ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 居心地の良さ!!

2010-01-17 10:46:53 | Weblog
 歳をとると夜中にトイレに起きることが多くなると言われていますが、寒い夜に暖かい布団
から出て、トイレに行くのが億劫になります。用を足してまた温もりのある布団の中に滑り込
んだ時の何とも言えぬ心地よさと安心感に似た感覚を感じる時に、大袈裟ですが生きていてよ
かったと思います。人間て言うのはこんな些細なことにでも生きている価値を見出すものだと
思います。

 若いころは、何事にもチャレンジ精神だけで、世の中や物事の裏とかを理解をせずに突っ走
りながら無茶なことをしてきました。いろいろ失敗や苦労はしてきましたが、それなりに充実
感がありました。

 これが歳を重ねて行くうちに、だんだんと世の中や他人の厭なところを見てくると、昔の純
粋なチャレンジ精神が政治家のような打算的なやり方に変わって来てしまいます。仏教でいう
ところの煩悩がどんどん大きくなり、しっかりとした生き方や実際に行ったことに対する謙虚
な反省がないままに歳を重ねると、最後は救いようのない人間となってしまいます。

 しかし有難いことにこのような凡夫や悪人であっても「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで救わ
れ浄土に行けるという、易行念仏の開祖である法然上人や親鸞聖人の信念には頭が下がります。
仏教の奥の深さを感じる瞬間でもあり、また本当に人間を冷静に分析している宗教であると思
います。

 最近ですが、人間にとって慣れることに慣れてしまうことがいけないのではないかと思うよ
うになりました。どのようなことでも、初めて取り組むときは誰もが緊張しながら行い、実際
に行う過程の中で生じる失敗を通じてノウハウを蓄積し、さらなる改善に繋げることが重要で
す。

 しかし人間は、慣れてくるとだんだんと怠け心が強くなり、手を抜くようになります。これ
が一番いけないことなのです。常に初心の心で、さらに新鮮な気持ちで対応することが重要だ
と思っても、知恵がついた中途半端な人間はこれが出来ません。自然と楽な方向に動いてしま
うのです。

 これらの行動を防止する方法は、ただ一つで自分を甘やかさないことだと思います。所詮人
間は怠けものですから、怠けない方に自分を置き直すことしかありません。そのためには安定
した居心地の良い場を捨てて、次の新しいものにチャレンジすることだと思います。

 人生でも仕事でも毎日同じことだけを繰り返していたは駄目なのです。少しでも変化をもた
らすような新たな行動に出る必要があるのだと思います。

 最も容易な事としては、仕事であれば担当の業務を変えて新たなものに取り組むことで、自
分自身をリフレッシュすべきです。あるいは勤務地を変更するとかして、自分のいまいる居心
地のよい環境を変えて、一時的に居心地が悪くすると本来の純粋なチェレンジ精神が蘇り、心
身ともに大きく変化すると思います。

 最も重要なことは、変化の無い生活を過ごすのではなく、毎日小さな変化を起こすことが重
要だと思うのです。居心地の悪い状態をつくれば、人間だれでも良くするための行動を起こし
ます。ここが最も重要なことだと思っています。

 先日ですが、仲間と初めて立ち飲み屋に出掛けました。立ち飲み屋での基本的な行動様式は、
独りで行き、多くのつまみを一度に頼まずに少しだけにし、さらに隣に居合わせた初対面の人
と話をしながら酒を飲み、1時間程度で切り上げるのが礼儀なのだそうです。

 凡夫がとった行動は、これらの流儀とは全く反対で、複数人で出掛けいっぺんにつまみを多
く頼み、仲間内でわいわいがやがや長時間飲んで帰りました。この行動も単に居心地の良さを
求めただけで、なんら進歩発展がないやり方でした。

 今後は、チェレンジ精神を再度呼び起こし行動することと、立ち飲み屋に独りで行けるよう
になることで少しでも大人としての自立を図りたいと考えています。何ともだらしない大人で
自分自身でも情けなくなりますが、これが本来の自分であると再認識し、行動を起こしたいと
考えているこの頃です。 合掌

