ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 愛犬ミルクの病!!

2009-02-21 17:07:30 | Weblog
 昨年の暮れに発覚したことですが、我が家の愛犬ミルクに腫瘍が発見されました。場所は
歯茎で肉腫とのことですがミルクにとっては時々痛みがあるように見受けられ、さらに元気
がない時があります。

 先日獣医の所で詳しく診てもらった所、ぐらついていた1本の歯が簡単に抜けてしまいま
した。その瞬間からとたんに元気になりました。獣医の話によると歯がぐらぐらしていると
きは痛く感じるそうで、抜けてしまうとその痛みは消えるそうです。

 獣医によるとこの肉腫を完全に直すには、顎の骨を削ったりする手術を行う必要があると
のことでした。いまミルクは11歳を超えているので、人間でいえば70歳を超えた老人の
域に達しています。

 このような年齢で大手術をして寿命を延ばしてあげるのがよいのか、あるいはたとえ寿命
が短くなっても、今のままで好きなものを自由に食べられる状態にしてあげるのがよいのか
を真剣に考えました。

 ミルクは食べることが大好きな犬だから、顎の手術をして食べるときに制限がかかってし
まうような体になったときに、ミルクはどのように感じるだろうかと愚妻と引き出した結論
は、このまま自然に過ごさせてあげようというものでした。

 従って獣医からは、痛み止めと抗生物質をもらいミルクの調子が悪そうな時に飲ませなが
ら、対処することとしました。昔はやんちゃで落ち着きのない臆病な犬でしたが、今は歳の
せいか殆ど一日中陽のあたる暖かい場所でごろごろと寝ています。ただし食べる時だけはダ
ッシュで飛んできます。

 今のミルクにとって、散歩と食べることと寝ることが最大の楽しみだと思います。これま
で11年間の期間をともに過ごしてきた時間を考えると、残された命を穏やかに使う方法が
良いのではないかと素直に思います。

 確かに悪いところを手術して取り除き、寿命を伸ばす方法も大切なことだと思いますが、
この世に生まれてきた際に授かった体の一部を人工的に改造した体にして命を伸ばすものの、
食べるときには自然な形でなく、少し不自由な食べ方になってしまうのが本当に幸せなのか
迷うところです。

 しかし、毎日ミルクと一緒にいるとこのままで良いよと目で話しかけているように思えて
なりません。人間でも同じですが、自然な振る舞いがもっとも大切なことだと思いますので、
今回のミルクの病に際しても、ミルクの命を預かる者として冷静に判断して決めた次第です。

 ミルクの寿命が尽きるまで、出来る限り傍にいてあげようと思っています。今回の出来事
を契機に、本当の幸せは何なのかを考えさせられました。愛犬ミルクですが、今私の傍で日
向ぼっこをしながらうとうとと夢を見ているように寝ています。

 本当の幸せってこのような当たり前の状態を指すのではないかと思うこの頃です。合掌

■ 第45回リコーフィルハーモニーオーケストラ演奏会を聴いて♪♪

2009-02-21 17:06:00 | Weblog
 2月7日の土曜日に川崎にあるミューザ川崎シンフォニーホールで開催された第45回リ
コーフィルハーモニーオーケストラ演奏会を聴いてきました。アマチュアのオーケストラを
聴いたのは学生のころですから、かれこれ数十年振りのことでした。

 会場となったミューザ川崎シンフォニーホールは音響が良いことで知られている名ホール
で、ベルリンフィルのサイモン・ラトルが気に入ったホールであることも有名です。今回は
プログラムの中にオルガンの出番がある曲があったことから、ミューザ川崎シンフォニーホ
ールのオルガンの音を初めて聴くことが出来たのは幸運でした。

 今回の演奏曲目ですが、全てがフランスの作品で、エロール:歌劇「ザンパ」序曲、フォ
ーレ:組曲「ペレアスとメリザンド」、サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調作品78「オ
ルガン付き」の3曲でした。1曲目のエロールの曲だけが馴染みがなく、残りの2曲は有名
なものであったので楽しく聴くことが出来ました。

 指揮者は井崎正浩でした。昭和35年福岡県福岡市生まれですから、今年49歳です。小
さい頃から音楽教育を受け、福岡教育大学音楽科卒業、同大学在学中にオーストリア国立ウ
ィーン音楽大学に留学して研鑽を積み、35歳の時に1995年5月のブダペスト国際指揮
者コンクールに優勝した後は一躍注目を浴びたようですが、残念ながら私はこれらの事実を
知りませんでした。

 現在は東京とハンガリーのソルノク市に居を構え、日本とハンガリーの両国を往復しなが
ら演奏活動を続けている指揮者です。今回のようなアマチュアオーケストラの指揮は、26
歳のときから取り組んできたようです。日本のアマチュアオーケストラにとっては、このよ
うなプロの指揮者に指導を受けながら演奏技術や音楽の解釈を向上させる良い機会になると
思います。

