食べて、笑って、旅をして

ニュージーランドにいたときに書き初め、いまではテーマはいろいろ。旅、グルメ、高知、鳥、ダイエット、英語。徒然思うこと。

#North Trip vol.2 -Mount Maunganui

2006-12-19 | New Zealand
マウント・マンガヌイの空はとても青く、海はキラキラと輝く。

マウント・マンガヌイ。ここは、タウランガとセットで「地球の歩き方」には載っている。
それもそのはず、ひょいっと行けるほど、近い。車で1時間もかからない。(確か)
高速道路を通って海を渡ったかなと思うと、もうそこはマウント・マンガヌイ。街に入って思ったのは、工業地区だなあということ。そこここに工場や会社が見られ、関係ないけど「石油コンビナート」という単語が頭に浮かぶ。
工業地区だからかどうかはわからないけど、この辺りが一番ガソリンが安かった。

さて、ここでの目玉は「マウント・マンガヌイ」。山、である。
頂上には片道1時間ほどで登れる、と書いてある。

私のことをよく知っている人はわかると思うが、人一倍体力がない私がひとりで旅をしていたら、たぶん、いや絶対登ってない山だ。
遊歩道コースがあるので、そこをチョロチョロ歩いたに過ぎなかっただろう。
いや、もしくは下から眺めていただけかもしれない。

しかし、一緒にいた友人はトランピング好き。
「下で待ってるよ~」なんてやる気のないことは言えない。
もし逆の立場なら興ざめだもの。

そして、登った。
山登り大好きな人や、体力のある人にはなんてことないコースだったに違いない。
だけど・・・私にとっては大変な道のりで。
途中何度も友達に「ここで待ってる」と投げ出そうとしたことか。
呼吸は乱れ、汗はダクダク。。。私はどうして山を登っているんだろう?
そんなよれよれ状態の私を横目に、ビーチサンダルで楽々と登っていく人もいる。

マラソンと同じように、終えた後はとても清々しい。苦しみは消えて、なんてことないように思える。
心地よく吹く風を感じる余裕もできる。

空に手を伸ばせば届きそうだった。いや、実質そんなに高い山ではない。大げさな・・・とあの山に登った人は思うだろう。
だけど、山にめったに登らない私は、高いところで喜ぶサルのように、血が騒ぐ。(また大げさな・・)
陸から眺める海も美しかったけど、山の上からの眺めにはかなわない。
マウント・マンガヌイの太陽と、空と、海、そして風。
今でも鮮やかによみがえる。

下山は余裕で、途中出会った(!)1匹の羊にも笑いかける。(逃げてしまったけど)
そして汗だくだった私たちはすぐ近くのもうひとつの観光スポット「ホット・ソルトウォーター・プール」へ。
名前の通り、少ししょっぱいプールだった。
ロトルアに比べるととても安くて、感動!

しかし、この日を境に、友人は大変な目に遭うことに・・・。

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The sky in Mount Maunganui is a wonderful blue and the sea is shining.

Mount Maunganui is very near from Tauranga.It takes less than an hour driving.As soon as we passed motor way,we reached that town.There looked an industrial area.I saw many company and factory.
A petrol was the cheapest in this town. I am not sure because of an industrial area.

The biggest spot was Mt.Maunganui.According to my guide book, we can reach top of the mountain for an hour walk.
If you know about myself much, you can understand even if I don't climb the mountain. yes, I am so easy to get tired.

This time, if I travel by myself,I would not try going the top.Absolutely not.I might walk around the light path way or look up the mountain from ground.

Luckly or Unluckly? , my friend likes trekking.
I couldn't say that I would wait for you on the ground,you know, if I were her , I would feel unconfortable, I think.

I think the way was not too hard if people likes climbing or sport.
But for me , it was terrible. I wanted to say to wait here on the way.
My heart was beating quickly and I was breathing hard.sweat much...
Why am I going to ?
Many people passed by us.Some of them puts beach sandals on!!!

Anyway, I reached the top.
What a great feeling!! After I got it, my feeling was so nice.Painful had gone and I felt everything was wonderful.I got a lovely wind.
I thought I could reach for the sky.
The view of the sea from the top of the mountain was much better than from the bottom.
I never forget the sun ,sky,sea and wind that I felt in Mount Maunganui.

