ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 第1681回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2010-09-26 11:28:43 | Weblog

 この9月、N響定期演奏会は新たなシーズンを迎えました。昨日ですが、約3ヶ月振りに
NHKホールに出掛け、N響の演奏会を聴いてきました。今回はシューマン生誕200年と
題して全てがシューマンの曲であり、曲目は前半が序曲、スケルツォとフィナーレ作品52
とピアノ協奏曲イ短調作品54、後半が交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」でした。

 指揮はネヴィル・マリナー、ピアノがアンティ・シーララでした。ネヴィル・マリナーと
いえば、今から30数年前の学生の頃にアカデミー室内管弦楽団 (Academy of St. Martin-
in-the-Fields) との演奏が強く記憶にあります。

 その頃はバロックから古典派あたりまでの曲に取り組んでいたような気がします。その演
奏は清楚で自然な気品あるもので、安心して聴ける指揮者のイメージがあります。1924
年生まれといいますから、今年86歳です。凡夫の父親より1つ若いですが、舞台の袖から
出てくるときも非常に若々しい歩き方で年齢よりも若々しく見えますし、その指揮の内容も
しっかりとしており、70歳代の指揮ではないかと疑うような感じでした。

 演奏内容ですが、今回はN響の弦楽器が最高の出来でした。久し振りにN響の良い演奏を
聴いた感じです。また木管楽器ではオーボエが素晴らしい音色でした。ネヴィル・マリナー
の力だと思いますが、どの曲もバランスがとれた内容で全ての音がクリアーに聴こえました。

 一方で、全てがシューマンの曲であったのが良かったのかもしれません。曲を聴くにつれ
てシューマンの世界にどんどん入っていく感じがあり、指揮する側、演奏する側、聴く側か
らしても充実したものになる確率が高いと思われます。人によってはいろいろな作曲家の作
品を混ぜた方が面白いという意見もありますが、個人的には今回のような一人の作曲家の作
品を取り上げる演奏会のスタイルが好きです。

 今回演奏された3曲とも演奏内容は充実していましたし、満足感のある演奏会でした。ピ
アノ独奏のアンティ・シーララですが、初めて聴くピアニストでしたが、今年31歳の若い
ピアニストであるにもかかわらず、基本がきっちりと出来ておりどちらかというとベートー
ヴェンやブラームスのようながっちりとした構成の作品に合っているピアニストだと思いま
したが、一度モーツァルトの作品を聴いてみたいと思いました。鳴りやまぬ拍手の中でアン
コールがなかったのが少し残念でした。

 3曲の中ではシューマンの交響曲第3番は最高の出来でした。ネヴィル・マリナーがこの
ような演奏をするのかと思えるほど素晴らしいものでした。特に第4楽章は心を揺さぶるも
のがありました。何度も聴いている曲でしたが、何故かレクイエムのような重厚で心の底に
響きわたるような感じを受けました。

 ゆっくりと幅広く広がる感じで、混沌とし真っ暗やみの中で自分自身がこれから進むべき
道を見出すような試練の中にいるといった感じでした。最後に闇の中に月の光が差し込み自
分の行く先がはっきりと見えたそんな感じを受けました。シューマンを聴いてこのような感
じ方をしたのは今回が初めてのことでした。

 久し振りに満足感に満たされ、NHKホールを後にしました。これからの季節は芸術の秋
ですで、毎回このような演奏会になると良いのですが・・・

■ 生物多様性の重要性を再認識する必要がある!!

