ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 東京都交響楽団第697回定期演奏会を聴いて(東京文化会館)♪♪

2010-04-30 00:01:59 | Weblog


 先週の木曜日に東京文化会館で行われた東京都交響楽団第697回定期演奏会を聴いてき
ました。演奏曲目はモーツァルト:ピアノ協奏曲第17番ト長調K.453とエルガー:交
響曲第2番変ホ長調作品63です。指揮はジェームズ・ジャットで、ピアノは相沢吏江子で
した。

 東京文化会館は青春時代によくコンサートを聴きに行ったホールで、当時はこの東京文化
会館しかなかったような記憶があります。このホールは良い音の響きが感じられるホールで
NHKホールより良い音がするので好きです。

 今回この演奏会に足を運んだのは、モーツァルトのピアノ協奏曲があるのと、エルガーの
曲があったからです。エルガーはどことなくブラームスの香りがするので好きな作曲家です。

 2曲とも演奏内容に関しては、満足しました。モーツァルトのピアノ協奏曲を弾いた相沢
吏江子ですが、今回初めて聴きましたがモーツァルトの曲なのにモーツァルトではないよう
な、でもある部分は思いっきりモーツァルトで、とても不思議な演奏をするピアニストだと
思いました。

 聴いていて才能があることははっきりと分かりますが、どの部分がどのように素晴らしい
のかを言葉で表現するのは難しいのですが、敢えて言うのであればある極限までモーツァル
トの音を持って行き、それ以上にすると明らかに全体が崩れてしまうぎりぎりの演奏をする
ピアニストだと感じました。

 また、彼女の演奏を聴いていて、今まで経験したことが無いような新たなモーツァルト像
が浮かんでくる感じがしました。常にドキドキしながら緊張感を持って聴くことができ、大
いに楽しめました。個人的には、モーツァルトでなく現代音楽の分野がぴったりとするピア
ニストではないかと思った次第です。

 一方、モーツァルトのピアノ協奏曲第17番は、それまでのピアノ協奏曲と異なる雰囲気
を持つ曲で、モーツァルトがさらに大きく成長したことを現わす内容となっている感じがし
ます。別の表現をするのであれば充実感が味わえると言ったらよいのでしょうか、何かレベ
ルが高い感じを受けるのです。

 エルガーの交響曲ですが、どの楽章もエルガーと分かるような楽想で、4楽章間の重み付
けもあまり感じられず、全ての楽章が独立しているような感じを受けました。また、エルガ
ー独特の哀愁を帯びた流れや、さらに引き締まる感じの部分があり、リズムと音色が作る音
楽の世界感を楽しむことが出来ました。

 指揮者のジェームズ・ジャットは、以前NHK交響楽団を振ったときに聴いたことがあり
ますが、ヨーロッパで活躍している指揮者でバランスのとれた音楽を作る指揮者だと思いま
すし、今後期待されている指揮者だと思います。

 また、東京都交響楽団ですが、久しぶりに聴きましたが弦楽器が良く鳴っているし、演奏
者のレベルも高いと思われました。今後モーツァルトを演奏するプログラムがあったら必ず
聴きに行こうと思いました。

■ 尊敬する恩師の死と秩父34所観音霊場巡り!!

2010-04-29 21:21:06 | Weblog


 先日、私の尊敬する恩師が94歳で亡くなりました。4月だというのに冷たい雨が降る中、
通夜に参列し先生を偲びました。先生との出会いは、学生の時に電気磁気学を受講した際の
教授であり、さらに電波工学研究室のゼミで電波工学を学んだ際の担当教授であったことで
す。

 外見からは非常に優しい印象を受けますが、授業やゼミの時は非常に厳しい先生でした。
先生がもっとも嫌いであったことは、一生懸命に取り組まず手を抜くような行為であり、こ
のようなことをした学生に対しては、激怒されたことを今でも思い出します。

 ただし、真面目で一生懸命に前向きに取り組む学生に対しては、出来が悪くても褒めてく
れる先生でした。何を隠そうこの私は、成績は悪かったのですが、電波が好きで真面目にそ
して前向きに取り組んでいたので、先生からは可愛がられた学生であったと思っています。

