歴史を忘れた韓民族にこそ未来はない
「安全保障」の視点が見られない韓国の日本批判
2013.08.13(火)JB PRESS
日本が日清戦争および日露戦争をしなかったか負けていたら、今の韓国はあるのかないのか。この疑問にジェームス・アワー氏が率直に答えてくれた(「産経新聞」25.7.26付「正論」)。
「清国が勝っていたら、韓国は現在、中国の植民地になっているかもしれないし、ロシアが次の戦争に勝っていたら、韓国はロシアの植民地になっているかもしれない。日本の勝利はとどのつまり、韓国を自由市場経済の民主主義国という今日の地位へ導いたのである」
これが歴史の真実であり、正しい読み方であろう。
日本はその後、中国や米国などのABCD包囲網によって大東亜戦争に引き込まれ、敗戦した。戦後は周辺諸国への謝罪と補償を繰り返しながら、国際社会の安定を一途に祈念してきた。
そうした努力の結果、世界で最も好かれる国になり、東南アジア諸国から評価されるようになった。そうした中にあって、歴史を歪曲して自国中心の歴史認識を押し付けようとするのが韓国(および中国)である。
放縦ではない抑制の利いた自由と全体主義でなく少数意見も取り上げる民主主義が、今ほど必要とされている時はない。韓国は基本的には自由・民主主義の国に分類されるが故に米国と同盟関係にある。このことは安全保障の観点からは米国を介して日本とも大いに関係するということを忘れてはならない。
日韓ともに国家の存続に関わるような脅威が顕在化しつつある今日の状況下において、韓国には安全保障抜きの言行しか窺えない。それぞれの歴史認識を許容して、半歩でも前進することが必要ではなかろうか。
本当のことが言えない韓国人
親族の結婚式に出席するために帰国した呉善花(オ・ソンファ)氏が入国拒否された。もとは韓国人で、「自由な言論活動」がやりたくて、また「嘘で人を傷つけるだけ傷つけて何とも思わないような人の多い韓国社会にほとんど絶望して」(呉善花著『虚言と虚飾の国・韓国』)日本に帰化した人である。
『スカートの風』シリーズをはじめ、日韓の歴史認識や伝統・文化、行動様式などについての評論が多数ある。
「ハングル優先政策が世代間の文化断絶を起こし、韓国人がノーベル賞を受賞できない理由だ」と述べたことが「韓国文化を貶めている」(朝鮮日報)ことになり入国拒否につながるようでは、日本と価値観を同じくする国家とは言えない。
日本人の多くは韓国が自由を尊重する民主主義の国であると思っている。とんでもない誤解である。歪曲した歴史認識を平然と日本に強いる韓国であることは、竹島や従軍慰安婦でいやというほど見せつけられている。
日本ではきらびやかな韓国ドラマ(王朝ものや現代もの)が一時大流行した。しかし、概ねの筋書きは裏切り、謀反、密通、賄賂の繰り返しで、うんざりする代物ばかりだ。なお、当時の衣装などはみすぼらしい限りで、ドラマで想像されるものとは雲泥の違いがある。
歴史認識が国によって異なることは当然であるが、韓国では自己中心的な民族主義が根底にあり、異なる見解は批判されるばかりか言論封殺から人間否定にまで発展する。
呉氏の入国拒否はほんの一例に過ぎない。自由民主主義の国を標榜しながら現在でも、米国へ亡命したり難民許可を貰う人が後を絶たない状況で、これまでに5000人近くに上ると言われる。
ほかにも、言論弾圧を受けている人がいる。韓国で生まれ育った金完燮(キム・ワンソプ)氏は強い反日感情を持ち、日本語を使う人を見ると不愉快になったという。
ところが2年間豪州にいた間に「実物の日本人」に会い、洗練され立派な点が多くあることを知る。
また国際社会における韓国と日本の位置をより客観的に認識できるようになり、朝鮮の開国期と日本統治について一方的に歪曲された歴史認識から抜け出し、バランスの取れた認識が持てるようになったという。こうして韓国語で『親日派のための弁明』を書いたのである。
