「ホリディ」
爽快な映画でした。
最近は、やたらドンパチドンパチやったり、車がクラッシュしたり、
ラストが悲しかったり、観ながら顔がしかんでしまうものが多かった。
でも、この映画は
ストーリのテンポがよくて、最後まで退屈することなく、
うるうるしながらも、笑いもあり。
心にすーっと入ってくる。そんな映画でした。
久しぶりに異議なし!
100%満足でした^^
ところで、
キャメロン・ディアスは、この前ビストロSMAPに出ていたのだけど、
映画のキャラとかぶるくらいチャーミングでした。
34歳だけど、まだまだこども!みたいなことを
自分で言っていてとてもかわいかった。
一緒に出ていたジュード・ロウも、映画と同じような
素敵な人でした。
やっぱり私は、凄惨なシーンが多いやつや
ラストに「死」で涙を誘うものより、
こんなラブストーリーが好きみたいです。
(先月観た「ディパーテッド」は、つらかった・・・)
観終わった後、どよーんとなるのは、ダメですね。
映画は好みが分かれるので、最近は専らひとりで観にいくことが多くなりました。(それだけが理由じゃないのでしょうが^^)
余談ですが、この前「愛の流刑地」のドラマ版を観ました。
(映画版は観ていません)
全体的に理解できない世界でした。
「愛しているから殺した。」というのは。。。
何年か経ったら、結婚したら、・・・・わかるのでしょうか?
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I went to theater to watch "the Holiday".
It was absolutely wonderful.
Recently,many films have quite horrible scene,for instance,shooting and car crash, or sad ending.
They really make me frown.
But,
this film was so good about the pace of story,
this film never made me feel bored,
this film made me cry sometimes and laugh many times,
and then it really impressed me.
I haven't felt that it was perfect about film for a long time.I am definitely satisfied.
I don't know the difference in English between UK and USA well but British English was much easier to understand for me.
Cameron Diaz ,performed Amanda in this film , appeared as guests on one of Japanese TV programs with Jude Law ,performed Graham in it.
She looked so cute the same as Amanda.
She said that she is still child although she is already 34 years old.
I became her fan quickly, I mean, she is absolutely cute.
Jude Law also looked the same as Graham and it means he looks adult and soft.
They were so nice either on TV or on film.
I realized I like love story films like this, unlike painful ones.
(I watched "the Departed",which really made me depressde after I watched.)
A sad ending like death doesn't fit to me.
I go to cinema by myself recently because each people has the different taste about the film.(Don't you think only its reason?)
言われてみれば、自分が耳慣れたものも、人には違ったり。
その逆もあります。
「TOEIC」という言葉がブログによく登場してますが、これは「Test of English for International Communication」の略で、「トーイック」と呼ばれているものです。
スピーキング、ライティングがあるTOEICのテストもできたけど、一般的には、リスニングとリーディングのテストで客観的に英語力を判定するもの。今回私が受けたのもそれです。
TOEICの点数が高くても、まともにしゃべれない!とTOEICテスト批判もありますが、私が出会った高得点の方たちは、けっこうちゃんとしゃべってました^^
特に日本、韓国などアジアで人気の英語テストで、その他の国々では別の検定(IELTSなど)の方が知名度も活用度も高い。
・・・・
実は、今日悲しい知らせを耳にしました。
その人がどうしてそんな決断をせざるを得なかったのか、
どんな気持ちでいたのか、
憎しみだったのか、悔しさだったのか、絶望だったのか。
・・・無気力だったのか。
その人を直接知らない私にはわかりません。