 人間って不思議なもので、他人から可愛がってもらえている事を実感できると、何事でも
一生懸命に取り組むものです。褒めたり優しくしたりすることの重要性をこの先生から学び
ました。

 先生はお酒が弱いにも関わらず、ゼミで飲み会を設定すると必ず出席しさらに多大な寄付
までいただくなど、幹事としてとても助かった思い出があります。学部を卒業し就職するか
大学院へ行くか悩んだ時に、先生に相談したところ大学院で勉強するのであれば学内推薦を
してあげると言われ喜んだことが、昨日のように思い出されます。

 結局は大学院へ行かず就職したのですが、就職の時も学校推薦で内定した会社を最終的に
断り、先生が大学に来る前に居た会社に入社しました。当時世の中では、会社が指定する大
学の学生が優先的に入社出来る指定校制度がありました。

 一流の大学を出たものは苦労をせずに一流の企業に入社できるシステムが公に存在してい
ました。どんなに優秀でやる気がある者でも、この指定校になっていない大学の学生は一般
公募の枠が設定されていればそれを受けるしか入社する手段はないのです。

 2流の私立大学にいた私は、この指定校制には泣かされましたが、当時はそのような制度
が当たり前で、誰も疑問に思いませんでした。

 先生の出身会社を一般公募枠で受験し、1次試験をパスし2次試験に進む際に人物推薦書
の提出が必要となりましたが、既に学校推薦で内定が決まっていた会社があったので、学校
から新たな人物推薦書をもらう事が出来ない状況でした。

 困った挙句の果てに先生に頼みに行きましたが、当時先生は就職担当でしたので学校推薦
で入った会社を断ることはルール違反になるので駄目だろうと思っていました。しかし先生
は暫く考えた後に、先生個人による非公式な人物推薦書を書いて渡してくれました。

 この先生の非公式な人物推薦書を携えて2次試験に臨みましたが、面接官の中に先生を知
っている方が多くいた関係で何の問題もなくスムースに終わりました。そして、この会社か
ら内定通知をもらった際に、先生に報告に行った時は満面の笑みで非常に喜んでくれました。

 今の会社で採用の仕事にも携わっていますが、学校には拘らず人物本位で採用し少しでも
公平性を保つようにしています。このような考えの背景には、自分が経験した指定校制に対
する疑問があったのは事実です。多くのチャンスを与えることが今後とも企業としての責務
だと思っています。

 社会人になった後に先生にお世話になったのは、結婚する際に仲人をお願いしたことです。
当時の結婚は、仲人を立てて執り行うのが通例でした。会社の上司にお願いすると後々まで
いろいろな関係で大変になりそうだったので、迷わず恩師にお願いした次第です。先生の家
へ愚妻とともに仲人のお願いに訪問した際には、いつものようににこにこしながら一つ返事
で受けていただいた日の事を思い出します。

 その後は、数年に一度開催されるOB会でお会いしたり、最近では年賀状を通じての挨拶
だけになってしまいました。年賀状にはいつも先生のコメントが几帳面な細かい文字で書か
れているのを読むのが楽しみでしたが、これからは先生のコメントはありません。少し寂し
い気持ちです。

 先週の日曜日に、秩父34所観音霊場巡りを終えました。最後の34番札所でこれまでの
先生への感謝の気持ちを持ちながら、今後は自分が先生から学んだ大切なものを後輩に教え
なければならないと新たな決意でこれから取り組んで行くことを誓うとともに、先生のご冥
福を祈りました。

 今こうして自分があるのは、先生のお陰だと思っています。先生と出会う事が無ければ、
今の自分の人生はあり得ないと思っています。先生本当にありがとうございました。合掌

■ 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団演奏会を聴いて(ティアラこうとう)♪♪

2010-04-18 17:30:16 | Weblog
 先週、「ティアラこうとう」で開催された東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団演奏
会を聴いてきました。初めて聴くオーケストラでしたが、目的は単純でモーツァルトの交響
曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」とレクイエムK.626が演奏曲目にあったから
です。指揮者は、飯守泰次郎でした。

 人生の時間が残り少なくなってきているので、コンサートを聴きに行く基準として、演奏
曲目にモーツァルトの作品があるかないかで決めるようにしています。限られた時間の中で
出来るだけ良いモーツァルトの演奏を聴きたいという言わば我儘な判断ですが、どうしても
納得の行くモーツァルトに出会いたいというのが、正直な気持ちなのです。

