さて、退院した経緯は以下のようになります。
一昨日の夕方に病院に戻り、旧友Nさんと再会し、喧騒とした病院の眠れない夜を過ごし、放射線治療科の”召集令状”を看護師さんから受け取って万全の臨戦体制で放射線治療医のカンファレンスを受けに行きました。
最初に若い女医さんの問診を受けた後(その女医さんの導き方が上手なのか、私が女医さんに弱いのか、多分、医学的にはどうでもいいと思われるような細かいことまで話ましたが、全てメモされていました)、以下、担当専門医のお話です。
基本的には脳神経外科の主治医とのカンファレンスと同じ話です。放射線治療によっておきる可能性がある副作用として脱毛がありますが、40歳代の私の場合、十分に発育しない可能性ありますねと。それから私の頭皮を見て、経験的に無理だろうね、という顔をされました。(まぁ、もともと薄くなっていたから、良いんです)その他に起こる症状としての皮膚炎は、海水浴に行った後の日焼けを想像してください、と。
その他、IMRTとか、ガンマナイフなどの質問をし、それらの機器を備えた施設と紹介についてもお話してくださいました。
一番の関心は、私の残された乏突起神経膠腫が完治するかどうかなのですが、主治医と同様、はっきりしません。
元々が”比較的良性”とされるものであるし、症例数が少ないためかもしれませんが、グレード2で放射線治療とテモダール(化学療法)を組み合わせて、はっきりと治ります、と言い切れない、でも、放っておくと、良くない、主治医の言われる「悩ましい」ものなのです。
先生の説明は一旦終わり、では、実際にどのように放射線治療を行なうのかビデオを見てもらいましょう、と言われて、リニアック(ライナック)と言われる実際に治療を行なう別の部屋へ連れて行かれて、5分くらいのビデオを見せていただきました。
しかしこのリニアックの部屋の待合室は、脳腫瘍だけではなく、様々な腫瘍と闘っている”最前線の患者さん(小学5年生くらいの子供さんも)”が居らして、少し異様な雰囲気でした。ここを通っただけで、「ああ、私は癌患者なんだ」という意識がキョーレツに植え付けられました。ビデオを見てください、と言うのは口実で、この待合室を通ることは目的ではなかったのか、と思います。
それから約10分、この10分が決意するのに必要なビミョーな味付けです。
再び放射線専門医と対面。私自ら、自分の症状の問題点と今後の方針を確認させてもらい、放射線治療(+テモダール)を受けたい旨を告げました。
そして、「では、先生、これから具体的にどんなスケジュールになるのですか?」
先生曰く、「ココは今、機械の入れ替え時期にあたっていまして、7月13日くらいから治療を開始することができます。ですから、7月8日にCTを撮って腫瘍の正確な位置を測定するとともに頭を固定するお面の型を取ります。これは通院で構いません。13日から入院ということで良いです。それまではやることもないので、今週中に一旦は退院ということで良いのではないでしょうか。」
あれれっ、今日から治療のはず?、って。んん??
先生との話が終わって看護師さんが、次は7月8日の14時の予約ですが、通院ですか?と聞かれるので、ハイ、と答えると、書類を作成しようとして、
「あなたの場合は入院中なので、病棟の方から前日に連絡が行くことになります」と。
「ちょっと待ってください、今、退院することになるって言われたんですが。。。」
「あれ?」
と言うことで、無事に、通院用の予約カードを作成していただいてその場を後にしました。
お互いがお互いに急な展開だったので、混乱してしまいました。
時計を見ると11時半。少しお腹も空いてきた。
頭が混乱してきている。。。
取り合えず、病室へ戻ってお昼を食べよう。。。
昼食をご馳走様して、看護師さんに放射線科で退院ても良いのではないかと言われた旨を告げ、そこから脳神経外科の担当医の許可が下り、退院ということになりました。
奥様は会社で迎えに来てもらうには時間がかかりますので、姉に頼んで来て貰いました。
荷物をまとめているとき、薬剤師さんがやってきて、抗てんかん薬(けいれんを抑える薬)の説明をされました。何か質問は?