 また、オルガンの演奏は、新山恵理でした。新山は東京藝術大学音楽学部オルガン科を首
席で卒業後、仏・リール国立音楽院ではJ.ボワイエ氏に師事し、ここを首席卒業、その後
も各国の国際アカデミーにて研鑽を積んだ方です。現在、東京芸術劇場副オルガニストでも
あります。オルガンに関してはあまり語る程の知識はないのですが、当日の演奏はとても良
かったように思えました。さらにNHKホールのオルガンよりも良い音に聴こえました。

 今回の演奏を聴いた感想ですが、指揮者が確実に楽団員に指示を出している様子が手に取
るように分かりましたが、楽団員の方が指揮者の指示に100%応えていない状況が多く見
受けられました。

 特に弦楽器は、どのアマチュアオーケストラでも弱いと指摘される部分であり、他の楽器
との受け渡しの部分や、弱音の際の扱いに課題が見受けられました。また木管楽器もところ
どころで、はっとする箇所がありスリルのある演奏を楽しみました。どの楽器も弱音をはっ
きりとそして美しく演奏出来るようになると演奏レベルは飛躍的に上がると思います。

 アマチュアオーケストラだから仕方のないことは十分に承知していますが、やはり歌う部
分はプロアマ関係なく、十分に気持ちを入れた演奏をして欲しいと思いました。普通のアマ
チュアオーケストラは、時と場合によりますが、とんでもない情熱的な演奏をすることがあ
るので、聴く側はこの辺を期待してしまいます。今回はこのような爆発する演奏はありませ
んでした。

 演奏のレベルはプロに比べれば大きな差がでるのは仕方のないことですが、オーケストラ
という団体の中でそれぞれの人が楽しみながら演奏する機会をもてることは、人生を生きる
うえで大きな力となっていると思います。

 このように普通の人よりも充実した時を過ごすことができるのは羨ましい限りです。音楽
だけでなく、何事も自分で実践してみることが一番大切なことであり、何も出来ないのに単
に批判する輩は問題だと思います。

 今後とも、このようなアマチュアオーケストラを指導するプロの指揮者に期待しながら、
日本の音楽のレベルが上がることを願ってやみません。アマチュアオーケストラの皆さん、
どうぞ頑張ってください。

■ 鞄の中の手作り弁当!!

2009-02-14 16:04:06 | Weblog
 私に通勤用の鞄の中には、常にB5ノートPCが入っており、何かあった場合でもインタ
ーネットが繋がる環境にあればその場でほとんどの仕事がこなせるので重宝している。しか
しこれらを普通の鞄に入れて持ち歩いているが、普通の鞄にPCとそれに付随する電源ケー
ブルやインターネット接続機器、さらに最低限の書類と筆記用具、新聞、読みかけの文庫本、
常用の薬、さらにモーツァルトだけが入ったIpodで、ほぼぱんぱんの状態である。

 このような窮屈な状況の中で、今年から愚妻が作った弁当を入れることになった。愚妻が
弁当を作るきっかけとなったのは、年末年始に仕事で出勤したことに端を発している。年末
年始は勤務先のビルは全ての店舗が閉まっているので、どうしても昼食を用意して行かなけ
ればならなかった。

 その際に愚妻におにぎりを3つ頼んだのがきっかけとなって、今年から手作りの弁当を作
ってくれるようになった。昔々子供が学校に行っている時には弁当持参が原則だったので子
供用のついでに作ってくれていたが、さすがに子供が卒業した後は一つだけ作るのは大変な
ようで、自然と弁当がなくなり外食をするようになった。

 しかし、時々愚妻に対して外食は脂っこいとか、味が濃いので胃がもたれたり、さらに食
べるメニューが限定されてしまうようなことを話していたが、当時は手作り弁当の復活はな
かった。それがどのような気持ちの変化があったのか知らないが、今年から弁当を作ってく
れるようになった。正直言って手作り弁当は、どのような高い外食よりも美味しいと感じる。
結婚以来数十年間食べなれた味であるからだと思うが、本当に昼食を美味しく食べられる幸
せを感じている。

 歳をとって感じることは、食べるものに対して体から自然に発するものがあり、結果的に
食べるものが限定されてくるような気がしている。脂っこいものよりもよりさっぱりとした
ものとか、味も自然と薄味の嗜好になるとともに、食べる量も数十パーセント減少している。

 昔から言われている腹八分目というのが今の自分に合っているように思える。さらに歳を
重ねるうちに量は七分目、六分目と少なくなり、最後は仙人のように霞を食べて生きるよう
になるのではないかと思う。

 食べる量は少なくなっているが、反対に最近日本酒の量が多くなってきているのが気にか
かる。毎日のように飲みの誘いがあり、もともと断ることが出来ない性分であることと酒が
好きなこともあって、ここのところ飲む量が増えてきているので、注意が必要だと思ってい
るし、胃の調子も良くない。