 過去にモーツァルトのレクイエムを演奏会場で聴いたのは1回だけで、それもNHKホー
ルで行われたアーノンクールの指揮によるもので、演奏はウィーン・コンツェントゥス・ム
ジクスした。

 その時の聴いた印象ですが、とても上品で清楚でどちらかというと美しいレクイエムとい
った方が適切かも知れません。個人的には淡白なものではなくもう少し劇的なものを望んで
いたのですが、アーノンクールは淡々と演奏していました。その後、現在までレクイエムを
聴くチャンスがなかったので、今回期待して聴きに行った次第です。

 飯守泰次郎の演奏ですが、昔学生の頃に良く聴きに行った読売日本交響楽団を指揮してい
た若い飯守泰次郎の印象が今でも強く残っています。今回数十年振りに聴いた飯守の指揮で
すが、良い意味での年齢を感じさせる内容になっていました。

 プログラムは先ほど示したモーツァルトの2曲のほかに黛敏郎の「弦楽のためのエッセイ」
の3曲でした。生意気な言い方ですが、演奏内容は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽
団の実力を考えると、それなりの演奏になっていましたが、個人的に望んでいた重厚あるレ
クイエムにはなっていないものでした。

 曲の出だしの弦楽器の部分の扱いはもっと丁寧に慎重に処理して欲しかったし、盛り上が
るべきところは全力の音を出してほしかったと思います。個人的にはモーツァルトのレクイ
エムは全てを出しつくし、また燃え尽きて何も残らない中にぽっかりと空虚なものが心に残
る演奏が理想だと考えています。アーノンクーも今回の飯守泰次郎も、そのような内容のも
のではなかったのが個人的に残念な限りです。

 また、最近のオーケストラの傾向だと思いますが、弦楽器奏者の多くが女性が占めている
ことです。決して女性の演奏が悪いと言っているのではなく、演奏で瞬発力が求められる時
に若干問題があるかなぁと思う程度です。変な表現ですが、自信が無いような運弓からはし
っかりとした弦の音は出ないのです。弦と弓がしっかりとくっついた状態であとは力の入れ
加減とボーイングの技術で心の感情の動きを音として表現できるのです。

 その点、独唱の4名(ソプラノ:日比野 幸、アルト:谷口 睦美、テノール:児玉 和
弘、バス:山下 浩司)と合唱の東京シティ・フィル・コーアは良かったと思います。人間
の声に勝る楽器はないと思います。

 モーツァルトのレクイエムですが、モーツァルト最後の曲として余りにも有名ですが、今
日聴ける内容の約半分はモーツァルト自身によるものですが、残りは弟子のジェスマイアー
が作曲したとされています。どちらが書いたにしろモーツァルト最後の曲なのでそれなりの
内容をキープし、かつ最期に相応しい演奏内容を期待するのは誰もが望むことだと思います。

 全てを聴き終わった後の感想ですが、なにかもやもやとしたものが残るモーツァルトのレ
クイエムでした。6月にダニエル・ハーディング指揮でスウェーデン放送交響楽団とスウェ
ーデン放送合唱団による、モーツァルトのレクイエムを聴きに行きますが、3度目の正直で
今度こそ重厚なレクイエムになるように祈っています。

■ 無能なリーダーは去り、立ち上がれ日本!!

2010-04-17 11:47:14 | Weblog

 生意気なことを言うようであるが、この齢になると何事にも先が見えてくるような気がし
てならない。若いうちは全く考えもしなかったことであるが、この齢になると全ての事象に
は有限性があるとの視点に立つことが出来るようになるので、自ずと見えてくるものがある。

 最近特に憂いていることは、日本という国の将来ことである。政権交代した時は、これで
日本もあるべき姿の国に変わるのではとの大きな期待があったが、今は国の責任を預かる鳩
山首相のリーダーシップの無さにより迷走しているのが現実である。従来の自民党とほとん
ど変わらない、あるいはもっと悪い状況に陥っているような気さえする。