#North Trip vol.1 -Tauranga

2006-12-18 | New Zealand
タウランガは、ニュージーランド北島の東海岸沿いにある。
街としては小さい。
オークランドのダウンタウンもそんなに大きいわけではないけれど、ここは小さな港町、といった感じだ。港町という表現があっているかどうかは定かではないが・・・ともかく街中のすぐそばに海が見える。風を感じる。

今回の旅行では、「地球の歩き方」を大いに活用した。
事前に位置関係を確認し、可能な限り載っている名所を周った。
先に書いたように、小さい街なので載ってあったスポット5つは楽々制覇。
経験者ならわかると思うけど、「え?ここが?」というようなところもある。もちろん気をつけないと見落としてしまうようなところも・・・。

タウランガでのお気に入りは、ミニチュアタウンのような「コンパス・コミュニティ・ビレッジ」と、「レイルブリッジ」。

「コンパス・コミュニティ・ビレッジ」は、19世紀にイギリス人入植時代に建てられた銀行や消防署、シアター、お店などの建物をニュージーランド各地から移築して、ミニビレッジとして開放しているところだ。
どの建物をみてもかわいらしく、写真をとる手が休まらない。

かわいい街並と共に、印象に残っているのが巨大なひまわり。あれほど大きくなると、かわいいとかきれいとかいう言葉からかけ離れてしまう。元気に伸びているひまわりには申し訳ないけど、少し不気味であった。

そして「レイル・ブリッジ」は、その名の通り、鉄道線路の橋。かつてはオークランドへの鉄道アクセスを可能にしたもの。現在では、貨物用としての利用のみに留まっているらしい。
この橋にはレイルの横に歩道がついていて、市民は普通に利用しているようだ。渡っている間に何度か自転車に乗った人とすれ違った。
途中で線路の上に立つことができるのだけど、スタンド・バイ・ミーの映画の真似事をしたのは、言うまでもない。


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Tauranga is along the East coast of North Island in NZ.
The city is not big.It is like a small port town.
I don't really know Tauranga is a port town but we can see the sea in city and feel the wind from the sea.

I used Japanese guide book "how to walk on the earth" very much.
I checked any spots of sightseeing and visited them as long as we could.
Tauranga is not big , I wrote, so there were 5 spots in that book and then we got all of them.
Some places were hard to find because those were not like sightseeing point or not exciting.
I think pople can understand if they have guide book.

My favourite places in Tauranga are "Compass Community Village" and "Rail Bridge".

"Compass Community Village" is a mini village whose building like a bank, a fire station,a theatre and cafe where were built in 19th century were moved from each places of New Zealand and reconstructed.
Everything was so cute and we couldn't stop taking photoes.
One more thing ,a huge sunflower was interesting and I remember it well.Town was pretty good but that sunflower was just strange.
It was too big to feel beautiful....

And then, "Rail Bridge" was Bridge of rail(hahaha).
It used to be used as transport to Auckland for people but now, it is only used for the carriage of goods.
There is path way along rail and pople who live there pass that way.
While walking,we passed each other.
On the way,we can stand on the rail, you know, we played like a movie "Stand By Me".

#Our Trip for North Of NZ Has Begun!

2006-12-17 | New Zealand
今日、虹を見た。

虹の見える条件というものはよくわからないけれど、一日の中で天気の変わりやすいニュージーランドでは、何度も虹を目にした。
ニュージーランドにいたときに虹を見ることに慣れても、飽きることなどなく、毎回自然と顔がほころんだ。
そして日本に戻った今、虹を見るたびに南半球のあの空を思い出す。



さて、約1ヶ月滞在したファカタネのファームを出て、私はタウランガに向かった。オークランドから南島210km、私のいたファカタネから約100km。ここでオークランドから来る友達と待ち合わせて私たちの2週間の北島ぐるり旅が始まったのだ。

その日は雨。昔からよく、私が出かけるときは雨が降る。
ファームを朝出たので、昼前には早くもタウランガに到着。友達の到着予定は17時ごろ。
その間に私は、泊まる場所を探す。今回の旅行は、ルートも何も決めていたけど、泊まるところはその都度とっていくことにしていた。ニュージーランドは夏で旅行シーズンではあったけど、2人くらいなんとかなるだろう、と。
私は2、3回くらいぐるぐる街中を走り、ようやく車を停め、i-siteという街の観光案内所に行った。このi-siteは、どこの街にもあり、その街の宿泊施設やアクティビティを紹介してくれる。もちろん無料で。
私はそこでとってきたパンフレットの中からYHAのホステルに電話をかけた。電話は苦手だ。必要以上に焦ってしまう。
だけど、そんな私の焦りをぬぐうような相手の優しい応対にホッとする。
とりあえず今日からの2泊を確保。
何時に行ってもいいかと聞くと、大丈夫だけど1時から休憩に入るので、来るなら今がいいとのこと。時計を見ると12時40分くらい。場所はわかるか、と聞くので「地図があるから大丈夫と思う」と答える私。
しかし、やはり道を間違えて、たどり着いたのはギリギリだった。ホントは10分もかからない距離だったのだけど。
その宿の受付の時間表示を見ると、1時からの休憩は4時半までだったので、つくづく間に合ってよかったと思ったのだった。