いえ、たとえ直接知っていても、心の中まではわかることはできないですね。
ただ、仕事が人生の全てではない、そう思う一方で、
やはり、生活の大半を占めるのが仕事なのだと思います。
つらくて、大変で、しんどいとき、
「じゃあ、辞めればいい」、
と簡単に言ってしまえるものでもなくて。
その人が背負っているものや、その人の状況、思いは、
他人には計り知れない。
その人をただ弱かったのだ、とは言えないと思うのです。
私自身のことを少し。
仕事と自分のこれからの人生について考え、悩んだ昨年の10月。
落ち込んで落ち込んで、
一時は何の喜びも楽しみもないと思ったことも。
それでも時間と状況の変化の中で何かを感じ、
愛犬ポチを眺めていたら、ふと
自分のわがままや贅沢に気がついた。
そして、人のせいにするのはやめよう。と思った。
自分の意志だけでは通らないことも、できないこともあって。それは、ひとりで生きているわけではないので当たり前のこと。。。
だから、たとえそれが自分の意志に反することで、仕方なかったとしても、人のせいにするのはやめよう、と。決めました。
3月ももうすぐ終わり。
桜が満開になる頃には、自分の途が少しは見えてるといいな、と思います。
ケセラセラ
1年半以上ぶりに、TOEIC受けてきました。
リニューアルされてからは、初めてとなります。
今回は、リスニングで途中かなりこんがらがってしまい・・・リーディングで補えればいいのですが。とりあえず前回を上回れますよう・・・。
TOEICは、問題の難易度や受験者との相対的な評価、となっているようで、
自分の英語力が変わらなければ、何度受けてもスコアに変化が見られません。
そう。過去に受けた自分の結果で、身にしみています。
4日間、世界フィギュア、熱狂しました。
フィギュアスケートの点数は、絶対的?相対的?
真央ちゃんはSPの失敗が響いて、惜しくも金メダルを逃したけど、
フリーの演技はピカイチで、私はもうテレビに釘付け。終わった後はうぉーと言っていました。
とても感動した。心を打った、というのでしょうか。
野球やバレーボールと違って、点数だけで測れないものがある、と思う。
私も吹奏楽をやっているので、コンクールを経験するたびそう思ってきた。
コンクールで評価されるのは、技術力、表現力など。その中に、「感動できるものだったか」というものはない。(と思います。)
一度、吹奏楽コンクールの全国大会を聴きにいったときのこと。
ある楽団の演奏がとても胸に迫るものがあり、終わったとき涙ぐんでしまった。心のこもった演奏、というものを鳥肌がたつくらいに感じた。
が、結果はまさかの銀賞。
会場は、どよめきの嵐。
私も呆然とした。
そつなく演奏して金賞を得た楽団よりも、あの楽団は観客を魅了した。
コンクールにおいては、点数、結果が大事なのは当然ですが、それが観客を酔わせられる演奏か、というと違う。(もちろん、点数が高く、かつ感動を与えられる楽団もありました。)
フィギュアスケートの真央ちゃんは、技術力も表現力も去ることながら、観ている人をうっとりさせる、感動させるものを持っていると思う。
韓国のキム・ヨナさんも、昨日は失敗が痛かったけど、あのしなやかさ、演技の美しさは十分に観客を魅了する。
結果が全て。とは言いたくない。
それは、負け惜しみとかでもなくて、これからも「そつなく」ではなく、あの心を打つ滑りで私たちを感動の渦に巻き込んでほしいと思うのです。
TOEICにしても、点数とホントの会話力、実践力は・・・?
結局のところ、点数は何かの指標なだけで全てではないと。
そんなことより、楽しく会話できればいいやん、と思うのです。
伝える、ということが大事^^
やっぱりそれは負け惜しみですか?
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I did TOEIC test today,I did it more than one and a half year ago.
This is the first time for me since it was renewed.
I was confused while listening test and I hope reading test score would be covered it.And I also hope to get higher score than before.
TOEIC test is the relative evaluation by difficulty of questions ,examinees and so on.It means that their score hasn't changed if their English skill doen't change.
I really know about it by my past results.
By the way, I watched a world championship meet for figure skating enthusiasticaly on TV.
The its score is absolute or relative?What do you think?
Mao Asada,figure skater, didn't get a gold medal because of her failure in Short Program but her Free Program was so wonderful that I could keep my eyes glued to the TV.
She really impressed me.
