下松市と周南市の境界 ❝西谷の岡❞ に一等三角点(561.06m)が在る。三角測量を行う時に地表に埋定された基準点となるもので山口県内に16か所ある。この岡のふもとの西谷集落は過疎化が進み、現在2戸3人になった。西平谷の清流を守る会の定例行事に参加した。一等三角点から少し西に杉ケ峠防空砲台、鷹ノ泊山照聴所跡もあり、後世に伝えていく維持活動である。会員は、この地で生まれた仲間24名、高齢化する中で7名の参加であった。
下松市と周南市の境界 ❝西谷の岡❞ に一等三角点(561.06m)が在る。三角測量を行う時に地表に埋定された基準点となるもので山口県内に16か所ある。この岡のふもとの西谷集落は過疎化が進み、現在2戸3人になった。西平谷の清流を守る会の定例行事に参加した。一等三角点から少し西に杉ケ峠防空砲台、鷹ノ泊山照聴所跡もあり、後世に伝えていく維持活動である。会員は、この地で生まれた仲間24名、高齢化する中で7名の参加であった。
現在は機械化が進み、短時間で大量の脱穀作業ができる。私の小さい頃には、田の中の任意の場所に担いで移動し、その場で発動機を動力に胴を回転させる脱穀機があった。当時は高価なものであったのか隣近所の何軒かで購入し、順番を決めお互いに寄り合い助け合い(手間替え)数日間をかけて稲こぎをしていた。稲束の根元を掴み回転する機械で穂先の籾を採る。ハゼに掛け乾燥させた稲束を機械の所まで運ぶ、籾を落とした藁束を嚢にする手伝いをしたのも、もう50年も前のことである。
この脱穀機が出回る前に活躍していたのが足踏み式脱穀機である。ハイベスター、コンバインにしても、このシンプルな脱穀の方法は代わらない。実際にこれで稲をこいでいるところは見た記憶が無いが麦や大豆、蕎には使っていた。最近蕎を植え、収穫して自分でうつ人が増えた。蕎の茎は柔らかく今時の機械ではなかなか上手くできないから、人力で力の加減ができる足踏み式脱穀機が重宝されている。
先日、古い機械を譲り受けた、昭和の始め頃に製作されたもののようだ、あちこちにガタが有り、虫くいや腐りも進んでいるのだが、胴の部分は金具もしっかりしておりリニューアルに挑戦した。寝正月を返上しコツコツとすこしづつ1週間かけて完成した。
寸法を記録しながら解体していくと、「なるほど」と感心する配慮がなされている。台唐も同じように組み立てる手順や寸法等道具としての使い勝手の良い先人の技が随所に現れていて、それを学びとることが物を造る楽しみであり夢中にさせてくれる。
今年も残り少なくなりましたね…そんな時節になりました。お正月にはお餅がつきもの、今はスーパーで一年中いつでも買うことができます、昭和の中頃までは各家庭で正月餅や寒餅を搗いておりました。平餅は水を入れた瓶で保存し、きな粉餅にして食べていました。寒餅は朝早くから夕方近くまで家族総出で10臼ぐらい台唐と言う足踏みの道具で搗いておりました。かき餅はもろぶたに入れて少し固くなった頃に祖母や母が夜なべに切って藁に挟んで吊り下げて乾燥させ、油で揚げたり焼いたりしておやつにしていた。今もイベントなどで見かけるとついつい懐かしく手がでます。美味しいですよね!
知人から台唐を作り替えて欲しいと頼まれ、準備に取りかかり半年過ぎてできあがった。杵にする山椿の太いもの(4寸角が取れる位)がなく、また乾燥するのに時間を要した。実は乾燥に失敗したのである。表皮を剥いで乾燥したら大きな亀裂が入り使い物にならなくなった、その枝木は表皮を剥がさずにおいていた、それには亀裂が入っていないことがわかり、再び木を探して乾燥させたことだ。
そんなこんなで完成
台唐を造ってみたい人に、寸法を図示しておきます。どっしりとした方が安定するので、台は檜を使用。杵になる部分は椿と杉を使用し、頭部には重しに目の詰んだ木を乗せております。
筵(むしろ)は、稲藁などで編まれた敷物のことで、かって人々の生活において必要不可欠な道具でありました。籾(もみ)や麦、茶葉などの作物を乾燥する敷物として、二つ折りにして袋状に縫い合わせ叺(かます)にして広く利用されてきました。高度成長期の急速な石油製品の普及によりその役目を終え、製作技術も伝承されることなく忘れ去られようとしています。
近所に筵織り経験の有る高齢者がおられ協力していただけることになり、この地区で集落を守る活動をしている『西平谷川の清流を守る会』の会員と共に『筵打の技術』と『西平谷の暮らし』を記録画像と冊子に残すプロジクトを2010年9月に立ち上げました。
冊子・映像の編集、事業全般にわたり国立文化財機構 東京文化財研究所研究員 今石みぎわ氏と映像作家 腰高直樹氏にスタッフとして携わっていただきました。
3月末その冊子とDVDが完成、県内の文化資料館、民俗資料館、図書館等に寄贈しました。また、新設された下松市民交流拠点施設『ほしらんど くだまつ』の展示コーナーに常設(7月)する予定であります。
冊子は、昭和30年代の西平谷の暮らし(生業、葉たばこの栽培)・筵打の技術(図解)・西平谷のこれから(地域で取り組んでいることやさまざまな想い)などで構成しています。映像については、筵打の手順とここでの暮らしをまとめております。
冊子についてのお問い合わせは
744-0271 下松市大字下谷1124
下村 清一
化学の進歩により、綺麗で大量にしかも安価に生産される身の回りの石油製品は私たちの暮らしに欠かせない殆どの必需品に著しい変化をもたらしました。
一方で古民家の納屋の隅で、使用されることもなく朽ち果てていく生活用具と共にその物を作る技も廃れていく。暮らしを育む木材、竹、植物などの素材はその地域の人の手で育て技術は豊かな生活の糧でもあった。
筵(むしろ)も50余年前には何処の家にも有り、穀物を干したり敷物として重宝されていた生活用具であった。筵機も今では民俗資料館に展示され、筵織りの技術も受け継がれることもなく、その織る工程の資料や映像も見当たらない。筵に限ったことではない人の手による技術が失われることが寂しい。
幸いにも地域の中に筵機と筵織りをされていた高齢者がおられ、周囲にも親が織っていたのを手伝ったことがある方もおられ、学芸員、地元の方の協力もいただきながら “筵織り” の映像と記述資料を地域の環境、人々の営み、藁のできるまで等を織り交ぜ1年間(四季)を通して記録することにした。
筵機の補修、小縄を綯い、縄を機に架け試行錯誤しながらスタートした。「たかが筵…」、小縄を綯うにも藁の打ち方から…なかなか奥が深い。筵織りに係わった方、筵機が家に有る方、資料として残したいので情報をいただきたいと思います連絡下さい。