ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 家メシ・家飲み回数が増加(いい夫婦の日11月22日)!!

2009-11-23 21:14:57 | Weblog
 先日、明治安田生命が発表した「いい夫婦の日」に関するアンケート調査の結果をみて、
いろいろなことを考えるきっかけとなりました。

 アンケート結果を見ると、家メシ・家飲み回数が増加したとのことです。具体的には、
「自宅での夕食や晩酌の日数」は「週平均5.65日」、また、「夫婦もしくは家族と一緒
に夕食・晩酌をする日数」は、「週平均4.31日」という結果に正直いって驚きました。

 週7日ですから、1週間の内で外で夕食を食べたり飲んだりする日が2日弱ということで
す。さらに夫婦もしくは家族で夕食を食べるのが4日強ですから、土日を除くと週に2日強
であることが分かります。昔のエコノミックアニマルの時代は疾うの昔で、いまや欧米並み
に家族中心の世の中に変わっていく感じを受けました。

 日本の一般的な傾向としては、飲むのは圧倒的に職場や友人と外で飲む回数がほとんどで、
家族団欒で飲むようなことはなかったようですが、今回の調査で家族との回数が増加してい
ることは、日本の将来を考える上で、良いことだと思われます。家族は最後まで親身になっ
て考えてくれますが、職場や友人は最後はどうなるか分からないからです。

 最近思うのは、会社関係の人と過ごす時間と家族と一緒に過ごす時間を比べた時に、圧倒
的に会社関係が多いことが分かります。個人の人生を考える際に、家族や夫婦の絆をもう一
度真剣に考える必要があると思うようになりました。

 また、調査では、「夫婦一緒に夕食・晩酌する日数」が多い人ほど、「愛情を感じている」
割合が高まっていることも明らかとなったとのことなので、リーマンショックは経済面で大
きな影響を与えましたが、ひょっとすると家族や夫婦の間の関係や絆を強くするという、良
い面に貢献しているとも言えそうです。

 ただし、平日の会話時間が「30分以下」の夫婦は、3人に1人(30.2%)となり、
昨年の25.4%よりも増加しているようです。もっと言うと「会話レス夫婦」の割合が高
まっており、さらに結婚年数に比例し会話時間「30分以下」の割合が増える傾向にあり、
結婚年数「15~20年」に至っては、その45%の夫婦が「30分以内」ということで、
熟年離婚の予備軍が着実に拡大していると言えそうです。

 食事を一緒に食べる夫婦は、愛情を感じているにも係わらず会話時間が短いのは、困った
ものですね。因みに、会話時間が「30分以下」の夫婦は、何と約半数の49.2%も「離
婚を考えたことがある」となっています。「会話時間」と「愛情」は、密接な関係にあるの
です。世の中のこのデータに該当する亭主族の方は、本当に注意した方が良いと思います。

 このような結果を見て、個人的に考えてみると自宅で食事をするのは、土日を除き週に2
回程度なので4日強、また夫婦で食事するのは土日だけですので週2日、平日の会話時間は
30分以下です。

 この事実と今回のアンケート調査結果から判断すると我家は、「いい夫婦」とは言えない
ようです。ただし、土日や夏休み等においては、愚妻中心で対応しているので、それらの面
では平均以上となるかも知れません。

 今後、外で飲む回数を減らし、家飲み回数を増やして会話時間を増加し、夫婦円満になる
ように取り組もうと、単純に思いました。熟年離婚でもされたら、料理等が全くできない凡
夫なのでどのように生きていったらよいか想像がつきません。残り少なくなってきた人生を
歩む際に、やはり伴侶は必要だと素直に思うようになり、反省した次第です。

 「いい夫婦の日」に関するアンケート調査の結果は、凡夫にとって人生を歩む方向の軌道
修正を行うきっかけとなったことは確かです。興味のある方は、以下に示すURLにアクセ
スし、調査結果を参考にして下さい。皆さん、充実した人生を送りましょう。 合掌

http://www.meijiyasuda.co.jp/profile/release/2009/pdf/20091120.pdf

■ 第1659回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Cプロ初日)♪♪

2009-11-22 18:40:00 | Weblog
 
 先週の金曜日の夜に、指揮者のネルロ・サンティを生で聴くチャンスがあと何回あるかど
うか分からないので、前週に引き続き渋谷のNHKホールへ出かけNHK交響楽団定期演奏
会を聴きました。

