ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

「大きな耳」、「小さな口」、「優しい目」!!

2008-01-23 23:22:52 | Weblog
 昨日の土曜日にNHKで放映されたドラマ「フルスイング」(全6回で今回はその第1回目)を見て、久しぶりに気が引き締まりました。本気を出す重要さ、また人間として他人とのかかわり方に関して心に響くものがありました。

 ドラマのストーリーですが、プロ野球の元打撃コーチ高畠導宏さんの実話をもとにしたものです。七つのプロ球団を渡り歩き、落合、イチロー、小久保、田口を始め、30人以上のタイトルホルダーを育てた高畠さんは、58歳で退団というよりは退団させられた?形でその後、福岡の高校の教師になりました。

 この教育現場において、30年のコーチ人生で培った優れたコーチング力を以って直球勝負の取り組みで、悩める思春期の子どもたちと現場の教師たちを大きく変えていきます。正に熱血先生のような存在だと思います。

 そこには「教える」ことに人生の全てを捧げた真っ正直な人間が浮かび上がって来ます。実話に基ずくものなので、その感動は本物として伝わってきます。配役も正に適役といった感じで、久しぶりにNHKに受信料を払っても価値があると思った次第です。今月は多額の年間受信料を払ったばかりなので特にそのように感じました。

 第1回目のドラマの中で最も心に残ったのは、「大きな耳」、「小さな口」、「優しい目」という3つの言葉でした。心を開かない人間に接する、あるいは本当の意味で人をサポートする姿勢が、この3つの言葉に含められていることが自分の中にストンと素直に落ちて来ました。

 人間がもがき苦しんでいる時に、周りのものが支援する行動のなかで「頑張れ」と励ます行為がありますが、この言葉がどれだけその人を傷つけているかを周りのものは分かりません。本人はとことん頑張っていてそれ以上に頑張れないときに周りから頑張れとの支援があるとますます滅入ってしまうのです。

 このような時には、決して「頑張れ」と言ってはいけないのです。ではこのような時にどうしたら良いかというと、その人の傍にいることが出来るのなら、一緒に悲しむあるいは悩むことだと五木寛之は言っています。

 今回の言葉の「大きな耳」、「小さな口」、「優しい目」は、あくまでもその当人からの行動を待つという消極的な方法に対応するものですが、この行為の中にはその人を見守っているという心が伝わるのです。

 常に大きな耳を持ってその人のことをあらゆる行動の中から聞いてあげること、そしてこちらから出しゃばらずに最低限の言葉をかけ負担にならないようにすること、そして常に見守っている優しい目で接することを説いているのだと思います。

 この言葉が、打撃コーチ高畠導宏さんのノートに書かれていたのを見て、真摯に選手に取り組んでいる心意気というか人に対する本気が出ていると素直に感じ、感動しました。

 社会の中では、常に自分の事ばかりを主張する「自利」のみの行動をとる人が多すぎる中で、本当のことを着々と進め、さらにそれは自分だけでなく他人のことを考えて行動する「自利利他」という仏教の教えに基づく行動をすることが非常に大切で、またそれが人間として生きる真理だと思います。

 このドラマを見て、人を育てる原点が見出せるような気がしています。まだまだ自分の生き方に修正をかけなければならないことを知り、とても嬉しく感じています。人間として生きる原点は「哲学」ですが、その前に宗教と道徳が必要だと最近思うようになってきています。これらに関しては考えがまとまった時点で書きたいと思っています。

 これから暫くの間土曜日の夜9時からはこのドラマ「フルスイング」に嵌まりそうです。 合掌

自分では見えないもの

2008-01-13 16:16:14 | Weblog
 自分では見えないものの代表としてよく言われるものにうしろ姿があります。うしろ姿というものは自分では意識できないことから、あるがままの自分がそのまま出てしまうと言われます。
 これらの他にも自分では見ることの出来ないものとして、カッと怒ったときの自分の顔、自分の寝顔、そして自分の死顔があると相田みつをは、自身の著である「生きていてよかった」の中で述べています。
 見えないものの中には、人間の本性が出るといわれています。この本性は、無意識に中で自然と出るものであるからして、このような状態では正にその人の本性が丸出しになってしまうのです。
 この本を読んだときに、自分では見えないものがまだまだたくさんあるのではないかと思いました。寝顔、死顔、怒った顔は物理的な面から見えないものに当たりますが、人間が生きていく世界では心を開かないと見えない、また相手の想いがが感じられない事が沢山あると思われます。
 他人が自分のために見えないところで何かをしてくれたとしても、それを実際に行っているところに出くわさないと、普通は分からないものです。しかし、その人がしてくれた行為により何らかの影響が自分に起きたときに、敏感に感じ取れれば大したものですが、普通はその人が言わない限り分からないものです。
 ですから今自分が生きていられるのは、多くの人の力が相乗作用として働いているからこそ安心して生きていられると思うようにしています。すなわち全ての事象に対して感謝の心をもって接することが特に重要だと思うのです。
 また、歳を取ったせいで最近はお節介になり、これらのことがまだ分からない人に対して自分の目に見えないところでこのようなことが行われているのだということを、機会ある毎に話をするようにしています。
 このような小さなことを通じて、少しでも人間と人間の関係が改善され良くなるのであれば、社会全体もこれに伴って変化すると勝手に思っています。
 これからも常に自分が生かされていると思いながら、他人に感謝するとともに何事も他人のために一生懸命に行うことを忘れずに行動することが、結果的にはどのような場合でも恥ずかしくない本性がでるのではないかと思っていますし、反対に自分の本性を素直に出せるようにしたいものだとも思います。
 また仮に自分のうしろ姿を見ながら育ってくれるような人材が育ってくれたら本望というほかありません。このようなことが少しでも早く実現するように、自分自身も頑張らねばと思っているこの頃です。 合掌