泊まるところを確保した私は、一安心して再びダウンタウンに戻り、昼食をとって街をぶらぶらして時間をつぶした。少し、疲れていた私はまた宿に戻り、ゴロゴロしてから友達の到着する頃にバス停に迎えに行った。
そして私たちは朝食用などの食料品を近くのスーパーで買い、荷物を置いて夕食に向かった。

駐車スペースに車を停め、料金メーターにお金を入れていると、なんだか様子がおかしい。
すると通りすがりの女性が「そこ4時以降は無料よー」と教えてくれた。
なんてこと!オークランドでは考えられない!

これから始まる2週間の旅行の初日の夜に乾杯。
1ヶ月ぶりに会った友達と、これからの出来事にわくわくしながら眠りについた。

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I saw a rainbow today.

It was a changeable weather in New Zealand ,so almost everytime it had rained there were many chances to see it.
I was smiling everytime I looked at it in NZ, although I got used to see it.
Now in Japan, everytime I look at a rainbow,it reminds me of that sky in NZ.


After I left farm where I had stayed for almost a month,I went to Tauranga.It is about 210km far from Auckland ,100km from Whakatane.
I would meet my friend who came from Auckland and then our trip around North of NZ began.

It was rain that day. .. I am a rainy girl.

I arrived in Tauranga before noon as I left farm in the morning.My friend would come about 5pm.
I looked for backpackers or hostel while waiting for her.
For our trip, we planed where to go but had not booked hostel although it was a summer time in NZ, it means that it is the best season for trip.
I drove around city a few times and then parked a car.
I went to i-site and got some brochure about backpackers and hostel.
I am poor to talk through the phone. Talking face to face is much better than that.
Anyway ,the staff of YHA hostel was soft and she made me relaxed and I got 2 nights stay.
I asked her when I could come there.She said "Anytime, but we will have a break time from 1pm ,so it is better to come now."
It was 12:40am.I decided to go soon as I wanted to put my baggages.
Although I had a map about that hostel , I lost a way and then I got there almost 1pm.Actually there was less 10 minutes far.

I was releaved to get a place for 2 night and then went downtown again for having lunch and killing the time.After that,I took a rest at hostel until I met her.

At that night , we were glad to meet and excited by our coming trip.

#About Farm.vol3-Their daughter lost her English.-

2006-12-03 | New Zealand
Gisler家には、Alisha(アリーシャ)とJayden(ジェイデン)という女の子と男の子の姉弟がいた。

彼らは本当に・・・・大変な子供たちだった。
もともと子供が苦手な私にとっては、まさに手に負えない日々だった。
マザーのLeonieが一日の中で怒らない日はなかった。
AlishaもJaydenも、怒られるたびに泣き、落ち込む。
だけど、その涙も乾かないうちにまた悪さをして怒られる・・・。
ホント懲りないなあと、感心するくらいだった。

彼らはニュージーランドで産まれ、育っているが、姉のAlishaは5歳のとき一度数ヶ月ほどLeonieと共にスイスに行っていたことがある。
向こうにはRogerの両親がいるので、Alishaは祖父母たちと過ごした。
そして再びニュージーランドに戻ってきたとき、彼女は英語が全く話せなくなっていた。代わりに話していたのはスイスでの言語。

彼女は、友達が言っていることが理解できず、友達は彼女が言っていることが理解できなかった。

her boyfriend :いったいどうしちゃったの?(英語)
Alisha:(何言っているか)わからない!(スイスドイツ語)

という不毛な会話が続いた。。。

ちなみに、彼らは5歳だったけれど、愛を誓いあった仲だったそうだ。
彼はAlishaがスイスに行く前、言った。
「僕は海の端までの広さで君を愛している。」 海は果てしなく続く・・・=限りない愛ということらしい。
すごい・・・。

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There are a daughter,Alisha , and a son ,Jayden, in Gisler Family.
They were too naughty to take care of.
I don't like children very much, I mean that I am poor to treat them.
Their mother ,Leonie, cannot stop getting angry with them every day.
Everytime Alisha and Jayden were scolded ,they cried and were depressed but it was no use for them because they did something bad again and got punished again....

