化要素も存在する。だかそれは、共有したことがあるというだけで、文明の仕組みはまったく異なっている。
また、王朝が代わると全王朝の君臣一族は誅滅(ちゅうめつ)され、前史が完全否定されるという中国や朝鮮のような歴史観も、日本にはない。そもそも「易姓革命」(王朝交代)をくり返した中華と、万世一系である日本では、歴史の見方も取り扱いも異なる。中華世界では、歴史とは「政治」なのである。
戦後、韓国は、中国の属国だったという歴史を消すために、漢字教育を全廃した。そのため、「小中華」を任じていたころの漢字で書かれた歴史書を読むことができなくなり、自国の歴史への無知が広がっている。
「聖徳太子の『和をもって貴しとなす』を見るまでもなく、『和』は日本的な考え方である。
『和』は多元的な価値を容認する共生の思想や風土によるものであり、中国的な考え方とは完全に異なる。
中国的思想はどこまでも一元的で、相対的な価値観を絶対に認めない。
孫文も著書『三民主義』で同化主義を標榜している。「漢族は数が大きから、少ない民族が同化されるのは当然」というのが、その主張だ。現在の対チベット、対ウイグル民族政策でも同化政策が強化される一方である。
日本の「和」の思想は、どこかから伝来したのではない。縄文文化と弥生文化の共生、共存と習合の神道から「和」の原理は自然に生まれた。さらに、仏教伝来後は天台本覚(ほんがく)思想である「山川草木国土悉皆成仏」(あらゆるものが仏になれる)などの衆生(しゅじょう)の思想が加わり、「和」の思想を磨き上げ、輝きを増していく。
安全で平和な島国である日本では、お互い力を合わせて仲良くやっていくことが、幸福への道であった。時折、台風や地震が襲ってくるが、それらも皆で力を合わせて乗り越えていく。そうした社会では、恒心、すなわち、安定した価値観と心持ちを持って、生きていくことができる。
それに対して、半島国家である韓国は、周囲の大国のパワー ゲームの舞台とされやすい。朝鮮半島は古代から中国と日本のせめぎ合いの舞台であり、近代に入ってからは、ロシアやアメ リカが加わり、さらに国土も南北に分断されて軍事的対立の中で生きてきた。韓国国内も親中派、親日派、親露派、親米派などに分裂し、抗争が続いてきた。そのような不安定な社会では「みんな仲良く」などというのは絵空事である。「俺が俺が」と他人を押しのけ、生き延びていかねばならない。
「俺が俺が」の社会は、勝者と敗者が明確な格差社会となり、勝者はことさらに自らの体面を重んずるようになる。
企業や役所の幹部など、社会的成功者は運転手付きの公用車、社用車に乗る。一般大衆がすし詰めになったバスの横を、黒塗 りの大型車がスイスイと走っていく。
会社や役所で車付きの幹部を務めた人が、退職後にもっとも愚痴をこぼすのが、運転手付きの車がなくなったことで、満員のバスに乗ったり、タクシーを拾ったりする「みじめさ」に耐えられず、つい外出もおっくうになるほどだと言う。
黒塗りの大型車の対局をなすのが、自転車だ。みすぼらしい格好の労働者が大きな荷物を乗せて、汗をかきながら自転車を漕いでいる、というのが、伝統的な「下層労働階級」のイメージである。
黒塗りの社用車にあこがれ、いきおい借金してでも個人企業主に成りたがる。
しかし、韓国国内の財閥は、主力企業だけでなく儲かるとなると、どんな業種にも進出する。資本力もない個人など簡単に潰されるか買収されて仕舞う。そんな自国の状態に嫌気がさして、我も我もと韓国を後にする。
ところが弱小民族のDNAを持つ朝鮮人には、見ず知らずの他国で孤独に生活するということが非常に苦手である。そうして同胞がコリアンタウンを世界各地に作り出す。群れた彼らは急に強くなる。建築基準も法律も規制も次々に無視して、勝手気ままに、まるで独立国のごとく街を変形させていく。周りのその国の住民は堪ったモノではない。
お陰でその地区の土地評価も下がり、次々と別の土地に移転する。朝鮮人にしてみれば、安く土地が手にはいることになり、さらにコリアンタウンが拡大するのだ。しかも、購入資金はその国の金融機関からの借り入れである。