 演奏曲目は、前半がレスピーギの交響詩「ローマの噴水」と森の神々、後半はヴェルディの歌劇
「オテロ」から「柳の歌」「アヴェ・マリア」、ストラヴィンスキーのバレエ組曲
「火の鳥」(1919年版)でした。

 レスピーギという作曲家ですが、始めはヴァイオリンやヴィオラの演奏者として活動した
が、その後は作曲に転向した音楽家です。作品としては、「ローマ三部作」と呼ばれる一連
の交響詩「ローマの噴水」、「ローマの松」、「ローマの祭り」やリュートのための古風な
舞曲とアリアの組曲が有名です。

 今回は「ローマ三部作」の中から交響詩「ローマの噴水」が演奏されましたが、個人的に
波長が合わない作曲家です。このように好き嫌いがはっきりしてしまうと、音楽を聴く姿勢
にも影響がでてしまうのではないかと、個人的に心配してしまいますが、別に音楽評論で生
活して行く訳でもないので、気楽に感じた内容を述べています。

 「ローマの噴水」ですが、繊細なタッチで噴水を中心とした心理的な風景描写を音で表現
したものだと思いますが、凡人にはこれらの音からレスピーギが思い描いた情景が浮かんで
こないのです。自分の想像性のなさを嘆きたくなるような感じで聴きました。

 もっとも理解に苦しんだのは、2曲目の森の神々です。どちらかというとフランス音楽の
かったるさが出ているような楽想で、ソプラノのアドリアーナ・マルフィージがいくら名歌
手と言われても、聴く側からしたらこの音楽は正直言ってどのように聴いたらよいか分から
ないものでした。

 前半の演奏を聴き、失望感で一杯となったので後半はどのようになるのか心配でしたが、
後半の1曲目であるヴェルディの 歌劇「オテロ」から「柳の歌」「アヴェ・マリア」は、
素晴らしい内容でした。

 特に「アヴェ・マリア」は、最高の出来栄えで、前半のレスピーギを歌った同じプラノ歌
手とは思えないほど、声と言い表現する内容の技術面と心理面が見事に融合して、素晴らし
い演奏でした。

 聴きながら自分も同化してしまうような名演奏だったと思います。声の柔らかさと安定し
た音程、さらに心に響く歌い方は流石名歌手だと思わせるものが多くありました。

 後半の最後の曲はストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)でしたが、
これもしっかりとした演奏構成で組み立てられており、N響の演奏能力の高さを示した内容
でした。個人的には、指揮者のネルロ・サンティがストラヴィンスキーの作品に挑戦するな
ど、考えても見なかったことなので、意外性を持ちながら聴いた次第です。

 前月のアンドレ・プレヴィンや今回のネルロ・サンティのように、かなりの高齢なった指
揮者の演奏会は、次の機会を期待できないような感じを受けるので、今回のように2週連続
でN響を聴きに行くことになるのです。今後とも良い演奏を聴かせて欲しいものです。

■ お互いを理解するために!!

2009-11-22 13:25:45 | Weblog

 育った環境が異なれば、それだけ相手の状況を理解するのに苦労するのは当然のことだと
思いますが、自分がこれだけ相手に対して良くしているのに、理解してくれないのは何故だ
ろうと感じることがあるのは、誰もが経験していることと思います。

 そのようなときにどうしたら良いのでしょうか?簡単なのは、相手が理解してくれないの
は相手に問題があるのだから、今後は当たり障りなく適当に対応するという逃げの姿勢に入
ることです。

 一見、正しいようで納得ができるものですが、本当にそうなのかどうか迷いが生じます。
自分の事は自分が一番良く知っていると思いがちですが、自分が置かれている状況を理解し
ていないことがよくありますし、相手も同じ状況だと思います。

 であるならば、お互いに歩み寄ることが最も大切なことなのですが、残念ながら人間は自
分を正当化する方法をいろいろと考えます。所謂、保身という自分中心の世界感の考え方で
す。自分を可愛がることが出来ないものは、他人を想いやることが出来ないのも正しいこと
だと思いますが保身はいけません。

 しかし、自分を守ったところで、本来の進むべき道が開かれるわけではありませんし、こ
の世の中で、自分ひとりで物事を進めることはできないからです。たとえノーベル賞をとる
ような素晴らしい能力を持っていたとしても、一人では生きられないのです。

 ではどうしたら良いかというと、自分の周りの人との関係を円滑にする最低限の術を身に
つける必要があります。それには自分にとって苦手な相手であったとしても、最低限の対応
をすべきなのです。具体的には、まず相手を褒めることだと思います。