■ 第1665回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Cプロ初日)♪♪

2010-01-16 11:31:40 | Weblog

 金曜日の夜にN響の定期公演を聴きに行きました。今回はCプログラムで、当初指揮するは
ずであったローレンス・フォスターが、本人の健康上の理由により来日不可能となり代わって、
ジョン・アクセルロッド指揮をしました。

 演奏曲目はオールチャイコフスキーで、前半がスラヴ行進曲作品31とピアノ協奏曲第1番
変ロ短調作品23でピアノ独奏は、清水和音でした。後半は、バレエ音楽「くるみ割り人形」
第2幕でした。

 指揮者のアクセルロッドですが、アメリカ・テキサス州ヒューストン生まれ、1988年に
ハーバード大学を卒業したとのことですから、今年44歳かと思われます。指揮の師がクリス
トフ・エッシェンバッハとのことで、何となく音のつくりに共通する点があるような気がしま
した。

 今回N響を初めて指揮したからだと思いますが、指揮の内容とN響のメンバーからの音は異
なっている感じを受けました。初めての顔合わせであり、時間も少なかったことが原因だと思
いますが、指揮者の指示内容と同等の充実した演奏にはなっていなかったのがちょっと残念で
したが、個人的には好きなタイプの指揮者に入ります。

 2004年からスイスのルツェルン交響楽団及び同劇場の音楽監督兼首席指揮者に就任して
いるとのことで、昨年のルツェルン音楽祭ではモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」の新演出
を指揮したそうです。どのようなモーツァルトにしたのか観てみたかったものです。

 40代の若手指揮者の中でも音楽界を引っ張る指揮者の中でも特に頭角を現し、世界中のオ
ーケストラから引く手数多であるといわれているそうですが、演奏を聴いて確かにそうだと個
人的に納得しました。再度アクセルロッドによる演奏を聴いてみたいと正直に思いました。

 演奏内容ですが、オールチャイコフスキーにはちょっと抵抗感がありましたが、生演奏でバ
レエ音楽「くるみ割り人形」を聴いたことが無かったので、今回演奏開業に足を運んだ次第で
す。素直に言うと、オールチャイコフスキーのプログラムは、感動が少なく全体的に退屈な印
象を受けました。

 特に最初の曲であるスラヴ行進曲作品31は、凡夫の音楽知識不足によるものと思われます
が、時々なんでこのような楽想になるのか分からないと感じる個所がありました。音楽の流れ
は、自然に流れる素直な繋がりが最も重要であると個人的に思っています。

 2曲目のピアノ協奏曲第1番ですが、ピアノの清水和音は、堂々とした演奏で非常に良かっ
たと思いました。ただし、弦楽器の中で特にヴァイオリンのパートが今一つ輝きが無かった印
象を受けました。弦のメンバーがAプロと異なっていたのも影響しているのかも知れません。

 後半のバレエ音楽「くるみ割り人形」は、楽しく聴くことが出来ました。第1曲から2曲の
情景は、音楽から受ける印象の画像が目に浮かぶような感じを受けました。個人的には第5曲
のパ・ド・ドゥーが良かったと思います。

 特に感激したのは、生まれて初めてチェレスタの生の音が聴けたことでした。チャイコフス
キーの曲がどうこう言う前に、とても可愛らしい音にただ感激した次第です。ただし、次回聴
くチャンスがあったとしても多分同じ感激は無いと思います。人間は何事でも初めての経験に
対しては特に感激するものだからです。

 次の機会にアクセルロッドの演奏が聴けるのであれば、是非ともモーツァルトの曲を演奏し
て欲しいと思いながら、NHKホールを後にしました。

 今回の演奏会に先立って、先日亡くなったN響の名誉指揮者であるオットマール・スウィト
ナーを偲んでバッハのアリアが演奏されました。スウィトナーは、個人的に尊敬する指揮者で
したので先日の訃報を聞いてモーツァルトを指揮する指揮者がまたひとり旅立ってしまったこ
とに寂しさを感じています。ご冥福をお祈りします。合掌

■ 幸せの飽和と意識!!

