ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 優しい人と厳しい人!!

2012-05-20 16:03:36 | Weblog

 新緑の5月の今頃の季節は、とても清々しく気持ちがゆったりとします。寒くもなく暑く
もなくまた、漂う風にも自然な香りがあり、過ごすのにとても良い時期です。個人的に好き
な季節ですが、一年中このような状況だと刺激が少なくなり、凡夫のような怠け者は堕落し
てしまうのだと思います。

 適度に刺激があり、常に少しのストレスを感じながら生きて行くことが、充実した人生を
歩めるのではないかと思います。ストレスは体に良くないと言われていますが、全くストレ
スがないと、それこそ自然の季節の移り変わりに鈍感になり、人としての感性を磨く機会が
なくなり、大きな問題につながるような気がします。適度な刺激によるストレスの中で生き
て行くことが重要だと思います。

 一般的に優しい人と厳しい人に分けられますが、皆さんは自分をどちらのタイプだと思い
ますか?

 人間が地球上に誕生した時は、過酷な自然の中で生き抜かなければならない環境であった
ので、自ずと厳しい生き方になったと思われます。しかし、少しずつ自分の周りに仲間と認
められる人間が出来てくると、厳しい心の中にそれらの仲間と共に生きて行く必要があるこ
とから、自然と優しさの心が出来上がってきたのではないかと思います。

 それでは現代の人間の特徴はどのようでしょうか。現代人はまず自分が中心であり、古代
人のような仲間意識が失われている気がしてなりません。社会の中のビジネスでは、自分あ
るいは自分の会社が伸びることが最重要課題であり、そのためには他の競争相手を蹴落とし
てでも勝たなければなりません。

 これはちょうど自然界の野生動物と同じ行動様式になることと等しいものです。人間とし
て野生動物と同じような行動様式で良いのでしょうか?特に今の時代の日本人は、仲間とい
う意識がなくなりつつあります。運命共同体という意識が少なくなってきているのです。

 他の人間と共に生きるという意識を持たずに生きることができるのが今の社会です。今の
流行の言葉でいえば「無縁社会」です。他の人間と関わりを持たずにも今の世の中で生きて
行くことが出来ること自体とても不思議です。

 言葉を替えて言えば、表面的な付き合いをしていれば、十分に生きて行ける社会なのです。
このような状態だと人としての本当の苦しみや哀しみを理解することが少なくなってしまい
ます。だからと言って、個人の深い部分にまで入り込んで行動しろとはいいませんが、単な
る表面ではなく表面の下にあるちょっとした個人の思いや考え方に対して刺激を与えるよう
な関係を持てるような社会にすべきだと思うのです。

 そのためには個人として真実に基づいた発言や意見をぶつけ合う必要があります。このよ
うな行動により喧嘩になるかもしれませんし、当然気分を害することもあるかと思いますが、
この過程は絶対に必要だと思います。

 早い段階でこの点に気づき、それぞれの立場のなかで行動を起こさないと、今の社会はさ
らに表面的なコミュニケーションで終わってしまう偽りの構造の上に成り立つ社会となって
しまい、いつか根元から日本の国が崩壊してしまうのではないと危機感を持っています。

 これだけお節介になるのは確実に歳をとった証拠だと思いますが、気がかりでなりません。
今の日本の社会の中で人間の本来の生き方をして行くために必要なのは、厳しさでなく優し
さであると思います。離れてしまった人間を再度集めるには、優しさがないと動きません。

 人間は本来皆弱いので優しさに飢えているはずですが、このようなことを表に出すと甘え
るのではないと一喝されてしまうのが落ちです。しかし、皆優しさに飢えているのです。正
直に自分の心を出すことに戸惑いを持っている人が多いのは、それだけ物質的・物理的な環
境が整っていて、見かけ上幸せな社会であるからです。

 人間としての心や魂の面ではカラカラに乾いた状態であるのが今の日本国民の現状です。
全ての人がこの現状を理解し、まず優しさで対応し仲間意識が整った段階で、成長すべき方
向を提示し、次の段階で厳しさを出しながら仲間と行動することが重要だと思います。

 今の時期、リーダーシップを持った人材が必要ですが、厳しさを全面に出す前に優しさで
対応した後に次の段階で厳しさを出す順番で対応してほしいと思います。  合掌

■ 第1728回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて♪♪

2012-05-20 14:52:24 | Weblog

 5月18日(金)の夜、第1728回NHK交響楽団定期演奏会を聴きにNHKホール
に出かけました。今回は、広上淳一の指揮による武満徹:フロム・ミー・フローズ・ホワ
ット・ユー・コール・タイム、バーバー:弦楽のためのアダージョ、バーンスタイン:交
響曲第1番「エレミア」でした。