 決して八方美人になれとは言っていません。どんな人でも必ず良いところがあるのですが、
人間は哀しいかな相手の欠点や厭なところに目が行ってしまうのが普通です。

 そして、そこで感じたことでその人の全てを判断してしまうのです。その基準を変えない
限り、その人との関係をより良くすることが出来ません。相手に対してそのような行動に出
れば、反対に相手も自分に対して同様の対応をして来るのです。

 こちらが好意的な対応をすれば、自ずと相手も同じ対応に出てきます。仮に相手が好意的
に出てこなくても、こちらは常に好意的な姿勢を出し続ける必要があります。こちら側から
の好意的な対応が無くなった段階で、相手との関係は単純に終わってしまい、元の状態に戻
ってしまうという最悪の状態は避けるべきです。

 人間は、他力によって生きているという考え方に共感し、それに基づいて行動することが
出来れば、自分以上に他人に対する接し方が自ずと変わるので、必然的に相手の対応も変わ
るはずです。

 さらに、相手が直ぐに変わらなくても変わるまで待つという忍耐力が特に必要となります。
自分のためでなく、他人のために自分を捧げるといった利他的な考え方をする人が多くなれ
ば、この世の中はオセロゲームのように、ある時一挙に変化する大きな現象が起こると思っ
ています。

 その日が来るまで、ひたすら自利でなく利他のために自分を生かすことが重要だと思って
いるこの頃です。合掌

■ 第1658回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2009-11-15 01:55:06 | Weblog
 
 オバマ大統領がサントリーホールでアジア政策演説を行った日の夕方、渋谷のNHKホー
ルへN響の定期演奏会を聴きに出かけました。いつも原宿の駅で降りてNHKホールへ歩い
て行きますが、今日はほとんどの人が代々木体育館とさらに体育館横に仮設置された臨時の
イベントの方へ人の流れが延々と続いていました。

 さて、本日の演奏曲目は、前半がウェーバー:歌劇「オベロン」序曲、シューベルト:交
響曲第7番ロ短調D.759「未完成」、後半がブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68
でした。指揮者は2年振りにN響に登場するネルロ・サンティでした。

 演奏の内容ですが、ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲は、初めて聴く曲でしたが聴いて
全体的に柔らかくかつ暖かみを感じる曲想で好感を持ちました。特にホルンの旋律と弦楽器
との調和は最高でした。今日は、特にホルンが最高で、音色はベルリン・フィル並みの音色
でした。

 2曲目はシューベルトの交響曲第7番ロ短調「未完成」ですが、本当に久しぶりに聴きま
した。聴きながら初めてクラシックを聴きだした頃の思い出が広がり、青春時代の自分の姿
が浮かび上がるとともに、懐かしさとその頃の幼い自分に対する恥ずかしさが入り混じった
複雑な思いが蘇りました。

 後半のブラームス:交響曲第1番ですが、第2楽章の演奏で違和感を感じました。弦楽器
が奏でる旋律の中に、遠くからまずオーボエが入ってくる場面がありますが、そのオーボエ
が強弱とテンポの面であまりにも単調であり過ぎたので、流れがそこで止まってしまった感
じを受けたのです。

 シューベルトの時のオーボエは良かったのでとても残念でした。個人的には、ブラームス
はセカンドを吹いていた池田昭子に代わって欲しいと思いました。また、オーボエに続いて
クラリネットが入って来ますが、クラリネットの演奏内容は強弱とテンポ面が絶妙で、しか
も感情がしっかりと入っており、非常に充実したものでした。

 全体を通しての感想ですが、ブラームスの特徴である重厚でドイツ的な響きがなく、どち
らかというと明るいイタリア風のブラームスに感じられました。ブラームスで欲しいのは日
本文化で言うところの侘びとさびを出すことに尽きると思っています。

 さらに最終楽章では、もっと緊張感を増すような弦楽器の弾き方が欲しと思いました。ど
のパートも技術レベルは高いのですが、全体的なバランス調整の面で、もう少しサンティに
よる配慮があれば、今回の演奏は名演奏になったと思いました。その意味からも、非常に残
念でした。ただし、ホルン、ファゴット、クラリネット、オーボエ等内容は非常に良かった
と思います。

 今回のN響は全体を通じて、普段のN響と異なった感覚が漂っていました。その原因とし
て2つ考えられます。一つは金管楽器のメンバーがいつもと異なり、全体に若かったからか
も知れません。その影響かどうか知れませんが木管楽器もそれに同調し管楽器全体の響きが
輝いていました。

