My ordinary days

ようこそいらっしゃいました!
ふと思い立ち第2のキャリアを始めてしまった、流されがちなひとの日々を綴るブログです

音読・音楽祭に行ってきまして。

2010-11-24 09:08:58 | 日記
先週の土曜日小学校が全校公開日で、その前半は児童の音読・音楽会でした。
5年生は合奏「威風堂々」(次男くんはビブラフォンたたいてた)、4年生は地区の小中学校が集まる音楽祭でご披露した(毎年4年生が出演)「広い世界へ」を熱唱(?)。群読はあまんきみこ作「白い帽子」一番初めの数行を長女ちゃんが暗唱。

やー 子どもの歌声はよいです。1年生は1年生なりの、6年生は6年生なりの良さがある。
低学年の子の声、「ええっ、コレファルセットデナクウタエルノ??!」な高い声でもう体育館に響き渡ること。子どもが頑張ってる姿には弱いのです・・・すぐ涙ぐむ私。
歳をとると涙腺が弱くなってきますからね・・・・。

音読は自分の理解のために自分自身に読み聞かすもの、朗読は他者に向かって伝達を図るもの、
そして群読ですが・・・言葉自体、そう聞きなれたものでもない・・私が子供のころにはやっていなかったような気がします。複数で朗読すること・・?
なんというかパワーのある朗読です。

10年くらい前か NHKのドラマで恩田陸作の「七番目の小夜子」がやっていた。中学生が主人公のミステリアスな青春物語。・・・だいぶ原作と違っていますが鈴木杏と栗山千晶が主役。
彼女たちが通う中学校の文化祭で全校生徒での群読のシーンがあり中盤の一つのクライマックスのシーンでもありました。
暗く狭い体育館の中、謎めいた文章が読み上げられその場にいた全員の緊張感が最高潮に至った瞬間、突然に・・・ おお 文章の力、群読の力である種の集団ヒステリーを作り出すことも可なのね~・・・もちろん、お話の中のできごことなのですが
・・・と、ここで初めて群読という言葉を聞いたのだと思うなぁ。

唱和とはまた違うのですが・・。
暗唱、吟唱 平安の時代にはすでに和歌や漢詩を暗唱することが教養の一部として大切なこととされていましたね。

ついでにいま調べたのをメモ代わりに貼っておく。
チャント:
チャント(chant) とは、一定のリズムと節を持った、祈りを捧げる様式を意味する古フランス語に由来する言葉。原始的なチャントは2-3音程度の単純な音程の繰り返しで構成されるが、グレゴリオ聖歌のように非常に複雑な音楽構造を有するものもチャントと呼ばれる。世界各地にさまざまな形のチャントが存在し、それぞれの国や地域独特の音階や音楽の源流となっている。その意味においては、日本古来の祝詞や和歌、詩吟、雅楽、おもろ、仏教における読経や真言、念仏、題目などもチャントの一種であると考えられる。

日本語では一般に詠唱、唱和などと訳され、フラで用いられるハワイアン・チャントなどが知られるほか、サッカーやプロレスなどの応援で声を合わせて反復される掛け声や応援歌のこともチャントと呼ばれている。




声の力はすごい。宗教などの場においてもすごく効果的に使われているのではないかな。意図してやっているのかどうかは知りませんが。
読経でも祈祷でも、人間の声が重なって響きあうことによって場の空気が動くような感じがします。場の空気が動けば必然的にその場にいる人のココロも動く。

良きほうに動くことばかりではなくて、使いようによっては「小夜子」の1シーンのように 恐怖 方向に動かされることだって・・・芸術にも凶器にもなるということか
耳からの情報も軽んずべからず、ってことね。


群読もそうですし 声に出すこと その声を自分の脳に届かせることについてはひっかかりがあって(カンタンにいえば興味がある)
しっかり意識して語る言葉は脳に刻まれるような感覚を覚えます。

別途まとめてみよう・・。