I think it has something beyond score for figure skating not like baseball and volleyball.
I have similar experience like a contest while playing music in a brass band.
It is required about technique ,expression and some skill except how impressive ,I think.
A several years ago , I went to the national contest of brass.
Some band really impressed us to play music and made us cry.I felt their passionate playing.
But, they didn't get a gold.
A large audience was disappointed by it.
That band gave us impression than other band which got a gold.
For a contest ,you know, either the result or the score are so important but it doen't mean impression.
Mao Asada has a high skill of technique and expression,moreover she can give us impression.
I don't think the result is all.
I don't think it is sour grapes.Just I want her to keep doing such a excellent performance ,not do shrewdly.
I am back to talk about TOEIC.
The score doesn't seem to fit practical communication skill.
After all,the score is just indicator not everything.I think it is important to have a good conversation.
Do you think it is sour grapes?
しかし、数週間もすると私は彼が苦手になっていた。
語学学校で知り合った日本人や韓国人の人にKimとホームステイ先が同じだというと、Kimの友達以外は「えー。かわいそうに」と同情的な言葉を私にかけた。最初の頃は、私も「彼はとても親切だよ」と言っていたけれど、そのうちみんなの評価が身にしみてわかってきたのだ。
彼は自分の言うことが絶対で、人の意見を受け入れないどころか、あからさまに見下したり、非難する。自分が絶対で、まるでKingのよう。
24歳だったKimは、自分より年上の女性に対して、「結婚もせずに何やってるんだ。」というようなことを平気で言う。まるで25歳を過ぎた女性が独身だと生きている価値がないと言わんばかりだった。
言葉の摩擦があったのだとも思う。
だけど、不快感を抱いているのが韓国人の中にもたくさんいることに、言語間の問題だけではないように思う。
それでも、最初の頃いろいろ助けてもらったことに感謝はしている。しかし、その分を差し引いても有り余るくらい、私は彼が苦手だった。
あるとき、TOEICの話になったことがある。彼は目標が900点越えだと言った。韓国では900点くらい取らないと価値がないと。
私は驚いた。日本では、「TOEIC650点」なんて冠を掲げた本が売られているくらいだ。もちろん、企業では730点以上などと求められることもあるが、600点台で価値がないということはない(と思う)。
しかしKimは、600点なんて最低だ。と言う。
私はきっとKimのまた大きな思い込みだと、全く信じていなかった。
それから数日後、なんとなく思い出して反Kim派の韓国人の友だちにそのことを聞いてみた。Kimはこう言うんだけど、そんなことないよねえ?と。
もちろん「そんなことないよー。」という答えを想定して。
すると、そのコは言った。「ううん。そうだよ。韓国ではみんな必死に勉強している。900点目指して。」
もし、Kimじゃなくて別の友だちがそう言っていたら私は素直に受け入れていたのだろう。と思った。
Kimに対する「負」の先入観が、客観性を失わせていたのだろう。
同じ言葉でも、言う人によって受け取り方、受け入れ方が違うのは、往々にしてあるもの。
少し反省した一件であった。
しかし、常に公正な目を持つのは、けっこう難しいなあと思う私です。
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While being homestay in New Zealand , I had a Korean homestaymate, who was also the language schoolmate,Kim.He came to NZ about a month earlier than me, so he helped me how to get to the school ,how to get on a bus,where to buy something and so on.
But he was getting tough to deal with for me after a few weeks.
Some of my Japanese and Korean friends who met at school told me that I was so pity to stay with Kim at the same home.At the beginning, I said to them , "He is so kind and helps me well.",though, , I found they were right.
He seemed to be too much confident of himself and didn't accept others' thinking at all.Besides, he looked down on others.He looked like a King.
Kim,was 24-year-old,said to elder ladies ,"You are not married ,are you? Why? What do you do?".How rude he was...He thinks if women who are over 25 years old are single they are not good.
I think there were some language problems between us.
But even among the Korean people they felt uncomfortable about Kim.It means there had also some problems except language.