2010-01-10 11:18:10 | Weblog
 一昨年のリーマン・ショック以来、世界の景気は後退し、日本でもデフレスパイラル現象
が生じ、多くの業界で先行きが不透明になって来ています。このような状況の中で、我々が
唯一対応できることは、節約を含めた消費を減らす行動です。

 1980年代後半から始まったバブル経済の時期は、誰もが右肩上がりの状況が続く訳が
ないと思いながらも、その時の大きな流れの中で禁断の果実を味わっていたのです。何事も
金で解決がつくことから、自らの立ち位置を誤解し、あたかもその状況が相応しいものだと
思いながら、物の購入に走った時期でした。

 バブル期は自分の欲しい物が何でも手に入れられたので、戦後の物が無い時期から見ると
天国のような錯覚を覚えたに違いありません。そして物を得ることで、自分は幸せだと感じ
る日本人が殆どでした。

 物が無かったと言うひもじい経験をしている戦前派は、物の価値が分かるのですが、これ
らの経験がない戦後派はこの本質の点で見極めが弱いのです。また、戦前生まれの人と戦後
生まれの人の価値観が、ここで大きく変わったのではないかと思います。

 このようなバブル時代に育った若者が、今は親となり子供を面倒見るようになって、今の
世の中は激変しました。何が変わったかというと、自分の子供たちにいとも簡単に物を与え、
さらに常に最善の道を選ぶようにレールを敷き、子供に選択権を与えないような育て方をし
てきたのです。

 失敗を経験させない生き方が最も危険です。安全な生き方が最も危険である事に何故気づ
かないのか残念で仕方ありません。自然界の動物の育て方に見習う必要があります。

 これらの背景には、常に今よりも幸せのレベルを上げることが必須だと考えているのだと
思います。というのも、今の親はバブルの時期に最もその恩恵を受けた世代であるから、自
分自身がまず現状の幸せレベルを上げたいとの想いが強いのだと思います。

 常に成長することが重要だと今の世の中で言われていますが、その意味をもっと真剣に考
える必要があると思います。極端な言い方をすれば、今の親はまず自分があって、その次に
子供があるのです。昔の親は、自分よりも子供の事を考え行動していました。今の親は、行
動の順番を変える必要があるのです。

 一方で今の若者を批判する事がありますが、最終的な問題は学校教育にあるとの残念な結
論がよく引き出されています。個人的には、教育は学校ではなく家庭での教育が最も重要と
考えます。

 もっと言えば親が子供をきちんと教育していないことが、今の日本を弱くしているのだと
思っています。言葉を変えて言えば今の親は、こどもを教育する基本部分を持っていないの
で、子供を指導することが出来ないとも言えます。

 確かに便利なものを手に入れることは大切かも知れません、また美味しい物を食べるのも
時には必要だと思いますが、最も重要なことは人間としてどのように生きるのか、何を価値
観として持って生きるのかという基本的なところが欠けていることが、不幸なことだと思っ
ています。

 成長が極端に遅くなった時代の生き方として、物に執着するのではなく人間としての生き
方に執着するような方向に転換すべきだと思います。60歳を間近にしている凡夫にとって
は、日本全体が貧しかった時期を少しだけ経験しているので、物の価値もある程度分かりま
すし、それ以上に物が全てではないとの考えが染みついています。

 物が中心の幸せは、飽和状態が必ず来ますが、心の幸せは飽和しません。毎日が幸せを感
じる生き方は十分に可能であることを今の親は再認識し、この考えに従って自分の子供を再
教育して欲しいと思います。

 このような時代であるからこそ、もっと人間としての幸せが何かを真剣に考えてほしいと
思うのです。特に今の親の意識を変えることが、日本を変える大きな要因になると考えてい
ます。政権交代以前の大きな日本の問題であると認識しています。

 凡夫の浅はかな考えで、失礼いたしました。 合掌

■ 第1664回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2010-01-10 09:47:29 | Weblog
 土曜日に今年はじめてのN響定期公演を聴いてきました。当初の指揮者はローレンス・フ
ォスターでしたが、本人の健康上の理由により来日不可能となり、尾高忠明がその代役を務
めました。

