健康長寿の窓口 (タロー8の脳腫瘍闘病記改め)

2009年に乏突起神経膠腫の手術を受け15年が経過したことを機にブログをリニューアル、健康長寿の情報を発信していきます。

MRI終了

2009-08-06 18:11:06 | インポート
15時40分、MRIに呼ばれて検査をしてきました。今日の検査目的は放射線治療が半分終了したということで脳の状態を見る、ということになっていますが、放射線科の先生もおっしゃっていましたが、途中でみても変化が見られることはまずないらしいので、本当の目的は右のコメカミ付近を中心とした腫れをMRIで見る、ついでに脳の状態も見ることができればというものです。


「今日は20分くらいで終わりますね」と男性技師さんが言うと、「それって、私にプレッシャーかけてるの?」と女性技師さん。 どっちでも良いですけど、安全に終わってね。 まずは耳栓をして普通に測定しました。昼食後から右コメカミ痛がひどくなってロキソニンを飲んでいたためか、それとも昨夜あまり眠れなかったためか、測定中に居眠りしてしまいました。


次に看護師さんがガドリニウム注射をして再度測定開始です。今度は寝ずに起きていました。 私の検査の前後は小さい子供さんでした。小さな子がMRIの、あのガンガンガンとうるさい中で30分近く固定されて検査を受けるのは心が痛みます。 検査が終了し、トボトボと歩いて部屋に戻ると16時20分。さて、結果はどうなるのでしょうか。

ちなみにMRIはmagnetic resonance imagingの略。水素の原子核の状態を見るもので、かつてはNMR-CT (nuclear magnetic resonance - computed tomography:核磁気共鳴コンピューター断層撮影)と呼ばれていました。この”核”という言い方が原爆を連想させるということでMRIという名前に変わっていったという経緯があります。手塚治虫さんの代表作、鉄腕アトムも、英語名はatomが原爆をイメージするからastro boyですね。8月6日なのでついでに。


例によって、土日は外泊許可が下りています。今回は月曜の朝、10時までに病院へ戻ってくる予定です。


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8月6日

2009-08-06 07:57:34 | インポート
今日、この日を、この場所で迎えることになるとは思ってもみませんでした。ココからは”あの日”父が被爆した場所付近が見えます。おそらく数キロメートル先の距離だと思います。小さい頃はTV中継で平和記念式典を見る、就職後は職場で”あの時間”を迎える、というものでした。間もなく”あの時間”を迎えます。 父に”あの日”のことを聞いたのはいつ頃だったか覚えていませんが、小学校の課題か何かがあって体験談を尋ねた時だったと思います。 父は大学(当時は工業専門学校)へ登校したばかりのところでピカドンと来て、思わず机の下に潜り込んで、爆風で周りのものが落ちてきても大事には至らなかったそうです。父の同級生の中にはその場で亡くなられた方もいらっしゃると思います。父はそれから一晩かけて家まで歩いて帰ったということです。 この話も、何故か祖母に聞いたような記憶もあり、今となっては確かめようもありません。ただ確かなことは、父が被爆者であり、原爆手帳を持っていたこと、おそらくその後遺症かもしれない高血圧症に悩まされ続けていたこと、5年くらい前に原爆死没者名簿に父の名前があることを確認したことです。 式典中継では毎年、「今日も”あの日”と同じように真夏の暑い太陽が照りつけています」と同じ台詞を繰り返すくらい不思議と”この日”は晴れますが、今日は台風8号の影響かどんよりとした厚い雲に覆われています。でも、蒸し暑いようです。


海の向こうでは、クリントン元米大統領が金正日総書記と会談し、オバマ大統領のメッセージを伝えたとの報道がありました。 広島市の秋葉市長が核廃絶を目指して、オバマジョリティという言葉を広めようと様々な努力をされています。 クリントン氏の行動はまさにオバマジョリティの一つであったように思います。 もっとオバマジョリティの輪が広がって行けば良いと思います。 明日はきっと変わる、変わっていくのです。 (クリントン氏は核問題だけではなく拉致問題にも言及したとか、日本の政治家はいったい何をやっているのでしょうか)


12時には放射線治療を受けてきますが、”特別な日”にあたり、”放射線”を照射されるのはいつもとは違う複雑な思いです。 私がリニアック治療を受けている背景には、放射性物質を発見、精製し、1903年に夫とともにノーベル物理学賞、1911年に単独でノーベル化学賞を受賞、その研究のために白血病の犠牲となってしまったキュリー夫人という偉大な科学者の存在があることを忘れてはいけないのです。 そして、人類が放射性物質の誤った使い方をしてしまった1945年8月6日8時15分を忘れてはいけないのです。 科学(science)は良心(conscience)の元に使われるべきだということも。


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