 武満の作品では、パーカッションとして竹島 悟史、植松 透、石川達也、西久保友広、
村居 勲の5人による演奏であり、後半のバーンスタインの作品では、メゾ・ソプラノの
ラヘル・フレンケルがソリストとして参加したものでした。

 今回の武満の作品の演奏を聴いて感じたのは、全体が仏教の思想に根差しているなかで、
5人のパーカッションの演奏者が、それぞれ如来あるいは菩薩の立場から悩める凡夫に今
まで気が付かなかった世界を示してくれたような印象を受けました。

 5人の奏者は、それぞれ白、青、黄、赤、緑の5色のリボンを身に付けており、仏教の
故郷であるネパールやさらにその奥のチベットの風景が自然と蘇るような雰囲気の中で、
鈴の音や鐘、はたまた仏具のようなものから成る音色が風に乗って響いているような空間
を体験しました。

 これら5人による打楽器だけの演奏にそろそろ飽きるころを見計らってオーケストラと
の共演となるような構造となっており、詳細にわたって考えられた音楽にとても新鮮な感
覚を覚えました。武満の作品の特徴なのだと思います。

 また、楽譜の各部分に、武満は次のような「序」「独奏者たちの登場」「微風」「予感」
「高原」「環状の地平線」「風が吹く」「予感」「蜃しん気き楼ろう」「ひるがえる風の
馬」「約束の土地」「生の歓びと悲しみ」「祈り」のような言葉を記しています。まさに
このような音の流れを感じを受けたのは、凡夫だけではないと思います。

 今回の演奏は、この武満の作品で十分満足できるものでした。後半のバーバー:弦楽の
ためのアダージョは、魂がこもった美しい演奏を期待しましたが、広上淳一の心が弦楽器
奏者に伝わっていない感じで、さらっと流れてしまった演奏となりました。とても残念で
した。

 3曲目のバーンスタインの交響曲第1番「エレミア」ですが、初めて聴く曲でした。現
代曲を聴くのが苦手な凡夫ですが意外と楽しみながら聴けました。

 個人的な感想ですが、広上淳一とN響は演奏スタイルで異なる考えを持っているような
印象を受けました。以前に広上淳一の演奏を他のオーケストラで何回となく聴きましたが、
どの演奏も素晴らしい内容であり、個人的に好きな指揮者の一人です。

 したがって広上淳一の演奏はN響以外で聴いた方が、その実力を発揮できると思ってい
ます。

■ 変わるべきものと変わってはいけないもの!!

2012-05-13 12:25:31 | Weblog

 経済の環境変化に対応して政治の運営方法は臨機応変に行うべきですが、未来を良くする
ための法案審議がまとまらない現在の状況に対して、国民の一人としてとして哀しい思うと
ともに、怒りに似た感情を持っています。

 国民の声に耳を傾け、国民の幸せの為に政治を行うのだと選挙の時は言っておきながら、
今回の消費税の増税に対しては、国民に上げないとマニフェストで約束したから反対するよ
うな態度を取っている政治家がいる。本当にそれらが国民のために正しい対応方法だと思っ
ているのであろうか。

 変化にはその都度対応する取り組み姿勢が重要であり、いくらマニフェストで約束したか
ら守ることが正義であるような、単純な対応方法は止めてほしい。もっと未来を考慮したう
えで対応すべきであると思います。

 そもそも消費税以外のマニフェストは守っているのかといえば、守られていないのが現状
です。約960兆円の規模の財政赤字に陥っている事実をしっかりと理解すべきです。一般
の企業であれば、当の昔に倒産している状況であるが、政治家にとって国は自分を生き延び
るための道具としか思っていないのではないかと思ってしまいます。本当に困ったものです。

 誰が考えても早い段階に消費税を上げなければ国の財政は持たないし、遅くなればなるほ
ど今の若者に大きな負担がかかることになり、ひいては国の存続に係ることになることは、
誰もが理解しているのに、それでも手を付けない政治家がいることに対して残念で仕方があ
りません。

 さらに消費税の増税の前にまだまだ削るべき事があると言っていますが、それらの案件は
過去にあれだけ取り組んでも官僚側の力の前に屈指した事実があります。このような出血し
ている状況では、まず出血を止める施策を実施しながら関連することに取り組むべきである
のに、その順番を誤っていることに腹が立ちます。

