藤谷治「船に乗れ!」。全三巻読了。
本を読むのが止まらない~・・・おもしろい本だと、没頭しちゃうんだよね。なにも聞こえないー。なにもやらないー。家族の迷惑ー。そして寝不足・・・
音楽青春小説、というのでしょうか。
音楽一家に生まれた高校生津島サトルの高校時代の物語を、何十年後かはわかりませんが大人になってしまった津島サトルが回想しています。
第一志望の高校に落ち祖父の運営する私立高の音楽科に進学した主人公サトル。甘くほろ苦い青春の日々・・・過ぎ去った日を単純に回想している・・・、というものではないような。大人になり、今の今まで思い返したくなかったことを意を決して振り返り・・。ああ、イタイっ。若いって恥ずかしいっきゃー!いろいろな伏線が貼られ、それがどういうことだったのか・将来的にどういう意味を持つことになるのか、先を知っている自分自身がみている状態なのですね。
回想に入る前の、「マドレーヌを… ってこれはわからなかったけれどきっと何かの小説の一部なんだろうな、「ボーイング747の中でノルゥエーの森が聴こえてきたりはしなかった」・・・ってくだりがありまして。ははは。回想小説というくくりがあるならば、そういえばあれもそうですね^^
とりあえず一巻目では、自意識過剰な少年サトルが高校入学後の一年間をどんなふうに過ごしたのか。友達と出会い、恋をし、チェロのレッスンに明けくれ・・・。そんな日々が描かれています。音楽科の高校なので音楽に関する話が目白押し、けれど音楽の話と同一またはそれ以上に目をひくのが哲学に関する記述です。サトルはニーチェだのヘーゲルだのを読むことをカッコいいことと思っている、から読んでいます。大人のサトルがそう言い切っているので間違いありませんが、当時のサトルはそこまで意識していたかどうかは?
小難しい哲学の本などを小学生のときから読むサトル・・・ページを繰ってはいたのですが本当の意味で自分の血肉になるような読書をしていたわけではありません。
そういう感覚もわかるよ~わかります・・・いわゆる背伸びですね^^読書だけではなくたって、そうしたことに覚えのない大人もいないのではないか??高校生なんてそんなもんでしょう、私だってわけもわからず小難しい本を図書館から借りまくっていたさ、黒歴史というやつです キャー恥ずかしい。
まあそうした本が好き、というところから、サトルは倫理社会で哲学の先っぽを教えている先生と個人的に話をするようになり親しくなっていくのですが
二巻では一年生の終わりから二年生の終わりまでの一年を、そして三巻で三年生の一年を・・・詳細は控えますが、自分が傷つき、人を傷つけ、サトルは音楽への道に進む情熱を失っていきます。
人それぞれにいろいろな思い出があり青春時代がありますが、総じて楽しいだけのものではなく、今が成熟しているわけでもありませんがすべてにおいて未熟なのに本人的にはすっかり大人としてできあがっているような勘違いをしているという、後に考えてみると非常に気恥ずかしい年代、というのはなにも小説の主人公だけに限ったことではないでしょう。
思い返して「いたたたた」、となる思い出を抱えながら その痛い自分の連続体としての自分。ずっと後からの回想なので、その時こうすべきだったけれども思い至らなかったなど後悔のの記述もでてきますが、
小説のポイントとなる大きな二つの出来事:
自分が傷ついたことへの心の落としどころを「愛」の中に見出したこと。
そして傷ついたことよりもさらに振り返ることが難しかった人を傷つけたことをどう自分の中に落としこんでいくかということ。(こちらは振り返ってみてもそれで心が晴れることはなく、ただただ人を傷つけた(しかも悪意をもって)ことの重さが残りますが)
これらをサトルの痛みを感じつつ自分の中の痛みを、そして落としどころを感じながら読む・・・そんなのもありでしょう。
小説の大枠には関係ありませんが、音楽科の高校ですからいろいろな曲や作曲家らの名前がでてきます。文化祭で発表する曲であったりオケの定演の曲であったり・・・
細かな楽器や音楽技法についてはわかりませんが、わかる方には この曲をここで?とか 高校生には難度が高いのでは?とか、通な楽しみ方もできるかもしれません。
また、哲学の話も楽しめます。ある意味、この小説のキモになる部分ですのでじっくり読むことをお勧めします。
しかし、若い。痛い。そこがせーしゅんの(←「青春」・・・ああなんて恥ずかしい名詞でしょう~)よいところでもあるけれど、さてこの小説、書き手である回想をしているサトルの年代で読むのと回想されている高校生サトルくらいの年代で読むのとではだいぶ印象が違うかもしれないなあ。
・・・・と思って、長男くんのラノベがずらっと並んでいる本棚に置いているのですが
ちっともあやつが読んだ形跡がない。