同書には「韓国と中国に日本を非難する資格があるのか」「日本時代は私たちにとって祝福であった」「日清戦争とはなんだったのか」「独島(竹島)は日本の領土」などの記述があり、出版前後から脅迫電話がかかり、出版後は青少年有害図書に指定され書店での販売は禁止となる。
当人は長らく身柄を拘束され、出国も禁止され社会的に排除された。日韓ワールドカップ直後、ツアーで訪韓した私が金氏の名前を出しただけで、ガイドの態度が急変した記憶が鮮明に残っている。
韓昇助(ハン・スンジョ)高麗大学名誉教授は雑誌『正論』(平成17年4月号)に「共産主義・左派思想に根差す親日派断罪の愚」の論文を書いた。
その中には「歴史を歪曲した断罪派」「韓国にとって幸いだった日韓併合」「慰安婦謝罪要求という愚行」などの項目がある。氏は名誉教授の称号を剥奪されたうえにあらゆる公職からも追放された。世間からの攻撃に耐えかねて家族ともども行方をくらますしかなくなった。
「歴史を見る目がない」民族と国家
李明博大統領が任期切れを半年後にした昨年8月、竹島に上陸した。その後も天皇陛下が韓国を訪問したければ独立運動家に謝罪してからだという趣旨の発言をした。
就任前の大統領は「(日本に過去をめぐる)謝罪や反省は求めない」と明言していたのだから、豹変ぶりに開いた口が塞がらなかった。同様な豹変を多くの歴代大統領も繰り返してきた。これでは国家対国家の付き合いさえ難しい。
朴元大統領は『朴正熙選集』で「(李朝以降を振り返りながら)権勢をもつ虚偽がかえって権勢のない真理を押さえるのが当たり前となった。(中略)国を守ったにしても失ったにしても、民俗文化を向上させたにしても後退させたにしても、ともかく韓国歴史という地球の一角に築かれた事実に対して責任を負わねばならないものは、ほかならぬわが民族であり韓国の国民である」と述べて、「歴史を見る目がない」自民族と自国を自己批判している。
ここで言う「権勢」とは、李朝時代の両班(ヤンバン)であることは言うまでもないが、今日では大統領などの政治権力であろうし、また、韓国人に染み込んでいる「事大意識や慕華思想」(朴正熙)などであろう。
虚偽がまかり通る体制から真理・真実が受け入れられる政治・社会体制への脱却が急務であることを諭したものだ。
李前大統領も朴槿惠現大統領も依然として「権勢を持つ虚偽」を引き継いでいる。李前大統領に至っては、かつてどの大統領もやらなかった竹島上陸と天皇陛下を侮辱する言動で、権勢を持つ虚偽を拡大さえした。日本国民が撤回と大統領の謝罪を要求したのは当然で、野田佳彦内閣は大統領あての国書を送付した。
日本の反応に吃驚した韓国はパニック状態に追い込まれ、すったもんだの末に日本からの国書を受け取らないことにし、突き返してきたのである。非礼に非礼を重ねる韓国である。
韓国の国書受け取り拒否には前例があった。江戸幕府第6代将軍・家宣(いえのぶ)公の時代である。
李氏朝鮮は将軍の代替わりの度に通信使を日本に送り出してきた。日本も同様に使節を朝鮮に送ったが、日本が通信使を江戸で迎え、将軍の謁見までも許していたのに対し、彼の国は釜山までの入国しか許さなかった。
日本は首都漢陽までの入国と王への謁見を申し出ていたが、当時の朝鮮は華夷秩序に固執して、日本を朝鮮より下位の国と見ていたのである。
通信使が朝鮮国王の国書を奉呈し将軍謁見や文物の交換など、江戸での約1カ月間にわたる文化交流は実り多いものがあった。そしていよいよ帰国という時、日本から渡した復書(回答の国書)について問題が発生した。それらを準備したのは、家宣公から通信使接遇を命じられた新井白石であった。
日本が準備した復書に、第11代中宗(当時から7代前の国王)の諱(いみな)が使われていたので、「わが朝では諱を犯すことを禁じている。よって、これを復書として持ち帰ることは出来ないので、書き改めてもらいたい」と申し出たのである。