While I really appreciate his help,actually,I don't like him.
One day, we were talking about TOEIC at home.Kim said that his aim of its score was over 900 points and if less than it ,it was not valuable in Korea.
When I heard that , I was so surprised.In Japan we have some books whose titles are "getting 650 points for TOEIC".Although some of companies require employees to get over 730 points of TOEIC scores,600-something points are not bad,I think.
Kim told me that it was terrible.
At that time , I didn't believe him and thought he got it wrong.
A few days after, I asked one of Korean friends who didn't like Kim about it.
Of course I was thinking she answered no.
But she said "Yes , I think so.Many Korean are eager to get over 900 points."
If not Kim said that, I could have accept it easily.
I had a bad image about him so that I didn't think objectively.
It is important who says it sometimes and it makes us feel difference of the same words.
I reflect on myself from it.
Actually, it is so hard to think with fairness for everything,I think.
大学生の頃、高校時代からの友達を訪ねて東京に遊びに行ったときのこと。
その友人と思いつきで、「横浜中華街に行こう!」と電車に乗った。乗り込むとき、私たちはちょうど並んでいた入口ではなく、なんとなく隣の車両の入口から入った。
そして空席があるかとキョロキョロしたその時、同級生を発見。
「うわぁ!どうしてこんなとこにおるがー?」とお互い驚いて、思わず土佐弁が出た。3人とも目がまん丸になっていたと思う。
その友人は横浜に住んでいて、京都から新幹線に乗って帰ってきたのだが、間違えて新横浜で止まらない便に乗ってしまったため、東京で降りて横浜に戻っているところだと。
「すごい、すごい!」と興奮する私たち。
もし、私たちが並んでいた入口から素直に乗っていたら、隣の車両で友人に気付いていないだろう。
もし、彼女が新横浜で止まる新幹線に乗っていたら、会うことはなかった。
その日、その時間、その電車で、その車両で。
1時間に1本しか来ない田舎の電車ではなく、数分間隔に来る東京の電車で。何両もある車両のうちのひとつで。
こんなこともあった。5、6年前、ひとりで広島へ出張に行ったときのこと。その日は朝移動で、ホテルを出てから広島駅に歩いていた私は、何気なく、ホントに何気なく右後ろを振り返った。すると、同じように足早に駅に向かっていたのは、大学時代のバイト先の先輩Yoshizumiさん。
「うわ!」とびっくりした。お互い。本当に。
その日、その時間、その道で。
こんなにたくさん人が流れているところで、バッタリ会ってしまうとは。
高知にいると、ホントに世間は狭いと感じることが多いけど、県外でそんな出来事に遭遇すると、すごい力を感じてしまう。
そんな嬉しい偶然なら、どんどん起こってほしい。
そういえば、私の友人は、大学の卒業旅行でいったフランス(だったと思う)で同じように旅行にきていた高校時代の同級生にバッタリ会ったそうで。
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When I was a university student,I visited one of my friends from high school in Tokyo.We had a fancy to go to the Chinatown at Yokohama then took a train.We happened to go into another car instead of one we lined without any reasons.
We were both looking for seat we could sit,at that time we saw one of our classmates!!
We were three so surprised ,you know, said in our dialect at once."Wow! so incredible!! How come you are here!?"
She lives in Yokohama and just came back from Kyoto by Shinkansen at that day.She was going to take another Shinkansen which stoped at Shin-Yokohama station but she missed so that she got it off at Tokyo station and then took the train we met.
We were so excited by what it happened to us.
If we didn't take the car..(If we took another car we lined...)
If she took the correct Shinkansen.....,we couldn't have met her.
On that day, at that time,in that train,in that car.
A train comes at some minutes intervals,not a hour intervals like our hometown.
I remember another story.
It may be five or six years ago.When I went to Hiroshima on a business trip by myself,on that morning I needed to come back to Kochi so I was going to Hiroshima station by walk.
While walking, I looked back without intention and then I saw one of mates who I was working part-time when in university.