 国だけでなく家庭でも会社でも方針や方向を決めることは、大きな意味を持ちそれだけ覚
悟を持って取り組むのが普通である。家庭であれば景気低迷で給与が減額になれば、それな
りの対応をし生活レベルを変えなければならない。従来と同じスタイルを続けることは出来
ないのは誰にでも分かることであり、自分の欲を抑えるのが普通である。限られた資源のな
かで如何に生きていくかを考えなければ生活ができないのである。

 会社であれば、如何にしてコストを削減するかを真剣に考えそれに対応する施策を定め、
実行することが経営者の責任である。特にコスト削減はいろいろな所から不平不満が出てく
るが、断固とした決意で臨まなければ会社が成り立たない。

 部下からの人気を気にしながら会社経営を行うような者は、始めから会社を動かす人物と
して不適格なのである。良く言われるが、厳しい経営者ほど本当に優しい経営者であると思
う。

 厳しい判断を下した時は、周りから批判が多く出るが危機が去った後に初めて厳しい経営
者の判断が正しかったと評価されるのである。このように経営者は辛い立場を何度も経験し
て最後に評価を得る割の合わない仕事であるがゆえに、それなりの覚悟を持った者が行うべ
きなのだと思う。

 それに比べて国の対応はどうなのだろうか。強いリーダーシップをもって国のために真剣
に考え対応している政治家や官僚がいるとは正直いって思えない。誰もが、自分の利益や権
限を守るために慢心しているだけで、あるべき姿に向かって直球で進んでいる人がいない。
意味のない調和を考えているだけである。

 痛みを伴わない改革はあり得ないことは誰でも分かっているが、いざ自分がその判断を下
し実行する際には、自ら傷つきながら前進する気概をもった大物がいない。その点、評価は
二分されるが小泉純一郎は一直線に進んだ政治家だと思う。良い悪いは別にして、好きなタ
イプの政治家である。

 全ての面で正しいことを成し遂げることができる人間なんていないと思うが、判断しなけ
ればならないときには何らかの決断をするのがリーダーの責任であり、それが出来ない者は
リーダーを降りるべきだと思っている。リーダーは孤独であるのが宿命なのだと思う。

 友愛という言葉で人に優しくすることは重要であり否定はしないが、痛みのない改革はあ
り得ないことを肝に銘じて、あるべき姿の国にして欲しい。弱い者に味方することは間違っ
ていないし、仏教を信じている自分として絶対に行うべきであると考えるが、全てが丸く収
まることはあり得ないと思っている。

 ある程度の犠牲は仕方のないことだと思う。仏教を信じる者として、釈迦と会話が出来る
のであれば、一部の犠牲の上に成り立つ多数の幸せの是非に関して教えを請いたいと思って
いる。

 日本の国の公的債務は、国内総生産の2倍近くに達し、世界に例を見ないレベルにまで来
ているというのに、まだ友愛路線で突き進むのかと心配を通り越して最近は怒りを感じるよ
うになって来た。今は良いかもしれないが、いつかはそのツケが自分たちの子孫に回る確実
な事実があることを、もっと認識しなければならないのだと思う。

 このままでは、日本の国が危ないと真剣に考えている。国民の意識を変え、多少の犠牲を
払ってでも正しい道を進む勇気を持たない限り、日本は世界から取り残され全体が駄目にな
ってしまう。

 そのためには、全ての者が自分だけの視点で考えるのではなく、全体の立場で考え多少の
犠牲は受け入れることをすべきであると思う。犠牲による心の哀しさは仏教が癒してくれる
と個人的に考えるこの頃である。この状況を打破し、立ち上がれ日本!!

■ ノルウェー室内管弦楽団演奏会を聴いて(東京オペラシティコンサートホール)♪♪

2010-04-03 12:00:34 | Weblog
 3月中旬に東京オペラシティコンサートホールで開催されたレイフ・オヴェ・アンスネス
&ノルウェー室内管弦楽団による演奏会を聴いて来ました。ピアニストのレイフ・オヴェ・
アンスネスもまた、ノルウェー室内管弦楽団も今回初めて聴く演奏家でした。

 何となくノルウェーというと日本から遠い国の印象があり、地理的な関係で音楽も暗いイ
メージを持っていましたが、モーツァルトの作品を中心に組まれたプログラムであったので、
興味本位で聴きに行った次第です。