毎朝晩服用ということで、飲み忘れないように服用チェック表を作成しました。
と言ったら、素晴らしいですねー、と。参考にしてね、薬剤師さん!
それから、「あのー、風邪をひいた時に、抗菌剤のキノロンを処方されることがあるんですけど、抗てんかん薬を飲んでいるということは痙攣が起きやすいということですよね、ということは、キノロン系抗菌剤は出来るだけ避けてセファロ系に処方を変えてもらった方が良いのでしょうか?」
「そうですね、お医者さんは気づかない場合もあると思いますので、その旨伝えた方が良いです」と。。。。
私も、私のような患者がキノロン系が痙攣を起こしやすいかどうかの症例があるかどうかを知りたいとかではなく、あくまでも可能性として話しているだけのことなので、危うきは近寄らずで良いのはないかと思います。
荷物をまとめ、少し時間が余ったので、奥様から病院に居る間に院内理髪店で散髪しておいた方が良いと提案があり、思い切って行ってきました。
理髪店の椅子に腰掛け、フゥー、と一呼吸して、
「2週間前に手術して、今日、今から退院なんですけど、夏になって暑いから短くしたいし、傷跡目立たないようにしたいし、先生は、傷跡は目立たないように髪で隠せば良いとおっしゃるんですけど、今のままでは、反って目立つような、どうしたらよいでしょうか、2週間後には放射線が始まってどうせ毛が抜けるんだし、それに、看護師さんは、家の近所の散髪屋さんでもちゃんとやってくれるよ、とは言ってくれるんですけど、やっぱり、怖いですよね、だから、退院の前に、ココでキレイにしてもらった方が良いと思って来たんです」
と、一気に話しました。
そしたら、若い店員さんは奥の方にいたベテランさんをチラッと見て、ベテランさん
「ココにはそういう人がたくさん来るからねぇ、もう、手術痕の辺りはだいぶ毛が生えてきてるじゃない、じゃ、いっそのこと丸坊主よ、そうしなよ、さっぱりするよ」
私よりも、若店員さんが一瞬引いている。ベテランさん続く。
「じゃ、最初に7mmやってみて、よさそうなら5mmでどう?」
ということで、バリカン刈りが始まる。
最初に傷付近を中心にバッサリ。
「どう?」
「いいと思います」
「でしょう。じゃ5mmで続けて」
私よりも若店員さんがちょっとウルルン状態でありましたので、私が「いや、さっぱりして良かったですよ。それに毛が長かった時は、中途半端に手術の痕が見えてたし、カサブタがフケのように髪に絡まって汚かったですから、この方がキレイです。」と言ってあげました。
とは言え、私は2週間後に始まる放射線治療でツルッパゲになることを想像すると、出てくる涙を抑えるのに必死でした。
ベテランさん、勝ち誇ったような満足げな顔。
こうして丸坊主初体験を終え、病室へ戻り、姉の到着を待って、退院手続きをして、大雨の中、自宅へ戻りました。
主治医に挨拶をしないで退院してきたことに悔いが残りつつも、2週間後には再入院するしなぁと変な開き直り。
ところが、自宅に戻って21時過ぎに病院の主治医から、今日の退院の経緯、すなわち放射線治療開始が2週間後になったことを詫びるとともに、現在の体調を尋ねる電話がかかってきました。
今日はオペの日?当直の日?どこまで丁寧な先生なんだ!それに比べて私は、先生にお礼の一言も言わずに帰ってきてしまった。ああ、なんて恥ずかしい。
まだ完治、という訳ではないですが、10時間という手術を終えて2週間で退院というのは思っても見なかったです。
今ここにいるのは、多くの方の応援があってのこと、本当にみんなありがとう。そして、これからもよろしく。
まだまだ、闘いは続くから。長く続くから。
乏突起神経膠腫の全摘での5年生存率は平均で82%という数字。以前に、確率は数字は数字、生きていれば100%、ということを書きましたが、何であれ5年生存率は100%であって欲しい。これからは残された腫瘍との闘い、何としても100%にしておきたいから。応援よろしくお願いします。