"Oh!!!Long time no see!!"
How surprising!!!
On that day,at that time,in that street.
There were so many people walking but we ran into.
In my hometown Kochi, it happens very much and it makes us think what a small world it is.
But if it happens in another big city I feel some kinds of power.
And I want to get such a great chance ,I hope.
By the way, a friend of mine told me that she had run into our schoolmate in France unexpectedly.What a.....
写真:2冊に分かれた私の3年日記
「3年日記」を知ったのは、ちょうど昨年の今日。
1ページが同じ日付で3分割されていて3年分、つまり1冊の日記帳に3年分書けるようになっているというものだ。
これは、ニュージーランドでの職場の先輩Tamakiさんに教えてもらった。なんでも、友人に3年前にプレゼントされたその日記帳がもうなくなって、新しいのを買いたいけど、ニュージーランドでは見つけられないというのだ。
「へえー。3年日記?そんなのがあるんですか?」と私。感心しながら相槌を打ってちょっと考える。
「いいですね!おもしろい!昨年の今日とか、何考えてたかすぐわかるし。」
興味を持ったことには、まるで尻尾を振る犬のように乗る私。
きっと身体は前のめりになっていたにちがいない・・・^^
「でしょ?書くときに、昨年書いたことを読み返して、けっこう同じことで悩んでるなーとかって、あきれたり(笑)」とTamakiさん。
「でも3年あると、いろいろ状況は変わったりして、振り返ると楽しいよー。」とも。
よぉし、私も始めよう!と、私はその日、仕事が終わって本屋さんで買って帰る。3年日記用のがないと、Tamakiさんが言っていたので、自分で区切ればいいか、と普通のノートを。
そして、嬉しげに記念すべき1日目を書いてから気付く。ん?1ページ1日ということは、365ページはないといけない。どう見ても、そんなにページ数なさそうだ。念のため数えてみたけど、案の定、全然満たしていない。
出鼻をくじかれた。と自分にあたっても仕方ない。
翌日、再度本屋さんでもっと分厚いノートを購入。ページ数もざっくり数えて確認。
だけど、ざっくりはやっぱりいけなかった。1月に入ってから、「あれ?ページがもうなくなる?」と焦る私。
悲しいかな。60ページほど足りなかったみたいで(涙)・・・結局2冊に分かれてしまいました。
ところで、日本に帰国してから、日記帳を売っているところをふと探してみると、3年分の日記が書ける日記帳が売っていました。3年日記という名称は定かではありませんが。いつごろから存在しているんでしょう。Tamakiさんが3年前にもらっているので、少なくとも3年前からはあったということで。
流行(?)には疎いもので、全く知りませんでした。
まあ、ともかく、今日から2年目の日記がスタートです。
昨年よりは、今年、来年、どんどんHappyになっていくことを願って。
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I knew about "Diary for 3 years" today last year.
It is divided into three parts in a page then you can write in your diary for three years in a notebook.
I heard it from Tamaki who was my elder colleague in New Zealand.She wanted to get another new one because her diary which her friend gave three years ago would have finished but she couldn't find it in NZ.
"Is it? Diary for 3 years...Huum...I haven't heard it yet." I said and was thinking with impression.
"It sounds interesting!! It is easy to imagine what I thought this time last year."
It excited my curiosity.
"Exactly! When I write it ,I read that day last year again and then I think I haven't changed very much."She said.
"But...while three years,my surround have changed a bit or big.It is funny to look back sometimes."She added.
So,I'll try to begin it !!
Then, I bought a normal notebook for it at a bookshop after work.I can divide a page into three parts by myself.
After dinner at home, I was glad to write in my diary then I found that the notebook had not enough for a year,it means to have less than 365 pages.oh, dear...
...Next day, I got another thick one after checking its pages roughly.
As a result, I should have checked that pages correctly before I bought it.I found it would not enough in January.I was depressed it was almost 60 pages less so that I bought a new one for 60 days.
After all, my diary for 3 years was divided into two books.