 また歳のせいだと思うが、さすがに昔のように午前様になるようなことはほとんどなくな
ったが、一つだけ大変なのは、帰った後に弁当箱を洗うことだ。弁当を作ってもらっている
事に対する最低限の感謝の意味でも洗うように心がけているが、一度だけうっかり洗うのを
忘れて鞄の中に入れたままになっていたことがあった。

 そんなときは当然のことであるが翌朝、愚妻はすこぶる機嫌が悪い。丁重にお詫びし何と
か弁当を作ってもらって出勤したことがあった。なんだかんだで弁当を作ってもらうように
なって、弁当だけでなくいろいろなことに対して感謝する気持ちが強くなったことは事実で
ある。仏教でも感謝する気持ちは重要だと説いているが、何事も経験して初めてそのことの
大切さが分かるのだと思う。

 仕事に出かけるときに愚妻が作ってくれた弁当を窮屈な鞄の中に入れるのはちょっと難し
いが、工夫しながら入れ、ぱんぱんとなった鞄を持ち出かける小さな幸せは大切にしなけれ
ばならないと素直に思っているこの頃です。今日も朝は重い鞄が帰りには少し軽くなった鞄
をもちながらほろ酔い気分で帰宅する平凡な日々が続いています。 合掌

■ 第1637回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2009-02-14 16:02:14 | Weblog
 1月の初旬に、今年初めてのN響の定期演奏会を聴いてきました。演奏曲目はショスタコ
ーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品77、シューベルト/交響曲第8番ハ長調
D.944「ザ・グレート」の2曲でした。指揮はN響初登場のデーヴィッド・ジンマンで、
ヴァイオリン独奏は、リサ・バティアシュヴィリでした。

 シューベルトの交響曲以外は、私にとって曲も指揮者も独奏者も全て初めて出会うもので
した。聴いた感想ですが、バティアシュヴィリのヴァイオリンは上手いと思いましたが、問
題はショスタコーヴィチの曲でした。

 いつも述べていますが、モーツァルトとかブラームスに凝り固まった私のような聴き手に
とってショスタコーヴィチの今回のヴァイオリン協奏曲は聴いていられません。なぜならば、
聴く側の心が安定しないからです。

 聴きながら常に不安が付きまとい、さらに音楽と自分の心の動きを同期させることが出来
ないことから、非常に強いストレスを感じます。最後は嫌になって寝てしまいました。聴き
ながら寝るには合っている曲かも知れませんなどと暴言を吐いてしまいたいほどです。

 ただし、吃驚したのはリサ・バティアシュヴィリというグルジア出身のヴァイオリニスト
の演奏です。生まれが1979年ですから今年で29歳です。すでに結婚しており、夫が名
オーボエ奏者のフランソワ・ルルーで愛娘がいるとのことです。

 演奏からはそのような生活感的な雰囲気は感じられませんでした。ただ、音が鮮明である
という強い印象を持ちました。これは才能であると思います。可能であれば、モーツァルト
やブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴いてみたいものです。今後の活躍が期待される若手
ヴァイオリニストだと思いました。

 一方、指揮者のデーヴィッド・ジンマンですが、1936年アメリカのニューヨーク生ま
れで、往年の名指揮者ピエール・モントゥーに師事した後、各国のオーケストラを指揮しな
がら1985年にボルチモア交響楽団音楽監督としての活動を開始し、同楽団をアメリカ屈
指のオーケストラへ高めたとして評価されています。

 感じとしては、前回のメルマガで紹介したレナード・スラットキンに似ている感じを受け
ました。今年73歳になるマエストロですが、スイスのチューリヒ・トーンハレ管弦楽団の
首席指揮者に就任後、「ベートーヴェン交響曲全集」や他の作曲家の作品を録音するなど活
発な活動を行っていますが、CDの世界以外に日本では意外と知名度が低いと思います。今
回がN響に初登場となりました。

 さて、シューベルトの交響曲ですが、全体的に清楚でこじんまりとしたシューベルトでし
た。もともとシューベルトの交響曲は繰り返し部分が多く、緊張の糸が切れてしまいがちで
すが、今回はさらりと流したような感覚で、洋風ではなく和風的な演奏だったと思います。

 若い頃はいい曲だなぁと思う時期もありましたが、今回久しぶりに生演奏を聴いて感じた
のは、なんと退屈な曲との印象を持ちました。人間は本当にいい加減な生き物だと思います。

 昔涙を流しながら感動した曲が、人生の後半になって改めて聴くと何の感動もないことが
多くなります。人間として感動がなくなったら終わりだと思っているので、最近の演奏会で
感動を得ることが少なくなり、そろそろ人間として終わりなのだろうかと時々寂しくなる時
があります。昔のような感動を再度体験してみたいと思う今日この頃です。