中国でも何処でもいざ立ちゆかなくなれば、借入金も従業員の給与も踏み倒して平気で夜逃げを決め込むのが彼らの常套手段だ。他国のことなど構っちゃいない。儲けはとっくに本国に送金済みである。だから何処へ行っても嫌われる事になる。民度の違いと言えばそれまでだが、授業を見たことは無いが、受けてきた教育も無関係ではないだろう。
日本の童謡に「夕焼け小焼け」がある。
夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる
お手々つないで みな帰ろ カラスも一緒に帰りましょ
日本ではカラスまで一緒にさそって、みんな手をつないで仲良くしようという。ところが韓国人は、この「お手々つないでみな帰ろ」ができない。
ある韓国人が、しばらく日本に駐在してから韓国に帰ってきた。子供たちも日本の学校に通っていて、韓国の学校に戻ったのだが、何かにつけて遅れをとって困ると言う。
ボール遊びとか、教室に先を争って入るとか、何かを受け取ったりするときなど、「先を争ってわれ勝ち」という場面で、自分の子供は弱い。その原因はどうも日本での教育のせいではないか、と言う。日本の幼稚園や小学校では「みんな仲良く」「みんな一緒に」と、絶えず協調を教えるために、それになじんでしまった子どもが、韓国の学校では遅れをとってしまう、というのである。
日本人と韓国人は隣人どうしで、外見もそっくりのため、お互いに自分と似ていると考え勝ちだが、実は似ていない点が非常に多い。そして、そこにそれぞれのお国ぶりが現れるのである。
「みんな仲良く」の日本人と「俺が俺が」の韓国人の違いがどこから来ているのか、韓国の著名な作家である李炳注氏は次のように語っている。
・・・日本人にある、いや、おう盛ですらある協同のマナーもしくは精神がどうしてわれわれにはないかということは、実に不可思議なことですけれども、この不可思議な問題を可能なところまで追求してみるのも重要だと思いますね。・・・
私は漠然とですが、恒心という問題を提起してみたいと思います。結論からいえば、わが民族は恒心を持たない民族、恒心を持ちえない状況の中に生きている民族だと私は思います。・・・
韓国人と日本人を比較するとき、周囲の環境をつきつめてみなければなりません。安定した環境である程度の確立した社会に生きる人びとと、常に不安定で価値の乱れた社会に住む人びととを対等に比較することはできませんよ。[2,p4]
体面の最たるものが、肩書きである。韓国社会では日常会話でも、相手を肩書き付きで呼ぶことが多い。
新聞社では記者同士で「○○記者(キジャ)」と言い合っていますし、大学では教授たちがお互いに「○○博士(パクサ)」と呼び合っています。街の通りや、食堂、飲み屋などでも連れだった客同士が「キム部長(ブジャン)」「パク課長(クワジュン)」・・・と肩書き呼称が飛びかっていますし、さして大きなバー、クラブでなくとも飲み屋の男子従業員をホステスたちが「○○専務(チョンム)」「○○常務(サンム)」といい、大通りで「サジャンニーム!(社長さーんの意)と声をあげれば、みんな「オレのことか?」という顔で振り向くほどに、韓国には社長がたくさんいるということになります。
韓国人の独立心が強いのも、結局、誰かの下でいつまでも働いていたのでは「カムトゥ(官職、地位)」が得られないため、独立すれば手っ取り早く肩書きができるから、ということかもしれません。独立し、一人で商売を始めると、みんな社長になれるというわけです。[1,p99]
逆に、相手の体面に相応した呼称をもちいないと、韓国人は激しく怒り出す。日本の各マスコミのソウル支局では、日本語のできる韓国人スタッフをおいて取材の協力などをして貰っている。各社の特派員たちは彼らを「助手」と呼ぶが、この肩書きは本人たちには大変評判が悪い。
ある時、新しく赴任してきた若い日本人特派員が、本人のいる前で「助手の○○さんは・・・」とやったところ、本人がつかみかからんばかりに怒った。本人にしてみれば、何代にもわたって特派員を手助けしてきており、新参者の特派員などよりも先輩だという自負があった。
日本では「助手」という言葉に侮蔑感は含まれていないから、この新米特派員もそう呼んだのだろう。長年「助手」として務めてきた人には、周囲の人も敬意を払う場合が多いからだ。