2010-09-23 17:32:44 | Weblog

 最近、生物多様性という言葉が目に付くようになってきています。生物多様性はどちらか
と言うと環境問題に近い感じを受けますが、その扱う範囲は広くまた重要性は非常に大きい
ものがあります。

 来月には名古屋で「生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)」が開かれます。
この会議には、世界193の国・地域が参加し、総勢8千人を超える政府関係者やNGOが
集まる大きな会議なのに、いまひとつ認知度が低い状況にあります。

 非常に重要なテーマであるにも係わらず、世の中の人は無関心であることが不思議で仕方
がありません。マスコミが積極的に取り挙げていないことにも一つの要因があるように思え
ます。くだらないゴシップ関連の話題を取り上げるのではなく、地球上の生物の存続に係わ
る大きな問題であるから、真剣な取り組みを行って欲しいと思います。

 この地球上には、科学的に明らかにされている生物種が約175万種、未知のものも含め
ると3,000万種とも言われる生物が暮らしているそうです。これらの生物は、ともに何
らかの係わりあいを持ちながら生きており、約40億年もの進化の過程でこれらの環境に適
応することで、多様に分化したのです。人間も当然この地球に住む一つの生物に過ぎないが、
人間による身勝手な行動によりこの生態系に大きな変化が出始めているのです。

 さらに現代は恐竜の絶滅以来の第6の大絶滅時代にあるとも言われています。しかも、1
年間に約4万種と言われる現在の絶滅のスピードは、恐竜時代の絶滅速度よりはるかに速い
のです。このままの状態が続くのであれば、この地球上の生態系が崩れれてしまいます。こ
のようなことが起こらないように調整するのが今回の会議の大きな目的です。

 全ての生き物は、バランスを保ちながら成り立っているのに、何らかの原因である一つの
生態系が崩れると連鎖的に全体のバランスが崩れてしまうのです。風が吹けば桶屋が儲かる
的な連鎖が発生するのです。何事もバランスが大切であると思います。このバランス感覚を
十分に発揮し、全体が調和のとれた世界になるように取り組むことが大切だと思っています。

 極端な言い方をするとこの地球上の生き物で、何一つ不必要な生物はいないのです。たと
え小さな生き物でもこの地球で生きることが必要とされ、それらを守らなければならないの
です。そして、未来の世代に地球の多様ないのちの豊かさを残すための努力を行う必要性が
あるのです。

 生物多様性の考え方は、仏教の教えに非常に近いものがあり個人的にはすんなりと受け入
れることが出来ます。全ての命を大切にすることが仏教の基本としてあります。極端な言い
方をすれば道端の石ころにもこころがありいのちがあるという考え方です。

 これからでもまだ間に合います。我々の周りの自然を破壊しないようにバランを保ちなが
ら生態系を守る努力を行う必要があります。そのためには人間の心をそのようなものにする
必要がありますが、果たして全ての人がこのような心を持つことが出来るのか不安が残りま
す。

 私たち人間は、有限の地球で生きておりさらに互いにつながりあい、支えあって生きてい
る多様ないきものの一部です。もっと謙虚になり、他のいのちを守りながら自分のいのちを
も生かすという考え方を貫き通す必要があると思うこの頃です。

■ 奈良の古寺と仏像展 ~會津八一のうたにのせて~ を観て♪♪

2010-09-18 15:18:40 | Weblog

 先日、東京日本橋の三井記念美術館で開催されている、奈良の古寺と仏像展を観てきまし
た。この三井記念美術館は、日本・東洋の優れた美術品を収蔵している三井文庫別館が、日
本橋に移転し平成17年10月に開設された新しい美術館です。今回の展示会は、平城遷都
1300年を記念する特別展で、奈良の寺院に祀られる国宝、重文を含む優れた仏像を集め
たものでした。

 美術館は、夕方に行ったにも係わらず多くの人が来ていたのには驚きました。これが仏教
ブームの影響なのかと思いました。展示会場内には50体ほどの仏像がありましたが、素晴
らしいと思った仏像は残念ながらありませんでした。その時の観る側の心の状態が乱れてい
たのかも知れません。

 しかし興味を持った仏像としては、かつて奈良西大寺の五重塔に安置されていたと伝わる
釈迦如来・阿弥陀如来・室生如来・阿閦如来の4体がありました。奈良時代の後半から平安
時代の初期にかけて作られた4体でどの仏像も穏やかで清楚な暖かさをもった仏像でした。