白石はいにしえの礼では5代前までの諱が禁じられていることを承知していたし、逆に朝鮮からの国書には3代前の家光将軍の諱を犯していることも承知していた。
白石は自分の国の慣習を楯に、既に渡した復書を書き直せというのは、あまりにも自分本位の無礼な話であるとして断固はねつける決心をした。
そこで、「論語に己の欲せざる処は人に施すこと勿れとある。7代前の国王の諱を避けよと言う者が、どうしてわが将軍の御祖父(3代前)の諱を犯している国書を持参したのか」と詰問したのである。
幕閣の中には、相手の要求どおり、諱1字くらい書き直してやれば簡単に済むではないかと言う者もいた。しかし白石は文化の争いであり、国家の面目がかかっているとして、相手の要求を呑む前に、相手が先に家光公の諱使用を書き改めるべきであると主張し、同時にその場しのぎの老中に強い怒りをぶつけた。
ともあれ、白石の提案に従って、通信使は国書を持ち帰り、書き改めて再び日本に持参した時に日本も改めた復書を渡すことになったのである。こうして譲り合い、その後も関係維持ができたのである。
権威と“よいしょ”に弱い一面も
ところが、挺身隊と慰安婦は全く異なるが、国史教科書ではあえて混同させていると主張する李榮薫(イ・ヨンフン)ソウル大学教授は健在のようである。
「日本は世界史において比類ないほど徹底的で悪辣な方法で我が民族を抑圧し収奪した」と書く国史教科書を鋭く批判する。
「このような教科書の内容は事実ではありません。(中略)単刀直入に言うと、そのような話はすべて、教科書を書いた歴史学者が作り出した物語である」と指摘する。
「コメのほぼ半分が日本に渡っていったのは事実です。しかしながら、米が搬出される経路は奪われていたのではなく、輸出という市場経済のルールを通してでした。(中略)米が輸出されたのは総督府が強制したからではなく、日本内地の米価が30%程度高かったからです」と理路整然と反駁する。
こうして「日本統治は朝鮮半島の経済を大きく発展させ、戦後韓国の経済成長の要因を形づくった」と評価するのである。
教授は経済史学会と韓国古文書学会の会長を歴任し、総統府が行った土地調査を評価した研究もある。れっきとした史実を基にした学術研究であるからだろうか、韓国人が大好きな「(日本による)植民地収奪論」さえ批判し、『大韓民国の物語 韓国の「国史」教科書を書き換えよ』という著書を2007年に上梓さえしている。権威に弱いのか、制裁など課された様子は見られない。
また、KBS東京特派員として2年半日本にいた田麗玉氏が書いた『悲しい日本人』は100万部を超えるベストセラーとなり、国会議員にまでなった。しかし、その内容たるや、一知半解どころか半知(造語)にも至っておらず、無茶苦茶と言うよりほかはない。
「夫婦の呼び方を聞いていると、日本女性の家庭での位置がすぐにわかる。妻は夫に『あなた』と呼ぶ半面、夫は妻を『おまえ』と呼ぶ。両者の呼称には天と地の差がある。すなわち男は尊び、女は見下げるという徹底的な夫婦の不平等関係を表わすことばだ」
「真夏の暑さに、皆(勉強会を)終わってからビールを一杯やろうということで、近くの酒場にしけこんだ。(中略)幹事は一人当たり2千円でいいと言った。支払いのあと、彼は一人ずつ55円を渡した。おつりが440円だったので8等分したのだ。私も学生時代、頭数で割って支払ったことはあるが、おつりはそのまま自分のものにした」
「靴を脱いでから体の向きを変え、履き易いように靴の先を外にして揃えておいて中に入るのだ。初めのうちは郷に入れば郷に従えと何も考えずにその通りにした。が、考えてみれば最初に揃えようと、後で捜して履こうと同じではないか。いつもの負けず嫌いの虫がうずき出し、韓国式に脱ぎっぱなしにして入ることにした」