 たまたま日曜日の午後2時からのコンサートであったため、早めに昼食をとりのんびりと
した気持ちで会場に向かいました。会場の東京オペラシティコンサートホールですが、開館
した当時は数回演奏会で足を運びましたが、その後10年ほど遠ざかっていたので、本当に
懐かしい想いで会場に入りました。

 開館当時は、このホールの木の香りが漂い本当に心が落ち着くような印象を持っていまし
たが、今回は当時のあの懐かしい木の香りが無くなり、時の流れとともに何事も変化するも
のであることを実感しました。

 さて、当日のプログラムですが、モーツァルト:交響曲第35番ニ長調K385「ハフナ
ー」、モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調K488、休憩を挟んでグリーク:ホル
ベルク組曲Op40、モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調K491の4曲でした。
個人的にはモーツァルトの作品を沢山聴けるので大満足のプログラムでした。

 さて、演奏内容ですが正直言って、ここ数年に聴いた全ての演奏会の中で最も素晴らしい
演奏内容でした。少しノルウェー室内管弦楽団の実力を過小評価していたようです。この楽
団は指揮者を置かず演奏するスタイル(ただしコンサートマスターのイザベル・ファン・ク
ーレンがこの楽団の音楽監督を務めていますので、実質的には彼女が全体を統制しているよ
うです)をとっていますが、全員の気持ちが完全に繋がっており、一糸乱れぬ演奏にはただ
ただ感嘆するばかりでした。

 また、室内管弦楽団ですから人数が30数名程度の小規模ですが、そこから溢れ出る音は
通常のオーケストラと匹敵するものでした。さらに音が均質化しており、モーツァルトを演
奏するには最適な音楽環境であると思いました。

 全体的に女性が多いように見受けましたが、しっかりとした演奏でこの管弦楽の演奏レベ
ルは非常に高いと思いました。モーツァルトの音符が全て清楚にかつ喜びを持ちあたかも踊
っているような音が溢れ出ており、ただただ感激の中で満たされた時間を過ごしました。

 奏でられる音が、モーツァルトが演奏した時代の音のように聴こえてくるのが不思議でし
た。多分モーツァルトが実際に演奏した際の規模が、今回のノルウェー室内管弦楽団の規模
とほぼ同じだからではないかと思います。全ての音がそれぞれの役割をきちんと果たしてお
り、何一つ無駄な音が無いし音量のバランスもこれ以上調整する必要がないと感じるほど微
妙なところまで心がこもっていた内容でした。

 今回ノルウェー室内管弦楽団を弾き振りしたレイフ・オヴェ・アンスネスは、1970年
ノルウェーに生まれたピアニストですが、演奏を聴いていて才能があることが直ぐに分かる
ほど演奏内容には素晴らしいものがありました。モーツァルトが持つただ美しいメロディー
を弾くのではなく、長調の中に短調をまた短調の中に長調の気持ちをしっかりと弾けるピア
ニストで本当に久しぶりに感動しました。

 これまで感動する演奏会に出あう事が少なかったことから、本当は素晴らしい演奏なのだ
が自分の心が変に曲がってしまい、心で感じなくなったのではないかと思ったいましたが、
そうではないことが今回の演奏会で分かりほっとしました。

 反対に今まで聴いてきた演奏は、やはりどこかずれているものがあるのだと思いました。
純粋な音楽を伝え共有するべき演奏会が、音楽を提供するサービスビジネスになってしまっ
て来ているたのかも知れません。この点は、演奏家もまた聴く側も反省する必要があると思
われます。

 兎に角、今回の演奏会は全ての曲が本当に素晴らしいものであり、久しぶりにこころが感
動しました。これだけで十分だったのですが、アンコールでモーツァルトのピアノ協奏曲第
14番 変ホ長調 K449から第三楽章とショパンのワルツ第7番嬰ハ短調Op64-2が
演奏されました。特に最後のショパンは目がしらが熱くなるものがあり感動しました。

 今回の演奏家によるモーツァルトのピアノ協奏曲のCDが発売されているとのことなので、
購入してあの感動をもう一度体験できたら良いなぁと考えながら、心満たされた状態で東京
オペラシティコンサートホールを後にしました。