 二つ目は、指揮者のネルロ・サンティが、全体的に円熟みを前面に出した演奏スタイルを
とっていたように思われます。今回のサンティですが、どの曲を終えた後も、満足している
現われなのかそれとも逆の思いなのか分かりませんが、にこにことしていたのが気になりま
した。

 先月のアンドレ・プレビンと同様に、ネルロ・サンティにも言えますが、高齢であるので
健康面でとても心配しています。健康に配意し、次回も今日と同じような内容の演奏を期待
したいと思います。

 次回の12月定期演奏会は、指揮がデュトワであるので、今日と同じ管楽器のメンバーで
あれば名演奏が聴ける予感がするのですが、如何なものでしょうか・・・・・

■ 東京アカデミーオーケストラ第36回定期演奏会を聴いて♪♪

2009-11-08 23:16:35 | Weblog
 
 この日曜日は、東京アカデミーオーケストラ第36回定期演奏会に出かけ、モーツァルト
のピアノ協奏曲を聴いてきました。 

 東京アカデミーオーケストラは、1991年に結成された室内オーケストラで、早稲田大
学交響楽団や慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ等の大学オーケストラ首席
経験者が中心となって組織され、これまでに指揮者を置かずに活動を続けてきたオーケスト
ラとのことです。

 今回、初めてこのオーケストラを聴くきっかけとなったのは、今回の演奏会でモーツァル
トのピアノ協奏曲第21番を弾くピアニスト久元祐子の存在があります。昔からレクチャー
を交えたミニコンサートや、カルチャーセンターでの講義を行うなど、他のピアニストと異
なる活動を続けている音楽家として尊敬していました。

 また今回の演奏会は、先月のN響の演奏会を聴きに行った際に演奏会場の入り口で配布し
ているコンサートチラシの中に入っていたのを見つけ、わざわざ横浜の青葉台にあるPHILIA
HALLへ出かけたのです。

 演奏曲目は、前半がハイドン:交響曲第48番ハ長調「マリア・テレジア」とモーツァル
ト:ピアノ協奏曲第21番ハ長調KV467、後半がメンデルスゾーン:交響曲第4番イ長
調「イタリア」でした。

 1曲目のハイドンの交響曲でしたが、個人的に全体の流れについて行けない感じを受けま
した。この傾向はハイドン全ての交響曲に言えます。まとまりがない感じと、モーツァルト
のように滑らかに流れる音楽となっていなからです。

 ハイドンは交響曲を104曲も作ったようですが、これらの曲を聴いても共感が得られな
いのは、聴く側の個人的な問題かも知れませんが、ハイドンはどうもいただけません。

 2曲目は、久元祐子によるモーツァルトのピアノ協奏曲でしたが、第一楽章はオーケスト
ラとピアノの対話が少しギクシャクしているようで、どうなることかと心配しながら聴いて
いましたが、途中で久元が主導権をとり、オーケストラを引っ張った関係でまとまりがつい
た感じがしました。

 第二楽章以降は、弦楽器が鳴るようになりモーツァルトらしさが出てきました。特にチェ
ロのパートは良く鳴っていたと思います。ただし、管楽器のパート(特にフルートとホルン)
の音色が全体の楽想と上手く溶け合わない感じを受けました。

 さらに、カデンツァですが、今回はリパッティのものを使用するとのことで耳を澄ませて
聴きました。このカデンツァは初めて聴くものでしたが、全体的に生き生きとし、さらに堂
々としたももで、どちらかというと男性的な内容のものでした。

 カデンツァを弾く久元ですが、オーケストラとの掛け合いの内容と打って変わり、ピアノ
が自由にまた滑らかにメロディを奏でるのを聴きながら、新鮮で新しいモーツァルトの一面
を見た感じがしました。

 後半は、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」でした。指揮者のいないオーケス
トラの演奏を聴きながら、感じたことは、指揮者の存在の大きさです。指揮者の必要性の有
無ではなく、音楽をより高度にまた内容を充実させるためにも、このオーケストラには指揮
者が必要と感じました。

 オーケストラの技術レベルは高いものを感じましたが、全体のバランスや感情の自由な動
きが少なく、単純にいうと音楽の面白さを十分に発揮出来ていないと感じました。プログラ
ムやホームページを見ると指揮者をわざと置かないで音楽を作り出すことを念頭において活
動しているようですが、プロの音楽家であっても指揮者を置かずに演奏することには難しさ
があると思いますので、個人的には置かないことに対する疑問を感じました。いろいろな指
揮者のもとで、いろいろな音楽を作り出しながら成長することが重要だと思っています。

 さらに感じたことは、今回の演奏はアンコール曲であるモーツァルト:歌劇「フィガロの
結婚」序曲を含め4曲演奏されましたが、曲ごとにコンサートマスターが変わっていました。
演奏内容が良かったのは、モーツァルトの2曲であり、これらの曲のときはともに女性のコ
ンサートマスターでした。女性の方が全体をまとめやすいのでしょうか?

