ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 過去を振り返って考えたこと!!

2012-05-06 01:09:48 | 断捨離

 このGWの間は、どこへも出掛けず自宅で幼稚園の頃からの写真や卒業文集、また現在ま
でに購入した書籍さらに手紙や旅行に出かけた際に得たパンフレット等の整理を行っていま
した。一つ一つの内容を確認しながら要るものと捨てるものに分ける作業をしていましたの
で、かなりの時間がかかりました。

 最も時間がかかったのが手紙と写真の整理でした。大学生の頃に旅先の京都で知り合い、
交際していた女性からの手紙ですが、今まで大切に残しておいたこと自体すっかり忘れてい
ました。

 十数通の手紙を読んでいくにつれ、当時の状況がはっきりと思い出され、さらに後半の手
紙には彼女の心としてノーと意味している言葉が書かれているのに、何故に気付かなかった
のかと反省しながら読んでいました。

 それだけ人生経験が少なかった証拠であり、今だったらさっさと諦めて次の彼女を見つけ
るのになぁと、変に成長した自分を褒めてたりしていました。また反対に、自分がどのよう
な内容の手紙を彼女に書いたのか気になって仕方がありません。

 自分に自信が持てない頃だったので、きっと稚拙な内容で自分の思いを遠回しに綴ってい
たのではないかと思います。その手紙が今残っていたら、恥ずかしくて外を歩けないのでは
ないかと想像してしまいました。

 その彼女も凡夫とほぼ同じ年ですから、凡夫の手紙なんぞは既に処分されていると思いま
すが、同じように過去のものを断捨離するような年代になっているはずです。

 当時の彼女は文学に傾倒し大学院に残ってシェークスピアを研究するようなことを言って
いた記憶があります。いまどのような人生を過ごしているのか少しだけ興味があるところで
す。幸せな人生を過ごしていることを願っています。

 さて写真に関しては、今から50数年ほど前の頃からの写真の整理で、当時のものは白黒
でかつ色褪せてほのぼのとした感じを受けながら見ていました。どれも懐かしい記憶が蘇り、
幼稚園、小学校、中学校とその時代にタイムスリップした感じで、ドキドキしたりニヤッと
したりしながらながめていました。

 特に中学生の思春期の時の写真には、自分の未熟な状況が今だからはっきり確認でき、恥
ずかしくなるような場面が多くありました。当時は幼かったので、男も女も同じレベルで成
長するものだと思っていましたが、還暦を過ぎた年齢の視点でその当時の写真をよくよく見
ると、やはり男よりも女の方がませていて大人の匂いが感じられます。

 一方で、高校の卒業写真は、何か緊張感のない惰性で生きているような精彩のない内容と
なっており、自分の人生の中でも消去したい時代でもあります。高校3年の時は、世の中が
学園紛争の真っただ中にあり、凡夫が通っていた高校もバリケードで学校封鎖し半年以上も
授業がなく、毎日クラス毎の討論が行われていました。不思議なことに試験も無に卒業だけ
はできました。

 今振り返って、あの時の学校封鎖は意味があったのかどうか正直疑問でもありますし、何
か大きな失態を仕出かしたとの認識もあります。ただ救いであったのは、学校封鎖の発端が
当時の全学連のセクトによる直接の行動ではなく、それに影響された我々の自主的な行動で
あったのは確かです。

 いまでもこの高校3年の時代の時間は人生の中でぽっかりと空いており、思い出しても苦
しくなる時間でもあります。あれから既に42年もの時が過ぎてしまいました。人生って、
あっという間に過ぎ去ってしまうものだと改めて思いました。

 また忘れかけていた青春時代のその時々の一コマ一コマが完全にフィードバックされ、人
生の大きな流れを再確認出来たことは、今回のGWの大きな意義であったと思います。

 このGWの休みで、部屋の中はかなり整理され断捨離が進みました。しかし物理的に整理
された分だけ、いままで忘れていた過去の事実が心にのしかかり、少し憂鬱な気持ちになっ
ていることは事実です。

 今回の作業を行っているあいだ中、凡夫の部屋ではモーツァルトの後期の交響曲が連続し
て鳴り響いており、当時の映像と文章による一つの世界の中に、モーツァルトの音楽が溶け
込んで何とも良い感じの時間の流れが素直に感じられました。