久しぶりに飛行機に乗り、羽田にいった。
宿泊は、ずっと泊まりたいとおもっていた
コロナの影響で5月から1ヶ月の予定だった在宅勤務は、6月から週2回オフィスに出勤する以外は引き続き在宅となり、8月からは週1回のみ出勤、つまり週4日は在宅勤務に。
通勤がなくなるというのは、思いのほか、快適だった。
だけど、部屋は快適とは言えない空間だった。
岡山、ニュージーランド、千葉、東京と数年ごとに行っては戻りを繰り返していたため、そのたびに荷物は増え、片付かないままの部屋。
でも、平日は仕事、週末は出歩くのであまり部屋にこもることがなかったため、ま、いいかと見ないふりをしてきた。
でもこのコロナ。
そこで、一念発起!
といいつつ、、、今回このコロナの影響で在宅勤務になって、快適な空間にしたい、と思ったのもあるけれど、それならもっと早くやっていたはず。
もう4ヶ月もたって重い腰をあげたのは、エアコンが壊れたから。
というのも、、、、
8月に入って、PCの熱のせいか、部屋がちっとも冷えない、暑い・・・風は来ているけど、冷たさは感じない。
設置して4年と少しだったので、5年保証入っていてよかった!と購入した電機店に行くと
「それは、エアコンの掃除をしたら格段に冷えますね」と言われ、業者によるクリーニングを促される。
え、今までずぼらな私が掃除する程度でどのエアコンも冷えなくなるってことなかったですけど、、、、
けれど自信たっぷりに「修理に出しても壊れてないって言われますよ」と言われる。
半信半疑で業者クリーニングを頼むも、解せない。5年保証使わしてくれないの、、、?
やはり納得がいかず、いろいろ調べ漁った。
直射日光にあたっていた室外機を遮光シートで陰にしたり、水にぬれたタオルをかぶせたり(YouTubeで見た)
最終的に、冷えない場合の機能チェックができるボタンがあることがわかり、それを実施してみると、
「冷媒ガスの不足。修理を依頼してください」のアラーム音が鳴った。
ほら、やっぱり壊れてるんやん。これじゃ業者にクリーニングしてもらったところで意味ない。
早速電機店に連絡し、クリーニングをキャンセルして修理を頼んだ。
4日後、状態チェックに来てくれて、空気を冷やす「冷媒ガス」がない、とエンジニアさん。
その日はいったん冷媒ガスを充填してくれて、後日、部品を入れ替えて修理をする、ということに。
総替えなので、エアコンの下に置いていた棚を寄せ、作業の邪魔にならないようにモノをのける。
改めて、見回すとなんてmessyな私の部屋。
本棚には本以外のものもたくさん。
「よし、モノを動かしたついでに片付けよう!!!」
と一念発起したわけである。
いままで断捨離をしたことはあったけど、あんまり変わらなかった。
でも、このコロナで自分の消費意欲やいろんなものの感覚が変わったこともあり、だんだん進めていくことができた。
目指せ、シンプルライフ。
毎日仕事が終わって少しずつ、週末にまとめて、を繰り返し、ようやく完了。
エアコンが壊れなければ、いや、コロナによる在宅勤務にならなければ、こうはできなかったな、と思う。
3月から家族に仲間入りしたセキセイインコのマルコとも仕事の合間に会える幸せ。
大雨・大風の日、ポチは静かに息をひきとった。
週末を家でポチと過ごし、
もうダメかもしれないと思いながら
水だけで生きながらえていたポチ。
いよいよのときは横で一緒に寝ようと
用意していた寝袋で、二晩ポチの横で寝た。
土曜日の夜は3時間置き、日曜日の夜は1時間置きに
キャンキャンと苦しそうに吠える。
苦しむポチを見ていたら、
「もう楽にしてあげたい」という思いが強くなる。
「なんでこんないい子のぽっちゃんが、
こんなに苦しまないといけないのか」と神様に文句を言っていた。
だから、月曜の朝、仕事に行く前に
「ぽっちゃん、がんばらなくていいよ。
苦しいなら、お姉ちゃんのこと待たないでいいからね。」
と声をかけて行った。
願わくば、眠るように逝ってほしい。
まちがっても苦しみながらもがきながら死んでほしくない。
そんなにつらいなら、もう頑張らなくていい。
そういう思いだった。
そしたらポチは、ホントに私が帰るのを待たず、
逝ってしまった。
何度も吠えながら、鳴きながら、
苦しそうに体の中のものをすべて排出して、
そのあと、ウトウトしながら最期は眠るように
父母の腕の中で逝ったとのことだった。
どうしても仕事を休めず、夕方早いうちに帰ろう、
今夜また夜通し鳴かれたとしても、がんばって介護しよう、
「早く楽にしてあげたい」と思った自分を反省しながら
淡々とやるべき業務をこなしていた私に
ポチは逝ってしまったと母からLINEがきてしまった。
後のことをメンバーにお願いして、午後半休をとって帰った。
嗚咽が止まらなかった。
家に着くと、まだ温かったポチ。
ただ眠っているようなのに、もう目を開けてくれない。
覚悟していたとはいえ、受け止められなかった。
ポチが我が家にやって来たのは2001年9月23日。
あれからもうすぐ18年。
その間、私は転勤で幕張にいったり、ニュージーランド、東京で暮らしたりと、都合9年近くポチとは離れて暮らしていた。
小さいときから社宅だった私は、犬を飼うのが夢で、父母が家を構えて1年がたつとき、犬を飼いたいといった。
茶色で耳が垂れた雑種を飼う、という思い通り保護犬を引き取った。
耳は立って垂れ耳でなくなってしまったけれど。
5年くらい前にポチとの老後を過ごすためにも高知に戻り、今までの時間を取り戻すように休日は一緒に出かけた。
シニアと言われる15歳を過ぎても元気に走り回っていて、歳の割には元気やねぇと道行く方たちにもよく言われた。
だから、ずっと元気なんだと錯覚してしまっていた。
4月になって、急に食欲もなくなり、足もふらつくようになった。
犬は1年で5歳、年をとるから、一番若かったポチがいまは一番の長老。
老いていくという当たり前のことは、わかっていたことなのにわかってなかった。
ずっとずっと元気なんだと思っていた。
いま、日々弱っていくポチを見て、どんなに元気でも必ず老いるんだということを感じている。
ついこの間まで散歩の時間になるとじぃーっと家のなかを見て待っていたのに、もうそのポチはみられない。
つらそうにいるポチを見ると、早く楽にしてあげたいという思いと、まだ逝かないでという思いが交錯する。
ただただいまは、ありがとうという思い。
そしてとてもいとおしい。