They were born and growing up in New Zealand but Alisha had lived in Switzerland for several months when she was four years old.
There are Roger's parent in Switzerland and then Alisha could spend time with them.

She totally forgot English after she came back to NZ and spoke SwissGerman instead of it.

She was unable to understand his word and he also understood her talking.

her boyfriend: "What happened to you ?!" (English)
Alisha:"I don't know what you said !!" (SwissGerman)

By the way, they loved each other ,although they were only 5 years old.
Her boyfriend said to her when she left for Switzerland,"I love you to the end of the ocean."
end of the ocean = unlimited...his love was strong...

#About Farm.vol2 -Roger got job-

2006-11-30 | New Zealand

さて、ファームのGisler(ジスラー)ファミリーの話。

スイスからニュージーランドに渡ってきたLeonieとRoger。英語が話せないRogerがまずしなければいけなかったのは、仕事探しだ。

彼は、窓ガラスの職人さんだったようだ。だけど、彼がスイスでやっていた技法は、ニュージーランドでは全く異なり、同じ職に就くのは難しかったという。
そこで、同じ仕事にこだわらず、見つけたのが車の塗装屋さん。
もっとも、Leonieが一生懸命さがしたらしいが。やはり母国語は強い。(Kiwi女性は強い?)

Leonieは、面接のときから彼の職場に通訳としてついていった。だが、初日の午後には、「もう大丈夫。なんとかなるから帰ってもいいよ。」とボスから言われ、Leonieは家に帰った。それからずっとRogerはそこで働いている。

「ホントに、雇ってもらったのはラッキーだったわ。」 とLeonieは言う。
確かにそうだ。コミュニケーションができなければ、働く上で難しい。
そこの仕事場の人の温かさが感じられるが、Roger自身とてもとても苦労し、努力したと思う。
新たなスキルの習得以上に、「英会話力」の習得に。

彼は私に言う。
仕事に慣れてくると、仕事上の会話は問題なくなってくる。
ただ、休憩中なんかの雑談がわからなくて、とてもくやしかった。と。
今でも早口でスラングが入ってくると、わからないことがあるそうだ。

さて、この家族。家ではもちろん英語。だけど、込み入った話を夫婦でするときにはスイスドイツ語を使うそうだ。スイスを離れて久しいLeonieだが、十数年住んでいたスイス(17歳の時に渡航したらしい)の言葉をまだ不自由なく使えていて、英語で難しい話ができないRogerのために、そっちで会話をすることがあるというから驚く。

新しい言語を習得するのは若ければ若い方がいい。僕は30過ぎてたからね。。。無理ではないけど、やはり時間がかかるよ・・・と、Rogerは言っていた。

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I continue to tell about Gisler Family of farm.

What Roger had to do was to find his job after they came back to New Zealand.

He had worked for company of window(glass) but his skill in Switzerland didn't work in NZ,so It seemed to be hard to get same job.
He had looked for any jobs ,and then got one which was car painter.
Actually, Leonie had searched very hard(not Roger) because English was her mother language.

On his first day of work there , Leonie followed him as an interpreter.
But his boss told her that he should be all right and she could go back home in the afternoon.
After all, he hasn't quit that job yet.

Leonie said , " He was lucky to be hired."
I think it is true.If people cannot have a conversation with his boss or coworkers,he is too hard to get job.
I also think Roger made a effort to get how to speak more than a new job skill.

He said to me that he got used to talk to coworkers about work day by day but it was so difficult to understand their chatting.
Even now, he cannot get it if they speak so fast with slang.

Gisler family uses English at home but they sometimes speak in SwissGerman when they need to talk about their complicated problem because it is so hard for him to discuss in English about that.
Leonie can speak SwissGerman fluently although she has been away from there for a long time.

He said, "To learn other languages is much easier for younger people.When I began it,I was over 30 years old,it is possible but takes a long long time.


