今回の台風の影響は津々浦々、
広範囲にわたっているようですね。
奈良県下においても
勤め先のある桜井市と住みかある宇陀市とでは
雨風の量がだいぶ違うように思われました。
奈良県は「国中(くんなか)」と呼ばれる平野部と
「山中(さんちゅう)」と呼ばれる中南部の山間部とに
大別されることがあるのですが
自然災害の少ないといわれる奈良県下にあって
おおむね山中のほうに被害がもたらされやすいようです。
今朝の我がお宮の境内も
一日中、雨風が強かったせいで荒れ模様でしたが
今のところ特に被害はないようです。
大風のせいでしょう。
大きな杉の枝が本殿へと続く石段下に落ちていましたが
間一髪、拝殿の屋根に落ちることは免れたようで
ホッとしました。
ところで、台風で思い出したのですが
ニュースなどで気象予報士が台風を呼ぶとき
「台風○○号」っていいますよね。
外国では「キャスリーン」だの「カトリーヌ」だの
人の名前をつけていて
一時期、日本でもそういう動きがあったものの
結局、定着しませんでした。
これってなぜなんだろうと
毎年、台風が来るたびに思い続けていたのですが
この問題に関しては
この際、とりあえず、自分なりに
結論づけることにしました。
それは
「国民性の違いである」。
あまりも平凡な答えですが、まあ聞いてください。
想像してください。
我々はいつ、何に名前をつけるのでしょう。
いつ→「子どもができたとき」「ペットを飼うとき」
何に→「子ども」「ペット」
では、それ以外では?
「自慢の愛車」「お気に入りの道具」などなど。
名づけることによって
ただの犬は家族の一員になり
ただの機械は人生の相棒になり
それ故に、それらとの別れは、とてもつらい。
なぜ「つらい」と感じるのか。
そこに愛があるからです。
つまり、
愛なき名づけは、ただの「あだ名」です。
そして、
思うに我々日本人がものに名をつけるとき
目に見えない何かを与えているような気がします。
あるいは
ものに名をつけることは
その対象に魂をさずける儀式のようであり
また、人格すら与えているようにも感じます。
ましてや日本はいわずと知れた
「八百萬神(やおよろづのかみ)」の坐す国。
恐ろしい力を見せつける台風にすら
神の姿を見出したことでしょう。
だから、僕たちにとって
甚大な被害をもたらす台風に
「あだ名」まがいの名前をつけることは
ちょっと納得がいかないし、まかりならん。
「腑に落ちない話」な訳です。
よって、それは
「国民性の違いである」。
…あくまで個人的見解による
地味な結論でした…。
広範囲にわたっているようですね。
奈良県下においても
勤め先のある桜井市と住みかある宇陀市とでは
雨風の量がだいぶ違うように思われました。
奈良県は「国中(くんなか)」と呼ばれる平野部と
「山中(さんちゅう)」と呼ばれる中南部の山間部とに
大別されることがあるのですが
自然災害の少ないといわれる奈良県下にあって
おおむね山中のほうに被害がもたらされやすいようです。
今朝の我がお宮の境内も
一日中、雨風が強かったせいで荒れ模様でしたが
今のところ特に被害はないようです。
大風のせいでしょう。
大きな杉の枝が本殿へと続く石段下に落ちていましたが
間一髪、拝殿の屋根に落ちることは免れたようで
ホッとしました。
ところで、台風で思い出したのですが
ニュースなどで気象予報士が台風を呼ぶとき
「台風○○号」っていいますよね。
外国では「キャスリーン」だの「カトリーヌ」だの
人の名前をつけていて
一時期、日本でもそういう動きがあったものの
結局、定着しませんでした。
これってなぜなんだろうと
毎年、台風が来るたびに思い続けていたのですが
この問題に関しては
この際、とりあえず、自分なりに
結論づけることにしました。
それは
「国民性の違いである」。
あまりも平凡な答えですが、まあ聞いてください。
想像してください。
我々はいつ、何に名前をつけるのでしょう。
いつ→「子どもができたとき」「ペットを飼うとき」
何に→「子ども」「ペット」
では、それ以外では?
「自慢の愛車」「お気に入りの道具」などなど。
名づけることによって
ただの犬は家族の一員になり
ただの機械は人生の相棒になり
それ故に、それらとの別れは、とてもつらい。
なぜ「つらい」と感じるのか。
そこに愛があるからです。
つまり、
愛なき名づけは、ただの「あだ名」です。
そして、
思うに我々日本人がものに名をつけるとき
目に見えない何かを与えているような気がします。
あるいは
ものに名をつけることは
その対象に魂をさずける儀式のようであり
また、人格すら与えているようにも感じます。
ましてや日本はいわずと知れた
「八百萬神(やおよろづのかみ)」の坐す国。
恐ろしい力を見せつける台風にすら
神の姿を見出したことでしょう。
だから、僕たちにとって
甚大な被害をもたらす台風に
「あだ名」まがいの名前をつけることは
ちょっと納得がいかないし、まかりならん。
「腑に落ちない話」な訳です。
よって、それは
「国民性の違いである」。
…あくまで個人的見解による
地味な結論でした…。