もう7月も終わろうとしている。
外出の帰り、近くの小さな公園を通ったら、10数本ある百日紅(さるすべり)の花が満開だった。
紫、淡紫、紅、白……重なるような淡い彩りの花々が、
暑すぎる青い空に向かって対抗するように涼やかに咲き誇っていた。
流れる汗を拭きながら、
遠い昔に観た映画のことを思い出した。
「ひまわり」だ。
学生時代、東京の大学に進んだ高校時代の友人たち男女5〜6人と久しぶりに会うことになったのだ。
新幹線で東京へ。
場所はどこだったか覚えていないが、有楽町あたりか。
再会を喜び、近況を聞きながら喫茶店でしばらく話し込んだが、それほど話が続かず、
映画でも観ようかと何も考えずに入ったのが「ひまわり」だった。
第二次世界大戦の最中、結婚したばかりの夫マルチェロ・マストロヤンニがロシア戦線へ送り込まれる。
妻ソフィア・ローレンは、行方不明になった愛する夫の無事を祈り、国境を越えモスクワへ。
異国の地でやっとたどり着いたそこには、別の妻と可愛い子どもまでいて……。
映画の中で妻が夫を探し回って歩くのが、圧倒されるような壮大なひまわり畑。
哀愁を帯びたテーマ曲が流れ続けるなかで、
大画面を埋め尽くす無数のひまわりが太陽に向けてその輝きを放つ一方で、
不安と悲しみに我を忘れて走り回る妻。
戦争によって引き裂かれる夫婦の愛、そして、親子、友人同士の愛。
若い私には、妻ソフィア・ローレンが切なすぎて、美しすぎて、
深い夫婦愛など全くわからないまま、
戦争の卑劣さに思いを馳せることなく涙が止まらなかった。
そのひまわり畑のロケ地となったのがウクライナ。
しかも、そのひまわり畑の下には大戦で犠牲になった兵士が眠っているそうだ。
人類は誇らしげに進歩したかのように振る舞っているけれど、
どこまで悲惨な戦いを続ければ気が済むのだろう。
今一度、ひまわりを「必ず観なきゃあ」と思った。
外出の帰り、近くの小さな公園を通ったら、10数本ある百日紅(さるすべり)の花が満開だった。
紫、淡紫、紅、白……重なるような淡い彩りの花々が、
暑すぎる青い空に向かって対抗するように涼やかに咲き誇っていた。
流れる汗を拭きながら、
遠い昔に観た映画のことを思い出した。
「ひまわり」だ。
学生時代、東京の大学に進んだ高校時代の友人たち男女5〜6人と久しぶりに会うことになったのだ。
新幹線で東京へ。
場所はどこだったか覚えていないが、有楽町あたりか。
再会を喜び、近況を聞きながら喫茶店でしばらく話し込んだが、それほど話が続かず、
映画でも観ようかと何も考えずに入ったのが「ひまわり」だった。
第二次世界大戦の最中、結婚したばかりの夫マルチェロ・マストロヤンニがロシア戦線へ送り込まれる。
妻ソフィア・ローレンは、行方不明になった愛する夫の無事を祈り、国境を越えモスクワへ。
異国の地でやっとたどり着いたそこには、別の妻と可愛い子どもまでいて……。
映画の中で妻が夫を探し回って歩くのが、圧倒されるような壮大なひまわり畑。
哀愁を帯びたテーマ曲が流れ続けるなかで、
大画面を埋め尽くす無数のひまわりが太陽に向けてその輝きを放つ一方で、
不安と悲しみに我を忘れて走り回る妻。
戦争によって引き裂かれる夫婦の愛、そして、親子、友人同士の愛。
若い私には、妻ソフィア・ローレンが切なすぎて、美しすぎて、
深い夫婦愛など全くわからないまま、
戦争の卑劣さに思いを馳せることなく涙が止まらなかった。
そのひまわり畑のロケ地となったのがウクライナ。
しかも、そのひまわり畑の下には大戦で犠牲になった兵士が眠っているそうだ。
人類は誇らしげに進歩したかのように振る舞っているけれど、
どこまで悲惨な戦いを続ければ気が済むのだろう。
今一度、ひまわりを「必ず観なきゃあ」と思った。
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