#About Farm That I Stayed vol.1

2006-11-27 | New Zealand

昨年の今頃は、ファームにいた。

ファームのファザーRogerは、農場仕事をしていなかった。
彼は、街の車の塗装屋さんで働くペインターだったのだ。
私は夫婦で農場を経営していると思っていたので、少し驚いた。
ファームにいる牛や豚、鶏、一匹の羊の世話は、マザーLeonieがひとりでやっていた。

夜になると、私たちはいろいろな話をした。
英語に苦労している私に、Rogerはやさしく言った。
自分もものすごく苦労したし、8年ほど経った今でも不十分だと。

彼は、スイス人だと、そのとき初めて知った。
マザーのLeonieは、若い頃スイスに渡り、働いていた。
Rogerは、彼女が働いていたCafeによく来るお客さんだったのだ。
初めて会ったとき、客のRogerはLeonieに行った。
「私は、コーヒーには砂糖は1つと、ミルク。覚えておけ」
Leonieは、「なんだ、こいつ。やなヤツ」というのが第一印象。(それはそうだろう)

そんな出会いを経て、彼らは夜通し話すようになり(本当に時間を忘れて話し込んでいたそうだ)、恋人になり、結婚した。
そして、結婚してしばらくはスイスに住んでいた2人だったが、ニュージーランドに移り住むことを決めた。
詳しいことはわからないが、Leonieが戻りたがったわけではなく、Rogerが提案したそうだ。

行くことが決まって、RogerはLeonieの手を借りながら英語を勉強し始めた。
そう。Leonieはスイスドイツ語(正式名称はわかりません・・・。でも彼らはSwitGermanと言ってました。)をマスターしていたので、二人の会話は英語でなかったのだ。
だけど、ちっともまじめに勉強しなかったと、Leonieは言っていた。

そして、彼の苦労が始まる。
ニュージーランドにやってきて、英語しか通じないことにRogerは打ちのめされたようだった。
私の感覚として、ヨーロッパの人たちは英語も話せると思うのだが、そうでもないようだ。
彼は英語環境に染まらなければならなかった。
かつてスイスに渡ったときのLeonieが必死で現地の言葉を覚えたように。

つづく・・・。

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This time of last year, I was in farm in New Zealand.

The father in farm family ,Roger , doesn't work for farm but he is painter at painting company in Whakatane city.
I was a bit surprised when I knew it because I had thought a couple worked for farm together.
Mother, Leonie , does farm work about taking care of animals by herself.

We talked a lot at night.
When I was worried about my English, Roger said to me gently that he had had difficulty of English and he was thinking it was still not well although it passed three years after he came to NZ.

He is from Switzerland.
Leonie went there to work when she was young.
Roger was often coming to cafe where she worked.He told her
"Remenber to put a spoon of sugar and milk into my coffee."
and then , She was uncomfortable about it but she didn't forget it.

After that , they were getting close to each other with talking all over the night(they didn't care time) and became lover,finally got married.

After married, they had been living in Switzerland but they decieded to move in NZ and it was Roger's suggestion.I don't know why well actually.
 
After their decision,Roger began to study English because they didn't talk with English.Leonie could speak SwitGerman !!
She said that he was not hard to do it.The textbook was hardly opened....

And then , his pain began......
After having come to NZ,Roger was shocked by his poor English.He found that people in NZ could understand only English.
When in Rome, do as the Romans do.....
He had to get used such an environment as his wife did in Switzerland before.

to be continued....


#An Evacuation Drill

2006-10-25 | New Zealand

老人ホームで避難訓練を実施したというニュースを見た。(もちろんローカルニュース)
ああ、そういえば・・・と記憶はニュージーランドにいた1年前へ。

TOEICコースの学校も最終週となり、その日は4日連続であるプレテストの2日目か3日目だった。
テスト終了とほぼ同時に、鳴り響くサイレンの音。
受験者の私たちは顔を見合わせる。
そして教室の外で誰かが言った。
「すぐに避難して!」

その頃フラットしていたアパートでは、よく警報機が鳴り、2、3度避難したことがある。
大きな火災には見舞われなかったけれども、1度は消防車がやってきて、ロビーが水浸しになるくらいの大事だったこともあった。バイトから帰ってきたフラットメイトのSummerはびっくりして階下の人ごみの中をかきわけて私たちを探した。部屋にいて私と一緒に避難したKittyがパスポートを持ってこなかったことに文句を言っていた^^
原因は禁煙のアパートで吸ったタバコだったり、調理中の煙だったり、ホントによく作動した煙探知機。
だけど、さすがに毎回「冗談だろう」と安易に見過ごすことはできず、避難したり、ベランダから他の人の様子を探ったりしていた。逃げるなら、パスポートや財布やあと何持って出ればいいっけ・・・なんて考えたり。