 今回の演奏会は、オーケストラにおける指揮者の重要性に関して、真面目に考えるきっか
けとなりました。

■ 人生と加齢と体力低下!!

2009-11-08 11:34:51 | Weblog

 人間、誰でも歳をとると体のどこかが悪くなるものです。私は30歳を過ぎたころに受診
した健康診断で、コレステロール値が高いと診断され、それ以来30年近く薬を飲み続けて
生きています。コレステロールを下げる薬がなければ、とうの昔に心臓発作で死んでいたと
思います。

 長期間飲み続けていても、一般的に管理値と定められている値を現時点でクリアすること
が出来ていません。あとは、適度の運動とコレステロール値を上げないないような食事療法
を確実に行う必要があります。

 若い頃は、コレステロールを上げる食べ物をなるべく取らないようにしてきましたが、人
生50年を過ぎ、残りはおまけの人生のようなものだと思うようになると、ついついいい加
減になってしまいます。本当に困ったものです。

 また、幼少のころは小児喘息で苦しい思いをしましたが、中学生になる頃には発作がでな
くなりました。それ以来これまで一度も出なかったのですが、最近加齢による体力低下によ
るものと思いますが、朝晩喘息が出るようになりました。昔、小児喘息で苦しい思いをした
記憶が蘇りました。

 幸いにも現在掛かっている医師(年齢はほぼ凡夫と同じ女医さん)からアレルギー疾患治
療薬をもらっているので、朝晩薬を飲み発作を軽減しています。薬に頼るようになると人間
も終わりかなぁと思いますが、もう少しやってみたいことがあるので、しばらくは薬の厄介
にならざるを得ないと思っています。

 先日もいつもの医者に薬をもらいに行った時の会話ですが、「喘息がでたの?そう。でも
あなたはもう齢なのだからしかたがないのよ。」と言われ、納得感と自分の年齢を改めて認
識した次第です。

 さらに「あなたは、お酒が好きだったわよねぇ。週に何回お酒を飲むの?飲みすぎは駄目
よ。お酒の飲みすぎで消化できないものは体の中に蓄積し、最終的に脂肪に変化するのでコ
レステロール値が上がるから、注意しなさい」と言われ、その時は少し反省し、お酒の量を
控えようと思うのです。

 しかし、目の前に大好きな〆鯖や鰯や秋刀魚の刺身、さらに燗酒にぴったり合う鍋がある
と、ついつい日本酒の量が増えてしまいます。我が愚妻曰く、「好きなお酒を飲んで死ねる
のだから本望でしょう」と皮肉っぽく逆説的な良い方をされると、これまたへそ曲がりの凡
夫にとって意地でも飲んでやろうと思ってしまいます。

 仏教を信じ、少しでも自分の中の仏性を高めようとしている身でありながら、情けない行
動しか取れない自分を恥じることが多々あります。これでは、良い死に方ができないなぁと
反省の日々が続いています。

 仏教や禅の本をそれなりに読んでいますが、考え方だけ身に付いて、実践が伴わない情け
ない結果となっています。しかし、気分が乗っている時とか、あるいは心が充実している時
は、般若心経を唱えたりして、一時的ですが無心の世界とでもいう状況を体験しています。

 最近はこのように歳をとって体力的にも人生的な面でもちょっと問題の状況に陥っていま
す。ただ一つだけ言えることは、人それぞれに異なったものだと思いますが、自分なりにい
ろいろな経験を通して、今の自分のある部分は形成されたと言って過言ではないと感じてい
ます。

 歳をとったらそれまでの経験を生かすことが重要であるし、また一方で、体力は必然的に
低下するのでそれに合わせた生き方を行うべきだと最近感じています。人生1回だから味が
あり、また失敗を通じて賢くなるプロセスを学ぶことが出来るのが、人生の醍醐味であるこ
とを考えると、いまのままが最高だと思います。

 歳を積み重ね加齢によるいろいろな不具合が出てきても、それを良しとして進む人生をす
べきだと思っていますし、自分には、モーツァルトと仏教があれば人生迷わず前に進むこと
が出来ると確信しています。モーツァルトと仏教に出会たことが最高の喜びです。合掌

■ 秩父34観音霊場巡礼!!

