タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹林や自然と共に生きる」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

長岡に原子爆弾?!

2022年11月16日 | ふるさと長岡・嗚呼!田舎暮らし

ボクの昼休みのウォーキングコースのすぐ近く、信濃川支流の太田川の土手上に、「模擬原子爆弾投下地点跡地の碑」があります。日本が太平洋戦争で連合国と戦い、アメリカに広島と長崎に原爆を投下されて敗戦となったその直前に、米軍機が原爆の投下訓練として長岡のこの地域(左近町)に模擬原爆を投下しました。これは、その悲しい記念碑なのです。

 

碑に刻まれている文字はこんな文章でした。


模擬原子爆弾投下地点跡地の碑

昭和20年(1945)7月20日、午前8時13分、米軍機B29 が単機で飛来し、大型爆弾一個を投下しました。爆発による被害は、死者4名、負傷者5名、住宅全壊2戸のほかに左近地区全戸が被害を受けました。これは、原子爆弾の投下訓練として行われたもので、同年8月9日、長崎に落とされた原子爆弾とほぼ同じ型のものでした。
被災60周年にあたり市民の芳志によりこの碑を建てるものです。
平成17年(2005)7月20日
左近町有志一同
模擬原子爆弾投下地点の碑建立委員会
[型式]:パンプキン(10,000ポンド軽筒爆弾)
[大きさ]:1.5m×3.5m
[重量]:4.5t(TNT火薬 約2.5t)

世間的にはあまり知られていませんが、広島、長崎に落とした原爆の投下訓練として、米軍の特別部隊が1945年7月下旬から8月に本州、四国の18都府県に計49発の「模擬原爆」を落下させました。死者は計400人を超え、1200人以上が負傷。長崎に投下されたプルトニウム型とほぼ同じ形状の爆弾は、黄やオレンジに塗られた外見から「パンプキン(かぼちゃ)」と呼ばれました。
 
なんと模擬原爆が日本中に49発も投下されていたのですよ。ビックリです。西日本新聞のHPにこんな資料も掲載されていました。
 
 
これによると、新潟県に投下された模擬原爆は3発です。長岡の他にはいったいどこに投下されたのでしょう?調べてみたら、意外なことがわかりました。なんと、柏崎市長崎に7月24日(または26日)、阿賀町鹿瀬に7月25日(?)に長岡と同様の模擬原爆が投下されていたのです。
 
「意外な」と言ったのは、模擬原爆が投下された柏崎市と阿賀町が、いずれもボクがかつて勤務した土地だったからです。柏崎市には7年間(2回)、阿賀町には3年間(こちらは単身赴任で)勤務しました。それぞれの土地に愛着をもち、随分歴史や文化にも興味を持っていたつもりでしたが、この模擬原爆の投下についてボクはまったく知りませんでした。なんとまぁなさけないことです。地元の長岡市に投下された模擬原爆も含めて、ボクらはしっかり記憶にとどめ後世に伝えていく必要なあると感じています。もちろん、平和への強い願いを込めて。
 
 
 
 
コメント
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