アパートでの警報機騒ぎに辟易していたので、学校でサイレンを耳にしたときは、「おいおい、ここでもか!」と思ってしまった。そしてみんな逃げ出す。でもなんだか落ち着いている。
とりあえず、かばんも何も置いていけ、という先生方の指示ではあったが、火事場泥棒にあってはならぬ。

第一、外国で簡単にかばんを置いて席を離れない。いくら治安のいいニュージーランドでも用心しなきゃダメダメ。なんて、留学エージェントで働いていたときには、よく口にした言葉。

かくして、私はかばんをしっかり持って非常階段へ向かった。その学校はビルの8、9階のフロアのみで、他のフロアには旅行会社などが入っていた。各フロアからたくさんの人が非常階段に流れてくるので、混み合ってなかなか進まない。みんなの緊張感のなさから、これは現実の災害ではないと改めて確認。
そしてようやく地上に降り立ち、ビルの前にいるとなにやら消防隊のような人たちもいる。そして、「こら、ビルの前にいないで、離れて、離れて。」と注意される。
学校が入っているビルは、クイーンストリートというメインストリートに面している上、ちょうどお昼どき。たくさんの人が行き来する中、ビルの中から脱出してきた私たち大勢の人が通行の妨げとなっているのはあきらかだった。^^;
なんだか、消防隊の人たちの真剣な表情に、「何があったんだろうね。」「訓練じゃない?」「え?ホントの災害?」「テロ?」といろいろな憶測が飛ぶ。結局、学校の先生から「訓練だよ」と聞き、「ああ、やっぱりそうなのか。」ととりあえず安心。

だけどこれ、ただの訓練ではなかった。
①エレベータを使って避難した
②避難するとき、ジュースやお菓子などを持っていた(飲食していた)
③話しながら避難した
④避難しなかった
ビルの中に入っている企業、学校でこれらに該当する人がいた場合(職員、生徒、客、全て対象)、数百ドルの罰金を支払わなければならなかったらしい。

とりあえず、かばんを持って避難したけど、飲食はしなかったし、一人だったのでしゃべらなかったなあ、と自分の脱出態度を振り返ったのだった。

ちなみに、避難訓練を辞書で調べると「a fire drill」。私はいつも逆引きをするのだけど、「a fire drill」は防火訓練としてあった。なんかニュアンスが違うなあと思って、私が作った「避難訓練」のタイトル。「避難命令=evacuation orders」から考えたんだけど、ダメかしら^^

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I had seen people in nursing home drilled for evacuation on TV news.(It was local news.)
It reminds me of my living in NZ.It was almost a year ago.

While I went to TOEIC course, I had been taking pre-test for 4 days in the last week of that course.One day,it was the 2nd or 3rd day of pre-test,I heard a alarm just after we finished it.In the classroom, we looked at each other.
And then, someone over there said;" Escape from here right now !"


In an apartment I lived at that time ,a alarm sounded so many times and I had gone down to outside for a few times.
Fortunately,all of them was not serious but Fire Service came and drowned the looby one time.
It was caused  by smoking or cooking smoke ,the alarm really worked well.
We were unable to overlook it so that everytime we heard that sound we went out or looked other people in apartment(We talked each other whether going down or not through balcony.) with thinking about things I had to take with me.

When I heard sound at school ,I thought that it happened even here because I was fed up with the alarm of apartment.
People in school began to go out but they didn't look upset.
Teachers said that you had to been away from here with nothing.

You shouldn't leave your baggage when you are away from seat abroad,you know,NZ is more safe than any other countries but you have to be careful.
...I said that to customers when I worked for Japanese agent in NZ.

So,I went out the room with my bag.I needed to escape from a thief at a fire^^
The school shared the 8th and 9th floor in the building.There were some companies in other floor.So many people from each floor came to emergency stairs so that there were really crowded and it was hard to go ahead.I made sure this was not real disaster because almost everyone didn't seem nervous or anxious.

Finally, I was released from building.A man who seemed to come from Fire Service said  " Be away from building! Don't stay in front of building!!"

We guessed and talked  "this is for a drill?","Is this disaster?", "terrorism?? " After all, our teacher taught us it was a drill for Evacuation.

But...this was not mere drill.
if you matched below ,company or school which you were concerned had to pay penalty.It was several hundred dollars...