伝統や文化を理解し尊重するどころか、自国中心の傲慢さばかりが目立つ。
「日本はきわめてアブノーマルな国である。国家も国民もともにそうである。日本のあらゆる社会構造と人間関係は、力のある者と無い者、金のある者とない者という非常に単純な図式によって支配されている。(中略)日本の政府と国民、金持ちと貧乏人、男と女のそれぞれの関係がサディストとマゾヒストの関係のように思えてならなかった」と言うが、逆に合わせ鏡で韓国のうしろ姿を見ているようである。
日本は韓国の国史教科書記述を問題にしたことも、日本を戯画化する著書を論ったこともない。認識の仕方は国により、また人により異なることを理解しているからであり、共存・共生の基本でもあるからである。
おわりに
日本人は何でも謝まれば、相手はその誠意を理解してくれると思い込んできた。それは、以心伝心が通じる日本人同士のことであって、外国には通じないことをようやく知るようになった。
留学や外国旅行などの事前説明では、「何かあっても決して謝らないように」とくどいくらいに教えられる。中国やニューヨークでは、路上でお互いに一歩も引かず、交通渋滞を引き起こしていることなどお構いなしに言い合っている場面を見たことがある。
この姿勢は個人の立場を超えて国の立場でも同じである。
しかし、日本は大東亜戦争などに関して要求されるごとに首脳会談や宮中晩餐会など最高レベルで何度も謝ってきた。従軍慰安婦でも河野談話を出し、女性基金を設け、政権が代わるたびに談話の継承を公言してきた。
「外国は国家が謝罪することなど一切しないのに、日本はなぜ謝罪し続けるのか」というような気の利いた質問をする記者なども現れなかった。外国相手の交渉の基本が分かっていないと言うよりほかにない。今からでも遅くない。「過ちを改めざる、是を過ちと謂う」と論語にもある。
サッカー東アジアカップで、韓国は「歴史を忘れた民族に未来はない」と書いた横断幕を掲げた。先のロンドンオリンピック時の「独島は韓国領」でイエローカードが出されているので、今回はレッドカードに相当する愚挙である。
同時に、奇しくも「歴史を忘れた民族」は韓国であり、「韓民族に未来はない」ことを国際社会に暴露してしまったのではなかろうか。それはともかく、今後は安全保障に視点を移した、相互の関係修復が強く求められている。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38410
見たくない、聞きたくない歴史は無かったことに、有って欲しいこうなって欲しい歴史は有ったことに、それが彼らが学校で習う歴史と映画やドラマ。
◆韓国が誇る国の英雄
そもそも韓国が誇る国の英雄が「安重根」と「李舜臣」しかいないというお粗末さを恥じるべきだろう。
伊藤博文が併合反対だったことも知らないのだろう。それに決定的なのは、「安重根」は天皇信奉者だったことも知らないのだろうな。
朝鮮水軍を率いて日本軍を破った「李舜臣」。 破った筈なのに朝鮮奥地まで進軍されている不思議な英雄。
普通の国は建国の父や独立の英雄がいるのだが、その人達を親日派認定して仕舞った結果誰も居なくなった。
「白将軍」がいないと釜山円環陣地ブチ抜かれて韓国は消滅していた。 まちがいなく救国の英雄なのに、親日派認定して仕舞った。しかしその白将軍ですら世界から見れば規模が小さい一軍人に過ぎない。
★韓国軍艦船名
強襲揚陸艦 「独島」:竹島
主力戦艦「世宗大王」:対馬侵略者
主力戦艦:駆逐艦 「李舜臣」:朝鮮出兵時、停戦を反故にし騙まし討ち
潜水艦 「安重根」:伊藤博文暗殺者
主力戦艦:駆逐艦 「広開土王」:任那日本府を征服したとされるおとぎ話
まあ、歴史の無い国だから仕方がないのだろうが、国民がそれに気づいていないだけに国際的な恥さらしだろう。