日本を旅行した感想として語るベスト・スリーの日本印象のなかには、必ず「日本人は親切というのが入っています。とくに初めて日本を訪れた韓国人は、ほとんどの場合、「日本人は悪い奴」という先入観を持っていますから、逆に意外な親切さに驚き、印象的に思うようです。
もちろん、この親切というのは、たとえば道をたずねたときとか、ショッピングでの対応とか、各種窓口での接触とかを通じての印象です。つまり、日本での見ず知らずの人間に対する、一回切りの接触での親切に、韓国人たちはとくに感心します。いや「見ず知らずの人間にもかかわらず、なぜあんなに親切なのか」という意味で、日本人の一般的な親切さに感心するのです。[1,p131]
これらの違いは、日本人が「安定した環境である程度の確立した社会」の中で皆が平等に仲良く暮らす国柄を築いてきたのに対し、韓国人は「常に不安定で価値の乱れた社会」の中で生きてこざるをえなかった点にあるようだ。
日本民族は、近隣諸国から海で隔絶された安全な美しい島国に住み着き、数千年の間、他国に比べればはるかに平和で安定した、そして平等な社会を築いてきた。たまたま、そのような国に生まれついた我が身の幸福を認識しなければならない。
そして、このような幸福な社会を築いてくれたご先祖様に感謝し、それをさらに維持・発展させて、子孫たちに受け継いでいくべき責任が、我々の世代にあることも自覚すべきであろう。
◆(博士の独り言 II より全文引用)
http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-entry-1390.html
臨時政府の対日宣戦布告71周年 記念式開催へ=韓国
【ソウル聯合ニュース】韓国が自主独立の意志を世界に発信した大韓民国臨時政府の対日宣戦布告から10日で71周年を迎える。ソウル市内の白凡金九記念館では同日、記念式典が開催される。
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式典には独立運動関係者ら約300人が出席する。宣戦布告文の朗読や3・1女性同士会の独立軍歌合唱、万歳三唱などが行われる。大韓民国臨時政府は日本の真珠湾攻撃で太平洋戦争が開戦したことを受け、1941年12月10日に対日宣戦を布告し、声明を発表した。
以上、中央日報(Web) 2012年12月7日付記事より引用
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仰天初耳の「大韓民国臨時政府」
表題は、韓国(南朝鮮)紙「中央日報」(12月7日付)の記事だ。同国の「聯合ニュース」の記事を紹介し、「大韓民国臨時政府」が、「日本の真珠湾攻撃で太平洋戦争が開戦したことを受け、1941年12月10日に対日宣戦を布告し、声明を発表した」と。「韓国が自主独立の意志を世界に発信した大韓民国臨時政府の対日宣戦布告から10日で71周年を迎える」として、「ソウル市内の白凡金九記念館で」記念式典(12月10日)を行う」としている。
「大韓民国臨時政府」なるものが実在していたのか、どうか。客観的な証拠を先ず示すべきだ。一般に、「臨時政府」と謂う限り、その母体の「大韓民国政府」が存在するはずだが、「大韓民国」の建国は1948年であり、表題の「1941年12月10日」の時点では存在していない。日韓併合時代における日本の「朝鮮地方」であり、その併合も朝鮮側が望んでのあえての「日韓併合」であり、“植民地時代”では有り得なかった。
ソウルのメインストリート
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「恩恵を仇で返す」虚構の国
日本は莫大な国家予算を朝鮮半島の近代化のために投じ、ハングル辞書の刊行をはじめ5000校を超える学校を朝鮮半島に建設し教育水準の向上に寄与し、且つ、多数の病院設備をはじめ、多大なインフラを提供し、平均寿命の向上と人々の生活の近代化に貢献して来たのである。
その史実を一切反故にするかのように、あたかも「日韓併合時代」が“朝鮮人を奴隷化”し、蹂躙と搾取を受けた“植民地時代”であったかの「虚構」を世界中に噴霧し、こともあろうに、日本へ謝罪・賠償を執拗に請求するという、日本に対して「恩恵を仇で返す」不行を国家的になしているのが現在の韓国である。