 演奏曲目ですが、毎年恒例のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのような内容で、
前半がウィーンナーワルツ、後半はR. シュトラウスの曲でした。詳細な曲目は、ヨハン・
シュトラウスII世の作品から、喜歌劇「こうもり」序曲、常動曲作品257、アンネン・ポ
ルカ作品117、ポルカ「観光列車」作品281、皇帝円舞曲作品437とヨーゼフ・シュ
トラウスのワルツ「天体の音楽」作品235でした。曲の内容としては、ヨーゼフ・シュト
ラウスのワルツ「天体の音楽」が気に入りました。

 これらの曲を聴いた率直な感想ですが、音が良くないことでした。理由は分かりませが、
ワルツなのに聴いていて楽しくないのです。もっと言えば、心や体が音楽に合わせて同調す
るような状況にならないのです。

 自分でもとても不思議でしたが、よくよく音楽を聴きながら考えると、生意気な言い方で
すがウィーンの雰囲気が伝わってこないのです。日本人だからワルツの演奏が出来ないとは
言いませんが、体に染みついたあるいは自分の中に流れている血が騒ぐようなことがないか
らだと思います。

 さらに、ワルツを演奏するため必要となる演奏基礎技術が日本のオーケストラは少し弱い
のかも知れません。兎に角、ワルツを6曲聴きましたが、表面上の楽しさだけで、心の残る
ものがなかったのが実情でした。

 他人がどう判断しようと関係ありませんが、当日の会場にいた多くの聴衆も私と同じよう
な感想をもっていたと、演奏後の拍手の大きさを聴きながら感じました。日本の聴衆のレベ
ルが上がった証拠だと勝手に思った次第です。

 前半の演奏が終了後15分の休憩時間に、コーヒーを飲みながら後半もこのような退屈な
演奏であれば、今日の演奏会は来なかった方が良かったと思うほどの内容でした。

 後半は、2曲ともR. シュトラウスの曲で、最初のブルレスケはどちらかというと小規模
のピアノ協奏曲のようなものだと思いました。今回のピアニストは、若林顕で個人的には初
めての演奏家でした。演奏は素晴らしいと思いましたが、全体の楽想がいまいちだったとい
うのが本音です。

 曲の展開が円滑でなく、ばらばらのパートをつなぎ合わせて取りあえず一つの曲にしたよ
うな感じを受けました。ただ、時々ブラームスのピアノ協奏曲第2番のイメージが湧いてく
るような場面もあり、これから新たな展開部に入るのかなぁと期待しましたが、またもとの
流れに戻ってしまいました。全体的に、曲の完成度が低い感じがしました。ただし、ティン
パニとピアノの掛け合いの仕組みは大変に面白かったです。

 2曲目は歌劇「ばらの騎士」組曲で、R. シュトラウス自身が作ったのではないとの説が
あるようですが、個人的には今回の演奏会の中では最も完成度が高い曲であり、さらに演奏
内容もよかったと思います。

 R. シュトラウスの特徴が十分に発揮されたもので、管楽器がバリバリと吹きまくったり、
多彩な打楽器が登場し叩くなど、今回の演奏会の不満を解消するようなパワーで演奏してい
ました。劇的に終わる曲を聴くと聴衆は、それにつられて感動しがちですが、今回もその傾
向が強くでており最大の拍手で終わりました。良いことかどうか分かりませんが・・・

■ あけましておめでとうございます!!

2010-01-03 15:13:59 | Weblog

 皆さま、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 昨年は、何といっても政権交代がもっとも大きな出来事でした。劇的な変化は社会的に大
きな混乱を招くので、焦らず着実に対応することが重要だと思います。小さな事をコツコツ
と行うことが最終的に大きな成功に繋がると信じています。

 個人的には、ゆとりのない一年でした。ゆっくりと自分を見つめ直す時間がなく、いつも
何かに追いかけられている状況でした。今年は、自分を取り戻す年にしたいと思っています。

 そのためには、何がいまの自分にとって重要であるかを判断し、その結果に基づいて自分
に甘えず行動することが大切なことだと自分に言い聞かせています。

 一方で、そろそろ定年退職を迎えますので、その後の人生設計をこの一年で決め、残りの
人生を有意義なものにするようにしたいとも考えています。特に残りの人生は、自分だけで
なく今までにお世話になった世の中に何らかの恩返しをしたいとの気持ちを持っています。