--After you heard the alarm,
1.you used lift to go down
2.you brought something to drink or eat and were haveing it while going out
3.you were chatting while going out
4.you didn't leave building
                                 

I looked back myself...I didn't eat or saying anything although I took my bag^^(against what teachers said)


# In Whakatane

2006-10-19 | New Zealand

ニュージーランドにいたとき、1ヶ月ほどファームに滞在した。NZ+ファームと言うと、「羊たくさんいた?」との反応がすぐ返ってくるが、私のいたところは牛がメインの牧場。羊は・・・1匹だった。

オークランドから南東に600kmほど車で下り、ファカタネに到着。ファカタネの街から更に30分ほど田舎に入ったところにそのファームはあった。途中から、車がパンクしないかと不安になるほどの未舗装の道に変わる。
ああ、こんな遠くまできたんだなあ。と、一人車を走らせたどり着いた見知らぬ街に不安と寂しさを感じた初日。ここでは日本人も友達も誰もいない。いつも、何かを始めるときには極端なほど気弱になる私。自分自身を励ましながら、私の初のファームステイが始まった。

ちなみに、先日テレビでロトルアに行ってたアイドルグループが、温泉を探して飛んだホワイトアイランドは、このファカタネから近く、ツアーの船が出ている。その島にいくために、この地を訪れる人が多いらしい。しかし、それを知ったのは、後からファーマーとしてやってきたオランダ人Cyrielからの情報。彼女もホワイトアイランド目当ての旅人だったのだ。
ホワイトアイランドについて熱く語る彼女の話を感心しながら聞いていると、「なんで知らないんだ!!」と驚かれたほど。彼女はとても体格のいい人で、ワイルドな雰囲気をかもし出していた。(何しろ、オークランドからファカタネまでヒッチハイクでつないでたどり着いたツワモノ!でも真似はいけません・・・。)英語もスラスラ、意見もしっかりしていて、ずっと上かと思ってたらなんと、23歳だった!そして彼女は私の歳を聞いて驚く。この歳になってもまだふらふらしてる、と嘆く私に、「確かに、若くない。でも人生が終わったわけじゃない」と彼女。1ヶ月のファームステイのうち、最後10日ほどを一緒に過ごしたのだが、彼女が来てからがとても楽しかった。

家の用事を任されることが多かった私に対して、Cyrielは専ら外で庭の手入れなどをしていて、作業自体は別々だったけれど、一緒に朝食や昼食をとったり(夕食は家族全員)、夜はテレビを見て話したりした。彼女はステイ先の子供たちに振り回されている私をいつも助けてくれた。(ホントに大変な子供たちだったのだ。)Cyrielには、お世辞とか上辺だけの言葉はない。なんでもビシバシ考えを言うので、こっちもつきあいやすかった。何より、私のスタンスにあっていた。

ファーム先を出る日も、偶然同じ日だった。その日彼女は念願のホワイトアイランドに向かう。私は街まで彼女を送り、タウランガに向かった。残念ながら大雨だったけれど、彼女は最高の日を過ごしたようだった。

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I had stayed in farm for almost 1 month in NZ.My friends say if I say about farm, " Are there many sheep?".There were a lot of cattle there and only one sheep,named Remi.

I drove southeast from Auckland about 600km and got in Whakatane.I needed another 30 minutes driving from downtown to the farm.On the way to there,I worried about wheels of car because of unpaved road.
"....I came far apart Auckland..." I felt anxious and lonely after having droven alone between Auckland and Whakatane.No Japanese or friends were there.Everytime I try to do something,I am extreamely weak-kneed.On my first day in farm,I encouraged myself.

By the way,White Island which was shown on the TV program I watched on last Sunday is near Whakatane.The tour is held from Whakatane to White Island by ship.Many people come Whakatane for visiting that Island.
I heard it from farm coworker,Cyriel, from Netherlands.She came that farm about 3 weeks later than me.She was also one of travelers who want to go to White Island.

She had passion for that Island and told me about it...I surprised her by my unknowing about it.(Besides,she had known much things about NZ than me.)
Cyriel was massive and looks tough.Her English was no problem,in addition, I felt she had confident about her life.I had thought she was older than me... but only 23 years old !! she was also surprised by my age. I sighed that I was still unstable although I was not young and then she said to me. " No, you may be not young but your life hasn't finished."
I really enjoyed the last 10 days in farm as she came there.

She did work outside like weeding, against I did almost housework like cleaning room.But we had breakfast or lunch together and sometimes had a break at the same time.At night ,we (almost time:  Cyriel , father Roger and me ) watched TV with talking.
Then, she helped me to escape from their naughty kids.
Cyriel was straight person.It matched my thought about personality.

