よく伯母に言われます。
『今のあんたは苦労や悩みがないだろう』とうらやましそうに。
「伯母さんほどではないけど苦労も悩みもあるよ」
『そうかい?!』
言いたいけど言えない苦労とは、、、、、、、
ここにも書けないやーーーーーーー。
でもちょっと書きます・・・・・・・
昔の、、、子供たちがまだ小、中、高くらいの時期に
つけていた”にちにち”という名前の日記が目に留まった。
パソコンで打ってからプリンターで仕上げたものだ。
たった一人でお道の信仰をやっていた時代。
主人も今より20歳も若かったころだったので(私も)
反対のしかたも激しかった。
それがもう大変で、、しんどかったなー。そんな中の道中は
金銭的にも苦しかったころ。収入は主人の給料が
あったものの私も今よりやりくりもヘタだったでしょうし
子供にもお金がかかる時期で、、、、団参もあったり。
子供たちの団参の費用はすべて親だし(あたり前だけど)。。
生活費がないのに足りないとも言えなくって
ガソリンが買えなくってチャリで参拝に行ったり
にをいがけもチャリだったり、、、
電話は止められたこともある。
私も主人と戦ってました。子供も味方のようだけど、
まだ小さかったので分からない。
夕方、帰宅が遅くなったとき(大教会参拝とかで)には
家に帰りたくない、、などと思うこともしばしば。
怒った主人に言い訳をする方法を考えるのが面倒だった。
謝るしかないんですけど、、、、怒られることに飽きてきてました。
それでも信仰をやめなかった。
女は土台。私がいま踏ん張らなかったら子供たちの通る道が
ないんだ。とばかりに自分に言い聞かせていたんですかね。
主人に反対されていたからこそ、むきになっていたり。
いろいろなんでしょうね、きっと。そもそも主人が私の
思うように動いてくれる人だったら、お道の信仰は、、、、。
していなかったかもしれない。
うちの子はまともに鼓笛隊活動に参加していなかったんで
そこも喜べなかった部分。いつやめても良かったんだろう。
転機は長男が高校生になってから。
ある団体のスタッフにと声をかけていただき
長男が一生懸命神様の御用をさせて頂くように
なってから喜ばせていただくことも増えて、
親の私がやめる訳にはいかないな、と
腹を据えることが出来たんでしょう。
それがなかったら、喜べないばかりのお道の御用に
耐えられなくって、信仰をやめていたかと思う。
何でこんな話しになったんでしょうか。
もっと近道があったんじゃないかなって思います。
でも、きっと私にはちょうどいい長さだったんだと
思わせていただく。喜べないことはちょこちょこと
顔を出すけど、切り替えて切り替えて喜べる体質に
なってきているんだろうな。
にをいがけで会った方とおしゃべりをして
元気を頂いて、また次の方へと向かっていくことが
楽しいなって感じるようになってます、、、前からですが。
3月の月次祭には、私がお声をかけた方が
一人でも参拝に来て頂けますように。
ありがとうございました。
最近、同じような記事を書いていたらごめんなさい、くどくどと。
伯母さん、そんな訳で私もけっこう大変なんですよーー。