・・・・・・。
本を読むのが止まらない~・・・おもしろい本だと、没頭しちゃうんだよね。なにも聞こえないー。なにもやらないー。家族の迷惑ー。そして寝不足・・・
音楽青春小説、というのでしょうか。
音楽一家に生まれた高校生津島サトルの高校時代の物語を、何十年後かはわかりませんが大人になってしまった津島サトルが回想しています。
第一志望の高校に落ち祖父の運営する私立高の音楽科に進学した主人公サトル。甘くほろ苦い青春の日々・・・過ぎ去った日を単純に回想している・・・、というものではないような。大人になり、今の今まで思い返したくなかったことを意を決して振り返り・・。ああ、イタイっ。若いって恥ずかしいっきゃー!いろいろな伏線が貼られ、それがどういうことだったのか・将来的にどういう意味を持つことになるのか、先を知っている自分自身がみている状態なのですね。
回想に入る前の、「マドレーヌを… ってこれはわからなかったけれどきっと何かの小説の一部なんだろうな、「ボーイング747の中でノルゥエーの森が聴こえてきたりはしなかった」・・・ってくだりがありまして。ははは。回想小説というくくりがあるならば、そういえばあれもそうですね^^
とりあえず一巻目では、自意識過剰な少年サトルが高校入学後の一年間をどんなふうに過ごしたのか。友達と出会い、恋をし、チェロのレッスンに明けくれ・・・。そんな日々が描かれています。音楽科の高校なので音楽に関する話が目白押し、けれど音楽の話と同一またはそれ以上に目をひくのが哲学に関する記述です。サトルはニーチェだのヘーゲルだのを読むことをカッコいいことと思っている、から読んでいます。大人のサトルがそう言い切っているので間違いありませんが、当時のサトルはそこまで意識していたかどうかは?
小難しい哲学の本などを小学生のときから読むサトル・・・ページを繰ってはいたのですが本当の意味で自分の血肉になるような読書をしていたわけではありません。
そういう感覚もわかるよ~わかります・・・いわゆる背伸びですね^^読書だけではなくたって、そうしたことに覚えのない大人もいないのではないか??高校生なんてそんなもんでしょう、私だってわけもわからず小難しい本を図書館から借りまくっていたさ、黒歴史というやつです キャー恥ずかしい。
まあそうした本が好き、というところから、サトルは倫理社会で哲学の先っぽを教えている先生と個人的に話をするようになり親しくなっていくのですが
二巻では一年生の終わりから二年生の終わりまでの一年を、そして三巻で三年生の一年を・・・詳細は控えますが、自分が傷つき、人を傷つけ、サトルは音楽への道に進む情熱を失っていきます。
人それぞれにいろいろな思い出があり青春時代がありますが、総じて楽しいだけのものではなく、今が成熟しているわけでもありませんがすべてにおいて未熟なのに本人的にはすっかり大人としてできあがっているような勘違いをしているという、後に考えてみると非常に気恥ずかしい年代、というのはなにも小説の主人公だけに限ったことではないでしょう。
思い返して「いたたたた」、となる思い出を抱えながら その痛い自分の連続体としての自分。ずっと後からの回想なので、その時こうすべきだったけれども思い至らなかったなど後悔のの記述もでてきますが、
小説のポイントとなる大きな二つの出来事:
自分が傷ついたことへの心の落としどころを「愛」の中に見出したこと。
そして傷ついたことよりもさらに振り返ることが難しかった人を傷つけたことをどう自分の中に落としこんでいくかということ。(こちらは振り返ってみてもそれで心が晴れることはなく、ただただ人を傷つけた(しかも悪意をもって)ことの重さが残りますが)
これらをサトルの痛みを感じつつ自分の中の痛みを、そして落としどころを感じながら読む・・・そんなのもありでしょう。
小説の大枠には関係ありませんが、音楽科の高校ですからいろいろな曲や作曲家らの名前がでてきます。文化祭で発表する曲であったりオケの定演の曲であったり・・・
細かな楽器や音楽技法についてはわかりませんが、わかる方には この曲をここで?とか 高校生には難度が高いのでは?とか、通な楽しみ方もできるかもしれません。
また、哲学の話も楽しめます。ある意味、この小説のキモになる部分ですのでじっくり読むことをお勧めします。
しかし、若い。痛い。そこがせーしゅんの(←「青春」・・・ああなんて恥ずかしい名詞でしょう~)よいところでもあるけれど、さてこの小説、書き手である回想をしているサトルの年代で読むのと回想されている高校生サトルくらいの年代で読むのとではだいぶ印象が違うかもしれないなあ。
・・・・と思って、長男くんのラノベがずらっと並んでいる本棚に置いているのですが
ちっともあやつが読んだ形跡がない。
・・・・・・。