八咫烏神社 ときどき社務の備忘録

旧大和國宇陀郡伊那佐村鎮座・八咫烏神社から発信。
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八つの塚

2008年10月04日 | ご由緒探訪
近ごろ、仕事の関係で
奈良県各地域の人々が自ら
「いっぺん自分たちの地元を見なおしてようや」
と、いろいろと頑張っておられる事例を
いくつか目の当たりにして、
僕はムラの構成員として
またムラの鎮守の代表として
なにかできることはないのだろうか、と
思いあぐねていました。

そんな、ある日。
我がムラにもちょっとした動きがありました。

八咫烏神社は高塚・池上・比布の
三ヵ大字からなるのですが
その宮元である高塚地域に昔からあったにもかかわらず
長らくほったらかしだった「塚」を
きれいに整備・保存していこうという機運が高まり
高塚のムラの有志が寄り合って
先日から道をつくったり杭で看板をたてたり
度々奉仕をしていました。

僕はといえば、これら寄り合いには
参加できたりできなかったりだったのですが
とても意義深い事だなあと思い
また
同じような時に同じような想いを
感じてはる人がいたんだなあと
とても嬉しくなりました。

ところで
高塚の「塚」の由緒は、実は詳らかでありません。
ムラの塚は全部で七つあり、
そのほとんどが早くから盗掘されているようですが
中には近年の発掘調査で
弥生時代中後期の溝や穴などの農耕あとや、
須恵器やガラス玉、木製農具などが出土した例もあるそうです。
それぞれに「弓張塚」「山伏塚」など
味わい深い呼称があって興味が尽きません。
また
口伝によると
八咫烏神社の本殿がまつられている小さな山も
昔「たけつの塚」と呼ばれていたという話もあって
これを合わせると高塚の「塚」は合計八つ。

「八」っていう数字、
なんだか偶然だと思えないのは、勘ぐりすぎでしょうか。