Today is the first day of the second-year,anyway.
I wish I am getting happy day by day,year after year.
写真:ゴールの桂浜(Katsurahama)
歩きました。約18km。高知城~五台山~桂浜の高知の名所をこの足で。
「土佐のおきゃく」というイベントの最終日、JALウォークに、友人(+母&母友)と参加。
この日を迎えるまで、「本当に歩けるの??」と不安いっぱいだったけど、道中はとても軽快で楽しく、ほぼ予定時間の3時間で完歩!
ただひとつ。五台山の遍路道が、ものすごくきつかったのです。
こんな道を登っているのかと思うと、お遍路さんのみなさんはすごい。
心臓が千切れそうで、足腰の辛さよりも息苦しさの方がありました。それでも友人は足取り軽く(私にはそう見えた)登っていき、ついていくのがやっと・・・。
そんな難所も無事越え、浦戸大橋も渡り、キラキラと輝く海が見える桂浜にたどり着きました。風が強く、途中かいた汗がひんやりとして少し寒く感じる。
残念ながら、抽選のJAL無料航空券は当たらなかったけど・・・ゴールした達成感は清々しいものでした。
3時間ずっと休憩なしで歩き続けたのは初めて。終わってから足はガクガク。
家に帰ってからはぐったり。それでも夕方くらいには徐々に回復してきて、夜はOBバンドの練習に行く。遅刻してしまったけど^^;
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I walked.....for 18km from Kochi castle via Godaisan(Mountain) to Katsurahama which are famous places in Kochi.
I joined in one of events at Tosa festival,a walking meet sponsored by JAL Airline with my friend ,mother and her friend.
Until today, I have been worried whether I could do it,but I enjoyed walking and talking to her,then we arrived the goal about 3 hours later,which was model time.
To tell the truth, not all way was easy.
Godaisan was the hardest point I had ever walked.
I felt my heart would be broken.I had difficulty breathing more than feeling my feet painful.
Against me, my friend who is the same age as me went up with light steps.It was difficult to catch up with her.
We arrived the goal, Katsurahama,finally.
What a beautiful sea !!
The wind was strong so that I felt cold because of breaking a sweat on the way.
While 3 hours,we didn't have a break!After we finished walking,my legs were shaking....of couse I got tired but I was so satisfied and happy more than it!!
往復夜行バスで、福岡まで行ってきました。
今回の旅は、2年ぶりに再会する友人との「人生模索&癒し」がテーマでした^^
3月1日木曜の夜、高知駅を出発し、翌早朝博多駅に到着。
顔を洗ったりしてから喫茶店で朝食。
その日、友人は仕事なので、夜に合流することになっている。12時間ほどのフリータイムをどう過ごすか。
ちょうどおひなさまの時期であり、そこここでおひな祭りをやっているらしい。行き先は柳川に決めた。
天神から特急で50分ほど。柳川と言えば、「川下り」。
駅に着いてから一番近くの船着場へ行くと、ちょうど船が出るところという。
急いで申し込みをし、飛び乗った。(実際に飛び乗ったら、船は転覆しかねないが。)
浅く、緩やかな川を、楽しげな船頭さんのお話を聞きながら約1時間ほど小船に乗って下っていく。
天気も良く、桜の花には少し早いけど、のどかな風情を楽しんだ。
船を降りて、そこら中に漂う匂いにつられた私は、お昼にウナギのせいろ蒸しを食べる。うーん。おいしい。
ウナギに満足した私は、川下りのほかに柳川で有名な、北原白秋の生家を訪れる。中ではお雛様が飾られていて、一緒に記念撮影。
もちろんひとりなので、セルフタイマーで(笑)
撮ってもらいたいときに、人は通らないものです。
柳川を後にして、今度は大宰府に向かう。
かの有名な太宰府天満宮は、初めて。
梅がきれいに咲く道を進み、今後の自分を・・・いろいろお願いした。
学問に限らなくて、いいよね?