2009-11-03 16:16:29 | Weblog

 10月連休の1日と先日の日曜日に秩父へ出かけ、秩父34観音霊場の内12の札所を回
ってきました。秩父34観音霊場は、西国33観音霊場と坂東33観音霊場とともに、日本
100観音霊場として昔から庶民に親しまれた霊場巡りです。

 これまでは機会ある毎に五木寛之の百寺巡礼の寺を回ってきましたが、全国に点在する一
流の寺を訪ねる他に、昔の人々が心のよりどころとした観音様を巡り、想いを伝えて安らぎ
を得る観音霊場巡礼を体験することも必要だと思い、比較的1地域に集中している秩父34
観音霊場を巡礼しようと思い行動に移しました。

 秩父34観音霊場をゆっくり徒歩で回るには、7日間(1回で5観音を巡る)必要だと言
われているので、来年の3月末を目標に34ケ所を回る計画を立てました。

 今回秩父を訪れた2回とも暖かい日差しが降り注ぐ秋晴れのなか、普段運動もしていない
ことから1回で10数kmを歩くことが出来るか心配でしたが、2回とも意外と問題なく歩
くことが出来ました。

 ただし、1回目の巡礼で札所1番の四萬部寺から札所2番の真福寺へ行くには山を登らな
ければならず、坂道を登るに際して、息が切れるなどちょっと大変でしたが、空気が美味し
く感じられる自然の木々中を歩くのも、また格別の喜びを感じました。

 久しぶりに全身で気持ちよい汗を流しました。山頂にある真福寺に到着し、下界を眺める
と山々が青い濃淡による組み合わせで見えるとともに、ぽっかりと浮かんだ白い雲とともに
空が青と白のグラデーションでキャンバスに描いた絵画のような感じでした。

 それぞれの寺の本尊である観音菩薩像を拝顔する際には、真言(十一面観音であれば、オ
ン・マカ・キャロニキャ・ソワカ)を唱えるとともに、自分の願いごとを祈念します。今回
12の寺を回りましたが、それぞれ味のある観音菩薩像でした。

 個人的には、9番の明智寺(建立は建久2年(1192年)とのことです)の前立本尊如
意輪観世音像に対して親しみを持ちました。この仏像は、右手を右あごの下に添えるととも
に、顔全体を右に少し傾けており、全体的に少し色気があるようで親しみを感じました。

 いままでにいろいろな仏像を拝顔してきましたが、秩父の里にある小さな寺に約800年
前から人々の願いをじっと聞きながらたたずんでいる前立本尊如意輪観世音像を見ていると、
自分の身の回りで起こる不安や安堵や希望や失望等のいろいろなことが、一瞬にしてすーっ
と消えてしまったかのような錯覚を覚えました。

 また今回の巡礼の際に不思議な体験をしました。札所6番の卜雲寺と7番の法長寺を訪れ
た際にですが、背中に焼けるような熱さを感じたのと、しばらくすると今度は涼しい風が数
秒間自分に身を包み、いままでの熱さが一瞬にして消えるという体験をしました。

 秩父には江戸時代の巡礼道が現在まで残されており、今回は可能な限りこの巡礼道を歩き
ましたが、これらは田圃の畦道や細い道からなっており、回りの自然の素朴さを感じながら
ただひたすらに歩き続けていたので、陽の暑さと体温の上昇で背中に熱さを感じたのかも知
れません。しかし、今思い出してもとても不思議な体験でした。

 それぞれの寺で参拝した後は、御朱印を頂き次の寺に向かう繰り返しです。まだ2回の巡
礼体験ですが、初めは徒歩で予定通り回れるかといろいろ心配しました。また、寺を目指し
て歩き出した時点では、目的の場所は遠くで目に見えませんが、一歩一歩歩いていると、自
ずと目的の寺に着きます。最後の方になると、巡礼は先が見えない人生と同じだと思うよう
になりました。

 継続は力なりとよく言いますが、何事も毎日の小さなことの積み重ねが、最後に大きな力
に繋がると思います。地道に進むのが最もよい方法なのだと実感した巡礼でした。合掌