健康長寿の窓口 (タロー8の脳腫瘍闘病記改め)

2009年に乏突起神経膠腫の手術を受け15年が経過したことを機にブログをリニューアル、健康長寿の情報を発信していきます。

復活

2009-06-14 08:57:17 | インポート
昨夜調子を崩していた同室の患者さんは、今朝は食事をして歩いておられました。良かった、良かった。悪いことばかりではありません。


石田衣良の約束、他、短編集を読みました。この時期に読むべきものだったのか。。。泣きたいときに読むものと書いてありますが。。。 確かにそうです。泣けます。


でも、たくさん泣いたあとは、明日を生きる勇気が戻っているはず。(解説:北川次郎)


読んで良かった。


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きっとまたいつか

2009-06-14 07:48:12 | インポート
今日も透き通る光が朝を運んできました。


今日はずっと一緒に過ごしてきた右脳君と最後の日なので、ちょっと振り返ってみたいと思います。


ずっと楽しかったね あの頃まわりのすべてが やさしくいつも僕らを包んでいるように見えた


小学校。夏休みの宿題で、火星の動きを毎夜観察。 ちょっと身体が弱くてよく学校を休んだけど、でもみんなが助けてくれた。 中学校。夏休みの宿題で発明協会教育賞受賞、今も知的財産を生み出すのが仕事です。残った右脳君も、頑張ってね。 この頃に知り合った友人が今も一緒、私は幸せです。 高校。とにかく楽しかった。生徒会。ライブ。恋。友。3年じゃ語りきれない。 大学。楽しいけど、より現実。体力。論理。アルコール。失恋。 就職。現実。失敗と成功。後輩の笑顔。不安。 結婚。充実。安心。糧。未来。

そして現在、 振り返れば本当にラッキーでした。今でも最初に近所の脳外科へ行った時のことをビデオカメラで再生しているかのように鮮明に覚えています。

頭痛とともに頭皮に炎症があったので最初に皮膚科へ行ったら、頭痛のことは無視されたので、RXー8の運転席に座って、さぁ、どうする、帰るか、いや、普段行き慣れている病院へ行くか、頭痛だから脳外科へ行ってみるか、もし脳腫瘍とかだったらどうしよう、まぁ、そんなことにはならないだろう、偏頭痛だろうから、いつものところで良いか、などといろんなことを考えてエンジンのキーを回し、取りあえず行きなれている病院を目指しました。

その病院直前で何となく胸騒ぎがして通り過ぎ、ハンドルは脳神経外科へ向いていました。胸はドキドキ、脳神経外科へ行くのは初体験ですから。 ここで運命は決まってしまったんです。小雨だったのを記憶しています。

腫瘍は画像上は4.5cm(実際に開けてみるとその周辺まで伸びているかも)まで成長はしていますが、もっと大きくなって、何か症状が出て見つかることが多いようです。そうなると、治療も難しくなります。だから私はラッキーなのです。 5年生存率のことを主治医に聞いたら、答えてくれませんでした。グリちゃんの種類が200種類もある上、生きている以上100%だからって。やっぱり。。。 ラッキーなんだから、考えなくていいんです。ダイジョウブなんです。


ダイジョウブ

そう、手術中はずっと、小田和正さんの「ダイジョウブ」を口ずさんでいようと思います。みんなの笑顔を思い浮かべながら。


そう、きっとダイジョウブ


全身麻酔だけど。。。(^_^;)



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