それから2005年10月に開館した九州国立博物館へ。
すごい。大きい。見ごたえたっぷり。
くらくらするくらい。
歩き回って疲れているはずなのに、休憩なしでぐるっと見てまわる。
博物館を出てから、博多に戻る。今日のホテルをチェックインしてから友人を待つ。
19時過ぎに合流した私たちは、もつ鍋を食べるべく、近くの「よかろうもん」というお店へ。
もつ鍋もさることながら、そこの軟骨唐揚は絶品!!!でした。ベストワンです。
お店の人もとてもいい感じで、久しぶりに素晴らしい従業員のいるお店にきました。また博多に行ったら是非行きたいお店。
その晩、お店でも3時間半ほど話通し。ホテルに戻っても延々と話しは尽きず。早く寝ようと言いながら、2時過ぎにようやく眠りについた。
翌日は、午前中キャナルシティをぶらぶらして、ラーメンスタジアムで札幌ラーメン(!)を食べ、旅のメインテーマ「癒し」のために原鶴温泉へ。
今回の旅館「川の宿 花いやし」は、私たちのテーマにぴったりの最高の宿でした。
自然食、温泉、岩盤浴!ゆったりと疲れた身体をほぐし・・・
その日もまた深夜まで語り・・・。早く寝る予定だったのにね。
佐賀出身の彼女とは出会ってもう10年くらい。
大学時代のバイト先の社員さん。と言っても歳は1コしか変わらない。
彼女が岡山に赴任していた間のたったの10ヶ月だけ一緒に仕事をした。
転勤で大阪に行ってしまってから一度会い、私が大学を卒業してすぐの3月に当時熊本にいた彼女と福岡で会い、就職してからは、私が千葉に出張した際、東京にいた彼女と会い、それから2年前、ちょうど私がニュージーランドに渡航する直前に一緒に愛知万博に行った。
久々の再会。思い出話や、これからの話、悩みなど、私たちの話が尽きることはなかった。
久しぶりに会うのに、ちっとも変わっていなくて。もちろん、お互い職や状況に変化はあるけれど、時間や距離の隔たりを感じることなく、昔と同じような調子で過ごせる。そんなことが嬉しい。
次はいつ、どこで会えるかな。
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I went to Fukuoka to meet a friend by a night bus.
This trip is for seeking each life and healing.
She is one of my colleagues when I was in university,she worked full-time worker and I was on part-time one.We rarely meet after I graduated from university and haven't met for 2 years.
On 1st of March,Thursday night,I left Kochi station and arrived in Hakata station next early morning.
At the day ,she had to work so that I needed to spend almost 12 hours by myself.
After I washed my face,ate breakfast at cafe and planed where I would go.
This time was the Doll's festival so that many town had some events for that festival.
I decided to go to Yanagawa.
It takes about 50 minutes from Tenjin to Yanagawa by limited express.
It is so famous for going down a river in a boat in Yanagawa.
After getting there ,I looked for the nearest port for it.It was the time to left and then I got on it hurriedly.
We enjoyed going down the shallow and slow river with a amusing boatman.
It was such a lovely day and had a peaceful taste.We were really satisfied, although there were few flowers along the river.
After getting the boat off, I ate steamed eel for lunch because I could smell it all over.Was it good ? yes it was so nice and I recommend it.
I visited the house in which Kitahara Hakushu was born next, it was also famous in Yanagawa.There were some dolls displayed inside.I took a picture with them by myself.
Then, I left for Dazaifu where is famous for shrine.This was the first time I visited.
I walked along street has beautiful Japanese apricot and then I prayed about my future...
After that,I went to Kyushu National Museum where was open on October in 2005.
It was so huge and had such great things.It made me excited.
I looked around without rest ,although I felt tired because I walked much from early morning.
I left that museum and came back to Hakata ,then did check-in a hotel in front of Hakata station.
We met about 7pm and went out for dinner.
At that night, we kept talking to each other.It seemed never stoped.We wanted to go sleep as earlier as possible but it was hard for us to stop talking....then we fell asleep over 2am.