2013年11月に、Uターン転職で
高知に戻って働き始めた会社は
地元の中小企業で
人数も20名に満たない会社だったが
売り上げ17億という
びっくりするような規模だった。
1人約1億!がんばらねば!
と思って足を踏み入れた。
が、しかしだ。
初日、いきなり忠告を受けた。
「がんばるだけ無駄ですよ。」
それが、役員(上司)に対して
「アピールするな」という牽制なのか
「気負わなくていいよ」という気遣いか
判断しかねた。
ただ、出鼻をくじかれた、そんな気がした。
社員のみんなは仲が良かったし
1人1人真摯に仕事をしていたが
役員に対して恨みつらみが多かった。
私が面接をした当時の専務は、
社員のことをほめていたけど
彼自身はすっかりみんなに嫌われていた。
2年間仕事をする中で、その理由がわかった。
「言ったことを守らない」
「自分は言いっぱなしで
社員に大変な思いをさせる」
「もっともらしいことを言ってるようで
中身がない」
「外には社員のことをほめるけど、
その実、ちっとも信用していない」
そして私は会社を去った。
失業保険をもらいながら考えた。
38歳の私。
正直、就職活動をする意欲はなかった。
臨時職員でつないでいこうか、
と考えたりした。
1年や3年とか有期雇用でも
それをつないでいけばいいのではないか。
土日祝休みで、残業もなく、
プレッシャーを感じることもなく。
挑戦心が持てなかったのは、おそらく
自信がなく諦めていたからだ。
果たして4月から1年間、
情報関係の臨時職員をした。
するとこれが意外に面白かった。
いい仲間にも出会えた。
その仲間たちが頑張っている姿を見て
また意欲がわいてきた。
「仕事」への意欲。
ああ、忘れていたな、この感覚。
小さい頃から、私は「全力投球」だった。
何事にも。
小学校のときの担任の先生が
母に面談で言ったらしい。
「Cちゃんはかわいそうなくらい一生懸命だ」
と。いわく、遊ぶ時も一生懸命、
何をするにも一生懸命で痛々しいくらい、
だったそうな。
自分でもわかる気がする。
そして、「先生ってすごい」と思った。
3月に期間満了を迎えた私は
「仕事」について今一度向き合った。
在宅ワーク、会社、起業。
向き合う中で、
これまでの仕事をふり返り、
気付いたことがあった。
私は一緒に働きたいと思える「誰か」(仲間)
がいて、そこで力を発揮できる。
「誰か」が認めてくれることで私は頑張れる。
そういう環境で楽しく働くことができる。
SEのときも、ITオタクでも
開発が好きでもなかった私は
認めてくれる上司や仲間がいたから
頑張りたいと思ったし必死でやった。
Uターン転職したところでは、上司はともかく
仲間が信頼してくれることが嬉しかった。
1年いたところでも、「ありがとう、助かる」
と言ってくれる方たちに
もっと価値を提供したいと思った。
会社で働くことを否定的にみるフリーランスや
ノマド的なワーカーが増えてきたけど
だから私は、「会社に入ろう」と思った。
とはいえ、もうすぐ40。
母が遅く産んでくれたおかげでぎりぎり30代。
響きがね、ちょっと違う。
とにかく、こんな地方では正直厳しい。
「年齢不問」と書いていたって形式的なモノ
と訝る。
実際、書類でダメだったところもあった。
「とりあえず会って話を聞いてよね」
って思う。
会わないとわからない。
これ、恋愛と同じだな。
会ったら会ったで、こっちが(会社を)
嫌だって思うかもしれないけど。
だけど、入る前にぴしゃりとドアを閉められて
会う機会さえないのは、けっこう凹む。
こんな思いしている人は
五万といるだろうけど。
だいたい、会社なんて入ってみないと
ホントのところわからない。
どんなにHPでよさそうに書いていても
実態はわからない。
だからいいこと書いてあるほど、
疑う変な癖がつくもんだ。
何度も変わりたくないから、
入ってみて「あちゃー」って思いたくなくて
慎重になる。
でも、その判断は面接だけではわからない。
お互いに言えることなのだろうけど。
たまたま今の会社に巡り合って、
そして信頼できそうな上司に会えた。
何より業界のことを何もしらない私を
これまでの経験とキャラクター(?)をみて
迎え入れてくれた。
感謝である。
そして、いま丁寧に業務を教えてくれている。
だからひとまず、信じて頑張ってみよう。
「それはこの後説明します」
先走って質問する私を制する上司。
自分自身に苦笑。
「ちょっと待って、それこれから
説明するとこやき」
新人のとき、そうやって
何度トレーナーに言われたことか。
逸る気持ちが空回りしないように、
しっかり吸収。
そんなことを思い、2週間が過ぎた。