 具体的には、いままでに身に付けたサービスマネジメントのノウハウを専門学校の学生に
知らせることにより、即戦力として使える人材を育成し、彼らを通じて間接的にでも世の中
に貢献できればこの上ない喜びです。専門学校の非常勤講師を次の職として進めて行こうと
計画し出しました。講師として呼んでいただける学校がありましたら是非とも連絡をお願い
いたします。

 人間は生まれるときはひとりですし、また死ぬ時も一人です。何事も最後は全て自分には
ね返ってきます。仏教で言われている因果応報です。自分に対して一生懸命生きている姿勢
を貫いていれば、自ずと自らの道は開かれてくると確信しています。

 しかし、忘れてはいけないものに、他力があります。自分の陰には、常に多くの人の力が
働いていることを認識しなければなりません。常に他人の力に感謝することが大切です。人
間は身勝手な動物であるので、今の自分があるのは自分の力だけでここまで来たとと勘違い
しやすいものです。

 自分をしっかりもつことは確かに必要ですが、陰で支えてくれている他人の存在を自分以
上に十分に感じることが大切です。そのためにも自利でなく利他の考えを持ちながら毎日の
生活を送ることが重要であると思っています。

 今年も、私生活の面では相変わらずモーツァルトと仏教に時間を費やしたいと考えていま
す。昨年から時間を見つけては同行二人の心で、秩父34所観音巡礼を旅しながら素朴な観
音像を拝顔し、己の生き方を反省し少しでも自分の仏性を生かすように祈っています。

 桜が咲く頃までには、34所を回り終え、その後は、坂東33所や武蔵野33所観音巡礼
の旅に出たいと思っています。

 全てのものに仏性があり、これらに対する感謝の気持ちと、人との縁を大切にしながら生
きて行きたいと新しい年を迎え想った次第です。
                                  合掌 

■ 年越しクラッシック♪♪

2010-01-03 15:04:20 | Weblog
 大晦日は紅白歌合戦を見ながら新しい年を迎えるのが一般的な家庭の過ごし方のようです
が、我が家は裏番組の「年越しクラッシック」を見ながら新しい年を迎えました。内容は、
2009年に開催された主なクラシックコンサートのハイライト版で、数時間で一年の音楽
界の様子を振り返る番組でした。

 最初が、クルト・マズア指揮、NHK交響楽団によるベートーベン「交響曲第9番”合唱
つき”」でした。マズアの指揮からふっくらとした音やゆったりとした感じの音がちりばめ
られた優しさを感じる第9でした。最近生演奏で聴く機会がないので、今年の暮はコンサー
ト会場に足を運びたいと思いました。

 マズアは指揮棒を使用せず、どちらかというと右手はリズム、左手は感情を指示する方法
で指揮をしていました。ソリストは、ソプラノ:安藤赴美子、アルト:手嶋眞佐子、テノー
ル:福井敬、バリトン:福島明也、合唱:国立音楽大学と東京少年少女合唱隊で、合唱はさ
わやかで充実した演奏でした。

 その他は、ハイライト版であったので音楽の内容を十分に堪能することが出来ず、聴く側
からすると中途半端なものでしたが、一年間の流れをつかむ上ではよかったのではないかと
思いました。小澤征爾、ランラン、東京カルテット、辻井伸行、バレンボイム・・・

 23時を過ぎたころには、年越しそばをすすりながら音楽を楽しみました。最後はリッカ
ルド・シャイー指揮、ライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団によるマーラー交響曲1番「巨
人」から第4楽章が放送されました。

 フィナーレで、ホルンを中心としたオーケストラが爆発する個所に到達しますが、その際
にはホルン奏者全員が立ちながら演奏し、熱狂のうちに全曲が締めくくられる構成となって
います。新たな2010年を迎えるのに適した曲でした。 シャイーも良い演奏をするなと
正直思いました。

 今年も個人的にはモーツァルトが中心ですが、自分にあった音楽を聴きながら奥が深いク
ラッシックを楽しみたいと考えています。