国家を揚げての虚構は、その度が著しいほど、結果、自国の首を締めることになる。仇の果ては自滅しかない。その事象のごく当然の道理の上から、このままでは韓国の未来は無いことを指摘しておきたい。
虚構の国に「富」を与えるべきか
韓国の、捏造史観による対日毀損、殊にわが国の先人英霊を貶めるための、各国へのロビー活動予算は4000億円に上る。韓流をはじめ韓国製品を買って良いものなのか、どうか。ひいては彼(か)の“祖国同胞”のために悪さをなす在日コリアンの関与相応の賭博、風俗(売春)に身銭をはたいてよいものなのか、どうか。
小銭を払ったつもりでも、つながりつながって、また、巡りに巡ってその膨大な「ロビー活動予算」の形成につながっていることは、片や指摘されて来た賭博利益(地下送金など)と北朝鮮のミサイルの相関と図式に照らせばさもありなんであろう。賭博や風俗の締め出しはもとより、韓流、韓国製品、ならびに在日業者の関連品の不買をあらためて提案したい。
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朝鮮に対する法整備を
および、法律における国籍条項の確認・徹底のもとに、在日コリアンに対する生活保護の準用の撤廃を先ずを以ってなして行くべきだ。パチンコの「賭博認定」による全廃と、朝鮮戦争動乱時の一時的な措置でしかなかった「特別永住資格」の見直しと廃止。ならびに彼らの隠れ蓑となっている朝鮮系カルト教団らの宗教法人格の剥奪。戦後のバラック占拠などにより日本人所有者から収奪した不動産の戦後に遡る調査と没収。通名の違法化などなど、我々の世代で成すべき事柄は少なくない。
(以上、引用)
いやいや、ここまで来ると思わず笑って仕舞う。政治家も芸能人も、教育もマスコミも国をあげて、60年~65年間も延々と日本だけに集中して中傷・誹謗合戦をする国など前代未聞、歴史的な快挙?であろう。まるでストーカーだ。
そんな国に援助も情けも掛ける必要は無いだろう。無償援助や韓国の尻拭いをどれほどしてきたかを、この国の国民には一切教えず、すべて政府の功績としてきた。我が国は韓国と半年ほど交易を断っても全く痛くもかゆくも無いだろう。宣言する必要もなく静かに引けばよい。こちらからは一切話しかけず、関わりを無視すれば良いのではないか。半年もすれば、どれほど日本に依存してきたかが全韓国民にもわかる。
1860年ころの李氏朝鮮は経済的に破産し、軍事力もほとんどなく、政権は分裂と内紛に明け暮れ、一般庶民は食べるものもなく人命も、道徳も顧みることがなかった。
明治日本は朝鮮半島を放置しておけば、ロシアのものになるか、欧米諸国の草刈場になることは必定であった。日本は自衛のために朝鮮の独立と近代化を願い、何度も説得し手を貸したがいつまでたっても目が覚めなかった。
韓国政府はこれらの事実を隠し、歴史を捏造して韓国の子供たちを反日に染め上げて 韓国民全体を日本憎しという世界で例を見ない硬直した反日国家にしてしまった。
今回の李大統領の竹島不法上陸と陛下への謝罪要求は寛大な日本国民を心底怒らしてしまった。
李大統領の常軌を逸した行動や暴言についてマスコミは「反日・愛国の勲章欲しさ」「退任後の収賄容疑での逮捕を免れるため」など言っているが、李大統領の強気の発言の裏は、在日朝鮮人に乗っ取られた日本政府という安心感があったのではないかと思われる。
李大統領は以前ハッキリと「日本の民主党政権とマスコミは日本国籍を持った在日朝鮮人が支配した、今後の日本は思うどおりになる」とオフレコで発言している。これは冗談でもハッタリで言ったものでもない。
戦後韓国大統領は反日カードをチラつかせながら「成熟した韓日関係のために謝罪や反省を求めない」「過去にこだわって未来が損なわれてはならない」などの二枚舌で日本の援助をとってきた。
戦後60数年の韓国への援助総額は60兆円を超えた。そのうち無償援助を除いた援助額のうち、半分近くはまだ返済されていないし返す意志すら見せない。なぜそのことをマスコミも日本政府も要求しないのか?
韓国大統領が無礼な発言をするなら「金を返してから言え」となぜ日本政府は言わないのか?
写真はネットでたまたま見つけたが、あまりにもピッタリなのであえて掲載しておく。