◆「伊藤博文を殺せなかった安重根が義士とは韓国らしい」 (京免史朗氏)
朴槿恵大統領が訪中時に習近平国家主席に「安重根の石碑建設」を要請したことに対し、安倍首相は「伊藤博文は日本人が尊敬する偉大な人物。韓国と日本はその点を互いに尊重すべきだ」と発言しました。
また、韓国の反日団体・活貧団は「極右が主流の安倍政府が独島上陸など予想のできない危険な行動と威嚇的挑発を止めない場合、第2の安重根義士の出現をむかえるだろう」と暗に安倍総理暗殺を匂わせました。
歴史が消された国は悲劇であります。
朝鮮独立の志士といえばまずは金玉均の名前が上がります。彼こそは清国支配下の朝鮮から脱して独立しようとしたのです。そのモデルは日本の明治維新でした。
1884年、清仏戦争で宗主国の清国がフランスに敗れると、金玉均は日本の支持を得てクーデターを起こし、新政権を立てました。早速、新政権は清国への朝貢を廃止し、困窮する財政を立て直すべく財政改革を打ち出し、治安の維持などを発表しました。
しかし、150人の日本軍に対して1300人の清国軍が攻撃してきました。この戦闘で戦死した日本人は1名だけであり、清国側は53名の戦死者を出しました。多勢の清国軍により日本公使館は焼き払われ、日本婦人の多くが惨殺されました。
これにより日本中が怒り、清国とも戦争を辞さず、との声が上がりましたが、伊藤博文は「今の日本にはその力はない。今日本と清国が戦えば利するのはロシアである」として戦争を回避しました。
これにより金玉均らは日本に亡命しました。朝鮮政府は身柄引き渡しを要求してきましたが、日本政府は拒否しました。しかし、金玉均は同士の裏切りに遭い、上海に連れ出されて殺されました。その死体は清国軍艦で朝鮮に運ばれ、頭、手、足をバラバラにされ朝鮮各地にさらされたのです。父は死刑、母は自殺、弟は獄死し、一家は全滅しました。金玉均の遺髪を日本人が持ち帰り、彼の葬儀は浅草本願寺で盛大に営まれました。
こうしてみても朝鮮の真の義士は金玉均であります。当時、清国やロシアの侵略から朝鮮を守ろうとして志半ばにして倒れた金玉均。しかし、今の韓国では彼がいかに愛国者であったかを語られることはないのです。なぜなら彼を殺したのが朝鮮人だからです。日本人に殺された、日本人を殺した、ということしか彼らの注目はないのです。
伊藤博文を暗殺したといわれる安重根は義士として讃えられています。しかも、日本の教科書には写真入りで登場しています。
安重根は本当に伊藤博文を殺したのか。
伊藤博文はロシア帝国蔵相のココフチェーフとハルピンで会談し日露同盟を結ぶことを考えていました。アメリカと国際金融資本にとってはこの同盟を抹消すべく安重根を利用したのです。
伊藤博文の体内の弾丸には安重根のブローニング拳銃の弾丸はなかったのです。伊藤を殺した弾丸は上部から撃ったフランス騎兵銃の3発でした。
このように安重根は暗殺に利用されたピエロだったのです。このピエロを義士とする韓国こそピエロであるのです。ピエロの石碑の建設を要請したり、第2のピエロの出現と脅したつもりで言ったり、歴史を失った韓国は反日こそが正しい歴史であると思い込んでいるのです。
◆李承晩という狂ったリーダー
没落両班の家に生まれ、李氏朝鮮末期の高宗に対し独立と家の再興を目指すが、悉く失敗し、日本に対し強烈なまでの反日思想をもった。戦前からの,アメリカでのロビー活動を認められ、大韓帝国臨時政府の代表に指名された。その後、華夷思想の回帰をもとに、日本を蔑視し偏向思想教育を行った。小中華思想の申し子のような存在である。学生時代の成績は平均Cであった。民主主義とは、相入れない、異質の政治家である。
更に、ハングルの教育や学習の禁止を行った。(ハングルの消滅)
それが350年間もの間続いた。だから元々無いものを日本が奪うなんて不可能である。