We left that farm on the same day by a coinsidence.On that day, she went to White Island.I dropped her off downtown and left for Tauranga.It was baddly rain but I heard that she had fantastic time there.


#Rotorua

2006-10-15 | New Zealand

今日とある番組でニュージーランド、ロトルアを見た。ニュージーランド北島の観光地ロトルアには、私も滞在中2度ほど訪れたことがある。街に入ると鼻を突く硫黄のにおい、湯煙。マオリ文化が色濃く残る温泉地だ。

温泉といっても、日本とは違って水着着用で入る。日本人的感覚からいうと、温泉というよりは温水プール。なので、男女一緒に楽しめる。私は女2人、男1人という構成で行ったけど、男がひとり寂しく温泉につかる、ということもなかった^^
しかし・・・温泉地に来ているのに、私たちは思った。「あ~温泉に入りたい!!」

それはともかく、温泉以外にもたくさんの見所のあるロトルア。美しく大きな湖。マオリショー、ファームショー、バンジージャンプなどなど。

テレビを見ながら、ロトルアの思い出にひたった夜だった。

ロトルアについては、私のニュージーランドでの戦友がもっと詳しく書いてます。私のブログにもブックマークでリンクしている人です。ぜひご一読あれ!
http://blog.goo.ne.jp/gogoozaki/e/fab977811b52c09a32e7c9137f859071

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I saw Rotorua in NZ on TV tonight. I have been there twice while in NZ.You can smell sulfurous and see steam rising from a hot spring when going into Rotorua.

There is a hot spring resort which lives a Maori culture. We need to put swim wear on when we take it although it is hot spring.Thank to it(wearing clothes), boys and girls can enjoy together.I also went there with Kaori and Manabu,and then he didn't have to go spa with lonely.(In Japan,we take hot spring without clothes so that men and women are into different area.)
We Japanese think it is not hot spring but hot water pool."Oh--,I want to go to hot spring!!" I thought it while in spa resort Rotorua.
Rotorua has many good place to visit in addition to spa. You can see beautiful and big lakes,Maori show and Farm show and then try a bungee jumping.^^
That TV program reminded me of memory in Rotorua trip tonight...


#Moon Festival

2006-10-06 | New Zealand

日本でいう十五夜、中国では中秋節といってお祝いをするようだ。ただ月を愛でておだんごを食べるだけじゃなく、親戚や友人と集まってその日を祝うという。
日本人の月見団子と違って、中秋節に食べる月餅への中国人のこだわりは強い。

昨年は、それが9月18日で、ちょうど日曜日だった。夜はチャイニーズレストランでお祝いしながら、月餅を食べ、家に帰るとフラットメイトがバイト先から持って帰ってきた月餅を食べた。食べたことがある人は知っていると思うが、しっかりとした甘さと重さでずっしりとくる月餅。その夜はおなかぱんぱんだった。

その日の昼間、チャイニーズスーパーマーケットへ月餅を買いに行ったら、すごいにぎわいだった。月餅を入れているパッケージも重要らしく、Samは念入りに選ぶ。ようやく買った後で別の店に入ると、また違うデザインのパッケージが。。。そっちの方が良かったらしく、とても悔しそうだった。(実際、そっちの方がいいなあと私も思った。)思わずもう1箱買いそうな勢いだったけど、思いとどまってくれた。
ニュージーランドのそこここにあるチャイニーズマーケットやレストランでは月餅がよく売れていたようだ。

今日、神戸に日帰りで行っていた母が、南京街で月餅を1コ買って来て、父と3人でわけて食べた。このくらいがちょうどいいかな・・・。

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The day of a full moon in Japan, Chinese celebrates a moon festival day.I heard they met relative and friends on that day ,not only eating Dango(Japanese cake) while seeing a moon.
And they treat moon-cakes more important than Japanese one.

Last year, it was on 18th of September on Sunday. At that night,I celebrated the day and ate a moon-cake in Chinese restaurant with Sam and then ate another moon-cake when I went back home.My flatmates brought it from restaurant they was working.If you know a moon-cake,you can imagine how I felt full at that night.It is yammy but quite sweet.

Daytime on that day,we went to Chinese Supermarket to get moon-cakes.I saw so many people being there.The package of it was quite important for Sam and he was eager in choosing it.After he bought it ,we found another design of package so that he looked to regret and to buy one more.(But didn't)
It seemed that most of Chinese Market in NZ was sold moon-cakes very much.

My mum went to Kobe for one day trip and bought one moon-cake.We three people shared one.It was enough.^^


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