 またこのような発言をする政治家に同調している100人程度の政治家がいることも哀し
いことです。単にそこから流れてくる金と利権を目的にして群がっているだけのような気が
してなりません。

 世の中は常に変化するし、人間の考え方も基本的なことを除けば時代とともに変化するも
のです。変化に対応して変わることを全ての人が認めなければならないし、勇気をもって
取り組むべきであると思います。そうでないと自分のことしか頭にない政治家にうまく利用
され、最終的に欲の塊の政治家のところに利権と金が集まることになるのだと思います。

 反対に変わってはいけないものとは、国民のために正しい方向に国をまた国民を導く政治
家の心と、私利私欲の為に行動してはならないのが政治家の生き方だと思います。人の幸せ
のために活動すべき政治家は、是非とも仏陀の生き方を学んで欲しいと思うのは凡夫だけで
はないと思ます。

 現在の野田政権の是非はあるものの、消費税に関しての取り組みは個人的に賛成します。
誰かが手を付けなければならないことであり、迅速な対応が必要です。政治生命をかけて取
り組んで欲しいと思います。

 反対に国民も消費税が上がって確かに苦しくなるかもしれませんが、皆でそれぞれ苦しさ
を分担し、対応することが今の日本に求められていることを理解し、進んで対応すべきであ
ると思います。苦しくなることだけを恐れていては、明日の日本はないと思います。

 凡夫は、この日本という国が好きです。和を考え思いやりや気配りができる国民は世界に
例のないものだと思います。この美しい日本の国を駄目にせず、苦しいことを進んで受け入
れながら、この国を正常な形にしたいと思っている国民は多いと思っているこの頃です。

合掌

■ 第1727回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて♪♪

2012-05-13 00:36:57 | Weblog

 5月12日(土)の夕方、第1727回NHK交響楽団定期演奏会を聴きにNHKホール
に出かけました。前回はノリントン指揮のベートーヴェンを堪能しましたが、今回は尾高忠
明の指揮によるオネゲル:交響詩「夏の牧歌」、ショパン:ピアノ協奏曲第2番へ短調作品
21、デュリュフレ:レクイエム作品9の3曲でした。

 ショパンのピアノ独奏は、アメリカ人ピアニストで今年64歳のなったギャリック・オー
ルソンでした。また、後半のデュリュフレのレクイエムでは、メゾ・ソプラノ:加納悦子、
バリトン:三原 剛、合唱:新国立劇場合唱団により演奏されました。

 3曲の中で聴きやすかったのは、ショパンのピアノ協奏曲でした。ギャリック・オールソ
ンが奏でるショパンは、内面の心の動きが上手くピアノに乗せられた演奏で、素直なショパ
ンを楽しむことが出来ました。

 一般的にショパンの演奏は、華麗ながらひ弱に演奏し、あたかもショパンの人生を表すよ
うな演奏に出会うことが多い中で、オールソンのショパンは過剰な華麗さはなく、澄んだ音
色に伸びやかさを備えた音楽でした。

 素直なショパンの演奏に出会えて、久し振りにショパンの音楽も良いなぁと思えました。
ただ、ピアノの表現に関しては十分にその力を発揮していて良いのですが、オーケストレー
ションに関して弱いのがションパンの音楽作品の特長だと思います。

 オネゲルの交響詩「夏の牧歌」は、予想していた内容よりも聴きやすい作品でした。全体
的に静かな楽想で自然の中でゆったりと時の流れを感じるような印象をもったもので、個人
的には好きな分野の作品の部類に入ります。弦楽器の流れに木管楽器とホルンの響きが調和
し、不思議な空間を作り上げていました。別の機会に再度聴きたい曲になりました。

 後半のデュリュフレのレクイエムですが、どちらかというといろいろなレクイエムの中で
はフォーレに近い印象を持ちました。曲の解説には、グレゴリオ聖歌の伝統を踏襲しつつ現
代の要素を組み込んだレクイエムのような事が書かれていました。

 全体的に9つの曲から構成されていましたが、いろいろな作曲家のレクイエムと比べて、
聴き終えた後に強烈に残るものが少ない作品でした。モーツァルト、ブラームス、ベルディ、
フォーレのレクイエムには、それぞれ思い浮かぶメロディがありますが、デュリュフレのに
はそれがなく、全体的に穏やかに流れて終わってしまう感じがし、ちょっとだけ物足りなか
った感を持ちました。

 レクイエムはそれぞれの作曲家がもつ死生観を表したものなので、もう少しはっきりとし
た主張があっても良かったのではないかと思いました。

 指揮者の尾高忠明ですが、3曲とも内容的には濃い演奏であったと思います。これまでに
何度も尾高忠明が指揮した曲を聴いてきましたが、毎回期待を裏切ることなくレベルの高い
演奏をする指揮者です。もっと活躍の場があってもよい気がしています。

■ 過去を振り返って考えたこと!!

