My ordinary days

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ふと思い立ち第2のキャリアを始めてしまった、流されがちなひとの日々を綴るブログです

「ケルト神話と中世騎士物語」

2011-06-01 14:50:31 | 読書
(昨日の続き)そう 本。読書です。
なかなか時間が取れませんが~のろのろと読んではおります。猫に引っ掻かれながら。

普段新書はあまり時間かからずに読めるのだけど、昨日の記事の通りの状態ゆえとぎれとぎれに、それでもおもしろく読みました。

「ケルト神話と中世騎士物語」田中仁彦著 中公新書刊 

古代ヨーロッパを支配していたケルト人の信仰をもとにした神話の数々がアイルランドに残されています。その神話にキリスト教が入り込み物語の変容があり、そこからまた中世の騎士物語へ繋がっていくのですが、この本ではその中でも「他界」・・・死後赴く場所、この世ではない異界・・・を旅するケルト人の物語が後世にどのように受け継がれていったのかを読み説いていきます。
泉の底や地底、水平線の向こうなど様々な場所を「他界」と想定していますが、生きている普通の人間には行けない場所であり限られた英雄や聖者でなければ到達できない所ですからそこに向かう物語はそうした人々の旅の冒険譚の形をとるのですね。

ケルト宗教がキリスト教との習合により姿を変えてゆき(キリスト教は大きな抵抗もなくケルト人に受け入れられたようでした。ケルトの信仰と重なりあうことの多い東方キリスト教が伝えられたからとも言われています)、またその時代によりさまざまに姿を変えて物語の中に生き続けるケルトの大地母神。そして他界の姿。モチーフを同じくしても解釈が異なったり、時代が上がるにつて洗練してきたりとおもしろい。仇討の旅が地上の楽園を求める旅に変わったり・・・もう全然違うみたい?? 
しかし根底の物語はケルトの神話そのままなのです。

物語の筋を追っていくだけでもおもしろかったのですが、最後の数ページが興味深かったです。ユング心理学にある通り、こうしたう神話物語はホント人の無意識世界が元型となっているのでしょうね。この本でもそのことに言及しています。
数々の冒険譚中に起こる出来事は自らの無意識世界に下降していく冒険であり古い古い史実の伝承であり、ケルト人の 人生の旅 を表現したもの。






あとがきに紹介されていた思想家シモ-ヌ・ヴェーユのある修道士に宛てた書簡より:
「十字架の聖ヨハネは、真理は黄金であるのに対して、信仰は銀の反映にすぎないという譬喩を用いています。さまざまある宗教の伝承はすべて、同一の真理の異なったさまざまな反映であり、おそらくその貴重さは同じです。ところがこのことが理解されていません。各人はこれらの伝承の中の一つだけを生きており、その他の伝承は外側から目にするからです。」

人の「集合的無意識」と「神の真理」。
ものすごく近しいところにあるような気がします。