虐殺が繰り返されたというのも李氏朝鮮時代の出来事である。李氏朝鮮では権力争いや裏切り、抗争が絶え間なく繰り返された。併合後に飛躍的に人口が増えているのに虐殺していては辻褄が合わない。よって併合時代の日帝の悪行というのは、正に李氏朝鮮時代の出来事を日帝時代の出来事として徹底的に教育したからに他成らない。
しかし、其れくらいのことを少し調べれば分かるものを、TVなどで間違って主張する知名人や評論家というのは一体何を根拠にのたまうのかと思ってしまう。特に史実を徹底的に調査して時代考証の末に小説を書くはずの、「著名な小説家」と言う存在は、一体何者なのかと疑わざるを得ない。
◆韓国中央日報が偉大だったという李承晩の業績
1948年 済州島4.3事件ー3~6万人虐殺
※左翼島民に対する弾圧・虐殺
1948年 麗水・順天事件ー非武装の民間人8000人虐殺
※済州島事件に反発し放棄した市民を虐殺
1949年 慶北ムンギョン市虐殺事件ー86人虐殺
※共産勢力に協力したと言いがかりを付けて市民を射殺。
韓国政府は長らく匪賊の仕業と主張。
1950年 漢江人道橋爆破事件ー約500~800名虐殺
※北朝鮮軍のソウル侵攻に対し、
韓国政府はソウル市民の事前避難計画を講じず。
侵攻時、多数の市民が大混乱の中、漢江を渡り避難する最中、
侵攻阻止の為、多数市民が渡橋中にも関わらず人道橋を爆破。
1950年 保導連盟事件ー10~20万人虐殺
※朝鮮戦争勃発を受け、李承晩の命令により、共産主義者と見られる国民や、
収監中の政治犯や民間人など、少なくとも20万人あまりを大量虐殺。
1950年 全国刑務所在所者虐殺ー1万4千人虐殺
※韓国軍が釜山に一時撤退中、地域の刑務所に収監中の
政治犯・思想犯を虐殺
1951年 国民防衛軍事件ー約9万人死亡
※朝鮮戦争中、民兵組織国民防衛軍幹部らが、軍事物資や兵糧米などを横領し、
9万名余りの兵士が餓死したとされる。
1951年 居昌事件ー680人虐殺
※朝鮮戦争中、韓国軍が共産匪賊のパルチザンを殲滅するためとして、
子供385人を含む無実の市民を虐殺。
◆韓国、米軍の為の従軍慰安婦の実態 【拡散希望】
南朝鮮人はこの現実を日本の事と偽って世界に広げている
米国が必死になって慰安婦問題に蓋をしようとして日本に圧力を掛けてくるのはこのため。
http://www.youtube.com/watch?v=KZ2d1bqycmw&feature=youtu.be
英語版
◆韓国人元慰安婦、韓国政府と米軍を告発 NYタイムズ紙
米ニューヨークタイムズ(電子版)は8日、韓国の元慰安婦のグループが、1960年代から80年代にわたって米兵との性的行為を強制されたとして、当時の政府指導者に謝罪と賠償を求めて告発したと報じた。
このグループは組織的な慰安施設の設置に直接的に関与したとして、米軍と韓国政府をあわせて告発した。
同紙によると、元慰安婦のグループは朝鮮戦争後、韓国に駐留していた米軍の基地近くにあった慰安施設で米兵を相手にした売春を強要されたと証言。一帯では、米軍の憲兵隊と韓国当局者が施設を見回り、番号札を使って性病に感染したとみられる慰安婦を排除しており、性病が疑われた女性は警察当局が、窓に鉄格子がはまった「モンキーハウス」と呼ばれる施設に収容し、快復するまで治療が施された、と証言している。
同紙は、韓国の専門家が、当時の韓国政府は米軍の撤退を恐れており、それを防ぐために手段を選ばなかった と指摘しているとし「慰安施設には韓国政府と米軍の積極的な関与があった」とする別の専門家の談話を伝えた。
◆朝鮮人が認められない歴史的事実一覧
・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の二つが倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が中国文化の影響を受け、みずから改名し、中国語氏名であること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと
(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、しかもカナより600年遅れて作られたものであること
・焼肉はモンゴルのパクリで焼肉メニューはモンゴル語ばかりであること
・キムチは秀吉が朝鮮出兵の時に落とした唐辛子の種が増殖したのが起源であること
・テコンドーは日本空手のパクリでそのままだとまずいのでキック特化にしたこと
・中国の太極図案と五行八卦の中の四卦と陰陽魚が韓国国旗であること
・大韓民国の国名の民国は中華民国の民国の借用であること
・大韓民国憲法は、全て1948年に南京で制定された中華民国憲法を剽窃したものであること
・韓国の法律は、台湾の六法全書、「憲法、刑法、民法、商法、刑事訴訟法、民事訴訟法」と全く同じであること
・中国原産の木槿の花を、勝手に改名し、無窮花として韓国の国花にしたこと
・朝鮮という国号は明の永楽帝が下賜したこと
・韓国国歌「愛国歌」が満州国国歌のパクリであること
・服も鎧も王権装身具も古墳も宮殿も中国のパクリであること
・文明も中国のパクリであること(日本は一国一文明の国・韓国は中国文明 Samuel Hnatington『文明の衝突』より)
・古代高句麗人と現代の韓国人は全く違う民族で高句麗は古扶余人で東胡の一部であること
127 : マンセー名無しさん [sage] : 投稿日:2010/02/04 18:13:38ID:R1tNf2/E [1/1回]
韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に住んでいたワイ族。
百済人、高句麗人は古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。
ウィキペディア-朝鮮民族
歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。
ウィキペディア-新羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85
脚註
なお韓国では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。
しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、
高句麗・渤海を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。
129 : マンセー名無しさん [sage] : 投稿日:2010/02/04 18:17:42ID:Birnrwuc [2/3回]
高句麗=扶余系=満州系なんだわな。
高句麗の発祥地は中国の東北地方で、
高句麗の数百年の歴史のうちの最初からの半分以上が中国東北地方にしか版図がなく、朝鮮半島には存在はしてなかった。
そして、彼らが滅亡した後は、ほとんど満州の部族に移行している。
つまり、どう考えても、高句麗は中国東北系の国なんだわな。
高句麗と朝鮮の関係って大日本帝国の朝鮮と似たようなもんでしょ。
朝鮮に日本家屋があることを理由に、朝鮮人が江戸文明を作ったとかぬかすくらいあつかましい主張でしょ。
何しろ、文明が継承されてないんだもの。
満州人はきっちり高句麗文明を継承してるけど朝鮮は100年前は土人文明だもの。
高句麗はシナと新羅(朝鮮)が連合して消滅させた異民族の古代国家にすぎない。
百済も、高句麗の後継国家、渤海も同じ。
なぜ朝鮮人は嘘をつくのか
Why does the Korean tell a lie?