2012-05-06 01:09:48 | 断捨離

 このGWの間は、どこへも出掛けず自宅で幼稚園の頃からの写真や卒業文集、また現在ま
でに購入した書籍さらに手紙や旅行に出かけた際に得たパンフレット等の整理を行っていま
した。一つ一つの内容を確認しながら要るものと捨てるものに分ける作業をしていましたの
で、かなりの時間がかかりました。

 最も時間がかかったのが手紙と写真の整理でした。大学生の頃に旅先の京都で知り合い、
交際していた女性からの手紙ですが、今まで大切に残しておいたこと自体すっかり忘れてい
ました。

 十数通の手紙を読んでいくにつれ、当時の状況がはっきりと思い出され、さらに後半の手
紙には彼女の心としてノーと意味している言葉が書かれているのに、何故に気付かなかった
のかと反省しながら読んでいました。

 それだけ人生経験が少なかった証拠であり、今だったらさっさと諦めて次の彼女を見つけ
るのになぁと、変に成長した自分を褒めてたりしていました。また反対に、自分がどのよう
な内容の手紙を彼女に書いたのか気になって仕方がありません。

 自分に自信が持てない頃だったので、きっと稚拙な内容で自分の思いを遠回しに綴ってい
たのではないかと思います。その手紙が今残っていたら、恥ずかしくて外を歩けないのでは
ないかと想像してしまいました。

 その彼女も凡夫とほぼ同じ年ですから、凡夫の手紙なんぞは既に処分されていると思いま
すが、同じように過去のものを断捨離するような年代になっているはずです。

 当時の彼女は文学に傾倒し大学院に残ってシェークスピアを研究するようなことを言って
いた記憶があります。いまどのような人生を過ごしているのか少しだけ興味があるところで
す。幸せな人生を過ごしていることを願っています。

 さて写真に関しては、今から50数年ほど前の頃からの写真の整理で、当時のものは白黒
でかつ色褪せてほのぼのとした感じを受けながら見ていました。どれも懐かしい記憶が蘇り、
幼稚園、小学校、中学校とその時代にタイムスリップした感じで、ドキドキしたりニヤッと
したりしながらながめていました。

 特に中学生の思春期の時の写真には、自分の未熟な状況が今だからはっきり確認でき、恥
ずかしくなるような場面が多くありました。当時は幼かったので、男も女も同じレベルで成
長するものだと思っていましたが、還暦を過ぎた年齢の視点でその当時の写真をよくよく見
ると、やはり男よりも女の方がませていて大人の匂いが感じられます。

 一方で、高校の卒業写真は、何か緊張感のない惰性で生きているような精彩のない内容と
なっており、自分の人生の中でも消去したい時代でもあります。高校3年の時は、世の中が
学園紛争の真っただ中にあり、凡夫が通っていた高校もバリケードで学校封鎖し半年以上も
授業がなく、毎日クラス毎の討論が行われていました。不思議なことに試験も無に卒業だけ
はできました。

 今振り返って、あの時の学校封鎖は意味があったのかどうか正直疑問でもありますし、何
か大きな失態を仕出かしたとの認識もあります。ただ救いであったのは、学校封鎖の発端が
当時の全学連のセクトによる直接の行動ではなく、それに影響された我々の自主的な行動で
あったのは確かです。

 いまでもこの高校3年の時代の時間は人生の中でぽっかりと空いており、思い出しても苦
しくなる時間でもあります。あれから既に42年もの時が過ぎてしまいました。人生って、
あっという間に過ぎ去ってしまうものだと改めて思いました。

 また忘れかけていた青春時代のその時々の一コマ一コマが完全にフィードバックされ、人
生の大きな流れを再確認出来たことは、今回のGWの大きな意義であったと思います。

 このGWの休みで、部屋の中はかなり整理され断捨離が進みました。しかし物理的に整理
された分だけ、いままで忘れていた過去の事実が心にのしかかり、少し憂鬱な気持ちになっ
ていることは事実です。

 今回の作業を行っているあいだ中、凡夫の部屋ではモーツァルトの後期の交響曲が連続し
て鳴り響いており、当時の映像と文章による一つの世界の中に、モーツァルトの音楽が溶け
込んで何とも良い感じの時間の流れが素直に感じられました。