先月ですが、銀座のヤマハで開催された宮沢明子のモーツァルト講座に参加しました。先
週のメルマガにも書きましたが、宮沢明子は尊敬するピアニストでありどのような考え方を
もってピアノを弾くのかが興味のあるところです。また今回のような公開講座を通じて、こ
のような考え方を知ることが可能となります。
当日の参加者は50名程でそのほとんどが中年の女性でした。時々思うのはこのような講
座に参加する人の殆どが女性であることです。男性は私を含めて数人でした。世の中の男性
はこのような講座に興味がないのか、あるいは興味があっても出かけないのかのどちらかだ
と思いますが、最近クラシックコンサートに出かけても女性が常に多いような気がします。
時間とお金があるからかも知れませんね。
さて、今回の公開講座ですがパリ時代におけるモーツァルトのピアノソナタに関しての内
容でした。モーツァルト大好きに人間としては、宮沢明子がモーツァルトをどのような観点
から見ているのかを知りたいと思いました。
内容に関しては殆どが賛同する内容であり、特に違和感を持ちませんでしたが、講座の中
で弾いたモーツァルトのピアノソナタの作品を聴きながら、ふと思ったことがありました。
最も大きい違和感は、アクセントのつけ方と強弱の面で顕著に現れ、このような弾き方がモ
ーツァルトなの?と思う点がかなりありました。
第二楽章はどの曲もよかったのですが、その他の楽章での表現に気になるものがありまし
た。それは独特の弾き方であり、標準的なモーツァルトではないような感じさえ受けました。
これらの根底には宮沢明子の生き方というか人生観が顕著に現れていると思います。
自分の考えをはっきりと述べる話し方が、そのまま演奏の中にもでているのだと思います。
また、個性の強いピアニストだとも思います。モーツァルトの特徴である、躍動感や歌心、
さらにお洒落な表現等が重要だと思いますが、宮沢明子の演奏からはもっと違う次元の音楽
が流れ出しているように思われました。
これらは、モーツァルトの解釈の違いだと思いますが、正直言って宮沢明子のモーツァル
トは男性的な感じが特に強く感じられます。個人的にはモーツァルトは男性女性でなく中性
的な感覚だと思っているので、余計に強く違和感を感じるのかも知れません。
このようにいろいろな形のモーツァルトを聴くことにより、モーツァルトをもっと深く理
解できるといいなぁと思います。日程は未定ですが、次回は「ウィーン時代のソナタ」の講
座が開催されるようです。時間が合えば参加したいと思いました。