130 : マンセー名無しさん [sage] : 投稿日:2010/02/04 18:18:26ID:Birnrwuc [3/3回]
朝鮮人とは朝鮮半島の南側に住んでた原住民で、三韓(馬韓、弁韓、辰韓)人 それに対して高句麗(※)も百済も朝鮮人を支配してた扶余(ツングース)民族だな
広辞苑より
【扶余】
前一世紀から五世紀まで、中国東北地方北部に活動した民族。
また、その建てた国。ツングース族の一。一~三世紀中頃が全盛期、もと百済の別称。
【高句麗】
紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙(東明王)の建国という。中国東北地方の南東部から朝鮮北部にわたり、四世紀広開土王の時に全盛。都は二○九年より丸都城、四二七年以来平壌。唐の高宗に滅ぼされた。高麗(コマ)。
【渤海】
八~一○世紀、中国東北地方の東部および朝鮮半島北部のあたりに起った国。靺鞨(マツカツ)族の首長大祚栄が建国。唐の文化を模倣し高句麗(コウクリ)の旧領地を併せて栄え、七二七年以来しばしばわが国と通交。一五代で契丹に滅ぼされた。
【靺鞨】
(マツカツ)ツングース族の一。有力な部族が七部あり、その一である粟末(ゾクマツ)靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した。
【女真】
中国東北地方の東北部から沿海州方面に住したツングース系の民族。五代の頃より女真と称し1115年完顔(ワンヤン)部の首長阿骨打(アクダ)が金を建国し宋に対抗。後に清朝を興した満州族も同一民族である。
一方朝鮮人は、朝鮮半島の原住民の事です。
馬韓、弁韓、辰韓の民族ですね。
なので
百済≒高句麗≒渤海 ≠ 三韓=朝鮮民族
132 : マンセー名無しさん [sage] : 投稿日:2010/02/04 18:20:36ID:rw0+SN6P [2/3回]
長い歴史の中で数多くの国や王朝に朝貢し冊封され支配、統治され 朝鮮人は混血も重ねています
(大きいところでは中国諸民族、縄文人、倭人、蒙古人、満州人、大日本帝国)
近年韓国で医学界等の遺伝子や血液の分析で
朝鮮のルーツは北方である事
南部からの流入(日本の縄文人や倭人、倭人王については完全にスルーしてますが)との 混血である事も徐々に指摘、新聞でも報道されはじめました
血液分析により民族の移動経路を判明する 東亜日報
韓国 台湾 日本、もっとも単一民族に近いのは日本人
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828
"韓民族は単一民族ではない!" 韓国 朝鮮日報
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/01/09/2009010901296.html
韓国人、違う民族の血40%位まじっている 韓国 朝鮮日報
http://www.chosun.com/national/news/200604/200604050360.html
顔で見た韓国人、すでに他民族血統…“80%が北方系” 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90507&servcode=400
もし日本人、韓国人が似てると感じれば、それは激しく混血を重ねた朝鮮人が似てるのであって 日本人が似ているのではないのです
朝鮮はこの通り朝鮮民族だけの物ではありません、
今後は友愛の精神で朝鮮半島は異民族を多く受け入れ多民族多人種社会となり
それぞれの民族の国籍を認め韓国朝鮮人と同じ権利を持ってもらい共生すべきです
国連、「韓国の単一民族強調」人権侵害の恐れ 日本版 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90362&servcode=400
韓国の民族主義を告発、スタンフォード大シン教授(上)
http://www.chosunonline.com/news/20090623000056
133 : マンセー名無しさん [sage] : 投稿日:2010/02/04 18:21:29ID:rw0+SN6P [3/3回]
【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』
【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が現在の韓国人です。このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。
満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。強いて関連付けるならば、一時期、フヨ族がワイ族を支配化に置いていたこと、くらいです。
では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、この『後金国』が清国へと発展していきます。
134 : マンセー名無しさん [sage] : 投稿日:2010/02/04 18:22:50ID:wdg3N4+N [1/3回]
高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。
〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕
見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。
ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し歪曲しているのです。
日本人は倭人の子孫である。
一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。
この2つの民族は最初から別種なのだ。
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1772715.html
韓国人の不都合な真実 韓国人のルーツはエベンキ族だった
http://ameblo.jp/nihon-banzai/entry-11144045806.html