 また、美術館のガラスケースの中に座した仏像は拝む対象の仏像ではなく、美術品として
観る対象に変わってしまっているのが少し残念です。詳しいことは分かりませんが、このよ
うな美術展に仏像を出展する場合は、事前に魂を抜いて持ってくるのだと思うので、これら
の影響があって何か足りない感じを受けるのかも知れません。

 一般的に寺の本堂に置かれている仏像を拝む時は、やはり何かしら仏像から出ているエネ
ルギーのようなものを感じられますが、都会のビルの中のさらにガラスケースの中に入れら
れた仏像はどうしても観る対象となってしまいこちらからのエネルギー放出の方が多いと思
います。さらに、その場に立ち尽くして観るということは出来ないのと、展示ルートに沿っ
て観なければならないとの制約があることから疲れてしまいます。

 今回の展示会に行って感じたことは、仏像は本来あるべき寺で心静かに拝顔し祈る行為が
最も大切であり、単なる美術品として観るべきものではないと思われました。
                                    合掌

■ 愛犬ミルクと人生の最終ステージに向けて!!

2010-09-18 11:50:38 | Weblog
 時々このメルマガに登場する我家の愛犬ミルクですが、今月7日に満13歳の誕生日を迎えました。この日は、年に1回だけ上質の牛肉をもらえるミルクにとっては唯一の日なのです。中型犬の13歳は、人間に換算すると70歳を超えた状態に相当します。確実に飼い主の年齢を抜いてしまいました。

 昔はやんちゃで人なつっこいミルクでしたが、今は散歩と食事の時以外は、自分の好きな場所でほとんど寝ています。最近は耳が遠くなってきたようですし、人間で言う認知症のような行動が時々見受けられるようになりました。散歩中に自宅へ帰る道を迷ったり、あるいは立ち止まってどちらに行ったらよいのかを思案しているような行動が多くなりました。確実に歳をとった証拠です。人間社会で病院に老人が多いのと同じように、毎週のように獣医さんのところへ行き薬をもらっている状況です。

今年の猛暑の時は大変でした。昨年まではクーラーを使わずに過ごしていましたが、今年のあの暑さは老犬ミルクには耐えられない環境であったので、朝から毎日我家のクーラーはフル回転の状態でした。ミルクのお陰で今年は例年と異なり、猛暑にも関わらず快適な環境で過ごすことができました。全ての命は永遠に続かないのでいつかはミルクも見送らなければなりませんが、最期まできちんと守ってあげようと思っています。これまでミルクからはいろいろな力をもらったので、それ以上のことをしてあげたいと思います。

 年齢と密接に関連することとして世代交代があります。家庭でも会社でも世の中でもいつまでも同じ体制が続くことはありえないことです。必ず変化が生じるものです。この変化をスムースに行う事が理想とされることです。何事も早めに手を打ちながら対応することが大切です。60歳を超えたら自分の好きなことをしながら世の中に何かをお返ししたいと考えています。そのためには、現在の仕事の内容を次の人に引き継ぐことを少しずつ始めないと円滑に組織が動きません。これからは1年以上をかけてこの世代交代のための動きを始めたいと思います。

さらに年金がもらえる65歳までの5年間をどのような生活スタイルにしたらよいかも考えなければなりません。この5年間は専門学校で今まで身に付けた知識を次の世代の若者に教えたいと思っていますが、少子化が進み18歳人口の減少で教育機関の経営も大変な時期を迎えているようです。よってこのような仕事に就くことが現時点では非常に難しいようです。しかし、教える仕事に就くという長年の夢を実現するために、今からいろいろな係わりを持ちながら着実に進めたいと考えています。

 そして70歳を超えるまで生きることが出来るのであれば、70歳以降の時間は人生のおまけ的な位置付けで、毎日が日曜日のスタイルでモーツァルトを聴きながら好きなことをのんびりと行う時間を過ごしたいと考えています。そのような時を迎えた時には、今のミルクの気持ちがわかるかもしれません。人生は長いようで短くもあり、また短いようで結構長いのかも知れません。要は、気の持ちようだと思います。